「……うおお」

間近で見上げると、何というか、やっぱり大きい。
記憶の中の星見堂と比べてもおよそ三倍強。二人だけで住んでいるらしいけど、使わない部屋はどれくらいあるんだろうか。
人を迎え入れる玄関さえ、私と星宮さんが並んでも全然スペースに余裕がある。 嫌味のない程度に品の良い装飾。庭があるのかどうかは不明だ。というか霧ノ埼の場合、外が庭と言い張っても問題ない気もする。

「こういうのを見ると、門から玄関までリムジンで移動するようなお屋敷を思い浮かべない?」
「別にそんなことはないですけど……」

星宮さんに同意を求めるもあっさり否定されてちょっと凹む。
まあ実際、そこまで非常識な家が現実にあるかは私もよく知らないし、だいたいかなり出入りが不便だと思う。
……あ、いや、お金持ちは自分の財力を誇示する目的でそういう屋敷に住むのかもしれないけど。
ともかく、この家の主、つまり雪草透くんと雪草里さんが相当裕福な生まれであることは、想像に難くなかった。

「ねえ、星宮さん。いったいどんな経緯で二人と知り合ったの?」
「えっと……確か鈴波さんと同じです。お散歩中にすれ違って、その時挨拶したのが最初でした」
「なるほど」
「それから少しずつ交流を深めていったんです。今では蒼夏さん発案の宴会で一緒にお話しするくらいには」
「蒼夏さんとも知り合いなんだ」
「はい。私より前に顔は合わせてたみたいですよ」

意外と……というと失礼だろうけど、蒼夏さんは交友関係が随分広いらしい。
この調子なら、佳那ちゃんや灯子さんとも仲が良い、と言われたって私は驚かないはずだ。

「んしょ、っと。……すみません、星宮です」

馬鹿なことを私が考えているうちに、星宮さんはインターホンを指で押した。
少し高い位置にあったボタンに背伸びして触れる様は、歳相応に可愛らしい。
ただ、正直にそう伝えても困らせるだけなので言葉にはしなかった。良くも悪くも、純な子なのだ。

しばらくして、玄関の奥から微かな足音が聞こえた。
かちゃりと静かに扉が開けられ、透くんではなく、見知らぬ女性が現れる。
彼女はまず星宮さんを、次に私を見て、歓迎の意味を込めた微笑みを浮かべた。
ここで立ち話も何だからと、中に案内される。創作ではよく靴を履いたまま歩き回る室内、なんてものがあるけれど、 さすがにそこまで絵に描いたような内装ではなく、全体的にシックな色合いの、落ち着いた家だった。
とはいえ、ところどころに置かれた小物はどうしても安物には見えず、 触れて落として壊そうものなら恐ろしいことになりそうなので、戦々恐々としながら女性の背を追う。
しずしずと先を行く彼女は、心なしか長い廊下を抜け、居間らしき大部屋に私達を案内した。
廊下と同じ、上品な調度品が配置された場所。どうぞ、と示され座ったソファはふかふかで、 ここで寝たら気持ちいいだろうなあと場違いなことを考えていると、星宮さんに窘めるような目で見られた。危ない危ない。
しかし、何とも落ち着けそうにない部屋だ。肩身を狭くしていると、案内してくれた女性がティーカップを持ってくる。

「粗茶ですけど、よろしければ」
「あ、はい。いただきます」
「砂糖とミルクはお入れになります?」
「それじゃあ少し」

カップに満ちた琥珀色の液体からは、ふわりと優しい香りが漂っていた。
ちゃんとした容器に入っている砂糖を乾いたままのスプーンで掬い適当に入れ、 何だっけ……そう、ミルクピッチャーを取り、ゆっくりカップにミルクを注ぐ。 お代わり用のティーポットまであるし、おそらく茶葉で淹れたんだろう。本格的だ。
給仕めいた彼女に目配せをして、一口。喉を通り、鼻に抜ける芳香と僅かな苦味、 砂糖の薄い甘味とミルクのまろやかさが絶妙にマッチしてる。 要するに、小難しい言い回しは全部抜きにすると、すごくおいしい。
隣の星宮さんは慣れているのか、いつもと変わらない表情でカップの縁に口付けていた。

「どうですか? お口に合えばいいのですけど」
「おいしいですよ。何杯でもいけそうなくらいです」
「あら、それならどうぞ、飲み終わったら遠慮なく言ってくださいね。注ぎますから」
「それくらいは自分でやりますよ」
「いえいえ、申し訳ないですが、お客さんをおもてなしするのがわたしの仕事ですので」

さらりと躱され、私は苦笑して頷いた。
彼女の口調に、穏やかながら有無を言わせぬものを感じたからだ。
よくよく見ずとも、彼女は普段着らしき清楚な服の上にエプロンを着けている。
妙に長い、腰までありそうな黒髪もきっちり結わえ纏められ、動きを取りやすい状態で固定されていて、 おもてなしが仕事というのにも一応納得はできる。いわゆるお手伝いさんなのかもしれない。
……と、そういえば名前を聞いていなかった。まあ、誰なのかは想像ついているけれど、ここは問うべきだろう。

「あの、」
「お名前は伺ってますよ。鈴波信一さん」
「……どうやら私は紹介するまでもないようで」
「ふふ、時々陽向さんとお話しする際、あなたの名前を聞くものですから」

私は星宮さんに怪訝な視線を向け、星宮さんはそれを平然とした顔でさらっと流す。
いったい私の名前と素性は、星宮さんの知り合いにどれだけ伝わってしまってるのか。
こう見えて意外とお喋りなのかもしれない、と彼女への評価を修正していると、仮称お手伝いさんは再びくすりと笑い、

「申し遅れましたね。雪草里と申します」
「ああ、やっぱりですか」
「陽向さんから聞いていました?」
「はい」
「……えっと、私、もしかして余計なことをしてましたか?」
「ううん、そんなことないって」
「そうですよ。世話好きは陽向さんの美点です」
「あう……。何だか褒められているようなそうでないような、複雑な気分です」
「随分賑やかだね」

別に責めているつもりはないけれど、頬を赤らめて俯く星宮さんを見てるとちょっと罪悪感が。
誤魔化すように少し温くなった紅茶を啜り、そこでリビングに四人目が顔を出す。
言うまでもなく最後の一人、雪草透くんだった。

「透さん、紅茶は要りますか?」
「いつも通りでお願い。お二人とも、出てくるのが遅れてすみません。消化しなきゃならない仕事があったもので」
「あ、いや、気にしなくてもいいよ。私達は特別な用事があって来たわけでもないんだし」
「……もしかして鈴波さん、透さんとお知り合いなんですか?」
「こないだ陽を散歩に連れてった時、外で会ったんだ」
「よう?」
「あの子の名前です。太陽の陽。由来がそのまんまですけどね」

彼の肩に止まっていた小さな雀の姿を思い出し、いい名前だ、と思う。
かなり懐いていたようだけど、しかしさすがに室内を飛び回ってはいないらしい。
排泄のこともあるし、普段は鳥籠の中にいるというのが妥当なところだろう。
と、本来の目的を忘れないうちに私は持参してきたものを差し出す。

「今更だけど、新参者としての挨拶を兼ねて。つまらないものですが」
「そんな気を遣わなくてもいいんですが……では、有り難くいただきます」
「仕舞ってきますね」

透くんに渡した紙袋を里さんが受け取り、別の部屋に置きに行く。
ちなみに中身は常温で放置しても問題ない菓子詰めだ。持ってくるまでの距離を考えれば当然。
チョコレートの類なんて選んでたらまず間違いなく途中で溶けるだろうし。

「……ということで、もう用事は済んじゃったんだけど」
「鈴波さんさえ良ければゆっくりしていっても構いませんよ。僕はまだ仕事があるのであまりお話には付き合えませんが」
「透くんが忙しいのに無理に長居しようとは思わないって。ここらでお暇します。星宮さんも、それでいいよね?」
「はい。透さん、また今度お会いしましょう」
「色々一段落したら余裕もできるから、その時にでも」

そうして彼が奥の部屋に消えたのと同時、里さんが戻ってきた。
席から立ち上がった私達を見てすぐに状況を察し、玄関まで送ってくれる。

「もし良ければ、また来てくださいね。いつでもおもてなししますから」
「ありがとうございます。機会があったら、また是非」

私達が遠ざかるまで、里さんは扉の外でずっと手を振っていた。
短い間ではあったけど、彼らの人柄を知ることができた。二人とも、いい人だ。
霧ノ埼に於ける私の知人関係は、良心的な相手のみで構成されている気がしないでもない。

「あの、鈴波さん」
「ん? 何?」
「これからそちらに寄っても大丈夫ですか?」
「勿論です、レディ」
「……あまり様になってませんよ」
「やっぱり?」
「鈴波さんは、いつも通りでいるのが一番です」

星宮さんのそんな言葉がくすぐったくて、私は恥ずかしさを忘れるためおもむろに走り始める。
風が気持ちいいから両手を横に広げちゃったりなんかして、足下不注意で一回転びかけた。
要らぬ心配を掛けつつも、理由もなく駆け回るのは、童心に帰ったようでとても楽しかった。
見上げた空の青さに、ふと、押入れの中に眠ったままのある物を思い出す。
……近いうちに、ちょっと引っ張り出しておこうか。

「……顔がにやけてます」
「え? そうだった?」
「それはもう。何かいいことでもあったんですか?」
「秘密。今度教えるよ」

彼女の親御さんに、もし許可が取れたら。
いつか素敵なものを見せてあげようと、そんなことを思った。





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