お祭りの出店と言えば、大半の人はいくつか挙げられるものだと思う。 例えば焼きそばやたこ焼きなんかはだいたいどこに行ってもあるし、りんご飴にフランクフルト、 お好み焼き、かき氷やベビーカステラといった辺りもすぐ頭に浮かぶ。勿論食べ合わせを考えると全部一気に買ってくるのは馬鹿のやることで、 私と星宮さんはまず境内を一巡し値段と量のバランスを見て食べられる分だけを集めていった。 残すのは勿体ないし作った人に申し訳ない。 けれどギリギリ食べ切れる量を見極めるのは難しく、懐がさほど温かくないのもあってそこは結構悩んだ。 星宮さんと二人で首を捻り、 「もし後でお菓子を食べるなら、夕食の分は控えめの方がいいと思います」 「星宮さんはかき氷とか食べてみたいのはあるの?」 「……えっと、そんなには要りません。少しつまむくらいで」 「わかった。じゃあ腹八分目で抑えるのがいいかもね」 なんて会話の後、私達は重ねたプラスチックの箱を抱えて落ち着ける場所を探す。 主催側の親切心か、境内の端にはゆっくり食事ができるようにと机が並べられていて、喧騒から一番遠いところを星宮さんは指差した。 それでも賑やかな声が届いてくるのは変わらない。隣の親子らしき三人が楽しそうに談笑していたので、軽くお辞儀して腰を下ろす。 途中から片手じゃ抱え切れなくなった戦利品を机に置くと、星宮さんがお疲れ様ですと労ってくれた。 「結構買いましたね」 「うん。お祭りで見るものは一通り揃えたって感じ。星宮さんはどれから食べる?」 「うーん……目移りしちゃいます。あ、鈴波さん、お箸どうぞ」 最初の焼きそば屋で貰ったふたつのうちのひとつを手渡され、私はぱきんと箸を割る。 昔からだけど、なかなか綺麗に二分割とはいかない。今日は左側に寄ってしまった。 残念、と苦笑して、とりあえず焼きそばの容器を小山から引っこ抜く。 「私はこれから行くね」 「では、私はお好み焼きを頂きます」 二人同時に輪ゴムを取る。 上蓋が跳ねるように開き、ふんわりといい匂いが漂ってきた。 安っぽくも不思議とおいしそうな、ソースの匂い。 いただきますと手を合わせ、食べ始める。ちょうど動いてお腹も減ってたところだ。雰囲気もあって焼きそばはおいしく感じる。 ちらっと向かいを見ると、星宮さんは随分上品な箸遣いで口にお好み焼きの切れ端を運んでいた。 「どうしました?」 「いや、何でもないよ。おいしい?」 「はい。味はどうしても家で作るものに劣りますけど……不思議です」 「雰囲気を食べてるようなものだからね」 「……雰囲気、ですか?」 「うん。楽しそうな雰囲気の場所で食べるものは、多少味が悪くてもおいしいんだよ、きっと」 焼きそばを三割ほど残し、次はたこ焼きを口に放り込む。 お祭りの時以外はそうそう食べることもない、出店の代名詞とも言えるそれは、やっぱりチープな味だった。 でも、決して悪くはない。少なくともあと二、三個食べようと思うくらいにはおいしいのだ。 「焼きそば、取ってもらえます?」 「かなり食べちゃったけど、いい?」 「構いません。私は鈴波さんのおこぼれを預かってるだけですから」 「……ここでそれを持ち出しますか」 「ふふ、丸め込まれたお返しです」 ころころと、鈴のように笑う星宮さん。 その表情は普段大人びて見える彼女には珍しく年相応のもので、ああ、こんな顔も見せるんだと思った。 小さく揺れる束ねた髪。微かに響く、ちりんという鈴の音。 今が、快い。 「……鈴波さん、箸、止まってますよ」 「あ、ごめん」 「もっと食べないと余っちゃいます」 「だね。星宮さんにばっかり任せちゃいけない」 静かに焼きそばをはむはむと食べる星宮さんを眺めながら、私は食事を再開した。 どうにか全ての容器を空にして、正直買い過ぎたかもしれないとちょっとだけ後悔の気持ちが湧いた。 「……うっぷ」 「大丈夫ですか?」 「す、少し休めば……」 結局情けなくも歩き回っている途中で軽い嘔吐感を覚え、人気のないところに向かった。 賑やかな区画から離れたそこは、鎮守の森をすぐ後ろに控えた本殿横。 先が見えないほど深い木々の群れは薄暗い上に気味が悪く、なるほど確かに近寄り難い。 それでもここに来たのは何故かというと、星宮さんがこんなことを言ったからだった。 「折角神社に来たんですし、お参りしていきませんか」 「いいけど……射的とか金魚すくいとかはどうする?」 「これ以上負担は掛けられません。それに……」 「それに?」 「金魚は家に持ち帰っても飼えませんから」 無駄に殺しちゃうだけですよね、と。 そう呟いた彼女の頭を、私は優しく撫でた。 嫌がらないのはそれを受け入れてくれてる証拠だと勝手に信じて。 最後にぽんぽんと軽く叩き、手を離す。 「……さて、調子も戻ったしお参りしよう。と言ってもすぐそこだけど」 「鈴波さん、小銭はあります?」 「大丈夫。星宮さんは?」 「百円から一円まで全部揃ってます」 「なら問題ないね」 気を取り直し、二人並んで本殿の正面に向かう。 二十歩もしないうちに賽銭箱まで辿り着き、懐から出した小銭をお互い見せ合った。 「ご縁がありますように……だとちょっと願いを叶えてもらうには安過ぎるかなぁ、って」 「そう考えると、神様って現金ですよね」 星宮さんの冗談にくすりと笑みを漏らし、一緒に百円玉を放る。 ちゃりん、と乾いた音を立て、賽銭箱に飲み込まれていく様を眺めてから拍手二回。 そのまま目を閉じ、私は居もしない神様に祈る。 願いは何がいいだろうかと考えた。 そうしたら、ふっと昔のつまらない記憶が脳裏を過った。 だからそれを振り払って、微かな未来に思いを馳せる。 感傷は一瞬。百円ぽっちの願い事だ、くだらないことに費やすのが一番いいと思った。 顔を上げる。星宮さんと、目が合った。 「……鈴波さんは、何をお願いしましたか?」 「そうだね……。毎日寝て過ごせますように、かな」 「これ以上自堕落になってどうするつもりですか」 凄い冷めた目で見られた。ちょっとだけ傷つく。 「じゃあ、星宮さんは何をお願いしたの?」 「えっと…………秘密、です」 なので意趣返しに同じ質問をしたけれど、すんなりと躱された。 その時彼女が浮かべた表情に、私は僅かな引っ掛かりを覚える。 恥ずかしそうな、でもどこかそれは寂しそうな―― 「帰りましょう」 「え? あ、うん」 結局私は、何も言わなかった。 今は訊くべき時じゃない、そう思って。 まだまばらな人の流れに従うように、二人で階段を下りていく。 もうとっくに陽の暮れた西空には、指折り数えるのが馬鹿らしくなるくらいの煌めき。 ここに住むようになって気付いたけれど、星の光が多過ぎても星座は判別できなくなるらしい。 実際どれが何座だと議論しながらの帰り道、星宮さんが指差す場所に目を向けても私はいまいち見分けられなかった。 「ねえ星宮さん」 「はい」 「どうしてわかるの?」 「慣れですよ。ずうっと見ていればいずれ鈴波さんもわかるようになります」 「……慣れかぁ」 ふっと夜空を見上げると、天の川が目に付いた。 無数の星が敷き詰められた、色とりどりの光の帯。都会じゃまず見られない。 天蓋を覆う雲もない、そんな霧ノ埼の空を、私は賑やかだな、と思う。 「……そういえば、もう帰っちゃってよかったの? まだ終わってなかったでしょ」 「いいんです。最後までいると、寂しくなっちゃいますから」 星宮さんの返答に何となく感じ入るものがあって、私は小さく頷いた。 想像する。遠方から来た人で賑わっていた境内も、一人、また一人と減っていくにつれ普段の静けさを取り戻していく。 そうして終了時刻を迎えれば、出店も撤去され閑散としてしまう。 もし、そこに取り残されたとしたら……きっと、とても寂しいだろう。 ならまだ騒がしいうちに帰った方がいいというのも、わかるような気がする。 いつだって、終わりを見届けるのは胸が痛むものだから。 「………………」 「………………」 暗めの話をしてしまったからか、お互いしばらく口を閉ざしたまま歩く。 けれど気まずいわけでもなく、触れるか触れないかの距離を保って彼女と同じ行き先を目指す私の心は、そう、穏やかだった。 やがて星宮さんがぴたりと足を止める。 「あ、すみません、もうここで大丈夫です」 「家まで送らなくていいの?」 「この辺は今の時間だと人影ひとつ見ませんから。むしろ私は、鈴波さんがここからちゃんと帰れるか心配です」 「そんなに方向音痴じゃないよ。……でも、本当に夜は暗いなぁ」 「……送っていきましょうか?」 「遠慮します」 男が年下の女の子に先導されちゃ世話がない。 まあ、ほんのちょっとだけ不安だけど、何とかなるだろう。 近くまで来ればわかるはずだ。たぶん。きっと。おそらく。 一歩、二歩、星宮さんは私から遠ざかる。 十字路というには些か曖昧な分かれ道。その分岐点で立ち止まり、振り返った彼女の髪が揺れて、リンと鈴が跳ねた。 決して静けさを壊さない、優しい音色。鈴鳴りはいつも、心地良い。 「今日は、楽しかったです。ありがとうございました」 「ううん。こちらこそ、付き合ってくれてありがとうね」 それから言うかどうか少し迷って、結局私は素直な気持ちを口にした。 「浴衣、似合ってたよ」 「……嬉しいんですけど、改まって言われると、恥ずかしいです」 「あはは、そっか。でも嘘はついてないよ?」 「うぅ……鈴波さんは本当にいじわるです」 「ごめんごめん」 そう私を責めながらも、星宮さんは最後にくすっと笑って、また来年も一緒に行けるといいですよね、と呟いた。 神様へのお願いはそれにしておけばよかったかな、なんて今更思う。 「っと、あんまり長々話してると明成さんを心配させちゃうんじゃないかな」 「はい。では、また明日、鈴波さん。おやすみなさい」 「おやすみなさい」 暗に明日も星見堂に来ることを仄めかして、星宮さんは歩いていった。 幾度か私の方へ振り向いたので手を振ると、軽い会釈の後、恥ずかしそうに小さく上がった左手が揺れた。 後ろ姿が視界から消えるまで見送り、私も歩き出す。一人になって感じるのは、温かさの名残だった。 祭りの終わりは寂しいものだ。でも、それは遊び回った時間が楽しかった何よりの証拠だろう。 少なくとも私にとっては、悪いものじゃない。 「……もうすぐ、夏も終わるなぁ」 いつの間にか秋の足音が大きくなっている。 夜風は身体の熱を薄く剥がしていくような肌寒さで、季節の巡りを私は実感した。 「星が、綺麗だ」 流れ星はないけれど、祈る。明日もまた、良き日でありますようにと。 start/three.鈴鳴り・了
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