霧ノ埼にも夏祭りがある、という話をしてくれたのは、星宮さんだった。 年に一回、東の神社で行われる、由緒正しい豊穣を祈る祭らしい。 普段はほとんど無人の境内も、祭りの時期には神主さんやらが訪れ、出店も並び縁日っぽくなるとか。 たった一日の、決して大きくはない行事ながら、霧ノ埼では唯一のお祭りということもあり、薄霧の方からも少なからず人が来る。 よって、あんな人里から外れた場所なのに結構な賑わいを見せるのだ、と説明された。 私はお祭りの雰囲気が好きだ。あの独特な、心がふわふわと軽くなるような空気。 みんなが笑っていて、楽しそうで、至るところから幸せのお裾分け、みたいな。 そんな様子を遠くから眺めるのも、勿論一緒になって騒ぐのも、同じくらい楽しく感じる。 だから、当日には顔を出そうと思っていた。まあ誰も誘ってくれないだろうなと苦笑しながら、 早めに星見堂は閉店して気楽な薄着でゆっくり歩いていこう、なんて。 「……鈴波さん?」 「あ、ご、ごめん。もう一度言ってくれるかな」 「聞いてなかったんですか……。仕方ないですね。明日、私と一緒に夏祭りに行きませんか?」 正に青天の霹靂だった。 星宮さんの申し出が最初信じられなくて、私は思わず訊ね返してしまったけれど。 再度全く同じ言葉を告げられ、ようやく現実を受け入れる。 「って、え? 何で? 何で私? 佳那ちゃんとかもっと他に誘う人がいたんじゃないの?」 「去年までは父さんか佳那と灯子さんに付いてきてもらってたんですが、今年は父さんが仕事で忙しくて、佳那は陸上部の子と一緒なんです。 それで、一人で行くのも寂しいと思ってたら……鈴波さんの顔が頭に浮かんで」 「私を誘った?」 「はい」 「それは……」 うわ、どうしよう。 別にデートでも何でもないのに、星宮さん思いっきり年下なのに、素直にすっごい嬉しい。 「……うん、私でよければ付き合うよ」 「ありがとうございます。それでは、明日の五時そちらに行きますから、準備して待っててください」 「わかった。じゃあ、また明日」 「また明日」 別れの挨拶を最後に、星宮さんが店を出ていく。 いつもより少し早い時間だけど、何やら用事があると言っていた。 風鈴の音と共に扉がぱたりと閉まり、一人残された私はしばらく玄関を眺める。 「そういえば、お祭りなんて行くのは久しぶりだ」 最後に騒がしく出店を回ったりしたのは、いつのことだろうか。 親しい友人達と色々なところを冷やかして、限られた資金を有効に使いお腹を膨らませて。 そんな記憶も下手すれば高校生くらいの時で途切れているものだから、殊更祭りという響きは懐かしいと思う。 「……何か夏っぽい服とかあったかな」 とりあえず、星宮さんと並んでも恥ずかしくない見た目で行かなきゃな、と慌てて箪笥を引っ繰り返し始めた。 当日。 結局いつもの薄着に毛が生えた程度のおめかしをして時計をちらちらと見ていると、表から風が入ってきた。 ふっと私は振り向く。風鈴がちりんと鳴り、それに重なる形で、別の鈴が風鈴よりも高い音を立てた。 「こんにちは、鈴波さん」 「………………」 「……あの」 「あー……ごめん。こんにちは、星宮さん」 端的に言えば、星宮さんは浴衣姿で現れた。 藍色の布地に臙脂の帯。柄は金の小さな鈴で、遠目には夜空に星が散りばめたようにも見えるだろう。 いつもはストレートの黒髪も、浴衣の柄と同じ形をした鈴が付いた紐で結わえられている。 いわゆるポニーテールだ。彼女が翻れば、きっと尻尾みたくふわりと靡くに違いない。 とまあ、要するに、見惚れてしまっていたわけで。 一瞬こんばんはと的外れなことを言いかけたのは秘密だ。まだ陽は沈んでない。 「ここから歩いていけば、たぶんちょうど夜になる頃に着くと思います」 「私が車持ってればよかったんだけどね」 「いいですよ。それに、私は歩く方が好きですから」 私の焦りっぷりを気にすることもなく、星宮さんは先を促す。 ちなみに靴だけは割としっかりしたサンダルで、浴衣には合ってないけれど、歩く距離を考えれば仕方ないのかもしれない。 下駄じゃ到着前に足が参っちゃうだろうし。 星見堂を出ると傾いた西日が茜の色を帯びていた。 神社を目指す私達の背から伸びる、眩しい光と長い長い影。 一歩毎に星宮さんの髪がぴょこぴょこと軽く跳ね、その度髪留めにくっついた鈴がリンと鳴る。 「他のみんなは来るのかな。星宮さんは知ってる?」 「蒼夏さんは絶対。あの人、騒げる場所ならどこにでも行きますから」 「……なるほど」 「透さんと里さんはわかりません。お仕事がなければ来るかもしれませんし、来ないかもしれません」 知った顔全員で賑やかに祭りを楽しむのもいいんじゃないか、と思ったけれど。 宴会の時のようにああやって揃い踏みする方が珍しいことくらい、私にもわかる。 それを寂しく感じて、私は苦笑いを浮かべた。 「何か、よく大人にならなければいいのに、って思うことがあるよ」 「そうなんですか? 早く大人になりたいって言う同級生がいっぱいいますけど」 「社会に出れば、否応なく縛られちゃうからね。昔できたことが、できなくなるんだ」 「それは……悲しい、ですね」 「……うん。お、だんだん人が増えてきた」 神社に近づくにつれて、車や自転車、徒歩の人達を見かけるようになる。 誰もが同じ場所を目指しているというのは何だか不思議な感じだ。 その流れに乗って、私と星宮さんは歩いていく。日暮れの景色を見たり、世間話をしていれば退屈はしなかった。 完全に陽が落ち、星座が判別できるほど暗くなった頃に階段の下まで踏破した。 「やっとここまで来た……」 「まだ階段がありますよ」 「ああっ、思い出させないでっ」 「ふふ、行きましょう」 人波に紛れながら、私達も最後の難関に挑む。 浴衣を着ていてあまり激しく動けない星宮さんは、その足取りもゆっくりとしたものだ。 自然私はそれに合わせるようになり、一段一段を着実に上がる。 ふくらはぎがぱんぱんに張っていくのを感じつつも、ともすれば止まりそうな歩みの速度は維持。 そしてようやく一番下にいた時は見上げるほどの高さにあった最上段に辿り着き、私は思わず息を吐いた。 膝に手を置き、しばし呼吸を整える。隣の星宮さんは平然としていたのでちょっと凹んだ。 「鈴波さん、もう少し休みますか?」 「いや、さすがに、それは情けないから」 「でも息切れてますよ?」 「歩いてれば、調子は戻るって。だから、遠慮は、しなくていい」 「……そう言うのなら、わかりました。まずはぐるりと回りましょうか」 心配され、せめてここではと子供みたいに強がった。 そんな私の思惑を見抜いたのか、星宮さんは境内に踏み込むことを促す。 話に聞いた通り、辺鄙な場所であるにも関わらず随分と賑わっていた。出店が所狭しと並び、 挟まれるようにしてできた道を様々な恰好の人が楽しそうに巡っている。 年齢もバラバラで、親子連れに小学生、中学生、高校生らしき集団、カップルや夫婦、妙に元気なお年寄りも多い。 ただ共通しているのは、誰もがこの祭りをそれぞれの感じ方で楽しんでいる、ということだろう。 そこかしこに見える笑顔を前に、私はつられて頬が緩むのを抑えられなかった。 「疑問に思うんですけど、どうして同じものを売ってるところが何箇所もあるんでしょう」 「うーん、何でだったかな。どこかで聞いた気がするんだけど忘れちゃった」 「焼きそばのお店が三つありましたね。どれも値段が違ってました」 「見た目で味は判別できないからなぁ……。作り方と値段に対する量を見て判断するしかないね」 「鈴波さんは三角くじとかやったりしますか?」 「それこそ小学生くらいの頃はお金使ってたけど、さすがに今は。場所によっては当たりを抜いてたりするし」 「そんなことをする人がいるんですか……」 「あ、ベビーカステラ。祭りの出店だと必ずと言っていいほど見つけるんだよなぁ」 「……私、食べたことないです」 「え、嘘、ホントにないの?」 星宮さんが頷いたり首を振ったりする度に、ちりん、ちりりん、と髪留めが鈴の音を響かせる。 喧噪の中でもはっきりと聞き取れるそれはとても耳触りが良くて、私は好きだった。 境内を一周し終え、雑踏から外れた場所に出て一息。 休憩も兼ねて私は飲み物を買ってくることにする。とはいえこの辺に自動販売機はないので、出店での調達だ。 お祭り価格でちょっと値は張るけれど、必要経費と思えばさほど痛くはない。 「星宮さんは何がいい?」 「えっと……それじゃ、お茶をお願いします」 「了解」 さっと行って品揃えを見る。ペットボトルの緑茶とストレートティーをひとつずつ。 五割増の料金はほとんどぼったくりだよなあと思いながら戻り渡すと、星宮さんはすぐに開けて飲んだ。 平然としている風だったけど、実は結構喉が渇いていたらしい。 三分の一ほどを一気に減らしてきゅっと蓋を閉め、そのまま手に持つ。 お互い片手が埋まってしまったけれど、まあ問題ないだろう。 「それじゃ、とりあえず夕飯用に適当なのを探そっか。お金は私が出すよ」 「いえ、申し訳ないです。私も今日は結構持ってきてますから」 「年下の女の子と割り勘なんて男の恥みたいなことはできないって」 「それでもです。鈴波さんだけに負担は掛けられません」 忘れてた。星宮さん、妙なところで頑固なんだった……。 「大人しく私に奢られようとは思わない?」 「大丈夫です、そこまでお金に困ってるわけじゃないですし」 「……頑固だね」 「鈴波さんこそ、そうまでして自分の負担を増やさなくてもいいじゃないですか」 「いやね、男の意地というか……」 「……星見堂にほとんどお客さん来てないみたいですし、心配なんです」 「う」 「生活に困ってるわけじゃないようですけど……余分な出費は抑えた方がいいんじゃないですか?」 「そこはちゃんとやりくりしてるから安心してほしいなぁ……って思うんだけど」 「とてもそうは見えません」 問答を繰り返すも、なかなか落とし所は見つからない。 どうすれば説得できるだろうかと私は悩み、 「最近さ、どうも夏バテ気味で食欲があんまりないんだよね?」 「……?」 「だからご飯を買ってきたとしても、たぶん全部は食べ切れないと思うんだ。 でも捨てるのは勿体ない。それで、もしよかったら―― 余っちゃった分、食べてくれないかな」 言葉を失った星宮さんを見て、私はにやりと笑みを浮かべる。 卑怯な言い回しだと自覚しながらも、発言を撤回するつもりはなかった。 案の定、星宮さんは重い溜め息を吐いて頷く。 「……そんな風に言われたら、断れません」 「よし、じゃあそれでいいね」 「……鈴波さんはいじわるです」 「私としてはあんなにも割り勘にこだわる星宮さんの方がわからないんだけど……」 「だって、お金を出してもらっても、申し訳なくてご飯がおいしく感じないですよ……」 「そこはもうちょっと柔軟に考えよう。小さい子がいたら、面倒みてあげたいって思うでしょ? それと同じ」 「何だかまるで私が小さい子だって言ってるみたいです」 「考え過ぎだって。年下の人には恰好良いところ見せたくなるの。特に男はそういう生き物なんだよ」 「……そうなんですか?」 「うん。だからここは有り難く好意を受け取ってください」 「…………わかりました。お世話になります」 いい子だなぁ、と改めて思う。 融通が利かないように見えたのは、星宮さんなりに私を心配してのことだったわけだし。 ならせめて、ちゃんとお姫様をエスコートしてあげよう。 「あ、手は……引いた方がいい? 荷物増えるまでだけど」 「そうですね、はぐれたら困りますし、お願いします」 夕食集め、開始。 back|index|next |