人間誰しも、実際に泥酔するまでは自分が酔っぱらった時どうなるかわからないものだと思う。
勿論私もその例に漏れず、泣き上戸なのか笑い上戸なのか、記憶は残るのか残らないのか、全然予想がつかず。
母には引き際を弁えなさいと言われていたけどそもそもどこが境界線かも不明で、そう、あの時までは自分が前後不覚になるほど酔う日が来るなんて思いもしなかった。 確か、久しぶりに小学校時代の友人達と会って、折角二十歳になったんだからみんなで飲まないか、って誘われて。 積もる話もあるからと頷き、適当なところで予約を取って集まり、結構な人数で騒ぎ始めた。
賑やかな中、相変わらず炭酸が駄目な私はビールも頼めず、ちびりちびりと度数の弱い、ほとんどジュースみたいなものを口に運んでいて、 そこで隣にいた友人が「ノリが悪い」と言い、適当に周りの奴らが注文していた酒を混ぜて私に差し出したところまではよく覚えている。
微妙な酔いの勢いも手伝って、私はついそれを一気飲みしてしまったのだ。よく急性アルコール中毒で卒倒しなかったなと今になって思うけど、 ある意味倒れなかったのは不運だったのかもしれない。私にとっても、他のみんなにとっても。

以来、私は絶対無茶な飲み方をしないよう心掛けている。
泥酔した私を家まで送り届けてくれた友人達は、忌まわしきあの日のことを決して語ろうとしなかった。
一人だけ、いったい私が何をしたか教えてくれた奴がいたけれど、まあ、うん。正直知らない方がよかった……。

ということで、例えどんなに勧められようとも、無茶な飲み方に付き合うつもりはない。
ゆっくり自分のペースでグラスや缶を傾けながら、みんなが何かやらかさないよう見張るだけだ。

「ですから私はこれ以上飲みませんよ?」
「そうか。残念だが、無理強いをする気はない。他を当たるとしよう」

缶ビールを突きつけてきた蒼夏さんに断り、私は輪から少し離れた場所に座って眺める。
星宮さんと来た時にはまだ誰もいなかったのに、今は全員が揃った状態。佳那ちゃん、灯子さん、透くん、里さん、あとは何故か霞さん。 彼はバイト後に誘われたらしく、話を聞く限りだとあまり酒は飲めないとのこと。ならどうして来たんだろう。
参加者の行動はきっちり分かれていて、里さんと灯子さんはつまみになる軽食を作る係。
佳那ちゃんと星宮さんの高校生組が皿を運び、霞さんが蒼夏さんに訊いて箸とかを持ってくる。
その間、蒼夏さんは大量の酒(日本酒にワインに焼酎にリキュールの原液にウイスキーと凄まじいラインナップ)を並べ、 私は透くんと一緒に好みを訊いて各々のグラスに注いでいく。ちなみに蒼夏さんは缶ビールを直で飲むようだった。
準備が終わったら、主催者の音頭で宴会開始。乾杯の一声と共に、あっという間にグラスや皿が空になる。
最初の頃は特に里さんと灯子さんがせわしなく動いていたけど、しばらくするとペースも落ちてくるわけで。
そういえば星宮さんと佳那ちゃんはお酒飲んでいい歳じゃないよなぁ、と今更思い出した時にはもう遅かった。

一人ずつ現状を見ていくと、こうなる。
テーブルの真ん中で透くんに絡みながら(腕を彼の首に巻きつけてる)琥珀色の液体を胃に流し込んでいるのは蒼夏さん。 既に結構な量を飲んでるはずなんだけど、まだ酔い潰れて寝てしまうところまでは行ってないようだ。尊敬できないけど素直に凄い。
絡まれてる透くんは、迷惑半分苦笑半分といった感じ。とにかくひっきりなしに蒼夏さんから酒を勧められ、仕方なさそうに口を付けている。 こっちはそろそろ駄目になりそう。顔が真っ赤だし、だいぶ呂律も回らなくなっているみたい。
世話係の里さんはこまめにつまみを補給しつつ、蒼夏さんをやんわりと制止しようとするもあまり効果はない。 さほど飲んではいないみたいだし、彼女は最後まで素面でいるだろう。人はそれを損な役回りと言うけれど。
もう一人の料理担当、灯子さんはというと、今は蒼夏さんと透くん、佳那ちゃんと霞さんのやりとりを見ながら楽しそうにしている。
錯覚でなければ、ちょうど今グラスに注いでいるのが十杯目のお酒だ。そんな馬鹿な。何であなた平然としてるんですか。
一方、一人娘の佳那ちゃんはアルコールでアッパーテンション。あ、踊り出した。
パンツルックなので激しく動いても大丈夫だけど、こう、もうちょっと慎みを持った方がいいんじゃないかと思うのはお節介かなぁ。
お酒の飲めない霞さんは、初めちょびっとビールを口に含み、そのまま数分涙目で座っていた。
現在は踊る佳那ちゃんに手を引っ張られ、振り回されながらも嫌そうにはしていない。しかし明日仕事はないんだろうか。

そして、ある意味誰より問題なのは、星宮さんだ。
彼女は私の隣で横になり目を閉じ、本当に静かに眠っている。
その寝顔があんまりにも安らかなものだから、私は起こそうにも起こせなかった。

「すぅ……」
「……本当、一発だったもんなぁ」

最初は、遠慮していたのだ。いや、あれは拒否してたと言ってもいい。
常識人の星宮さんは、未成年であることを盾に蒼夏さんや佳那ちゃんの誘惑を全て退けてきた。
二人とも不満そうな顔をしていたけど、おかしいのは平然と飲酒をしている佳那ちゃんの方で、今回ばかりは星宮さんが絶対的に正しい。
無礼講の場とはいえ、無理矢理飲ませるつもりはないらしく、二人とも意外にすんなり諦めてくれた……というのは甘かった。
完璧に酔っぱらった佳那ちゃんが、ひたすら押して星宮さんに(よりにもよって度数の高い奴を)飲ませたのだ。
結果、倒れて熟睡。弱いにも程がある。やらかした佳那ちゃんは今踊ってるし、私が見ているしかなかった。

「……ん、ぅ」

頬を軽く突っついてみても起きる様子はない。
微かに眉根を顰めただけで、この調子では例え宴会がお開きになっても寝たままだろうと思う。
何というか、親御さんに申し訳ない。監督責任を問われても仕方ないような気もする。
前回も同じことがあったのか灯子さんに訊いてみたけれど、返事は否だった。
どうやら星宮さん、お酒を飲んだのは初めてらしい。余計心配になった。
彼女の父親、星宮明成さんは割と度量の広い人だという話だけど、酔って眠った娘さんを送っていったらどんな反応をされるか。

以前に、白坂家の居間はもう悲惨としか言いようのない状況になっている。
そこかしこにお酒の缶やら瓶が散らばり、テーブルの上には食べこぼしがぼろぼろと。
里さんと灯子さん、あとついでに私と霞さんがちょこちょこ片付けてはいるけれど、汚すペースの方が早かった。
なるほど、いっつも特にこの二人が苦労してるんだなぁ、としみじみ思い、私は大人な女性組を尊敬する。

「も、もう無理です……」

宴会開始から三時間ほど、まずある意味一番酷い扱いを受けていた透くんがダウン。
続いて踊り疲れたのか佳那ちゃんが倒れ、主催者なのに収拾をつける気が全くなかった蒼夏さんが最後に酔い潰れた。
そして私達に残されたのは、山と積まれたゴミや洗い物の処理。

「さすが一応八人分……すっごい量」
「洗い物はわたしがしますから、鈴波さんはテーブルの上を片付けていただけますか?」
「あ、はい。わかりました」
「じゃあ霞さんは転がってる缶や瓶を集めてください。缶は洗った後に潰しましょう」
「灯子さんはどうします?」
「私は里さんが洗った食器を棚に仕舞っていきます。これだけあると、洗った物が置けなくなりますから」

星宮さんに小さい毛布を掛け、役割分担ができたところでスタート。
流し場からひっきりなしに聞こえる流水音と、かちゃかちゃと響く皿同士がぶつかり合う音を背中に受け、 ティッシュとよく濡らした布巾でテーブルの上を綺麗にしていく。ゴミは引っ張り出してきた袋にまとめて放り込む。
途中、何度か流し場を往復し、五回布巾を絞った頃にはだいぶ居間もさっぱりしていた。
サンダルを履いた霞さんが、灯子さんと一緒に外で空き缶をひとつひとつ潰している。
私は里さんと並んでゴミ袋の口を縛り、表に出して空き缶組の終わりを待った。

「こっち終わりましたよー」
「ちょうどこちらも片付きました」
「じゃあ、これでようやくお開きですか」
「ええ。里さんは透さんをいつも通りお願いします。霞さん、佳那を車まで運んでもらえますか?」
「それくらいでしたらお安い御用ですよ」
「信一さんは、陽向ちゃんを頼めます? 道は教えますから」
「はい、そのつもりでした」

灯子さんに言われ、私は頷く。
どうやら二人とも車での行き来らしく、だからお酒はほとんど飲まなかったんだろう。
まあ、都会ならあれくらいの量でも検問で引っかかっちゃうけど、この辺ならそんな心配は無用だ。
全員それがわかっているからこそ、今日みたいな形になってたのかもな、と思った。
ちなみに星宮さんはお父さんと一緒に来る時も歩きで、その場合はこうして飲まされることもなかったらしい。
今回は完全に佳那ちゃんの暴走で、ごめんなさいね、と灯子さんは頭を下げ、正直ちょっと困惑した。
星宮さんに対しても、母親らしい人なんだな、なんていう考えは恥ずかしくて口に出せなかった。

行きは徒歩だったから、自然帰りもそうなる。
私は星宮さんをなるべく起こさないように背負い、幾度も休憩を挟みながら彼女の家を目指す。
八月に入ったこの時期の夜は、昼の熱気がまだ僅かに残っている。けれど風は適度に涼しく、都会のそれより遙かに過ごしやすい。
頬を撫でる夜風に目を細め、私はそっと空を見上げた。藍色の天蓋を埋め尽くす、無数の星々がそこにはある。
背中で身じろぎする星宮さんの安らかな寝息を耳元で聞き、くすぐったく感じながらも私は楽しくて笑った。

―― ああ、なんてあたたかな輪なんだろう。

たった八人、小さなその集まりが、私にはとても尊いものに思える。
いつか親しい友人達と騒いだ時のような、懐かしい感覚。

「……おっと」

ずり落ちてきていた星宮さんをよいしょと背負い直す。
決して重くはないけれど、非力な私には星宮さんくらいでも結構辛かったりするわけで。
それに、女の子だから支える手の位置にもかなり気を配らなきゃいけなかった。
いや、ね。特に寝てる間はよろしくないだろうし。

「ん……ふぁ、あふ」
「む、起きちゃったかな」

と、眠そうに欠伸を噛み殺して、星宮さんがゆるゆると目を細く開いた。
しばらくぼんやり辺りを見回し、状況が把握できないのか首を傾げる。

「あ、あれ……どうして私、こんなところに……」
「覚えてないか。まあ無理もないけどね」
「って、す、鈴波さん!? どど、どうして私鈴波さんに背負われて……!」
「あっ、ちょっと暴れないで。落としちゃうから」

ようやく現状を理解して、星宮さんがばたばたし始めた。
私は抱える手に込める力をほんの少し強くし、慌てる彼女を言葉で落ち着かせる。
五秒ほど続いた抵抗は、逃げられないと悟ると諦めて治まった。

「鈴波さん……あの、私」
「佳那ちゃんにお酒飲まされて寝ちゃったらしいんだけど、覚えてない?」
「全然記憶にないです……。佳那がお酒飲んで騒いでたのは覚えてるんですが」
「そっか」
「もしかして、迷惑、掛けちゃってました?」
「いや。私が好きで送ってるんだし、迷惑ってことはないよ」
「でも……その、重くなかったですか」
「ううん。星宮さんは軽いと思う」

背中越しに伝わる、安堵の溜め息。
やっぱり星宮さんも女の子だ。体重くらいは気にするんだろう。
何となく可笑しくて、思わずくすくすと声を漏らしてしまった。

「ど、どうして笑うんですかっ」
「別に他意はないよ。ただ、星宮さんは可愛いな、って」
「……っ!」
「家の方向、こっちで合ってる?」
「あ、はい。大丈夫です」
「一応訊いてみるけど、歩けるかな」

逡巡。
星宮さんは少し考え、

「まだ、頭がぼーっとしてて……ちょっと、真っ直ぐ歩けそうにないです」
「じゃあこのまま背負ってくよ」
「………………はい」

そこからは無言の帰り道になる。
けれど、会話がないことに息苦しさは感じない。
真っ暗な先を見つめたり、星空を眺めているだけでも、私達には充分だった。
時折星宮さんの指示で道を曲がったりしつつ、ゆっくりと歩く。

「風、気持ちいいですね」
「だね」
「……鈴波さんの背中、あったかくて、安心します」
「だったら嬉しいな」
「また少し、眠くなってきました……。鈴波さん、すみませんけど、もう少しだけ……」
「うん。いいよ、まだ寝てて」

こっくりと舟を漕いでいた星宮さんは、再び眠りの国へ旅立っていった。
先ほど聞いた限り、もうこの道をひたすら真っ直ぐ進めば辿り着けるらしい。
それまでに目覚めなかったらどうしようか、と思う。
きっと揺り起こした方がいいんだろうけど、私はこのままでいさせたかった。

「……まあ、その時に考えればいいよね」

そう呟いて、結局眠ったままの星宮さんを私は家族の人、父親の明成さんに引き渡す。
素直にありがとう、と言われ、今度三人で食事をしようと約束を交わした。
いい、家族だ。父子家庭である詳しい事情は知らないけれど、彼女がああも純粋に育った理由がわかった気がした。

一人の帰路も、悪くはない。
それは楽しいことを覚えているからかもしれないと、恥ずかしいことを考えてまた苦笑した。





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