「酒を飲もう」 「………………えっと」 受話器を取って耳にした第一声がそれだ。 私は硬直し、困惑し、そしてどこかで聞いた声だと思って二秒、電話の主の正体にようやく気づく。 しかしおかしい、向こうにこっちの電話番号を教えた記憶はないんだけど……。 「ああ、もしかして何故連絡先を知ってるのか、とでも思ってるのか?」 「まあその通りです」 「簡単な話だ。君とわたしの共通の友人が、わたしに教えてくれたのさ」 「……もしかして」 「陽向ちゃんは律儀だな」 やっぱりだった。 この調子だと、他のところにも私の連絡先は出回ってるのかもしれない。 割に私はみんなの電話番号とか、そういうのは教わってないので、何だろう、倒れた時の心配でもされてるのか。 まあそれはともかく、いきなり酒を飲もうってどういうことかをまずは訊かなきゃ。 「その、蒼夏さん、いったいどうしてそんなことを?」 「信一くんは、陽向ちゃんに私の話を聞いてはいないか?」 「そりゃあ色々聞きましたけど、それと何の関係が」 「……察しが悪いな、君は。そうだな、簡潔に言おう。わたしは宴会が大好きでね」 「あ、確かそれは聞きました。大勢で集まって酒を飲むのが大好きだ、って」 「騒ぎながら酒を嗜むのは楽しいものだろう? そこで、今日は君を誘いたい。予定は空いてるか?」 「そうですね、陽が暮れたら店は閉めるので、その後なら大丈夫です」 「ふむ。あとは人集めも頼みたいんだが。信一くんは初めての参加だしな、親睦の意味も含めて君が誘うといいだろう」 「なるほど、わかりました。でも、」 「じゃあこっちで準備をしておくから頼んだ」 「あっ、ちょっと」 私が大事なことを訊ねる前に、電話がぶちっと切られる。 無慈悲な切断後の音をしばらく呆然と耳に入れ、ゆっくり受話器を置いた。 さて……どうしよう。私がみんなを誘うこと自体は吝かではないけれど、 「だから電話番号知らないんだって……」 困った。凄く困った。 我が家に電話帳なんて上等なものはないし、そもそもこの辺のがタウンページとかに載ってるかは怪しい気もする。 となると、誰かに教えてもらうしかないよなぁ。しかし肝心のそれが期待できる人は軒並み連絡先不明。 つまり、この状況……手詰まり? 「あの……鈴波さん」 「うわっ! ……って星宮さん」 「頭抱えてたように見えましたけど、どうしたんですか?」 唐突に背後から飛んできた声に振り返ると、疑問の表情を浮かべた星宮さんが立っていた。 心配そうに私の顔を覗いてくる。いきなりの登場に驚いちゃったけど、よく考えればこの状況、運が良い。 「ねえ、唐突でアレだけど、桜葉亭とか雪草の二人とか、電話番号知らないかな」 「覚えてますけど……もしかして、蒼夏さんですか?」 「うん、まあ」 「鈴波さんが人集めを頼まれましたか」 「……見事に大当たり」 「蒼夏さん、酔ってるとちょっと早とちりなところありますから……。人の話を聞かなくなるというか」 そりゃ何とも厄介な。 「それで、電話番号、でしたよね。メモできる紙はあります?」 「ちょっと待って。よいしょ、っと……ん、あった。はい」 「……まず、これが桜葉の家の番号です。それで、こっちが透さんと里さんの家の番号です」 「ん、桜葉亭の方じゃないんだね」 「あっちとは別なんです。時々外注とかを頼まれるらしいので」 「辺鄙なところにあるのに、妙に有名だよね……。よし、じゃあ今から連絡してみるよ」 何となく気恥ずかしいので、星宮さんから少し離れ縁側で電話をする。 メモ帳に書かれた丁寧で整った数字とにらめっこし、まずは桜葉の家へ。 コール音は二回半。受話器を取り、もしもし、と答えたのは佳那ちゃんだった。 「もしもし、鈴波です」 「あ、信一さん! どうしたんですか、電話なんかしちゃって」 「星宮さんに教えてもらってね。蒼夏さんが宴会するから人を集めろって言うもんだから」 「あはは、蒼夏さんらしいです。少し待っててくださいね、お母さんに大丈夫かどうか訊いてきますっ」 そう言うや否や、受話器の向こうでどたばたと走る音が響き、続いて遠い声での会話が聞こえてくる。 時間的に営業中だろうから、二人とも仕事をしてる最中に掛けちゃったんだと思う。少し申し訳ない気分。 「今訊いたら、お母さんは大丈夫だって言ってました」 「そっか。よかった。それじゃ時間は……うわ、よく考えたら私も詳しい話は何ひとつ聞いてないや」 「あははっ、いつも通りですよ。陽が沈んだ頃に行けばちょうどいいです」 「なるほど。ありがとう、んじゃまた後でね。灯子さんにもよろしく」 これでとりあえず、二人は来ると。 次は雪草家。星宮さんに教わった通りの番号を打ち込み、しばし待つ。 今度は四回ほどのコール音でようやく出た。些か荒い手付きだったのか、がちゃっという音がする。 取った本人も少し慌てているようで、もしかしたら何かの作業中で急いで飛んできたのかもしれない。 だとしたらまあ、何ともタイミングの悪い。私は呪われてたりするんだろうか。 「はい、雪草です」 「すみません、鈴波です」 「鈴波様……ああ、すみません。鈴波信一さん、ですね?」 「あまりこの名字は他で聞かないんで、人違いってことはないと思いますけど」 「ええ。ですが、稀に……その、敬語で応対しなければならない方もいまして」 恐縮したような声色で話しているのは、里さんの方だった。 男と女じゃトーンが違うからすぐ判別できたけど、妙に畏まった口調で反応されたのでちょっとびっくり。 しかし、あんまり色々追及するのは良くないだろう。あんな大きな家に住む二人にも、何らかの事情はあると思うし。 だから私は誤魔化すように本題を持ち出した。 「蒼夏さんから宴会のお誘いがあるんですけど……あ、蒼夏さんのことは知ってます? 白坂蒼夏さん」 「はい。わたしもよくお野菜を頂いてます。何度か宴会にもお呼ばれされましたよ」 「なら話は早いです。どうです、来ますか?」 「透さんのお仕事も夜までには終わるでしょうし、ええ、お付き合い致しますね」 「わかりました。では、また後ほど」 電話を切り居間に戻ると、星宮さんが近寄ってきた。 どうでしたか、という問いに、私はコードレスの子機を元の場所に戻してから答える。 「四人とも来れるって。あ、そうそう、ちなみに星宮さんは?」 「まだ父さんに連絡してません。でも、今日は帰りが遅くなるので私一人でご飯を食べる予定だったんです」 「そっか。食事の席は、賑やかな方がいいよね。……ってそういえば、星宮さん携帯持ってないの?」 「は、はい……。その、ほとんど使わないですし、何となくああいうのって苦手で」 「まあ、学生の頃はなくてもやっていけるからいいんじゃないかな。さすがに、大人になるとないと困ることが多いから」 「そうなる前には慣れたいな、って……」 「焦ることはないよ。さて、携帯を持ってないならうちの電話を使うしかないね」 「すみません、お借りします」 「うん、どうぞ」 それから星宮さんは、少しだけ電話の向こう、父親と話して受話器を置いた。 会話の具体的な内容まではわからなかったけど、どうやら許可はもらえたらしい。 星宮さんの提案で、陽が沈むまでは星見堂で待ち、二人で蒼夏さんのところに行くことになった。 ……何か、そこはかとなく不安な、ような。 嫌な予感を振り払えないまま歩いた、陽射しの強い昼よりは幾分涼しい暗い道。 せめてそれが当たらないことを祈りながら、私は目的地へと向かった。 back|index|next |