「前から疑問だったんですが」 「ん?」 「鈴波さん、時々ふっと一日中お店を空けますよね。表に『諸事情により本日は休みます』って張り紙をして」 「あー……うん」 「いったいどこに行ってるんですか?」 六月の通り雨が外で吹き荒れ、傘を持ってなかった星宮さんは雨宿りを兼ねてここにいる。 今日は天気予報でも曇り空が続くと言っていたから、安心して傘を持たずに出かけたのも仕方ない。 学校帰り、ちょうど星見堂の近くまで来てたところで降ってきたらしい。運が良かったと思う。 で、外の様子をちらちらと伺いながら、星宮さんは唐突にそんなことを訊いてきた。 彼女の言葉通り、私はたまに店を休んでは出かける。割と不定期で、日程もバラバラだ。 「そうだね、買い出しか、あとはバイトかな」 「バイト?」 「意外だった?」 「いえ、よく考えてみると全然意外じゃないんですけど……」 「え、どうして」 「……普段の経営方針を鑑みると」 「う」 反論できない。……まあ、誰から見ても道楽としか思えないだろうなぁ。 でも、これでもどうにかなっちゃってるんだから恐ろしい。 その分要らない苦労とかもしてきたけど、結果として今がある。若いうちの苦労は進んで背負うべき、ってね。 それはともかく、誰にも言ったことはなかった。私はバイトをしているのだ。 「昔に知り合った人との縁でね。人手が足りないって時にちょっと働きに行ってるんだ」 「だから不定期なんですか」 「うん。別に買い出しもしょっちゅう行くものじゃないし」 「朝から晩まで?」 「バイトの日はそんな感じ。昼と夜もご飯は向こうで食べることが多いかな」 「すごいですね……。私、アルバイトってしたことないんです」 「星宮さんはまだ高校生だし、必要に迫られてないなら無理にする必要もないんじゃないかな。いい人生経験にはなるよ」 「そうでしょうか」 実際、私は高校生の頃、働きに出てはいなかった。 バイトを始めたのは大学生になってからだ。ちょっと下世話な話になるけど、何かとお金が必要な時期だったし。 「気が向いたら考えてみるのもいいかもね」 「……はい。あ、そういえば、鈴波さんのアルバイトはどんなものなんですか?」 「工事現場で荷物運びとか」 「え?」 「工事現場で荷物運びとか」 「……えっと、鈴波さんには一番向いてない仕事のような気がしますけど」 「うわ、酷いなぁ。確かに私は力仕事と縁遠い身体してるけどさ」 「そういうお仕事って、重い物を持ち上げたり、つるはしを振り下ろしたりするイメージしかありません」 「だいたい星宮さんの想像通りかな。土木工事の部類に入るんだけど、私はほら、見た目からしてあんまり力ないから」 細い腕で力こぶを作り、茶化すように言うと、くすりと忍び笑いが星宮さんから漏れる。 「だからどっちかというと、細かい物を運んだり、整理整頓とか、パソコンでのデータ打ちもやったかな」 「ああ、それなら鈴波さんが頑張ってる姿も想像できます」 「……やっぱり、力仕事してる姿は頭に想像できなかった?」 「はい」 「そんなはっきり言わなくても……。まあ、自分でも似合わないとは思うけどね」 苦笑して、私はつい先日行ったバイトでのことを思い出した。 前から世話になっている、頼れる人生の先輩を脳裏に浮かべながら。 どさっ、と運搬物の重さを感じさせる音がそこかしこから聞こえてくる。 霧ノ埼市からあまり遠くない場所にある町の一区画で、私は軽いけど数だけはやたらと多い荷物を整理していた。 筋骨隆々、鉄骨運びも何のそのというような人達ばかりのこの現場は、たまに人手が足りなくなる。 基本的に人員をアルバイトで補っているから、例えば夏になると学生さんが一気に抜けたりするのだ。 しかも力仕事はお任せ、みたいな人がいっぱいいる分、繊細で面倒な作業は結構後回しにされるわけで。 要するに、臨時の人員補充と厄介事の処理を兼ねて私が呼ばれているのだった。 「いや、毎回すまんな。つまらない仕事を押しつけるようで」 「構いませんよ。そりゃあこれで給料が出ないなんて言われたら怒りますけど」 「出さなかったら俺の首が飛ぶ」 「あはは、そうですよね。わかってます。もう少しでこっちは終わりそうですけど、次は?」 「データの処理を頼む。どいつもこいつも機械には疎いとか言うものだから、かなり溜まっててな」 「了解しました、監督」 「止めろ、お前にそう言われるとくすぐったい」 ここで現場責任者をしているのが、昔私も世話になった、田中大樹さんだ。 霧ノ埼に越すと決めた時、バイトを辞めてからも交流のあった大樹さんに住所と電話番号を教えたんだけど、 星見堂を開いて一ヶ月も経たないうちに連絡が来るとは思わなかった。 しかも、大樹さんもこっちに飛ばされたっていうんだから、話を聞いた瞬間の私の驚き様は相当なものだった。 ……厳密には、飛ばされた、という表現は合ってない。 元々大樹さんは霧ノ埼で暮らしてたらしく、私と会った頃は猫の手も借りたい状況で一時的に呼ばれたとか。 初めは私のようにバイトだった大樹さんを社員の人がスカウトし、それで就職したんだと前に聞いたことがある。 ちなみに結婚して七年ほど、小学生の子持ち。あらゆる意味で、尊敬に値する人だ。 大樹さんが仕事に戻り、荷物整理を終えた私は仮説小屋で夕食がてらデスクワークを始める。 といっても、専門知識はほとんど持ってないので図面関係の作業などは手が付けられない。 私が任されているのは主に、簡単な書類の作成。なまじ微妙な手間で優先順位も低いからやっぱり後回しにされる。 キーボードを叩き、レイアウトにも気を配って、完成したら保存の後必要な枚数分を印刷。 家にもあるし、色々と使い慣れているので下手な人よりタイピングは速い。 椅子に座りっぱなしだと腰が痛くなるから、時々立ち上がっては背筋を伸ばし、また作業に取り掛かる。 「どうだ、終わったか?」 「あ、あとちょっとです。ここをこうして……はい終了っと。そっちはどうですか?」 「そろそろ時間だ。時計は見てなかったのか」 「……集中してて全然気配ってませんでした」 単純で機械的な仕事は得意だ。何も考えずやってればいいだけだし。 でも、いつの間にかとんでもない時間になってたりするので、集中し過ぎるのも困り物だと思う。 実際デスクワークを始めてから、もう二時間は経っていた。まあ、一段落はしたから充分だろう。 ファイルを閉じ、念のためちゃんと保存できてるかどうか確かめて、シャットダウン。 私が出た後、大樹さんが仮説小屋の鍵を閉める。外に人は残っていない。明かりも消えて静かなものだ。 「信一、少し付き合ってくれないか?」 「え? あー、いいですけど」 不意にそんな提案をされる。 大樹さんがこう言った場合、一般的には飲みに誘ってると取るのだろうけど違う。 そもそも大樹さんは車だし、私も自転車。両方とも引っ掛かると飲酒運転で捕まる。 以前にあまりアルコール飲料は嗜まないらしく、ファミレス辺りでコーヒーというのが暗黙の行き先だった。 久しぶりなのもあって、私は迷わず同意した。幸いすぐ近くに一軒建っている。足は置いて向かう。 時刻は九時前。入ったところは、平日で夕食時からもズレていたのでもうだいぶ空いていた。 何となく窓際の禁煙席を選ぶ。私は煙草を吸わないし、大樹さんは人前じゃよほどのことがない限り箱も見せない。 そこのドリンクバーは、注文して持ってきてもらうタイプだった。全国単位で展開している系列の店舗だけど、 他の店は周囲にないようで、きっと霧ノ埼の人達は自分で自由に取りに行くドリンクバーの方がメジャーだって知らないのかもしれない。 そう思うとちょっと可笑しくて、表情には出ない程度にくすりと笑った。 店員さんにはアイスティーを頼んだ。大樹さんはホットコーヒー。ミルクも砂糖も一切なし。 しばらくして飲み物が運ばれてくると、懐から大樹さんが文庫本を取り出した。 相変わらずな癖だ。会話してる時はまともに読みもしないのに、左手だけで開く。 そうしてると落ち着くんだよ、と前に聞いたことがあった。 「……で、最近どうだ。生活は落ち着いたか?」 「はい。そりゃもう越して半年近いんですから、落ち着かない方がおかしいですって」 アイスティーにミルクとガムシロップを注ぎながら私は答える。 喉を潤す冷たいそれは、葉から淹れたものに比べると薄く、味気ない。当然だけれど。 それでも安上がりな舌なので、不味いと思うこともなく、こくこくと三分の一ほどを一気に流し込んだ。 「俺はまだ顔を出したことはないが、客は来るのか? 真面目に稼ぐ気がないってのは場所を考えればすぐわかるが」 「まあ、稼ぐ気ないのは本当なんで言い返せませんけど……来ますよ。お客さん」 「ほう」 「一人ですけどね。高校生の、近く……うーん、近くかどうかは怪しいですが、歩いて来れるところに住んでる女の子です」 「そうか。―― 良かったな」 「ええ」 両親を除けば、一番最初に私の夢を応援してくれたのはこの人だ。 自分の本屋を持ちたい。そして、一人でもいい、世界にはこんなにも素敵なものがあるんだって教えてあげたい。 そんなことを語った私に、馬鹿にするでもなく、無理だと突っぱねることもせず、ただ頑張れと言ってくれた。 感謝と、尊敬の気持ちは今でも忘れていない。こうして手伝いに来ようと思えるくらいには。 私と大樹さんがほぼ同時に二杯目を飲み切り、他愛ない会話も途切れたところでお開きとなった。 お金は出そうとしたけれど、構わん、のひとことで制される。多少申し訳ない気持ちを感じつつ好意は有り難く受け取った。 自転車での帰り道は、薄霧の区域を抜けてからが足下見えなくて怖かったけど、無事星見堂に着いたので良しとする。 最低限歯を磨き着替えて布団に入ると、精神的にはまだ平気そうなのに身体は結構参ってたのか、すぐ睡魔が襲ってきた。 逆らう理由もない。寝て、次の朝、正直に言うとちょっと筋肉痛だった。 「……ああ、だからあの日は動きがぎこちなかったんですね」 ―― と、先日の出来事をかいつまんで説明したら、星宮さんにそう指摘された。 私は年齢的にはまだまだ若いので、遠回しに運動不足と言われてるように感じ少々凹む。 しかし星宮さんにそんな意図はなかったらしく、余計な言葉でしたか、と逆に心配された。もっと凹んだ。 「でも、鈴波さん」 「うぅ……まだ何かあるの?」 「鈴波さんって、ちゃんと働いてたんですね」 トドメの一撃。 星宮さんって、実は意外と黒い子なのかもしれないと疑い始めた私だった。 back|index|next |