結局逃げ帰るようにして家に戻って、玄関で靴を脱ぐ前に死にたくなった。勿論そういうわけにもいかないので、正面から床に倒れ込む。顔面をしこたまぶつけて痛い。
 ひりひりする額と鼻先をそのままに、ごろりと身体を転がして仰向けになる。ああ、肋骨も膝も痛い。というか全身痛い。胸も痛い。泣きそう。

「……どうしてかなあ」

 誰より自分自身が一番わからない、なんてよく言うものだけど、本当にそうだ。我慢しきれなくてぶちまけちゃうとか、いい歳して子供か。しかも亡くなった夫の部屋で、よりにもよって仏壇の前でどストレートに「好きです」って。その場でブン殴られてもおかしくない。
 傷付けた。
 確実に、僕の告白は彼女の心に太い釘を打ち込んだ。
 そんなの、望んでたわけじゃないのに。
 灯子さんと佳那ちゃん、二人の日常を引っ掻き回すなんて論外だ。それに助けられてた僕が、暖かな輪を崩すような真似は、してはいけなかった。
 重苦しい後悔が胃にもたれて、気のせいでなければ吐き気さえしてくる。僕にしては大変不本意ながら珍しいことに、夕飯時であるのにお腹が空いてない。
 寝てしまおう。
 もうこの状況じゃ不貞寝するくらいしかない。
 何とか身を起こし、寝間着に着替えて脱いだものを乱雑に洗濯機へと放り込む。今日は乾燥までさせよう。皺は明日アイロンを掛けてやればいい。
 恙無く動いたことを確認してから、歯を磨き電気を消し、真っ暗な部屋で布団を被った。
 天井も見えない、黒一面。
 熱のこもる空間で、僕はすぐに微睡んだ。
 眠る。










 特筆するところのない、平凡な家庭だったと思う。
 父は会社勤めのサラリーマンで、母は専業主婦。近所付き合いをそこそこにこなし、夜には家族揃ってご飯を食べられる、普通の幸福を甘受できる環境にいた。
 日常のバランスが崩れたのは、小学三年の時だ。
 母が亡くなった。
 元々、身体の弱い人だった。その割に快活な性格をしてたけど、仕事をするには体力がなく、家事も無理をしないよう僕や父が手伝っていた。
 人間死ぬ時はびっくりするほど呆気ない。大き過ぎる喪失を、一応子供ながらに受け止めはしたものの、当時は実感のないまま葬式に出て、棺を見て、墓に入る母を目に焼き付けた。
 母を失って、父は少し焦るようになった。
 今にしてみれば、ある意味、生き急いでいたのかもしれない。後に聞いたところによると、一目惚れしたのも、告白したのも、押しきって結婚したのも父の方かららしかった。あの母が受け身になるくらいだ、相当惚れ込んで、逃がすまいとしたんだろう。僕の目には愛し合ってるように映っていたから、きっと、良い出会いだったんだと思う。
 ともあれ、父は頑張り過ぎた。僕の預かり知らぬ場所で、背負わなくていいものまで背負ってしまっていた。ちょっと不器用で、人に頼るのが苦手なのも裏目に出た。
 中学生の頃に、体調を悪くしてあっさり命を手放した。
 思春期真っ只中の、そろそろ高校受験を考えなければという時期になって、僕は両親を亡くしたのだ。
 それはもう途方に暮れた。勿論滅茶苦茶泣いた。数年越しの母の分まで、枯れきって萎れかけるくらい泣いた。
 心身共にずたぼろだった僕を引き取ったのは、父の弟さん。血縁的には叔父になる。若干気弱だけど善良な、捨て猫を見つけるとつい拾ってきてしまうような人だった。
 未婚故に、向こうは抵抗があまりなかったという。
 初めはぎこちなかったけれど、すぐに打ち解けられた。親代わりの叔父は、僕にいろんなこと、一人で生きていくための術を教えてくれた。
 いくら感謝しても足りない。
 学費だって出してくれた。大学には行かなかったけど、肉体的にも、精神的にも、叔父のおかげで不自由なくいられた。

 ……それでも僕は、大事なものをなくした人間だ。
 だから理解できるだなんて、勘違いするつもりはない。楽しいこと、苦しいこと、全部人によって違うように、失った時の痛みも、残った傷の形や癒え方も、何ひとつ同じにはなり得ない。自分は自分で、他人は他人。どうしたって、埋められない溝がある。
 わかってないことは、わかってるんだ。
 けれどそれを、諦めたり、逃げたり、目を背けたり、なかったことにしていい理由にはできない。しちゃいけない。

 からから回る過去の記憶が、父が死んで一年経った時の、叔父と二人で綺麗にした墓前に辿り着いた。
 梅雨を間近に控えた、よく晴れた五月の日だった。
 親戚の誰かが入れた花と、お寺で買った線香の煙。手を合わせた僕は、何と祈ればいいのかわからなかった。
 無心でいるのは、誠実でない気がして。
 漫然と祈ったのが見えたのか、横にいた叔父は僕の頭にぽんと手を置いて、わしゃわしゃ髪を乱した。

「難しいことは考えなくていいよ。遠くの二人に、学校でのこと、友達のこと、そういうことを報告してごらん」
「それだけで、いいの?」
「うん。むしろその方が、兄さんも義姉さんも喜ぶだろうから」

 死者への祈りとしては、長過ぎる時間だったけど。
 以来、毎年僕は欠かさず、両親に思い出話をするようになった。
 仕事のこと。友人のこと。叔父のこと。
 好きになった、人のこと。
 去年もそうだ。灯子さんと佳那ちゃんの、桜葉亭の話をした。こんな僕に、家族みたいに接してくれる。それが嬉しくて、あたたかくて、少し苦しくて。
 けれど吐き出した分、必ず楽になれた。例え姿形はなくとも、父と母が聞いてくれたんだと思えば、確かにそこには意味があった。
 
(ああ、そういえば)

 命日が近い。
 これで口実ができたなと、覚めかけた夢の中で僕は苦笑した。










 逃げるように帰ってしまった彼を、私は呼び止めることができなかった。一分か、二分か、あるいはもっと長い時間、取り残されて呆然としていたけれど、とたとたとこちらを目指してくる足音が、私の意識を呼び戻した。

「あれ、お母さん、霞さんさっき何か急いで出ていっちゃったけど」
「……今日は、これから用事があるんですって」
「そっか。ご飯くらい食べてけばよかったのになー」

 さらりと嘘が口から滑り落ちて、内心で自己嫌悪。
 ずるい大人だ。娘に知られたくなくて誤魔化した。
 後ろめたさに軋む胸の痛みから目を背け、夕飯の準備に向かう。
 料理をしていれば、気持ちをそちらに傾けられる。
 長らく続けて身体に染み付いた習慣は、こんな時でも私を集中させてくれる。
 勿論それは、浅はかな先延ばしに過ぎない。
 大人として――いや。
 良識ある人間として、真剣さには同じくらいの真剣さで答えないと、いけないだろう。

『僕は、あなたが、好きです』

 おそらく、あの場で言うつもりはなかった。
 発作的に溢れてしまったのだと思う。
 でも、だからこそ、間違いなく本気で、本音だった。
 飾らない言葉の中に、明確な気持ちがあった。

 ……どうして。
 どうして、私を?

 亡くしたけれど夫がいて、成人に近い娘もいて、毎日パンばかり焼いているような、そういう女だ。
 家事はできる。お客さんの話に付き合ったりもしているから、常識や世事に疎いわけでもない。
 ただ、重いだろう。伴侶として選ぶとすれば、どう考えたって私は難しい。そんなこと、霞さんなら絶対にわかっているはず。
 わかっている。
 なのに、とは、口が裂けても言えなかった。

(理屈で括れるものじゃない)

 だって私は、知っている。
 誰かを好きになるのに、理由なんて必要ない。きっかけとか、時間とか、踏み出すためのあれこれはあるかもしれないけど、それは全く別の話だ。
 もっと曖昧で、全体的で、形のないもの。
 自分や相手が不明瞭なままでも、私達は人を好きになれる。

 ――昔の私は、少し子供らしからぬところがあった。
 例えばこの世の中で、捨てられる犬猫の数はどれほどのものだろうか。
 片手の指では到底足りない。両手でも数えきれない。自分一人が目を向けても、一匹たりとて助けられない。
 そんな当たり前の現実に真正面からぶつかって、勝手に傷付く、自虐的で泣き虫な、できないことばかりに目を向けるような人間だった。
 近所で行き場のない子猫を見つけて、でも家では飼えないのがわかっていたから、連れて帰ることは叶わなくて。
 その癖見過ごしきれないから、何度も何度も様子を窺っていた。
 捉え方によっては、中途半端で未練がましい。我ながら複雑な子だったと思う。
 けれど、優都さんは。
 私に、優しいんだね、と言ってくれた。
 一緒に子猫の行く先を見守ってくれた。
 辛い時そばにいて、この手を引いてくれた。

 だから――というわけじゃない。
 いつから“そう”だったかなんて、今になってもわからないのだ。
 気付けば目が離せなくなっていた。
 嫌われたり、鬱陶しがられてたらどうしよう、とか。
 情緒不安定になったりして。
 告白されたら嬉しさの余り泣いちゃったりして。

 きっと霞さんも、同じ。
 短くない時間の中で、特別な何かがなくても、私を好きになった。なってくれた。
 嬉しくない、なんてことはない。
 人に好かれるのが嫌というほど、捻くれているつもりもない。
 ただやっぱり、お互いにとって難しいから――結局、堂々巡りだ。

 夕飯はいつも通りの良い出来。
 食事時の会話は、こころなしか普段より少なかった。





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