手紙を封筒に仕舞い、押入れの中から引っ張り出した、思い出の詰まった箱にそっと収める。
今度は奥に押し込めるようなことをせず、いつでも開けられる、すぐ手に取れる場所に置いた。
記憶に触れて小さく胸が痛んだけれど、構わない。それでいいのだ。

「二人とも、手伝わせてすまないな」
「いや、随分懐かしかった。昔はもっと酷い有り様だったものだが、多少は片付けもできるようになったか」
「……信一くんの前でわざわざ評価を落とすようなことを言うな」
「別に気にしませんよ? 私もつい服を脱ぎ散らかしちゃったりしますし」
「信一、フォローになってないぞそれは」
「え、そうですか?」

天然なのか意図的なのか、首を傾げてとぼける信一くんと大樹にもう一度感謝し、居間に戻る。
二人を座らせ、わたしはそのまま冷蔵庫まで歩き、缶ビールを二本取り出した。
ほれ、と片方を手渡すと、大樹に怪訝な顔で見られる。

「こっちが車で来てるのは知ってると思ったんだが」
「ああ。でも一本くらいなら平気だろう? この辺なら警察のご厄介になることもない」
「そういう問題じゃない」
「全くお前は、昔から堅物だな。それは美徳だが、こういう時には煙たがられるぞ」
「お前にそんな心配をされる覚えはない。蒼夏こそ、そのちゃらんぽらんな性格を直すべきだ」
「誰がちゃらんぽらんだって? こう見えてもわたしは真面目に仕事をすることで評判がいいんだぞ。なあ信一くん」
「ちょっと、いきなりこっちに振らないでくださいよ!」
「で、飲むのか? 飲まないのか?」
「蒼夏さん、まだ飲んでもいないのに飛ばしてますね……」
「当然だ。無二の友人と数年ぶりに再会したんだからな、このまま帰すのも勿体無い」

呆れたような信一くんのひとことに、わたしは笑って返した。
お互い違う道を歩んで久しい。会わない間にどんなことがあったのか、知りたいのはこちらだけではないはずだ。
山ほど積もり積もった話が酒の肴になるのなら、何時間だって語れる気がする。
畑仕事は手に付かなくなってしまうが……まあ、一日くらいは許してほしい。
こんな、空も心もよく晴れた日は、酒の味も格別に違いないのだから。

「……仕方ない。一杯だけだ、それ以上は絶対飲まん」
「充分。後は話に付き合ってくれるだけでいいさ」
「あ、じゃあ私、おつまみ持ってきましょうか?」
「お願いしようか。台所の奥の棚下に入ってるのを、適当に見繕ってくれ」
「わかりました。……蒼夏さんは、お酒、それだけじゃ足りないでしょう?」
「さすがよくわかってるな。いつものところにある、一番奥の瓶も頼む。今日は遠慮せずに行くぞ」
「はい。でも、できれば多少は抑えてくださいね。蒼夏さん片付ける前に寝ちゃうんですから」
「善処するよ」

普段から宴会で世話になっているので、我が家のどこに何が置いてあるのかはもうほとんど知られていたりする。
手際良くテーブルの上に並べられていくつまみの数々を眺め、わたしも皿をいくつか出して盛り付けた。
すぐに腹が膨れるようなものではないが、これだけあれば昼食要らずだろう。
大樹が不憫な物を見る目で信一くんに視線を向けていたのは無視した。
一応弁解しておくと、信一くんは何かと人の世話を焼くのが好きらしい。自分のことはともかく、とも言っていたけど。

「もしかして、しょっちゅうこんなことをしてるのか?」
「月一ペースで知り合いを呼んでは騒いでいる」
「酒好きと宴会好きも相変わらずだな……。全く、お前はまるで変わってない」
「そっちはどうなんだ? 信一くんのバイト先の責任者だってことくらいしか聞いてないが」
「まあ、あながち間違っちゃいない。薄霧周辺を中心に現場仕事をしてるよ」
「とりあえず手に職は持ててるようで安心した」
「お前、人を何だと思ってるんだ……」

忙しなく動き回っていた信一くんが席に座り、それで準備が整ったことを悟る。
わたしと大樹は缶ビールのプルタブを、信一くんは麦茶が残っているコップを掲げ、乾杯の言葉と共に口を付ける。
キンとした冷たさに紛れた、麦の苦味とアルコールの喉を焼く仄かな熱。
そのまま缶を逆さに傾け続け、早速一本を飲み干した。

「一気飲みは身体に悪いらしいぞ」
「この心地良さと引き換えなら本望だな」
「……処置無しか」

呟き額を押さえる大樹は、昔通りのちびちびとしたペース。
若干つまみに手を伸ばす回数が多いのは、昼食を済ませてないからか。
信一くんはもうすっかり給仕になっていて、わたしが立ち上がるまでもなく二本目の缶ビールを持ってきてくれていた。

「そういえば、信一は飲まんのか」
「私がほとんど飲まないの、大樹さんは知ってますよね」
「お前、飲み会行っても必ず介抱役に回ってるしな……」
「苦労人気質か、信一くんは」
「そのつもりはないんですけど、だいたい気付いたらそうなってます」

ともあれ、酒飲みにとって理性を保ってくれる人間がいるのは有り難い。
宴会の席でも、わたし以上に強い灯子さんや、給仕と片付けに徹する里さん、そして信一くんと陽向ちゃんのおかげで大惨事は免れている。 もしその四人がいなければ、翌日目覚めた瞬間、二日酔いとは別の意味で頭を抱えることになるだろう。
ノリが悪いと言う気はない。自分なりに楽しんで騒げればそれが一番なのだから。

以降、徐々に飲酒の速度を上げながら、わたしは大樹から様々な話を聞き出した。
大学卒業後、当時のバイト先だった現場の主任に見込まれそのまま就職。真面目な仕事ぶりを評価され、今では監督を任される立場にあるらしい。 あからさまに体育会系な外見の大樹だが、これで結構頭も切れる。そういう一種の要領の良さが認められているというのは、友人として素直に嬉しい。
……しかし、まさか結婚して子供まで設けているとは想像していなかった。写真を見せてもらったが (お守り代わりに携帯している辺り、円満な仲だってことがありありとわかる)、 意外に美人だったのでさらに驚き、それをつい口に出してしまって軽く叩かれた。
先日七歳の誕生日を迎えた子供も可愛らしく、時の流れを実感する。わたしが避けている間に、大樹は立派な家庭を作ったのだ。
改めて、すごい、と。そして少し、羨ましい、とも思う。

「蒼夏はいないのか?」
「何がだ」
「付き合ってる男とか、もうすぐ結婚しそうな仲の男とか」
「残念ながらいない。そもそも霧ノ埼には若い男が皆無でな、出会いがないんだよ」
「じゃあ信一なんてどうだ。お前より年下だし、悪くないと思うぞ」
「え、大樹さんっ!?」
「そうだな……。信一くんとなら意外に上手くやっていけるかもしれないな」

流し目を送りながら告げると、途端におろおろし始める信一くん。
大人しくて簡単には動じないような普段の態度とはまるで違う初々しい反応に、わたしは耐え切れず笑みを漏らす。

「ぷ、くく……っ、すまない、冗談だよ」
「あ……もう、本当に勘弁してください……。片付けしないで帰っちゃいますよ?」
「わたしが悪かった」

そこで「お前達を見てるだけでも飽きないな」と今度は大樹が言い、酔いも手伝って三人で腹が痛くなるまで笑った。
馬鹿馬鹿しい時間だ。馬鹿馬鹿しくて、最高に楽しい。

……だいぶペースが落ちてきた頃、不意に大樹が神妙な表情を浮かべた。
わたしも釣られて姿勢を正す。信一くんは溜まった皿を流し場で洗っている。

「手紙の件だが……蒼夏、お前は疑問に思わなかったか?」
「あれを紗智がいつ書いたのか、か?」
「医者から聞いた話だ。あのふたつの手紙が書かれた経緯を、俺は知っている」

単純に考えれば、チャンスは事故発生から彼女が亡くなった時間、つまり翌日までしかない。
全く予期しなかった出来事だ、それ以前に残されたものではないだろう。
だが、そんなことは、果たして起こり得るのか?

「たぶんお前の想像通りだよ。たった一度、あいつが目覚めたことがあった」
「……いつだ?」
「死亡診断が下される半日ほど前、急に起き上がったそうだ。もう目を開くことはないだろうと言われた直後だったから、担当医も看護師も随分驚いたらしいぞ」
「………………」
「その場でペンと便箋と封筒を要求し、書き終わったものを二通とも俺に渡してくれ、と伝えて眠りに就いた。後は知っての通りだ」

―― これはきっと、神様がくれた時間だから。

手紙に書かれていた一文を思い出し、わたしはようやく何もかもを理解した。
陳腐な奇跡だ。本当に神様とやらが有り得ないことを起こしてくれるのなら、紗智を死なせなくてもよかったろうに。
……ああ、それでも。きっと、そのささやかな奇跡には確かな意味があった。わたしと大樹を、ここに導いた。
なら充分じゃないか。どうして目覚めたのかとか、つまらない疑問なんてどうでもいい。
わたし達はまた一緒に酒が飲める。これ以上望むことは、ない。

「なあ、信一くん」
「はい?」
「とりあえず、前を向いて、真っ直ぐ歩くことにするよ」
「……今更ですけど、私、すっごく恥ずかしいこと言いましたよね?」
「正直、何様のつもりだってくらい臭い言葉だったな」
「聞きようによってはプロポーズとも取れるぞ」
「ごめんなさいもうなかったことにはできませんか」
「無理だな」
「無理だ」
「二人ともこういう時だけ息ぴったりって酷くないですか!?」

近いうちに、大樹と二人で、墓参りに行こう。
わたしの声が、届くことを願って。










急いで書いてるから、字が汚いと思います。そこはごめんね。
でも、これはきっと、神様がくれた時間だから。この手紙で、言いたいことぜんぶ言っておきます。
蒼夏ってしっかりしてるように見えるけど、片づけはできないし、ちょっと何でも背負いすぎてるところがあるよね。
いっつも一人で全てやろうとして、もう少し頼ってほしいって思ったこともいっぱいあったんだよ。
だから、辛い時や悲しい時は、だれかに言ってください。私はもう無理だから、大樹君あたりにでも。
あと、自分のせいだなんて思わないでください。蒼夏が手を伸ばしてくれたの、私覚えてるから。
助けてくれようとしたこと、うれしかった。どうかそのまま、やさしいままでいてほしいな。

大樹君に渡したのは、できれば蒼夏にこれを読んでほしくないからです。だからもし読んでるのなら、お説教。
私がいなくなって、悲しいと思ってくれるのは少しうれしいけど、ずっと気にされてたら迷惑だよ。
忘れてなんて言わない。覚えててもらいたい。ただ、私を思い出す時は、笑えるようになって。
すぐにはできなくてもいいから、何年か先、笑って私のことを話せるようになって。
そう約束してもらえるなら、死ぬのはすごく怖いけど、いやだけど、ちょっとだけ平気になれる気がします。
大丈夫、蒼夏は強いから。私はそんなあなたを信じます。



最後のお願い。幸せになってね。   松原紗智




only understand/one.手紙は引き出しの中・了





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