お茶碗に盛られた白米。よく香り立つお味噌汁。 味付け海苔に焼き加減抜群の塩鮭、漬け物と小皿のサラダ。 おまけに少量ながら果物の盛り合わせまであって、もしかしたらこの旅行で一番感動したのは、この豪華な朝食に対してかもしれなかった。 両手を合わせ、淡く濁ったお味噌汁を一口。 濃過ぎず薄過ぎず、うっすらとした味噌の風味が鼻に抜ける。胃の中に落ちていく熱を感じて、ほっと息を吐いた。 「あー、幸せ……」 「鈴波さん、随分大袈裟ですね」 「だって、ここまで真っ当な朝ご飯食べたの、もう数ヶ月単位で久しぶりだよ? 純和食は手間が掛かるし、私じゃこんな上手くは作れないから」 「そうかもしれませんけど、久しぶりなのは単に鈴波さんが起きるの遅いだけだと思います」 「う」 まあその通りなんだけど。 「うちとしては、売り物をよく買ってくれるから歓迎ですよ」 「灯子さん、それ全然フォローになってないです……」 「あれ、でもたまーにひなちん作りに行ってなかったっけ」 「……お昼ご飯なら何度もあるけど、朝はまだかな」 「じゃあ今度早めに行ってあげたら?」 「いやもうさすがにそこまでされると申し訳なさ過ぎて頭上がらないんでいいです大丈夫です」 この面子の中で私の尊厳は皆無に近い。 冷静になって考えずとも、未成人の女の子にご飯作ってもらってるって、色々申し開きもできないよなあ……。 もっと真剣に調理技術の取得をするべきかもしれない。 旅館の食事レベルとは言わないから、一膳一菜を用意できるくらいは。 「んぐ……それで、今日はどこか行く予定が?」 「そうですね。折角一日フリーなことですし、ちょっと降りて歩きましょう。いくつか案内したいところもありますから」 灯子さんの言葉を聞いて、星宮さんと佳那ちゃんが顔を見合わせた。どうやら二人は行き先の見当が付いてるらしい。 なら、詮索するのは野暮というものだろう。箱の中身に期待することにして、今はご飯に集中しよう。 「……鈴波さんは、和食の方が好きなんですか?」 「ううん、そういうわけでもないよ。苦手な食材もいくつかあるけど、だいたい和洋中何でもいける。ただまあ、ここで食べるならやっぱり和食がぴったりって感じはするよね。雰囲気補正、みたいな」 「なるほど……。確かに、場所や状況に合わせるのは大事ですね」 そこから“自宅に合うご飯談義”が始まって、結局朝食の席を立ったのは二十分も経過してからだった。 旅館『白夜』は、小さな山の中腹に位置している。周囲には自然以外本当に何もなく、例えば買い物に行こうとすると、限られた交通手段で麓の方まで降りなければいけない。 つまり、徒歩か車。 さすがに距離が距離なので、十一時頃、私達は灯子さんの車を使って移動することにした。旅館では昼食が出ないから、その辺りを考えて、でもある。 天気は晴れと曇りの間、といったところ。 時折切れ間から空の青色が見え隠れしてるけど、陽射しはほとんど薄灰色のカーテンに遮られている。 「もう一枚くらい上着持ってくればよかったかも」 「寒いですか?」 「それほどじゃないよ。ただ、もしかしたら雨が降るかなって」 外に出て初めて気付いた。 錯覚でなければ、風に微かな湿り気を感じる。 今すぐってわけではなさそうだけど……傘も忘れたんだよなあ。 霧ノ埼じゃずっと晴れてたからって油断してた。 「星宮さんは傘持ってきた?」 「一応、鞄の中に折り畳み傘を」 「あたしもー」 「ふふ、もし降ったら私のに入ってください。大きめのがありますから」 「お手数お掛けします……」 灯子さんの有り難い申し出に平身低頭しつつ、出発してから二十分ほどで建物の並びが見えてきた。 来慣れている桜葉母子の説明によると、ホテルや旅館はどちらかというとこの辺に集中しているらしい。避暑地、観光地としてそこそこ人気なんだとか。 文さんのところがあんな山奥と言ってもいい場所にあるのは、こういう光景ができる前より続いている由緒正しい旅館だからとのこと。なるほど確かに、滲み出るような貫禄や年季は比べ物にならなさそうだ。 「ここからは歩きで行きましょう」 適当なスペースに車を止め、私を除く全員が傘を持って歩き出した。 都会と違い、使われてない土地がちょこちょこあるから、そこかしこが駐車場代わりになる。霧ノ埼同様、仮に有料駐車場ができてもここじゃ全く流行らないだろう。 いくつかのお土産屋、民家を横目に通り過ぎると、何とも素っ気ない暖簾を下げたお店に行き当たった。 灯子さんが引き戸を開け、その後ろに三人で続く。 座敷に四人席のテーブルが六つ。素朴な作りの、如何にもな蕎麦屋さんだった。 メニューも簡潔で、品数はさほど多くない。けれどどれも安く、千円を超えるものは片手で数えられる程度しかなかった。 少し悩み、灯子さんのオススメをみんなで選ぶ。 注文を取ってからすぐ、奥の調理場でやたら気合の入った音が響いた。 「ここのお蕎麦は全部手打ちなんです。勿論その分出てくるまで時間は掛かりますけど、味は保証しますよ」 「あ、あとネギがすごくおいしいんだよね」 「……ネギ?」 メインの蕎麦と薬味が同列ってのはどうなんだろう、と思わなくもなかったけど、そういう考えは実際に食べてみて綺麗さっぱり吹き飛んだ。 程良い歯応えと微かな風味を感じる蕎麦は、そのままでも充分いける出来だ。若干甘めのつゆとよく合う。野菜――たらの芽とししとうの天ぷらの、ほろりとした苦味がさらに箸を進めさせてくれる。 そして確かに、言われた通り薬味のネギはおいしかった。瑞々しい食感、つゆと競合した絶妙な辛味。 何か柄にもなくグルメを気取りたくなるほどの当たり。 完食までは、それこそあっという間だった。 「ごちそうさまでした、おいしかったです!」 お金を払って出ていく時、半ば叫ぶようにお店の人へそう伝えたのも、思えば相当久しぶりのことだ。 日頃自分がどれだけ適当な食事で済ませてるか、ちょっぴり自覚したり。 ……うん。いい加減本気で料理は覚えよう。 社会人としては今更過ぎる決意を胸に秘めたところで、今度は腹ごなしも兼ね、あちこちのお土産屋を回ることになった。 どこにでもあるような小物とかお菓子とか、訳のわからないアイテムの類を眺めては冷やかし、宅配便サービスをしてる酒屋で、珍しげな名前のお酒をいくつか見繕う。ほとんどは蒼夏さん用。 そんな調子で荷物をあまり増やさない程度に楽しみ、一段落したのは六時前。しっかり晴れていれば、夏の陽が傾き始める頃だった。 遠くの空から、不穏な色の雲が近付いてきている。 「最後に、少しだけ付き合ってもらえますか?」 「……えっと、どこに、でしょうか」 「ここから歩いて一時間ほどのところに、見晴らしの良い丘があるんです。途中までは車で行けるので、実質二十分くらいですね」 即答はできなかった。 灯子さんもわかってるはずだ。このままいれば雨に降られる。傘こそ(私以外は)持ってきているものの、今の感じでは、例え高所に登ってもいい景色は見られないだろう。 無駄に濡れるだけなら、今のうちに帰った方が賢い。 (……でも) 柔らかな微笑の奥に、とても真剣なものを感じて。 気付けば私は、頷いていた。 星宮さんも佳那ちゃんも、特に異論は挟まなかった。 「……あのさ、星宮さんは何か知ってる?」 車の中では、佳那ちゃんにお願いして後ろの席に座らせてもらった。何となく灯子さんには訊きにくい空気だったので、もうちょいハードルの低い星宮さんから引き出そうと思ったのだ。 声を潜めた私の問いに、星宮さんは一瞬言い淀んだ。 考える仕草で間を置き、 「灯子さんと佳那は、ほぼ毎年行ってるみたいです。私も前回連れていってもらいましたけど、鈴波さんに見せたいって気持ちもわかります」 「そんなに素敵なのかな」 「はい。ただ、それも確かにあるとは思いますが……灯子さんは、思い出の場所だと言ってました」 「……思い出の場所」 明言されずとも、桜葉家が母子家庭だというのはわかる。一年半も付き合ってきて、未だに佳那ちゃんのお父さんを見かけた覚えがないことからも、それは明らかだ。 なら、欠けた彼女達の家族はどうしているのか。 あるいは、どうなったのか。 その辺りについてもだいたいの推測はできるし、たぶん訊けば答えてくれるんだと思う。今まで話に上らなかったってだけで、隠されてるわけじゃない。 けれど、わざわざ口にして聞き出すつもりはなかった。 きっとこれは、灯子さんにとってすごく大事なことで。 だったら可能な限り、その意を汲みたい。 車を降りた頃には、かなり雲行きが怪しくなっていた。 なだらかというには些かきつい勾配を、傘を片手に四人で登る。鼻先を撫でる風は湿り気が強く、いつ降ってもおかしくないような天候だった。 それでも、誰一人足を止めない。 最初はあれほど遠く見えた頂上も、実際に歩いてみればそこまで距離のあるものではなかった。ちょっぴり萎えかけた足で、最後の一歩を踏みしめる。 辿り着いた丘の上は、人の手が付いていない場所だった。一面に広がる雑草と、点在する小さな木。それ以外には何もない。 遠く西側には海が、振り返って東側には、先ほど抜けてきた道と街が見える。 視界を遮るような高い建築物はほとんどなく、灯子さんの言葉通り、絶好のスポットだ。 晴れてさえいれば、きっと、気持ちの良い景色が見られるんだと思う。 「あ……」 薄闇の面積を増す空から、微かな雫が落ちてきた。 ぽつり、ぽつりと降り始めた雨は次第に勢いを強くし、無視できない量に変わる。私は灯子さんから預かっていた傘を静かに開いて、遙か西の地平線を見つめる彼女の横に並んだ。 星宮さんと佳那ちゃんも、自分の折り畳み傘をすぐに組み立てる。翳すのが遅れたせいで、全員髪や肩が少し濡れてしまっていた。 「灯子さん」 帰りましょう、と言外に含ませて、名前を呼ぶ。 けれど灯子さんは動かなかった。だから傘を持ったままの私も、そこで立ち尽くすしかない。 「すみません。でも、もう少し。もう少しだけここで」 「夜になっちゃいますよ? 帰りがちょっと危ないかも」 「実はライト、持ってきてるんです」 「さり気に用意周到ですね……」 ほんのり冗談めかした発言に、思わず苦笑が漏れた。 せめてものポーズで吐息を落とし、わかりました、と頷く。 (それに、もしかしたら) 見上げた先、雲の流れが速い。 西からの風で雨雲が動いてる。地平線の向こうがどうなってるのかはわからないけど、短い時間との分が悪い勝負だけど、あるいは。 「っ!」 ひゅおっ、と一際強い風が吹いた。 傘を飛ばされそうになり、角度を変えてどうにか事なきを得た直後、目を焼く光に気付く。 海と地平線の狭間。 細い、細いラインから、徐々に緋色が伸びていく。 雲を押し退けるようにして、一帯を夕陽が満たし始める。 光を乱反射して煌めく水面と、薄闇さえも塗り変える黄昏の輝き。 目前の光景に言葉を失う。 いつの間にか、雨は上がっていた。 「あの……灯子さん」 「はい」 「来て、本当によかったです」 カメラとか、そういう上等なものは持ってないから。 せめて瞼の裏に焼きつけておこうと、陽が沈み切るまで、私達はそこに居続けた。 雨に打たれた時間は短かったとはいえ、旅館に着いた頃には結構身体が冷えてしまっていた。 なので各自、一旦お風呂で軽くあったまって、ゆっくり浸かるのは夕食の後に、ということになった。 お昼が消化の早い蕎麦だったのもあり、程良く空いたお腹に豪華な献立はすんなり入ったんだけど……。 「……ちょっと食べ過ぎたかなあ」 変に張り切ってご飯のお代わりなんてしたのがいけなかった。本日二度目の温泉も、膨れたお腹が苦しくて長くはいられなかったし。 それでも、食べ終わった直後と比べれば随分楽になった。使用済みのバスタオルを脱衣室に置かれている回収用の籠に放り込み、湿った髪は自然乾燥に任せることにして外へ出る。 部屋に戻ったらどうしようか、と悩みつつ、何とはなしに女湯の方へと視線をやると、浴衣姿の星宮さんがいた。 「あれ、まだ戻ってなかったんだ。佳那ちゃんと灯子さんは?」 「先に行ってもらいました。私はちょっと、寄るところがあったので」 敢えてどこにとは訊かない。 想像は付いたけど、それを口にしたら絶対気まずくなる。 「じゃあ、タイミングが良かったのかな」 「鈴波さんを待ってもいましたよ。私達より入るの遅かったみたいでしたから、たぶんこっちの方が早いかなって思って」 「置いてってもよかったのに」 「少しお話しがしたかったんです」 そう言って星宮さんは歩き始める。遅れて左に並ぶと、湯上がりの仄かな匂いを感じた。 長い廊下と曲がり角を抜け、玄関近くの階段に出る。けれどそこで、何故か星宮さんはそのまま表の方に足を進めた。 スリッパを脱ぎ、丁寧に整えられたサンダルのひとつを爪先でつっかける。それからくるりと振り返り、 「こっちです」 「あっ、ちょっ」 楽しそうに弾んだ足取りで、玄関と外の境を踏み越えた。 止めるに止められず、私もサンダルを履いて追いかける。この時間は薄い浴衣だけだと少し寒いけど、長くいなければ大丈夫だろう。 一歩、二歩、跳ねるように歩いた星宮さんは、道路の手前で両足を揃えた。腰の後ろで手を組み、緩やかに空を見上げる。 釣られて向いた先には、白い光が映える煌びやかな星々。 「この辺りは木が多くて、全天とまでは行きませんけど……部屋の窓から見るよりも、格段に綺麗ですよね」 「確かに、ここの方がよく見えるなあ」 「昨日の川原まで行ければよかったんですけど、さすがにこの暗さだと帰ってこられなくなりそうですから」 木々に周囲を遮られてはいるものの、主要な星座くらいは確認できそうだった。一際強い光を放つ星のひとつひとつを指差し、星宮さんは線を描いていく。 めぼしいものを辿り終え、宙に伸ばした腕を下ろすと、空を見上げたまま星宮さんが呟いた。 「……不思議です。霧ノ埼の空とここの空、どっちも同じはずなのに、全然見え方が違う」 「星宮さんはどっちが好き?」 「決められませんよ。両方いいところはあると思います」 「だね。私も同感」 「お揃いですか」 「嫌かな」 「いいえ。何だかそれって、ちょっとした奇跡です」 例えば同じ場所でも、日が変われば見え方にも差は出る。全くの同条件であっても、見る人が別なら感じ方が違うのは当然だ。 だからこそ、些細なシンパシーで喜べたりもする。 まあ、このくらいで“ちょっとした奇跡”は大袈裟だろうけど。 星宮さんらしい、と私は思った。 「ひとつ、訊いてもいいかな」 「はい。何でしょう」 「こんなこと言っちゃうとすごい自分が自意識過剰みたいなんだけどさ。星宮さん、最初に会ってからずっと、私のことを気に掛けてくれてるのかな、って」 そんな風に、考えちゃったりなんかして。 「優しさとか、そういうのを疑うつもりはないんだ。ただ、純粋に、どうしてなんだろうって。……あ、答えたくなかったらいいよ。特に理由はないのかもしれないし」 「鈴波さん……そんなこと気にしてたんですか?」 「あはは……何というか、その、疑ってるみたいでごめんね」 「いいですよ。私は気にしてませんから」 苦笑混じりにそう返され、一瞬微妙な間が空いた。 互いの目線が星空に固定される。 虫の鳴き声さえも聞こえない、静かな夜。 「理由、ちょっとだけ考えてみましたけど」 「うん」 「やっぱり、放っておけないんだと思います」 「……だらしなさ過ぎて?」 「それもありますけど」 「あるんだ……」 「でも、私、鈴波さんと一緒にいるのが楽しくて。ずっとお父さんと二人暮らしで、住んでる場所もあって友達らしい友達は佳那だけで。蒼夏さんや透さん、里さん、灯子さんや霞さん、みんないい人ばっかりですけど、こんなに」 言葉を詰まらせて、一拍。 息を吸う。 「こんなに気になる人は、今までいなかったんです」 視界が落ちた。 すごく近い距離に、星宮さんの顔がある。 ――触れられる、と思う。 けれど。 「ありがとう。嬉しいよ。私も星宮さんと一緒にいるのは楽しいし、いろんなことを教えてもらってる」 「……そうなんですか?」 「星座の見方とか、霧ノ埼のいいところとか、あとは料理とかね」 「ああ……じゃあ、おあいこですね」 浮かせた手で、そっと肩を叩くに留めた。 首を傾げた星宮さんに、玄関の方を指差して告げる。 「そろそろ部屋に戻ろう。折角お風呂入ったのに、また身体冷やしちゃうよ」 「わかりました。鈴波さんは?」 「ここで一緒に戻らなかったら私はただの馬鹿じゃないかな」 「身体、冷やしちゃいますからね」 星空の観察はこれでおしまい。 くすくす笑う彼女へ形だけの抗議を返しながら、私は早くも熱の抜け始めた両手を擦り合わせる。 ……正直に言えば、少しだけ、危なかった。 星宮さんの言葉に他意がないのも、純粋な、真剣な気持ちで出たものだってことも、理解してるんだけど。 (仕方ないと、思いたいなあ) 不覚にも。 半回り近く年下の女の子に、ドキっとしてしまったのだった。 あとは特筆するようなこともなく。 平穏無事に三日目を迎え、昼頃に旅館を出た。 文さんからは「またいらっしゃってください」と有り難いお言葉をいただいたけど、応えられるのはいつになるだろう。 車上の人になって三十分ほどで、後部座席の高校生二人は仲良く眠ってしまっていた。お互い肩に寄り掛かってる辺りが可愛らしい。とはいえ、年頃の女の子のあどけない寝顔を見つめ続けるのも褒められた趣味じゃないので、しばらく起きそうにないのを確認してから、私は極力静かでいるように努めた。 山を下りて国道に出る。真っ直ぐ伸びる道路を走る最中、不意に灯子さんが視線をこっちに向けてきた。 「昨日は我が儘を言っちゃってごめんなさいね」 「いえいえ。いいもの見られましたし、みんな風邪もひかなかったですからね。歩き疲れを差し引いてもプラスですよ」 これは本心。 貴重な経験だったし、楽しかった。 「むしろ私としては、女性三人に一人だけ混ざってよかったのかなと」 「あら、まだ言ってるんですか? 佳那も陽向ちゃんも喜んでたくらいなのに」 「それも不思議なんですけど……灯子さんは、ほら、既婚者というか」 「こんなおばさんにそこまで気を遣わなくてもいいのに」 「見た目はほとんどお姉さんかと……」 高校生の娘がいるようには見えないくらい若い。 私の返しをお世辞と受け取ったのか、灯子さんは可笑しそうに口元を緩めて「ありがとう」と言った。 それから、瞼を僅かに落とす。 何かに迷うように。 「……気付いてるとは思うけど」 「佳那ちゃんの、お父さんのことですか?」 「もう十一年も前に、バイクの事故でね」 やっぱり、と得心する。 「彼と――優都さんって言うんだけど、最後に一緒に行ったのは、佳那が四つの頃なの。事故の一年前。あの景色も、三人で見たのはそれっきり」 「あそこへは毎年?」 「ええ。天気予報で予め晴れの日を調べてね」 「……確か、予報じゃ晴れだったんですよね」 「曇り空を見た時は、別に一回くらい、って思ってたはずなのに。考えてたより私にとっては大事だったみたい」 それこそ、些細な奇跡を信じたくなるほどに。 灯子さんの心に残って、刻まれているんだろう。 「わかる……とは言えません、けど。たぶん誰にだって、そういうことはあるんだと思います」 「鈴波さんにも?」 「はい。といっても、本当に大したことじゃないんですけどね。だからまあ、何と言いますか、あんまり気にしなくてもいいんじゃないかと」 「……年下の男の子に慰められるなんて、貴重な経験ね」 「茶化さないでください……」 「ちゃんと感謝もしてますよ?」 どうしようなんかすごく恥ずかしい。 いつもの二割増しな温かい笑みが心に痛かった。 妙な空気に耐え切れなくなり、誤魔化すように窓の外を見る。 と、背後でごそりと音がした。 「ん……あれ、すずなみさん?」 「星宮さん、起きたの?」 「私、寝ちゃってましたか……」 「まだ時間掛かるから、もうちょい寝てていいよ」 「はい、そうすることに、します……ぅ」 目が覚めたんじゃなくて寝惚けてたらしい。 すぐに身体の力が抜けた星宮さんは、眠り際に小さく身を捩り、その拍子に佳那ちゃんの頭がズレて落ちる。 図らずも、佳那ちゃんが星宮さんに膝枕されてる体勢になった。バックミラーに映る微笑ましい光景に、改めて楽しかった、という思いを抱く。 「三年後でよければ、ですが」 「え?」 「今度はちゃんと、天気のいい日に行きましょう」 「……そうですね。その時はまた、是非」 果たされるかどうかはわからない約束だけど。 昨日みたいな偶然を信じるよりは簡単なんだろうなと、そんなことを考えた。 only understand/three.星空白く夜に映える・了
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