想像していたよりも社長室は広くなかった。クラスタ系の意匠で統一された部屋の中、入口から見て正面に机があり、そこにやたら派手な格好をした人間が座っている。 天覇総帥、亜耶乃・ライザー・エルデューク。……こう言っちゃ何だけど、全然社長って感じはしないわね。 さっきまでデスクワークに励んでたのか、机上に山と積まれた書類を右手でどけて、彼女は立ち上がる。 すまないがお茶を頼む、という言葉を受けて、ここまでわたし達を案内した受付の人間が退室すると、部屋に入って右手に並ぶソファを指した。 「とりあえず座ってくれ。立ったままで話すわけにもいかないだろう」 「じゃあそうさせてもらうわ」 いい加減立ちっぱなしなのも疲れてたので、遠慮なく腰をどかっと下ろす。 それを見咎めたライナーが半目で睨んできたけど、別にいいじゃない。向こうが座ってくれって言ったんだし。 「何かもうすみません……」 「はは、構わんよ。話には聞いていたが、なかなか楽しい御仁のようだな」 「ふうん。シュレリアにでも訊いたの?」 「先日の通信試験の際、あちらから教えてくれたのだよ。会えて光栄だ、ミュール君」 「……よろしく」 いったいどんなやりとりがあったのかは定かじゃないけれど、どうやらわたしのことは好意的に受け止めてるらしかった。 小さなテーブル越しに手を差し出され、一瞬迷ってから返答と共にこっちも差し出す。握手した時の、ところどころ硬い肌の感触は、冒険者の名残ってやつなんでしょうね。ライナーの手も似たようなものだったし。 軽く浮かせた腰を落とし、わたしは正面の人物を改めて観察する。 「……露出狂?」 「い、いきなり何言い出すんだよ!?」 「だって、胸の辺りなんて全く隠す気ないデザインじゃない。見せたくて晒してるようにしか思えないわよ」 「そういうわけではないのだがな……。何というか、窮屈なのは嫌いなんだ。それに、塔の探索をする時は身軽な方がいい」 「気が合うわね。窮屈なのが嫌いってのには同感。衣服なんて本当は着ていたくないくらい」 「………………」 「だから今からここで脱いでも」 「頼むからやめてくれ!」 シャツの裾に両手を掛けて捲り上げようとしたところで、ライナーに肩を掴まれた。 物凄い真剣な目で訴えられ、わたしは渋々姿勢を正す。 「口煩い付き添いね」 「人前で唐突に服を脱ごうとしたら、誰だって同じこと言うと思うぞ……」 「見られて恥ずかしい身体はしてないわよ?」 「こっちが恥ずかしいんだって!」 「……訂正しよう。相当に楽しい御仁のようだ」 別に笑わせようとしてるつもりはないんだけど。 表情を緩めた彼女に、ライナーが申し訳なさそうな顔で「まあ、こんなやつです」と言った。含みのある態度にイラっと来たので、テーブルの下で爪先を踏んでおく。 ぐ、と微かな呻き声が聞こえた直後、さっきの受付がお盆に人数分のお茶を乗せて持ってきた。自然な所作でわたし達の前にそれを置き、静かに一礼して姿を消す。 ひとまず勧められて一口。心地良い苦味を噛みしめながら、わたしは今回の相手と向き合った。 「自己紹介は必要?」 「いや、おおよその事情は聞いている。あまり時間もないことだ、すぐに用件を済ませるとしよう」 「そうね。いくつか質問があるから、あなたはそれに答えてくれればいいわ。ライナーは置物みたいなものだと思っといて」 「置物って……無茶な要求だけはするなよ」 「その心配は無用ね。大人しく見てなさい」 ――さて。 ひとつひとつ、確認して行きましょうか。 「まず、ボルドだっけ? あの人間について教えて」 「ふむ……そうだな。私は総帥の座に就く以前、未開区の探索を主とする冒険者をしていたのだが、奴とはその頃からの同僚だった。とにかく腕っ節が強くてな、天覇に迎え入れてからも、専ら異形の者の討伐や塔の危険地域へ行かせていた」 「俺も最初に戦った時は負けたしなあ……」 「ボルドに野心があることには気付いていた。だが、ああ見えて賢しいところも持っていたから、表立って大事を起こしはしないだろう、と判断していたのだ」 「甘いわね」 「……その通りだな。奴がスクワート村を襲撃した際も、私は塔の探索に向かっていた。何かあればこちらに報告が行くようになっていたのだが……手回しをしていたのだろう。私の許にそういった報告は上がってこなかった。結果、スクワート村襲撃事件は首謀者不明のものとして片付けられ、裏でボルドが教会の司祭と手を組んでいたことも察知できなかった。完全に、私の失態だよ」 ライナーの話によると、先日天覇は事件の真実を公にした上で、正式な謝罪を行ったらしいわ。 数少ない生き残りの被害者には、望むなら出来得る限りの補償をすることを確約したっていうんだから、一応企業として、最低限の責務は果たした、と見るべきかしら。 もっとも、住処を焼き払われ、知人を殺された挙句故郷から離れるしかなかった彼らにしてみれば、何もかもが今更なんでしょうけど。 責められるべきは、ボルド・レードとカイエル・クランシー。それは間違いない。 でも、ボルドの上司だった彼女にも、確実に責の一端はある。 ……もう二人ともいないしね。張本人達には償わせようがないんだもの。 「責任取って辞めるって話にはならなかったの?」 「勿論そういった声は出た。私も適任者がいれば喜んで総帥の座を譲り渡すつもりでいたのだが――」 「碌でもないのしかいなかった?」 「歯に衣着せず言うならそうなるな。これでも天覇を背負う身だ、私にも劣る者をこの席に据えるというのは、やはり歓迎し難い」 「要するに、まともな人材がいないのね」 「またストレートな……」 「否定できないのが辛いところだよ」 支持されるのは有り難いのだがね、と締めくくり、彼女はお茶請けの煎餅を取ってかじった。 ぱり、と小気味良い音が響く。わたしも息を吐いて、お茶で唇を濡らす。 ……そもそも、天覇の規模は過剰なほどに大きい。シュレリアが確立したグラスメルク関連の権利と技術情報を一手に抱えるだけじゃなく、第三世代レーヴァテイルが生きていくには必須の延命剤、ダイキリティの流通もかなりの部分を担っている。 こんな浮遊都市をまるまる造り上げて運用するくらいに肥大化した組織。いくら社長である亜耶乃が注意したところで、目の届く範囲には限度があるわ。 管理体制にも隙はあったんでしょうけど、賢しい人間は大抵、張り巡らされた網から逃れる術を知っている。 企業として巨大になり過ぎたのもいけないのよね。 ラードルフに話を聞いた時にも思ったけど、本当、組織って面倒だわ。 「でも、それだけ問題あってまだ社長やってられるんだから、よっぽど部下から人気あるのね」 「そこは私も不思議で仕方ない。ストライキのひとつやふたつ、起きてもおかしくはないはずなのだがな」 肩を竦める仕草に、僅かな本音が窺えた。 ま、総帥なんて堅っ苦しい役職、進んで受けたわけじゃないんでしょ。冒険者やってたくらいなんだし、部屋の中で書類片付けてるよりも、危険な場所に飛び込んでく方がいいって人種。一所でじっとしてるのを苦痛に感じるタイプね。 なのに自分からは辞めない辺り、何だかんだで律儀と言うべきかしら。 「……そろそろ話を戻すわよ。クルーアッハ、って名前に聞き覚えはある? そいつの研究資料が欲しいんだけど」 「ああ。ボルドの部下で、優秀な研究者だった。レーヴァテイル絡みの研究ではいくつも成果を残していたのだが、些か他を省みないところがあってな。以前、研究棟の一角を倒壊させて、その際消息不明になっている。……しかし、彼の名前をどこで聞いた?」 「情報の出所は秘密。ただ、そいつが起こした事件の顛末と研究内容については、だいたい把握してるわ」 「一応機密事項なのだがな……」 「散々犠牲者出してるのに、機密も何もないんじゃない? 軽く伝え聞いただけでも、相当非人道的なものだったわよ」 「……言い訳がましくなることを承知で言うが、組織としての体裁を保つ義務が私にはあるのだ。万が一天覇が潰れてしまえば、多くの者達が一気に路頭に迷うことにもなる。正しくないと理解していても、あの状況ではそれを選ぶしかなかった」 責任を負う立場だからこそのしがらみ、ね。 「もっとも、私個人としては申し開きもない。一部紛失しているものの、研究成果をまとめた資料はほとんど残っているので、必要というのなら後でコピーを届けさせよう。無論、取り扱いには充分注意してもらいたい」 「それくらいはわかってる。大丈夫……って言ってもしょうがないかもしれないけど、悪用はしないと誓うわ」 「ならば必要としている理由を深くは問わんよ。ライナーも付いているようだしな」 「はい。何かやらかしそうになったら全力で止めますから」 ひとこと多い馬鹿の爪先をさらに踵で強く踏み潰しておく。 とりあえず、これで目的のひとつは達成。研究資料は処分されてる可能性もないわけじゃなかったけど、現存してるというなら問題ない。 仮に期待してる情報が得られなかったとしても、ミディールの保管されていた場所さえ判明すれば、それが取っ掛かりになる。 思い出すのは、おぼろげな原初の記憶。 メフィールとアルメディア、彼女達を見つけることは、わたしのルーツを辿ることにも繋がるわ。 あるいはわたしが生まれたあの空間も、当時のままで埋もれているかもしれない。 探してどうするのか、どうしたいのかはまだ考えつかないけれど―― (知りたい) わたしは、わたし自身をもっと知りたい。 そうして初めて、答えを出せる気がするのよ。 「……ミュール?」 ふと、名前を呼ばれる。 視線だけを向けた隣、心配そうな声色と表情でこっちを見ているライナーと目が合った。 ……本当に、妙なところで鋭いのよね。 「そんな情けない声しなくても、もう少しで終わらせるわよ。静かにしてなさい」 「何で俺子供扱いされてるんだ……」 「最後の質問よ。方々で話を聞いた限り、天覇のレーヴァテイルに対する処遇は相当悪いらしいわね。そこのところは気付いてる? そして気付いているのなら、改善策は出せる?」 しょぼくれたライナーから意識を外し、問う。 わたしが天覇のあれこれを調べた時、私的な事情を除けば最も目に付いた部分。能力差で等級別に分け、それによって待遇を変えるってところ。 天覇自体はどうやら基本実力主義、成果主義みたいだし、扱いの差ができることはわかるのよ。でも、いくら何でも激し過ぎる。人員が勿体無いからって、低ランクの子達には十数人につきパートナーが一人とか、どう考えても護る気全くないじゃない。 優秀なごく一部が優遇されて、それ以外の大半が虐げられてる現状があるから、周囲も“あいつらは使えない”って認識を持つようになる。その結果が劣悪と言われる処遇よ。なのに彼女達が天覇を離れられないのは、実質第三世代の行き場が教会か天覇の二択だから。 この世界のレーヴァテイルには、生き方を自由に選ぶことができない。 「おそらく君も理解しているとは思うが、天覇はあくまで一企業だ。善意の組織ではない。雇用者に給料を支払い、その対価として労働を要求している。働きの度合いで待遇に違いが出るのは、言うなれば当然のことだ」 「そうね」 「が、行き過ぎている部分があるのも否めない。私も皆の意識改革に努めてきたつもりだったが、いつも一時的なものにしかならなくてな」 「……なら、改善策はもうないってこと?」 「いや。原因はわかっている。ダイキリティだ」 第三世代には、およそ三ヶ月毎に延命剤を投与しなければいけない制約がある。昔の人間もまさかレーヴァテイルと人間の混血が世に出てくるとは思ってなかったんでしょうけど、とにかく彼女達は延命剤なしじゃ十八歳程度までしか生きられない。 ここでの問題は、市場に流通してる延命剤自体が安くないことと、どうしても定期的かつ確実に必要になるってことよ。さほど豊かでない一般家庭は、就職さえすれば無償で延命剤を提供してくれる教会か天覇に頼らざるを得ない。そういった環境が現状を形作ってる。 「今の世界では、人間に頼らなければレーヴァテイルは生きていけない。そして、互いにそれが当然だと思ってしまっている。ならばこちらが早急にするべきは二つ。安価なダイキリティの提供と、天覇を離れたいと願う者達の就職補助だ」 「実現の目途は立ってるの?」 「前者はこちらが率先して値段を落とせば大丈夫だろう。原材料も極力金額を下げ、ダイキリティに関しては広くレシピを公開する。細かい部分をまだ練る必要はあるが――」 「今のところはそれで充分でしょ。後者の方は?」 「専用の部門を新設し、まず環境を整えてから動くことになるな。延命剤の件と合わせて説明すれば、誤解も生まれにくいはずだ。……改善策らしい改善策はこんなところだな。君の質問に対する答えにはなったか?」 「ええ」 これで訊くことは全部訊いた。 まだ半分ほど残ってたお茶を一気に飲み干し、立ち上がる。 再び握手を求めてきた亜耶乃に右手を出して、 「有意義な時間だったわ。ありがと」 「こちらこそ、短いながら助力になれたのなら幸いだ。また何かあれば可能な限り協力しよう」 力強く、けれど人の好い返事に、わたしは小さく頷いた。 社長室を出てから十分後。 亜耶乃の計らいで迎えに来た人間の先導を受け、わたしとライナーは、天覇本社から少し離れたところにある飛空挺の開発場を訪れた。 細い通路を抜け、鉄の扉を開けると、無数の雑多な音が耳に飛び込んでくる。凄まじく広い空間に、何台か造りかけの飛空挺らしきものが置かれ、それぞれに数人が取り付いて何らかの作業をしていた。時折火花みたいなのが見えるってことは、溶接でもしてるのかしらね。 よくよく観察してみれば、どれも形状に微妙な差異がある。カラーリングもまちまちで、しばらくは眺めていても飽きなさそうだった。 とはいえ、今日は別に見学しに来たわけじゃない。得意げに説明を始める案内人にそれとなくライナーが先を促し、わたし達は奥の部屋に向かう。 「主任、お客人を連れてきましたよ」 「あ、うん、適当に入ってきて」 どこか投げやりな返事に、いつもこんな調子なんです、と案内人が苦笑した。 扉の取っ手を引き、一歩下がる。 「ではお二人とも、どうぞ」 「失礼しまーす……うわ」 端的に言えば、室内は荒れていた。至るところに紙や部品らしき機械片が散乱していて、出入口から机までの直線ルート以外には、一見足の踏み場もない。 その中でも一際酷い机の上で、頭をわしゃわしゃと掻き混ぜる人影がいる。こっちの物音に反応して上げた顔には、少なくない疲れが見て取れた。 クルシェ・エレンディア。クレセントクロニクルで目にした覚えがある。 「ごめん、最近徹夜続きでさ……。なかなかいい案が出てくれなくて」 「部屋もだけど、すごい顔になってるぞ。隈とか」 「そりゃあ寝てないからね。で、ボクに話があるんでしょ」 「ああ。俺じゃなくて、ミュールの方だけど」 「聞いてる。とりあえず座って……あー、たぶん椅子がその辺に」 「埋もれてるのね」 「うん」 五分ほど四人で軽い片付けを敢行。 多少マシになったところで、掘り出し物の椅子に座る。 案内人は別の仕事があるからと戻っていった。 「助かったよ。もう全然整理してる暇もなかったから」 「それでよく会う気になったなあ……」 「昨日で一段落してる予定だったんだ。けど、そう上手く行くものでもなくてさ」 「……飛空挺の研究か?」 「そう。改良は続けてるんだけど、まだ実用には遠く及ばない感じ。今のままだと、まず間違いなく途中で墜落するね」 「厳しそうだな」 「違う視点から考えた方がいいんだろうけど……っと、ごめん、話があるのはミュールなんだっけ」 「あなたは身構えたりしないのね」 暗に、わたしに対する遺恨はないのかという意味を込める。 けれどクルシェは、どうして、と首を軽く傾げた。 「ボクはウイルスに家族を殺されたわけじゃないし、特別恨む理由もないよ。むしろ、ミュールがきっかけになったおかげでルークの手がかりが得られたんだから、感謝したいくらい」 「ルーク?」 「なんて言えばいいのかな。ボクの……うん、大事な人。ずっと昔に一人で飛んでいっちゃって、どこに行ったかわからなかったんだ」 「飛んでいったって、比喩じゃないの?」 「ルークは技術士でさ、空を飛ぶのが好きだった。それが高じて自分で小型の飛空挺を造るようになったんだけど、ある日姿を消してそれっきり」 「自分勝手な人間ね」 「かもね。だけど、その分自由でもあったよ。ルークはいつも、自分の夢を追いかけてたから」 自由であること。 夢を持つこと。 どっちも、わたしにはなかったもの。 だからこそ、欲しいと思うもの。 「……あなたも、同じところに行きたい?」 「うん。ボクの夢もルークと一緒。ブラストラインだけじゃない、雲海の彼方まで飛んでいける飛空挺を造って、まだ見たことのない場所に辿り着きたい。ルークを見つけるためにも、必ず」 これまで曖昧だった輪郭が、形を成していく。 わたしはかつて、何を求めていたのか。あの狭い世界で何を願い、何に憧れ、そして今、何がしたいのか。 うねる心を落ち着け、息を吸った。 さあ、ここからは交渉よ。 「メタ・ファルスと、ソル・クラスタ」 「え?」 「この世界に、塔は三本存在するわ。管理者も三人。シュレリアの他に二人いる」 「エレミア三謳神、だっけ」 「オリジンは当時神様扱いだったのよ。第二期ではわたしも信仰されてたんだけど」 「ミュールが神様ってのも変な……あ、いや、何でもないから爪を手の甲に立てるのやめてください」 「話、続けてくれる?」 「元よりそのつもりよ。具体的に他の二塔がどんな状況なのかはわからないけど、少なくともソル・クラスタに関してはまだ生きてるわ」 「根拠は?」 「以前あっちにアクセスしたから。あと、向こうからちょっと頼まれ事されてね。だからわたしとしても、あなたには他の塔に行けるだけの飛空挺を造ってほしい」 まだクレセントクロニクルに封じられてた頃、有り余る時間の活用方法として、わたしはとにかく様々な場所にアクセスしてはデータを漁っていた。 その中で、第三塔と繋がる細い連絡線の存在に気付いたことがある。音声通信程度しかできないそれを一度だけ使った際、わたしの干渉に答えたのが、こっちよりも遙かに洗練された、人格を持つメインフレーム。 ハーヴェスターシャと名乗ったそいつは、わたしにひとつの“お願い”をしてきた。 大地の心臓と呼ばれるものを、第三塔、ソル・クラスタに持ってきてほしい。それが惑星再生の鍵になるから、と。 「なるほど。つまり、ミュールは取引をしに来たんだ」 「ええ。わたしはあなたに情報を提供する。代わりにあなたはちゃんと使える飛空挺を開発して、わたしが用を果たせるように融通してくれればいい」 「……でもそれだと、さっきのだけじゃ対価にはならないと思うよ。もう一声欲しい」 「指針がないまま出発しても、目的地に着ける保証はないでしょ。だから、わたしが他の二塔の座標を調べ当てる。そうね、七日もあれば、位置情報を計算して割り出せるわ」 これは取引であり、駆け引きよ。 大地の心臓――四次正角性中核環に関する資料は、こっちにもほとんど残っていなかった。ならそれはもう、あるとすれば第二塔以外に考えられない。 かつて理想郷と謳われた地、メタ・ファルス。今は緑の大地を生み出す研究を行っているというその世界に、わたしはずっと憧れていた。叶わないと知りながら、行ってみたい、と思ったこともあった。 でも、今なら。 その願いだって、叶うかもしれない。 クルシェの存在が、わたしの希望を現実の物にしたのよ。 「情報が間違ってないって保証は?」 「ないわね。わたしの言葉を信じてもらうことが前提」 「……うん、わかった。そっちが協力してくれるっていうなら、是非もないよ」 「クルシェ、それじゃあ――」 「元々ボクには真偽を確かめる術もないしね。それに、ミュールがここで嘘を吐く理由が思いつかない」 得られた同意に、わたしはそっと胸を撫で下ろす。 勝算はそこそこにあると踏んでたけど、断られる可能性もないとは言えなかったもの。 ともあれこれでひとまずは、目的達成。亜耶乃からはミディールの情報提供を確約させたし、クルシェと手を結ぶこともできたわ。 ……そうと決まれば、出し惜しみをする必要もないか。 「今の飛空挺は、グラスメルクで造られてるのよね」 「重要な機構や特殊なパーツはだいたいそうかな」 「グラスメルクの技術は、シュレリアがわたしを封じた後に確立したものよ。その影響範囲は限られてるから、シルヴァホルンの効果圏内を抜ければ、途端に機能しなくなって落ちるはず」 「となると、グラスメルクで造った物は使えない?」 「性能的に依存してるようなのはね。けどまあ、第二期までは普通に雲海を渡れる飛空挺が存在してたわ。その辺シュレリアに掛け合ってみれば――」 「情報を提示してくれるかも、ってことだね」 飛空挺の製作法も、ベータ純血種を生み出す技術も、全ては音科学に起因する。 かつての災禍を忌んだシュレリアの手により、厳重に隠匿された過去の遺産。以前までならそれを表に出す気なんてなかったでしょうけど、今の天覇なら信用に値する、と判断する可能性は充分あるでしょ。 世界が、人間が発展しようとすること自体は、シュレリアも否定できない。 あいつはあくまで塔の管理者であって、崇拝されていても、本物の神様じゃないんだから。 「……そっか。ありがと。ようやく取っ掛かりが掴めそうな気がしてきた」 「感謝は要らないわ。結果が出たら教えて」 「了解。そっちも座標を特定できたら回して」 話はまとまった。 見送ろうか、とクルシェは提案してきたけど、何かうずうずしてるみたいだったから断った。どうせならそのやる気を全力で注ぎ込んでくれた方がいい。 帰りは案内もなし。途中適当な人間に面会が終わったことを告げ、わたし達は外に出る。思ってたより時間が経ってたのか、陽はだいぶ傾いていた。 「今日は疲れたわ。ライナー、後で肩と足揉みなさい」 「別にそんな運動はしてないだろ……。でも、そうだな。お疲れ様、ミュール」 「……あなたもね」 横で冷や冷やしっぱなしのライナーは、情けない姿だったけど。 気遣われるのも、まあ、嫌ではない。 「夜にはどうにか帰れるかな」 「どこかに泊まっていってもいいんじゃないの?」 「グングニルを港に置いていられるのは夜までなんだよ。延ばすなら改めて許可もらう必要があるんだけど、ちょっと難しそうだからなあ」 「無許可だと?」 「いっぱいお金取られる」 「わたしの懐は痛まないから大丈夫よ」 「俺の財布が大丈夫じゃない!」 天覇本社の前を通り過ぎ、来た道を下って駅へ。 そこから市電で一番街の方に戻ると、最初に見つけたのとは少し違う場所で、スピカが猫飴を売っていた。 ライナーが声を掛けるより早くこっちに気付いて、あら、と微笑する。 「用事は済んだのかしら?」 「ああ。俺は一緒にいただけだったけどさ」 「充分な収穫は得られたわよ」 「それはよかったわね。……私はそろそろ上がるけど、折角だからご飯でもどう?」 「ごめん、そうしたいところだけど、急いで帰らなきゃいけないんだ」 「残念。じゃあその機会は今度ね。ミュール、あなたから色々聞けるのを楽しみにしてるわ」 ちっとも残念そうな顔をせず、あっさりそう言ってひらひらと手を振る彼女に、わたしは無言で背を向けた。 軽くライナーの袖を引き、先へと促す。 そうして歩き始め、けれど一旦立ち止まって、 「スピカ」 「何かしら」 「やりたいこと。……わたしも、見つけたから」 「そう。ふふ、頑張りなさいな」 微妙に子供扱いというか、上から目線っぽかったのが癪だけど。 ただ、スピカには伝えておこう、と思った。 あんなに楽しそうに夢を語った彼女なら、きっとわたしの夢も馬鹿にしないだろうから。 「……なあ」 「ん?」 「さっき言ってたのって、どんなことなんだ?」 「あなたに教える義理はないわね」 「ここまで協力してるのに、それはさすがに酷くないか……?」 「冗談よ。今回の報酬ってことでちゃんと教えてあげる」 四次正角性中核環。メタ・ファルス。 全てを繋ぎ合わせれば、目指すものは自ずと見えてくる。 今こうして模索している、贖罪の旅の果てにある答え。 「わたしは、この星を救いたい。死の雲海を払って、大地を取り戻したい。そのために、第二塔へ行きたいの」 「……滅茶苦茶壮大な夢だな」 「挑むには丁度良い難問よ。それとも、あなたは無理だって思う?」 「まさか。俺だって世界をどうにかできたんだ。ミュールにできないわけないだろ」 ライナーの言葉が、胸にすとんと落ちた。 できないわけがない。そう、信じてくれる人がいる。 両手の拳をぎゅっと握った。手のひらに沈む爪の感覚、痛みを確かめて、わたしは静かに、心の奥底に刻み込む。 旅の終わりが、少しだけ、見えてきていた。 back|index|next |