狂気と怒号がひしめく空間に、耳をつんざくような轟音が響き渡りました。
 その発信源は、私が放った詩魔法です。純粋な物理的干渉を目的とした初歩の詩、プライマル・ワード。
 アヤタネが時間を稼いでくれたおかげで充分な詠唱が出来、結果、ライナーとミュールを追跡しようとしていた騎士達は残らず地に伏しました。死なない程度に加減したとはいえ、決して軽い威力ではないので、誰一人としてしばらく立ち上がることはできないでしょう。そしてそれは、私にとって望ましい状況です。

「………………」

 心が痛まないと言えば、嘘になります。
 彼らは志を同じくした仲間であり、部下であり、家族でもあるのですから。
 しかし、だからこそ――許してはならないことが、この世界には確かに存在します。

「……シュレリア様」
「すみません、レアード。鎮圧を最優先にしたため、皆を傷つけてしまいました」
「いえ、ああなった以上、一度場を収めるには力押ししかなかったでしょう」
「アヤタネもご苦労様でした。汚れ役を引き受けさせてしまい、申し訳ありません」
「僕はライナーと母さんのことを考えて動いただけですから」
「……貴方一人にこれだけの人数が敵わなかったとなると、自信を喪失する者も出てくるかもしれませんね」
「みんな平常じゃなかったですし、もっと落ち着いて構えられてたらこうは行きませんでしたよ」

 事もなく言うアヤタネに苦笑して、私は呻き声を上げる騎士達の全てを視界に入れました。
 気絶している者も目立ちますが、大半は全身の痛みで意識を失うことなく起き上がれずにいます。
 ざっと彼らを一瞥し、その目にもう戦意が宿っていないことを確かめてから、

「これでもまだ、ミュールを追う気でいますか?」
「どうして……どうして、シュレリア様は、あんな奴を、庇うんですか」

 ミュール、という単語にぴくりと身体を震わせるも、やはりそれ以上は動けないようでした。
 ただ、せめてもの抵抗だと言うように彼らの中の一人――この騒ぎを引き起こした張本人が言葉をこぼします。

「ウイルスなんて、傍迷惑なものをばら撒いて……たくさんの人を、仲間を、家族を殺した、悪魔みたいな、奴を」

 おそらく、プラティナに住むほとんどの人々は、ミュールに関してそういった印象を抱いているでしょう。
 冷酷無比な、感情を持たない存在。まるで私達を初めから滅ぼすために生まれてきたような、打倒すべき絶対悪。
 ミュールがクレセントクロニクルに封じられた当時から、エレミア誓約書を交わしたプラティナ政府はシャドウの正体をひた隠しにしてきました。それはグラスノインフェリアに次ぐ大災害、ホルス右翼の崩落を人為的に発生させたミュールを忌避していたことにも起因しますが、何より真実を公にして無用の混乱を招きたくなかったからです。
 もっとも、まさかミュールを開放することになるとは露ほども思っていませんでした。かつて私がタスティエーラと誓った贖罪の方法は、彼女が世界を滅ぼそうという強い意志を持続させていなければ意味のないものだったのですから。

 そう。
 罪を背負っているのは、ミュールだけではありません。
 封印を継続するという名目で、私はリューンの系譜をクレセントクロニクルに縛り続けてきました。
 自らが招いた過ちの尻拭いで、エレミアの騎士達にも犠牲を強いてきました。
 彼女と同じように、私の手もまた血で染まっている。数多の罪行に塗れて、生きているのです。

 罪の在り処とは、本当にひとつだけなのでしょうか?
 誰か一人だけが全てを被り、荷を抱え、責められるべきなのでしょうか?

 いえ、それよりも、何よりも――

「あの子は、本当は優しいですから。ただ、人間を信じられないだけなんです」
「そんな馬鹿なこと……っ!」
「考えたことはありますか? どうしてミュールが世界を滅ぼそうとしているのか。あそこまで過剰に、人間を憎んでいるのか」

 投げかけた問いに、答えられる者はいません。
 それは予想通りの反応だったので、私は嘆息し、心の中で呟きました。
 ……勝手にこういう話をしてしまうのはフェアじゃないですけどね。
 一応許可を求めるようにアヤタネの方を見ると、すぐに察してくれたのか、頷きが返ってきます。
 まあ、後で当人に色々言われた時は、アヤタネに任せましょう。
 レアードにも視線をやりましたが、こちらは何とも複雑な表情を浮かべてくるりと後ろに振り返り。
 総帥という立場上、面倒な役割をさせてしまっているのは、申し訳なくも思います。
 ですが、私は今ここで終わらせたい。憎しみの連鎖は、誰かが断ち切るべきなのです。

「レアード、非番の騎士に召集を掛けてください」
「……少し時間が必要になりますが、よろしいですか?」
「そこまで無茶は言いませんよ。アヤタネには伝言役を頼みます。簡単な現状の説明も」
「わかりました。確かに、この状況だと僕が適任ですね」

 二人に指示を出し、それからようやく座れるくらいには回復したらしい彼らに向き直り、私はリンゲージを転送しました。
 思えば仕事中に脱いだのは久しぶりです。直接触れる外気の冷たさを感じながら、ふわりと着地。
 心なしか驚いた顔をした騎士達を見回し、頭の中で言葉を選び、告げました。

「貴方達に教えましょう。今から三百五十年前、この世界で起きた悲劇を」

 私やミュールが積み重ねてきた、罪の所在を。










 信じたら裏切られて、裏切ったら罵られて、それなら初めから信じなければいいじゃないの。簡単な話でしょ?










「シュレリア様、遅いな……」
「へふにひいひゃはい、はえひはんへまはあふへも」
「口の中に物入れたまま喋るなって。汚いぞ」
「……んく。ライナーにそんなこと言われる日が来るとは思わなかったわ」
「お前なあ……」

 適当に咀嚼したものを水で流し込み、わたしは呆れたような声を上げるライナーを見た。
 気の所為でなければ、その顔には僅かな焦燥と疲労の色がある。
 まあ、シュレリアを犬みたいに慕ってるくらいだし、何かあったかと無意味な心配でもしてるんでしょうけど。

「……大丈夫よ。あのボケボケ管理者がそんな簡単にどうにかなりはしないわ」
「随分きっぱり言うんだな」
「わたしがあいつとどれだけ付き合ってきてると思ってるの? これしきのことで参ってたらとっくに世界を滅ぼせてるわよ」
「………………」

 方向音痴で間抜けで情けない、褒めるところの方が少ない子だけど。
 数百年の時を生きてきたレーヴァテイル・オリジン、その性能は決して低くない。
 処理速度の面でわたしに劣るとはいえ、第三世代を遙かに凌駕する力を持つ、神と呼ばれる存在だもの。
 アヤタネだっているんだから、たかだか一介の騎士どもに後れを取るはずはないわ。

「むしろあなたは自分の父親を心配すべきじゃない? 総帥と言っても、強いわけじゃないんでしょ?」
「あー、いや、親父もその辺は問題ない。今でこそあんな頭でっかちだけど、昔は剣聖って呼ばれてたらしいんだ」
「剣聖?」
「総帥になる前は、騎士の中でも一番優秀だったって聞いたことがある。まあ、しばらく剣は握ってないみたいだし、歳取って腕も錆びついちまってるだろうけど、何とかするくらいの実力は持ってるはずだからさ。シュレリア様やアヤタネも付いてるし」

 ふうん。いまいち仲良くないように見えたけど、案外信頼してるのね。

「そういえばライナー、あなた母親はいるの?」
「俺が物心付く以前に病気で死んだよ」
「あら、じゃあ訊かない方がよかったかしら」
「ミュールにもそんな気遣いできたんだな……あ、いや、悪かった。だからフォークをこっちに向けないでくれ」
「……寂しくないの?」
「顔も覚えてないからなぁ。ほら、一応親父は総帥っていう偉い立場にいるし、忙しい時は面倒見てくれてた人が結構いたんだ」

 その話で、ふとシュレリアが言っていたことを思い出した。
 小さい頃のライナーは、それはもう可愛くて……とか何とかにやついてたのを目にした記憶があるけど、そう考えるとあの子、赤ん坊の時から世話してた相手に惚れてるのよね。……いい趣味してるわ、本当。

「でも、何でいきなり母親のことを訊いたんだ?」
「わたしは家族を知らないから。どういうものなのか興味があるのよ」
「知らないって……あ」

 一瞬問いただそうとし、けれどわたしの過去を振り返って気付いたのか、途端に口ごもるライナー。

「別に、気遣いなんて要らないわよ。だいたいそんなこと言ったら、シュレリアだって、ミシャだってそうでしょ」
「だけど、」
「ああもう、鬱陶しいって言ってるの。元からないものに対して痛みや苦しみなんて感じないわ」

 あったものがなくなれば、感情移入して悲しむこともあるだろうけど。
 初めから持ってなければ、知らなければ、どうして悲しむのかも理解できないわ。
 だって、そこには喪失がない。心を傾けるだけの理由がない。
 ライナーが母親の不在をさほど辛く思ってないのと同じように、わたしもそのことには何の痛痒も感じない。

「一応生みの親みたいなのはいるけど、碌なものじゃなかったわね」
「生みの親?」
「第二世代、ベータ純血種は、基本的にオリジンの遺伝子を用いて人為的に作成されるクローンよ。だから当然、わたしを作った人間がいる。そいつらがどんなに非人道的なことをしていたとしても、このわたしを生み出したって意味ではそうじゃない?」
「いや、そうかもしれないけど……俺が言いたいのは違うんだよな……」
「なら何よ。はっきりしなさい」
「家族ってさ、別に血が繋がってるとかは関係ないと思うんだよ」
「どうして? 血縁でなければ一緒にいる理由なんてあるの?」
「ある。だいたいそれを言ったら、結婚なんて全く関係ない人同士がくっつくんだからな。血縁も何もないだろ」
「……ああ、確かにそうね」
「同じ屋根の下で暮らしてれば、みんなは家族みたいなものだろ。だから、俺はミュールも家族だと思ってる」
「――は? わたしがあなたと、シュレリアと、家族?」

 有り得ない。
 住み処を使ってるだけで、どうしてそうなるのよ。

「こっちは馴れ合いも舐め合いも望んでないのに?」
「そんなつもりはないって。俺はミュールと暮らしてて楽しいし、一緒にいたいと思う。それで充分なんだ」
「……さっぱりわからないわ」
「だから、それをこれから知っていくんだよ。焦る必要なんてないさ」

 ……これから、ね。
 わたしがライナーみたいにその感情を理解する日は、来るのかしら。
 返答代わりにフォークを置き、ごちそうさま、と告げて席を立つ。

「こら、ちゃんと食べたら皿は台所まで持ってけって」
「気が乗らないわ。それとライナー、味付けがちょっと大雑把過ぎない?」
「男料理なんだから仕方ないだろ……。これでもできるようになるまで苦労したんだぞ」
「総帥の息子ならいい身分でしょ。料理なんて誰かに任せればいいじゃない」
「昔はそうだったけどさ、親父に反発してからは家を出たし、一人暮らししてる間は自分で作る必要があったんだ」
「の割には色々できてなかったみたいね。アヤタネに聞いたわよ」
「あいつ意外と口軽いな……」

 少し気を抜くと、食器は水に浸けっぱなし、洗濯物は畳まず置きっぱなし、オボンヌの箱は捨てずに積みっぱなし、みたいな感じで酷い有り様だったとか。それを訪問する度に片付けて、ついでに料理も振る舞っていたアヤタネは、一時期騎士達の間でまことしやかに『ライナーの通い妻』だなんて噂されていたらしいわね。
 あの子、結構家事とか世話焼くの好きだし満更でもなかったそうだけど、あれは友人としてどうにかしたいって嘆いてたわ。

「まあ、そういう意味じゃシュレリアと生活するようになったのは良かったんでしょ」
「だとしたら、俺ってシュレリア様に迷惑掛けっぱなしってことに……」
「なるわね。でも絶対向こうはそう思ってないわよ。むしろ、世話を焼けて喜んでる節があるし」

 いわゆる尽くすタイプね。些か抜けてるけど、男としては理想的に近いんじゃないの?

「精々迷惑掛け続けなさい。あの子が手一杯になってくれれば、わたしとしても相手する必要がなくて気が楽だわ」
「お前なぁ……」

 ライナーのあからさまな溜め息を無視して部屋に戻ろうとすると、玄関の方から風の入る音が聞こえた。
 同時、ただいま、というシュレリアの声。それに続きもう一人、お邪魔しますと言って入ってきたアヤタネがリビングに顔を出す。
 立ち上がったわたしとテーブルに並んだ料理を一瞥し、シュレリアはライナーに弱々しく微笑みかけた。

「すみませんライナー、私の分はありますか?」
「ちょっと待っててください。アヤタネも食べるだろ?」
「うん、有り難くいただくよ。……母さんはもう食べ終わった?」
「ついさっきね」

 二人が椅子に腰を下ろすのを見てから、わたしは後ろの壁に背を預ける。
 新しい食器を持ってきたライナーがシュレリアとアヤタネにそれを配り、落ち着いたところで問いを向けた。

「で、シュレリア。こんな遅くまで何をやってたの? 無為に過ごしてきたわけじゃないんでしょ?」
「当然です。貴方は知らないでしょうが、あの後大変だったんですよ……」
「大変ねえ……。馬鹿どもを残らず地に這いつくばらせて、それからどうしたのかしら」
「やりたくてやったわけではありません。一度騒ぎを収めるには、ああするしかなかったんです」

 逃げるのに必死で後ろを振り返る余裕もなかったライナーが、いまいち話を掴めず首を傾げる。
 アヤタネは意図的に口を挟まず、大雑把な味の料理を摘まんでは「おいしいよ」とライナーを褒めていた。
 シュレリアの表情には疲労の色が濃いけれど、暗鬱さがあまり感じられないし、どうやら最悪の事態は避けられたみたいね。
 だからわたしはもう少し踏み込んでも大丈夫だろうと判断して、質問を続ける。

「だとしてもよ。こっぴどく叩きのめされたからって、それでわかりましたとは行かないでしょ」
「……はい。武力では彼らを納得させられません。力で押さえつけても、憎しみが消えるはずはないでしょう」
「ならどうしたの? とりあえずその場限りの言い訳で誤魔化した?」
「それでは何の解決にもならないことくらい、貴方にも理解できますよね?」
「当たり前じゃない。そんな手で人間の愚かさがどうにかなるのなら、わたしはここにいないわよ」

 視界の端でライナーが顔を顰めたのは無視。

「……先に謝っておきます。ミュール、私は騎士達に、貴方の過去を公表しました」
「………………それはまた、随分な解決手段ね」
「勝手に話したことで、貴方が気分を害したのはわかっています。申し訳ありませんでした」

 そう言うと、わざわざシュレリアは会話しながらも進めていた遅い食事の手を止め、席から立って頭を下げた。
 普段なら絶対わたしに見せないようなその殊勝な態度に、少々面食らう。

「あなたがわたしにこうして謝罪するなんて、珍しいこともあるものね」
「もし貴方の立場に私がいれば、少なからず不快な気分になりますから。もっとも、今回は家にいろと言っておいたのにひょこひょこやって来た貴方にも原因はありますが」
「ライナー、あなたが悪いみたいよ」
「え、そこで俺に振るなよ!?」
「そっちに関しては後ほど追及します。ライナー、覚悟しててくださいね?」

 シュレリアの宣告を受け、途端に情けない表情を浮かべるライナーに、思わずくすりと笑みが漏れる。
 見ればシュレリアも同じで、アヤタネだけが反応せず淡々とフォークを皿に伸ばしていた。
 ……自分で言うのも何だけど、実に優秀な息子だわ。

「それで、どこまで話したの?」
「レーヴァテイル・コントロール計画と、当時の人間がレーヴァテイルに対し行った迫害と差別。二者間に起きた戦争と、シルヴァホルンを掌握した貴方がホルス右翼を落としたこと。そして、私とタスティエーラが貴方を封じるまでの経緯です」
「……ほとんど全部じゃない」
「ここに来て、今更隠し事をするのは得策ではありませんから」
「ってことは、リューンの系譜についても?」
「それについても、です。私は彼らに判断材料を与えたかった。貴方を絶対悪と決めつけることがないように。如何なる理由があって凶行に及び、人間を憎み、世界を滅ぼそうと思ったのか。状況や境遇、度合いの違いこそあれ、同じものを抱える彼らには、それを聞く権利があるはずです。そして、貴方にも」
「わたしにも?」

 つい、鸚鵡返しに訊き返してしまった。

「……貴方に剣を向けた騎士は、以前任務中にチームを組んでいた仲間を亡くしています。いえ、仲間というよりは、家族ですね。彼が失ったのは、弟さんでした。父を早くに亡くし、女手一つで育てられてきた彼は、たった一人の弟さんをとても大事に思っていました。故に、その命を奪ったウイルスが許せなかった」
「だから何? 戦いの場に赴くんだから、いつ死んだっておかしくないことくらい知ってるんでしょ?」
「勿論です。彼らはいつも、自らが死ぬ覚悟を背負っています。……でも、だからといって納得できますか?」
「………………」
「同じように、任務で親を、あるいは子を。不慮の事故として、家族や友人を。貴方が直接手を下さなかったとしても、放った時点で貴方の命令を聞かないのだとしても、ウイルスは確実に遺恨を作り出したんです。人間を滅ぼそうとした、貴方の意思に従って」
「じゃあ……わたしに、どうしろって言うの? シュレリア、あなたは、何を望んでるの?」

 剣を向けた騎士の、あの顔が忘れられない。
 ヒトの、醜さ。それを是とする時が、本当に、来ると信じてるの?

「――数日中に、プラティナ政府は今回の騒動に対する公式の見解を発表します」
「そこで、ゴタゴタは終わらせようってつもりね」
「私としては、貴方に来てほしいと思っています。が……強制する気はありません。おそらく貴方が姿を現わせば、ほぼ間違いなく罵声が飛び交うでしょう。その時、もし眼下の人々を傷つけようとしたならば、私は今度こそ全力で貴方を止めます。次は、アヤタネの制止も期待できませんから」

 相変わらず、我関せずといった顔のアヤタネ。
 この子もいつの間にか、全然わたしの命令を聞かなくなったわよね。
 それがいいことなのかどうか、まだわからないけれど。

「少し、考えておいてください。自分はどうしたいのか、どんな答えを望んでいるのか」

 最後にそう告げて、何事もなかったかのように食事の席へと戻るシュレリア。
 わたしは何となくその場に居続けるのが嫌になって、三人を残し部屋に向かった。
 ……ライナーが助けを求めるような顔をしてたような気がしたけど、まあ、きっと錯覚でしょ。
 後ろ手で扉をばたんと閉め、いい加減鬱陶しい服を隅に放り投げてベッドに飛び込む。
 膝を抱えて瞼を落とし、思考の海に身を委ねる。そうして考えるのは、先ほどシュレリアが言ったことについて。

「……信じられるわけ、ないじゃない」

 だって、人間は簡単に裏切る。
 自らの欲望のため、数多の亡骸を山と積み重ね、それでも飽き足らずにまだ飢えては醜悪さを露呈する。
 シュレリアは彼らを信じ、その答えとしてわたしが作られ、裏切られてもシュレリアは信じ、その答えとしてわたしが世界を壊した。
 違いは絶望的なまでに大きい。人間のどうしようもない面ばかりを見続けて生きてきたわたしには、到底彼らを信じられない。
 研究者の一人に愛され、ただの人間に恋をし、その喜びと希望を知って生きてきたシュレリアとは、根本から別。
 なのにシュレリア、あなたは理解しろっていうの? 憎しみには理由があると、だから全ての人間が醜いだけじゃないと、わたしに納得しろっていうの?

『だって、俺達は解り合えたじゃないか。だからここにいる』

 ふと、ライナーの言葉が脳裏に浮かんだ。
 能天気な顔で、あっけらかんと口にした言葉が。

『俺にはミュールの気持ちを、きっと半分もわかってやれない。どんな思いで生まれて、利用されて、人間を憎んで、封じられてひとりぼっちで生きてきたのか、見てきたわけじゃないから、偉そうにとやかく言う権利はないと思う。だけど、少しでも理解して、辛さとか苦しさとか、そういうのを分かち合いたいって気持ちもあるんだ』

 解り合う。分かち合う。
 だからこそ、わたしはここにいる。

 ――そういう、ことなの?
 わたしは――信じられないものを、それでも信じたいと思っていたの?

「ふ、ふふ」

 だとしたら。
 あまりにも滑稽で、単純で、もう、笑うしかないじゃない。
 答えを出したつもりでいて、けれど自分の気持ちにすら気付いてなかったんだもの。

「あー……馬鹿馬鹿しいにも程があるわ。時間の無駄だったわね」

 ひとしきり爆笑してから嘆息すると、ノックの音が聞こえてきた。
 わたしの名前を呼び掛ける声。それがライナーのものだと知り、少し意地悪がしたくなってこう返す。

「用があるならそこで喋って」
「入れてくれないのかよ……。いや、いいけどさ。どうせ裸なんだろうし、勝手に入るのはいけないよな」
「わかってるじゃない。で、何かしら」
「えっと……その、大丈夫かな、と思って」
「また随分要領を得ない言葉ね。体調は問題ないけど?」
「そういうことじゃなくて……ほら、さっきシュレリア様に色々言われてただろ? それで悩んでないかと」
「わたしがそんなことで悩むとでも思ってるの?」
「まさか、と言いたいところだけど、何かちょっと浮かない顔してたから」

 浮かない顔、ねえ。
 もしかしたら本当に、そうだったのかもしれないわ。
 でも認めるのは癪だから、絶対頷いてはやらない。

「それこそまさかよ。別にあなたの助言も要らない。もう、答えは出てるもの」
「……そっか。なら安心した」
「どうしてライナーがそこで安心するのよ?」
「だって、前に言っただろ。ミュールがああいう顔をするのは、あんまり見たくない」
「……はぁ。お節介者ね、あなた」
「んなことはないって。誰にでもそんなこと言うわけじゃないよ」
「傍目には告白してるみたいに見えるから、今みたいな発言は控えた方がいいと思うけど?」
「え、俺、そんなつもりはないぞ?」

 ……言い直すわ。筋金入りの天然よ。
 シュレリアが苦労してるのもわかるってものね。

「まあいいわ。とにかく余計な心配だから、とっとと自分の部屋に戻りなさい。わたしはもう寝るから」
「わかった。それじゃミュール、おやすみ」

 足音が遠ざかっていくのを聞いてから、わたしは今度こそ寝るために布団を被り、ベッドの上で横になった。
 憂いはもうどこにもない。まるでそういう気持ちの全てを丸めて投げ捨てたかのように、心が軽かった。
 穏やかに眠れそう、と思い、そんな風に考え始めたのはいったいいつからだろうかと苦笑する。
 睡眠という行為に意味を見出したのも、ごくごく最近の話。それ以前は、穏やかも何もなかったんだもの。

(……でも、この無駄は心地良いわ)

 意識を閉じるまでの一瞬。
 わたしは、どうやってシュレリアの度肝を抜いてやろうか、そのことだけを思案した。










 予告通り、数日後に政府は宣言の場を設けました。住民の間では噂として上っている、騎士達の間では事実として認識されている、シャドウの正体についての発表を目的としたものです。騎士の家族の中には既に話を聞いている者も少なくはないでしょうが、プラティナを統べる政府側、そして塔の管理者たる私が公式の見解を示さない限り、彼らが不安を解くことはありません。
 しかし、下手をすればこの騒動はさらに大きくなります。起きた暴動を武力で鎮圧するのは容易でも、その後の政府は信頼を失い、結果、プラティナは内側から瓦解していく……という可能性さえないとは言い切れないのですから、私の取った手段が分の悪い賭けであることも否定できなかったりします。

「ミュールは、来るでしょうか」

 結局、あれから明確な返事は聞けませんでした。
 諸々の対応に追われ、なかなか家にいる時間が取れなかったのもありますが、どうやら部屋からほとんど出ていなかったようで、いったい何をしているのか心配になるのと同時、誰のためにこんな苦労をしているのかと、頭を抱えたくもなります。
 ライナー、アヤタネと大聖堂まで来て今に至るまで、まだ彼女の姿は見ていません。
 もしかしたら本当に来ないつもりじゃ、と先日の自分の言葉に対し後悔を覚え、ふと、小さな影が視界に入りました。
 私は振り向きます。そのシルエット、見間違えるはずはありません。

「あなたの情けない顔を見に来たわよ」
「……随分余裕ですね。そっちこそ、今になって怖気付いたりしていませんか?」
「まさか。誰に向かって言ってるの?」

 この場に立ちながら、少なくとも表面上は平静なまま鼻で笑うミュール。
 人の神経を逆撫でする態度に、もう少し文句をぶつけてやりたくなりましたが……言葉は喉元で留めます。

「貴方が来た以上、逃げることは許されません。私とレアードに続いて、演説広場で住民の前に出てもらいます。そこで、貴方に何か言うべきことがあるのなら――胸の裡を語るのもいいでしょう。虚言を織り交ぜるのが是と思うなら、それも構いません」
「あら、堂々と嘘を吐くことを、あなたが勧めちゃってもいいわけ?」
「それが政治ですから。時には真実をありのままに伝えないことも重要です。今までが、そうであったように」
「気遣いだけは受け取っておくわ。でも勘違いしないで、別にわたしは嘘を言うつもりなんてさらさらないのよ」
「……何故ですか?」
「簡単なこと。だけどここじゃ教えないわ。……ま、見てなさい」

 あくまで気楽に、気軽な口調でミュールは言い放ちました。
 その言葉に私は一抹の不安と、微かな期待を感じ、頷きます。
 どうか、最悪の未来だけは訪れませんように、と祈りながら。










 ――そうしてわたしは、ここに立っている。
 眼下から注ぐ視線は疑惑と嫌悪が入り混じったもの。その違いはおそらく、こっちの正体を知ってるか否か。
 シュレリアとレアードがいるからまだ辛うじて場が静かなんでしょうけど、わたしだけだったら間違いなく罵声が飛んでるわね。

「………………」

 何かを口にする前に、集まった人間へと目を向けた。
 プラティナだけでもこれだけの人数がいて、しかも来なかった分も含めればもっと多く、さらにホルスの翼やシルヴァプレートに住む者も合わせると、眩暈がするほどの数になる。それが、わたしが滅ぼそうとした相手。同じ生命を持つ、人間という存在。
 ……もしここで強大な破壊をもたらす詩魔法を唱えれば、一瞬で大半の命を奪えるわ。いとも呆気なく。
 わざわざウイルスばら撒いて塔とシュレリアをちくちく攻撃するなんて気の遠くなるようなことをしなくても、こうして群れてるところに一発ぼんとぶち込めばそれでおしまい。人間一人の価値は、所詮そんなものよ。
 けれど、わたしにとっては軽い物でも、他の誰かにしてみたら、あるいは自分よりも重い物かもしれない。
 わたしにはわからない感情を、ここにいる人間達は、たくさん知っているのかもしれない。

 知れば理解に繋がり、理解は共感に至る。
 以前のわたしは、人間の醜い面ばかりを見てきた。妬み、恐れ、争う姿ばかりを見て生きてきた。
 でも、全てがそうではないと教えてくれたのはライナー達。呪いを残したのが人ならば、それを祓ったのもまた人なのよ。

 信じてみたい。
 絶望に満ちた世界の中にも、光はあると。

「わたしはミュール。あなた達がシャドウと呼んでいたものの正体よ。……まあ、今更こんなこと言わなくても知ってる人間は知ってるだろうし、知らない人間にとっては些か信じ難いことかもしれないわね。とりあえず証拠でも見せましょうか。おいで、ELMA」

 第一声からざわめき始めた民衆は、わたしが呼んだELMA-DSを見て面白いくらいに顔を歪めた。
 この子もよくシュレリアを困らせてくれたしね。少なくともわたしよりはよっぽど知られてるでしょ。

「命令しない限りは襲ったりしないから、安心しなさい。で、これで私がシャドウだって信じてくれたかしら。正直その辺は納得してなくても全然構わないんだけど、とにかく話はここから。何か言いたいことのある奴は今のうちにでしゃばりなさい」
「……貴方は本当にもう」

 後ろから微かに聞こえてくるシュレリアの呟きは無視。
 意図的に不遜さは崩さず、感情を込めずに集まった人間達を見下ろす。
 彼らの表情から窺えるのは、困惑と憎しみ。……そう、それよ。わかりやすくてとてもいい。

「何様のつもりだ!」
「ふざけんな、お前がいるから俺達は……!」
「息子を返して! 返してよっ!」
「この人殺しがぁ!」
「――黙りなさい」

 徐々に湧き上がってきた激情に任せ、憎悪を剥き出しにする馬鹿が出始める。
 それをまとめて一喝。軽く静寂が場に満ちたところで、誰の耳にも聞こえるよう、わたしは嘆息した。

「この手が、血に塗れていることは事実よ。おそらくわたしは、この世界の誰よりも多くの人間を殺しているわ」
「だったら責任取れよ!」
「何の責任を? あなたの大切な人を殺してごめんなさい、だなんて謝ればいいわけ? はっ、馬鹿馬鹿しいにも程があるわね。謝罪して死んだ人間が還ってくるならいくらでも頭下げてあげるわ。そうやって罪が綺麗さっぱり消えてくれるんなら、千回だって土下座してあげてもいいわよ。でも違うでしょ? どんなに洗い落とそうとしても、もう血の匂いは完全に消え去ってくれない。過去をなかったことにはできないし、永遠に戻っても来ないのよ」

 ……だからシュレリアは、暗に罪を背負えと言った。
 災いの種を蒔いた塔の管理者。世界の悲しさに嘆きながらも、さらなる罪を重ねることで人々の平穏を願った子。
 その彼女の口から出る言葉だからこそ、相応の重みがある。
 嫌いだけど、気に食わないけど、長く生きてきてるだけあって、確かに言うことだけは腹立たしいくらいに正しいわ。

「わたしはかつて、人間に従順で心を持たないレーヴァテイルとして作られた存在よ。もっとも、彼らの思惑とは違って失敗作だったけど、愚かで醜い人間どもが、私達レーヴァテイルを好き勝手に扱おうとしたことは事実だわ」
「そんなのあたし達には関係ないでしょ!?」
「関係あろうがなかろうが、人間はそういうものじゃない。今、わたしの前で喚いてるのが何よりの証拠。自らの業から目を背け、都合の悪いことは棚に上げて当たり散らして……恥ずかしくないの? 別にこっちは不幸自慢するつもりなんて毛頭ないのよ。頭ごなしに意見や感情を押し付けられるのが嫌なだけ」
「ミュール、せめてもう少し言い方を考えてください……」
「媚びへつらうのは苦手なのよ」

 大聖堂で騎士に襲われた時と同じような、聞くに堪えない怒号が耳を打つ。
 けれどわたしの心は不思議なほど凪いでいて、怒りに任せ詩魔法を放つこともなく、理性を保ったままでいられた。

「あなた達は、どうしようもなく醜悪。だからみんな、滅びてしまえばいいと思った。……でも、そんなわたしに心を込めて謝ってくれた人がいたわ。この身が受けた仕打ちを、過去に起きたことを、人間が犯した過ちを全て知った上で、血と罪に塗れたわたしと一緒に幸せになろう、と言ってくれた人がいた」

 善き面と醜き面。
 本質は、どっちなのか。

「何が正しい答えなのか、まだわからないわ。ただ、わたしは――信じたい。全ての人間が醜いばかりではないと、あなた達の胸の中にあるものが憎しみや悲しみだけではないと、信じたい。そして、どうすればあなた達と解り合うことができるのかを知りたい」

 きっとはじめて。
 歩み寄りたいと、思ったのよ。

「だからわたしを理解して。わたしがあなたを理解するように、あなたもわたしと心を分かち合って。いずれ為すことができたなら、贖罪も、感謝も、わたしの全てを示して見せるから。穢れたわたしに一条の光を見つけられるなら、人間が決して醜悪なものではないことを、教えて」



 お願い――もう一度、わたしに人々の幸せを謳わせて。



「………………」

 返答は、そのほとんどが否定的なものだったけど。
 確かに届いた。ほんの僅かな拍手の音と、声。

(……人間も、捨てたものじゃない、か)

 祈りは無駄にならなかった。
 信じることは、そう、無意味じゃない。
 目に見えないほど小さくても、わたしは間違いなく、一歩を踏み出したのね。

「お疲れ様でした」
「どうも労いの言葉をありがとう。……これでいいかしら?」
「ふふ、貴方は本当に素直じゃないですね」
「……余計なお世話よ。それに、ここからはあなたの方が大変なんじゃないの?」
「いつものことですから、もう慣れました」
「ご苦労なことね」
「そう思うなら少しは手伝ってください」
「嫌よ面倒臭い。わたしはさっさと帰るわ」

 そう言い放ってシュレリアの横を通り過ぎると、小さく笑みを漏らしたのがわかった。
 ああもう……だから嫌いなのよ。

「今日も帰りは遅くなりますから、夕食はアヤタネにでも作ってもらうといいですよ」
「ま、ライナーに作らせるよりは全然いいでしょうね」
「気を付けて」
「はいはい。……感謝、してるわ」

 後は早足で逃げた。
 ライナーはどうせこっちが落ち着くまで解放されないだろうし、今日は一人の気楽な帰路。
 どうでもいいことを考えながら行きましょうか。

 さしあたっては、まず、一つの決断について。










「とりあえず呼んでくれたのはいいんだけどさ……何でこないだは入れてもらえなかったんだ?」
「気まぐれよ」

 些細な疑問を一刀両断し、わたしはライナーをベッドの端に座らせる。
 リビングじゃそこまで気にする素振りは見せない癖に、部屋まで来ると途端にちらちらとこっちを窺っては目を逸らすのよね。
 裸も見る場所によって違う風に映ったりするのかしら。どうでもいいけど。

「で、いったい何の用なんだよ」
「あんまり急かすと女性に嫌われるわよ」
「あのなあ……」
「まず質問。あなた、シュレリア以外にダイブしたことある?」
「え、それは、その……うん」
「誰と……って聞くまでもないわね」
「ああ。オリカとミシャだ」
「あなたがダイブした所為で、あの二人の性格が変わったとか、コスモスフィアが大変なことになったとか、そういうのはない?」
「いや、むしろ俺が大変な目に遭って死にかけたぞ」
「ふうん。いい気味ね」
「………………」
「言っておくけど、わたしはまだ根に持ってるわよ。折角仮想世界を楽しくしてあげたのにこっちを追いやって」
「あれはどう考えてもお前が悪いだろ!?」

 ちょっと刺激のある話にしただけじゃないの。
 それなのに人の親切を無碍にするばかりか、散々引っ掻き回してわたしを飛ばして。

「だから、ここで誓ってほしいのよ。もう二度とあんなことはしません、って」
「……話がいまいち読めないんだが」
「鈍い男ね。いい? 一回だけ言うわよ? わたしにダイブしなさい」
「へ?」
「間抜けな顔で間抜けな声を出されても二度は言わないわ」
「聞こえてたって。でも何というか、えっと、どうして?」

 はぁ……。この馬鹿はとことん駄目ね。
 仕方なくライナーにもわかるように説明してやることにする。

「だってあなた、言ったじゃない。わたしのことを、もっとよく知りたいって」
「まあ、確かに言ったな」
「わたし自身を理解するなら、話を聞くよりダイブした方が断然早いと思うわよ。それに、あなたがダイブすればわたしは新しい詩魔法を覚えられるし。シュレリアをさらに実力で突き放してけちょんけちょんにできるなら悪い話じゃないわ」
「本音はそっちか」
「……で、どうするの? する? しない?」

 怖い、という気持ちもある。
 ダイブをさせるというのは、即ち自分の心を開くのと同義。
 コスモスフィアの中に他者を入れれば、状況や理由はどうであれ、わたしの意識も届かない部分が見られることにもなる。
 ……でも、もしかしたら、ライナーになら。
 最早わたしという個を構成する一部分にすらなっている、人間に対する憎悪の念も。
 溶かすことができるんじゃないかと……少しだけ、本当に少しだけ、思えるから。

「……俺で、いいのか?」
「あなた以外の誰に頼むって言うのよ」
「それは……アヤタネとか?」
「忘れてるかもしれないけど、あの子はウイルス生命体よ? ダイブなんてできるわけないじゃない。ハッキングした方が早いわ」
「あ、そっか」
「……話を戻すわ。誓いは守れる?」
「絶対とは言えないけど、守ってみせる」
「なら、契約成立ね」

 何というか……一生ダイブなんてさせないと思ってたんだけど。
 随分呆気ないわね、こういうのって。ライナーだからかしら。求めてないとはいえ、ロマンの欠片もないわ。

「ま、そういうことだからもう用は終わり。さっさと出てって」
「本当にそれだけだったのか……」
「早く退室しないと蹴り飛ばすわよ」
「わかった、わかったから足を向けるな!」

 慌てて飛び出していったライナーの背中が廊下の向こうに消えるまで見送り、扉を閉める。
 全く、ちゃんと閉めていきなさいよね。いちいち立ち上がるのは億劫じゃない。

「……ふぅ。あー、疲れた」

 今日は本当に色々あったわ。
 慣れないことをするとストレス溜まるし、溜め息だって重くなるものよ。
 枕に顔を埋め、程良い柔らかさを堪能してから再び深く息を吐く。

「贖罪、ね」

 自分で言っておいて何だけど、どうすればいいのかさっぱりだわ。
 罪と向き合う覚悟。甘んじて罰を受ける心構え。
 それを持っているとしても、具体的な案までは浮かんでこない。

「わたしの罪は……どこにあるのかしら」

 憎しみの理由を理解するには?
 ライナー達の時のように、解り合うためには?

「――あの時の、ように?」

 ……ああ、答えって、過去にごろごろと転がってるものなのね。
 その笑ってしまいそうになるくらいの単純さに、わたしは口元を小さく緩めた。



 彼らが答えを求めて歩いたのならば。
 わたしも、贖罪の旅を始めよう。





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