大切な人を奪われた。
 大切な人が殺された。
 その時青年は、自らの力の無さを嘆き……そして同時に、憎しみの暗い炎を静かに心の中で燃え上がらせた。

 戦いの場に立った時、人は誰しも己の死を予感する。
 たった一度判断を過てば、それが致命傷になる世界。カードに表裏があるように、生と死が背中合わせで存在する空間。
 彼らがいるのは、そういう場所だ。故にエレミアの騎士には、強さが要求される。
 命が失われないために。護るべきものを正しく護り抜くために。
 プラティナの街と、そこに住む人々を害す敵――ウイルスの脅威を退ける役目を背負って。

 騎士は剣を、謳い手は詩を。
 振りかざすことに迷わず、恐れず、突き進む。
 けれども、人の手に一片の間違いもないということは有り得ず。
 揺れた切っ先が、ほんの僅か逸れただけで、それは取り返しの付かない過失となる。
 伸ばした手は届かないまま、援護の詩も間に合わぬまま、悲鳴すら上がらず、その場にひとつの死体が生まれ。

 ……青年は、喪失の代替を復讐に求めた。

 物言わぬ戦闘機械にはわからない。
 獰猛で凶暴な畜生にもわからない。
 彼らが殺したのは、共に優れた騎士となることを誓い合った、かけがえない青年の弟だった。

 あなたは笑わなくなったと誰かが言った。
 いつも辛気臭い顔をしてるねと誰かが言った。
 家族を失ったのは君だけではないと総帥が言った。
 戦いの場に私情を持ち込むべきではありませんと上司が言った。
 それでも青年は、憎悪の在り処を探し続けた。

 そして、すぐに辿り着く。
 ウイルスの母。塔のどこかに潜み続ける全ての元凶、シャドウ。

『特A級情報ウイルス体、シャドウの正体があなたであることは最大の機密なのだ』

 レアード総帥への報告に向かった際、咄嗟に身を隠して盗み聞きしてしまった青年は、思わぬ真実を知る。
 病的なまでに青白い少女。それが悪魔の中身であることを理解し、彼の表情は凄惨な笑みの形を作った。

 走り出す。
 呪いのように伝播した悪意が齎す、悔恨と贖罪の時が。










 吐き気がするほど醜悪で、眩暈がするほど見苦しい、そんな奴らが幸福を謳歌するのなんて、許せると思う?










「あー……昨日は本当に可笑しかったわ」

 勝負を始めて三日目の朝、起床したわたしはシュレリアの顔を思い出し、込み上げてくる笑みを抑えられずにいた。
 巡回が終わり帰ってからも、グラスメルクの作業をするライナーにべたべた纏わり付いてみたんだけど、想像以上にいい反応してくれたわ。逃げるように部屋出ていっちゃって、何考えてたんだか知らないけどいいザマね。

「と、まああんなに動揺してくれたんだし、作戦は成功ってところかしら」

 この調子でアプローチしていけば、まだまだ楽しいことになりそう。
 二週間という期間のうち、半分どころか四分の一さえ消化していない現状でこれなら、最終的にどれだけシュレリアを困らせてやれることか。昨日のわたしを見て向こうもちょっとは必死になるかもしれないけれど、どうせあの子のことだから変なプライドや自制心が邪魔して大胆にはなりきれないでしょ。
 今日はこっちがフリーになるわけだし、ゆっくり次の手を考えればいいかと思いながらリビングへ。

「お、おはようミュール」
「挨拶しながらどうして目を背けるのかしら?」
「だって、お前なぁ……。わかって言ってるだろ」
「さあ、何のことかしらね」
「……おはようございます。相変わらずの破廉恥さですね貴方は」
「その様子じゃ随分不機嫌そうだけど」
「誰の所為だと……。いえ、そう見えるのなら貴方の目は節穴なのでしょう」
「ちょっと二人とも、いきなりどうしたんですか。何か怖いですよ」
「別に何ともないですよ。ちょっと虫の居所が悪いだけですから、ライナーは気にしないでください」
「そうそう、余計なお節介焼いても無意味よ」
「んなこと言われても……」

 わたしとシュレリアを交互に見ておろおろするライナーは無視。
 放っておいても害はないし、猫を被りきれてないシュレリアが見られただけでもこっちに顔を出した甲斐はあったわ。
 さっさと朝食を済ませて部屋に籠もろうかと椅子に座ると、唐突に玄関の方から扉を叩く音が聞こえる。
 やけに荒い……というか、何だか切羽詰まったような叩き方ね。
 一応は家の主である(最近よく忘れかけるけど)ライナーが応対しに行って、わたしはその間マイペースに食事。

「あのー……シュレリア様」
「ライナー、何かありました?」
「いまいちよくわからないんですけど、どうやらシュレリア様を親父が呼んでるみたいです」
「レアードが……? わかりました、今から行きますので少し待っているように伝えてください」
「あ、はい」

 ……ふうん、いきなりきな臭くなってきたわね。
 情報が断片的過ぎていまいち掴めないけど、シュレリアが呼ばれるなら相当のことじゃない。

「ミュール」
「はいはい、勝負は一時中断、ね」
「それもありますが……どうも嫌な予感がするんです。問題増やされても困りますから、貴方は留守番しているように」
「そう言われると逆らいたくならない?」
「………………」

 途端に睨んでくるシュレリア。どうでもいいけど額に皺寄ってるわよ。

「……わかったわかった。別に外出る必要もないし、たぶん一日部屋にいるわ」
「たぶんという言葉にかなり不安を覚えますが、まあいいです。それではライナー、行ってきますね」

 わたしには釘を刺しておいて挨拶はライナーだけって辺り、意趣返しのつもりなのかしらね。
 まあ、でもこの程度で気分悪くなるはずもなく、朝食の残りをさっさと平らげて席を立つ。

「じゃあわたしは部屋に戻るわね。あなたはどうするの?」
「とりあえず鎧と武器は出しておく。あの感じだと不意に召集入ってもおかしくなさそうだしな」
「……シュレリアが呼ばれた理由、わかる?」
「全然見当も付かないけど……親父一人でどうにかならないから呼んだのかもしれない」

 レアード・バルセルト。プラティナの現総帥についてわたしが知ってることはあまり多くない。
 この能天気男の父親であり、歴代総帥の中でも優秀な部類に入る、ってところかしら。
 息子に後を継がせようとしてるらしいけど、多少なりともライナーを知ってる側から言わせてもらえば、馬鹿じゃないのって感じ。
 人を率いる力はあっても、あの程度の頭じゃまともに仕事がこなせないでしょ。

 ……と、それはともかく。ここで重要なのは、シュレリアの力を借りねばならない何かの出来事。
 ウイルス関連でないことは確か。もしそうなら真っ先にライナーが飛んでいく状況になるはずだもの。
 なら、予想し得るのはどんな事態か……なんて、考えるだけ無駄ね。

「ねえ。ちょっと顔出しに行ってみない?」
「さっき、たぶん一日部屋にいる、って言ってなかったか?」
「覚えがないわね。聞き間違いじゃない?」
「………………」

 呆れたように重い溜め息を吐くライナー。
 玄関に向かうわたしの肩に手を置いて制止し、

「仕方ないな……。まあ、どうせ俺も後で行くつもりだったし、付いてく」
「別に頼んでないけど、道案内くらいはお願いしようかしら」
「昨日一緒に行っただろ……」
「一回往復したくらいで頭に入ると思う?」
「……いや、確かにそうだな。微妙にこの辺入り組んでるところもあるし」
「わたしはもう覚えてるけど」
「――ミュールってホント意地悪いな……」
「褒め言葉として受け取っておくわ。じゃ、出るわよ」
「ちょっと待て。せめて、服だけは着てくれ」

 面倒で窮屈だから嫌だったんだけど、両肩掴まれて懇願されて、仕方なく昨日と同じのを着ることにする。
 ま、ちゃっちゃと確認してきましょうか。少しでもこの息苦しい気分でいる時間を短くするためにも。










 玄関を出てすぐ、私はリンゲージを転送し、レアードの元へと向かいました。
 別にこの頃は着けなくてもいいかと思ってもいるのですが、公私混同をするべきではない、というのは私がよく口にする言葉ですし、リンゲージ未着用だと些か容姿的に威厳が足りないのは、一応自覚しています。

「……レアード」

 出発からさして掛からず辿り着いた大聖堂。
 私を待っていただろうレアードの顔は、普段より苦々しい色を増していました。
 俯き額に手を当てて懊悩の溜め息を吐き出し、そこで私の声を聞きふっと頭を上げ、

「ああ……すみません、シュレリア様。わざわざご足労願って」
「いえ。それより、何があったんですか?」
「……現在、プラティナ内で不穏な噂が飛び交っています。ウイルスの母体、シャドウの正体に関する噂が」

 発せられたその言葉に、私は息を飲みました。
 シャドウの正体、という単語が誰を指しているのかを、私とレアードは当然ながら知っています。
 しかし、世界を救った英雄と呼ばれるライナー達以外に真実を知る者はいません。いない、はずです。
 ……全てが終わった後、私達はひとつの密約を交わしました。世界に、特にプラティナの住人に、シャドウの中身がミュールであることは絶対に公表しないと。そうすればどんな状況になるか、想像するのは容易いことでした。
 ウイルス除去の任務に従事するエレミアの騎士の中には、亡くなった者も数多くいます。騎士の家族、あるいは騎士自身が、ミュールに対して負の感情を抱いていることは間違いありません。
 父や母、息子や娘、兄弟姉妹。大切な誰かを失った人が彼女を憎むのも仕方ないとは思いますが――私は、ミュールだけに責がないことを理解しているから。決して良い結果を生まない、最悪の状況だけは回避したいのです。

「噂は、どこから出てきたのでしょうか」
「現時点では何とも……。ただ、そのことが外部に漏れる機会は限られています。推測でいいのなら、おそらくあの時に」
「昨日……ミュールが巡回に加わった時、ですね。ここでの私達の会話を盗み聞きしていた者がいた、というのが妥当でしょう。貴方への伝言でもあったのか、それとも単に偶然耳にしてしまっただけか……どちらにしろ、危ういです」
「民衆が情報の提示を求めてきています。真実を隠していたことによる不信感を抱く者も少なからず出始めているようで……不満が爆発する前に、何らかの対応をする必要があるでしょうな。ですが、正直どうすれば良いのか……」
「こればかりは、簡単に解決する問題でもありませんからね……。ミュールをライナーに任せておいて正解でした」

 不幸中の幸いと言うべきか、まだ完全に噂が広まり切っているわけではないようです。
 一見すれば少女でしかないミュールとシャドウを結び付けるのは難しいでしょうし、外見部分の特徴がわからない以上、あの子が道行く人に指差されて詰られる、なんてことにはならないはず。
 できれば騒ぎが落ち着くまで外に出てほしくはないのですが……勝負はしばらくお預けですね。
 と、これからについて詳しい話をレアードとしかけたところで、背後から慌ただしい足音が聞こえてきました。

「シュレリア様っ!」
「え……? ライナー、それにミュール!? 貴方達、どうしてここに……っ!」
「ちょっと気になったのよ。街全体に嫌な空気が漂ってたけど、まあどうせ碌なことじゃないわね。何があったの?」
「家にいなさいと言ったでしょう! 貴方という人は……!」
「人じゃないわ」
「わざわざ揚げ足取るような真似をしないでください!」
「あ、あの……シュレリア様、とりあえず落ち着いて。ほらミュールも」
「これが落ち着いていられますか! 今すぐ戻りなさい、貴方がここにいると迷惑です!」
「迷惑呼ばわりとは心外ね。そこまで邪険にされると余計気になるじゃない」

 ああもう、こんな口論をしてる場合じゃありません……!
 手っ取り早く黙らせるため(頭に血が上っていたことも否定できませんが)、私は詩魔法を唱え始めました。

「ちょっ、シュレリア様、それはまずいです!」
「……何、随分な対応じゃないの。そこまでして帰ってほしい理由があるわけ?」
「ミュール……お願いですから、引き際を弁えてください。手遅れになる前に」

 天に掲げた光の球が、徐々に大きくなっていきます。
 脅しとはいえ、いざとなったら本当に撃つつもりです。それを察知したのか、ミュールは表情を僅かに強張らせて、

「ライナー。戻るわよ」
「え、あ、ああ」
「……どうやら本当に必死みたいだし、今回はあなたに従ってあげる。癪だけど」

 踵を返し立ち去ろうと歩き、



「見つけた……」



 ――呪詛のような声に、足を、止めました。










 大聖堂から出ようとしたわたしの目の前に、人間が立っている。
 服装からして騎士の一人みたいだけど、ライナー以外判別できないわたしがそいつの名前なんて知るはずもなく、まあ仮に騎士Aとでもしておきましょうか。騎士Aは道を塞ぐ形で、いきなり訳のわからない台詞を喋ってくれた。
 勿論、わたしが言うべきことはひとつ。

「あなた、誰?」
「………………」

 簡潔な質問には答えず、そいつは近付いてくる。
 感情が欠落したかのような顔の奥に、何か、沸々と煮え滾るものを滲ませて。
 一歩。二歩。三歩。四歩目で、手を伸ばせば届くほどの距離まで迫り、わたしを見下ろしながら、囁く。

「弟を……お前が、殺したんだ。あんな風に死んで、まだこれからだったのに、もっと生きてたかっただろうに、殺されたんだ。誓いは果たせなくなった。家族もみんな辛い思いをした。それも全部、全部全部全部全部お前の所為だ。お前がウイルスなんか生み出すから、お前がシャドウだから、お前が存在してるから……!」

 表情が変わる。ゆっくりと、けれど確実に。暗い、暗い、色が付いていく。
 わたしはそれを、どこかで見たものだと思った。もう遠い昔――不快で苦痛な視線を浴び続けていた頃のこと。
 己が人形であるという自覚すらなかった頃の、あるいは感情と呼ばれるものを獲得した頃の、そう、人間が浮かべていた――



(なんて、醜い)



 恐れと、憎悪。
 他者を踏みにじり、踏みにじったことにさえ気付かず、忘れて、のうのうと生きている、その自分勝手な傲慢さ。
 かつて彼らは、わたしレーヴァテイルを自由に扱おうとし、それが叶わなくなると力で征服しようとした。
 長い間封じられ、けれどライナー達に触れ合って、少しは……本当に少しは、人間も信じられると思ったのに。



(今も、何も、変わらないんじゃない)



 この悪魔が、と眼前の騎士が剣を抜き放つ。
 遅れて雪崩れ込んできた他の人間が、喚き立てるそいつの言葉でわたしの正体を悟り、同じように糾弾する。
 シュレリアの詩が途切れ、後ろでライナーの制止する声とレアードの怒号が響き、それでも振り降ろされる刃を見て、



(おまえたちが滅びればいい)



 元はと言えば。わたしを創って、勝手に憎んで、傷付けたのはどっちだ。
 レーヴァテイルを弾圧して、貶めて、殺戮して凌辱して、絶望させたのはどっちだ。



(ニンゲンなんて、ぜんぶ、消えてしまえばいい――――!)



 激情に身を任せ、破壊の顕現たる詩を謳おうとした瞬間、わたしと騎士の間にひとつの影が滑り込んだ。
 金属を打ち鳴らす音と共に、目の前まで迫っていた凶器が弾かれる。

「……ふぅ。何とか間に合ったね」
「アヤタネ!」
「その様子だとライナーでも届きそうだったみたいだけど……ともかく君達。いきなりこれはないんじゃないかな」

 予想だにしなかった人物の登場に、向こうは一瞬たじろぐ。
 でも下がる気もないらしく、低い声で「どけよ」と言った。他の人間どもがそれに追随する。
 対するアヤタネの返事は否定。まだ事情はよく掴めてないけど、と前置きし、

「悪いけど、この人を傷つけさせるわけにはいかない。それとも君達には、武器を向けていい理由があるのかい?」
「当たり前だ! そいつの所為で、俺達は……!」
「……なるほど。厄介なことになったね。シュレリア様」
「はい」
「ライナーと一緒に、とりあえずはここを抜けます。援護と後のフォローは、総帥とシュレリア様の二人にお任せします」
「わかりました。現状はこの騒ぎを収めることが最優先事項ですから」
「それじゃライナー、行くよ」
「お、おう!」
「母さん。……今は、耐えて」

 わたしにだけ聞こえる声で呟き、駆け出した。
 全てを置き去りにするような速度で、アヤタネは障害物きしたちを無力化していく。
 立ち止まることなく、僅かな間姿を現した時には、閃く両手の刀がそれぞれの武器を弾き落とす。
 その上で首筋や脳天に一撃を加え、確実に一人一人を昏倒させるアヤタネの手腕は大した物だった。
 ……それに、あなたのひとことのおかげで頭が冷えたわ。

「全く、いつの間にあんな成長したのかしら……ってちょっと、ライナー!」
「わ、暴れるなって、痛い、蹴るな! 手が滑るから!」
「暴れるに決まってるでしょ!? 何でいきなりわたしを脇に抱えるのよ!」

 まるで幼い子供を運ぶみたいに、ひょいとわたしの身体を持ち上げたライナーに蹴りで抗議する。
 けれどこちらの反抗を意に介さず、アヤタネが切り拓いた道を走り抜ける。
 幾人かの人間がわたしを抱えていくライナーを止めようとするも、それすらアヤタネは許さない。
 さらに、人目が逸れていたのをいいことにシュレリアが詠唱していた詩魔法が、大聖堂に集っていた騎士を残らず叩き伏せた。
 ギリギリ非殺傷レベルだけど、何気に容赦ないわね……。日頃の鬱憤でもぶつけたんじゃないの?

「もういいから離しなさいよ」
「いや、このまま家まで戻る。だいたいミュール、走って帰れるような体力ないだろ」
「そんなもの詩魔法で強化すれば……ってそういうことじゃないわよ! 何度言ったら……!」
「舌噛むから喋らない方がいいぞ」

 要求はあっさり却下され、わたしは無様な恰好のまま運ばれて路地を過ぎる。
 ああもう、最悪。こんな風に抱えられるなんて、屈辱的にも程があるわ。

「しかし、アヤタネが来てくれて助かったな。本当、間一髪だった」
「あなたも止めようとしてたみたいだけど?」
「……正直、ちょっと驚いちゃってさ。驚いたっていうか、ショックを受けたっていうか」
「何に?」
「俺さ……前にミュールと戦って、それから色々あって……全部、解決したと思ってたんだ。みんなで詩を紡ぐために想いを集めに回って、誰もが解り合えたんだとばかり思ってた」
「……現実は違うわ。そんな簡単に行くはずがない」

 ライナーの足が止まる。
 気付けば見慣れた家の前で、腰に回された手は解かれ、わたしはそっと地面に降りた。
 そのまま玄関先から動かず、ライナーと向かい合う。

「今も昔も、人間の愚かさは変わらないわ。都合良く私達を利用して、自分勝手な欲求と優越感を満たすためにレーヴァテイル・コントロール計画なんてものを始めた。挙句こっちが何するかわからないからって戦争よ」
「………………」
「過去に犯した罪も忘れて、都合の悪い現実からは目を逸らして、その癖わたしのことは責め立てる。期待は裏切り、希望は潰し、ささやかな幸せさえ奪っていく。だからわたしは、人間を滅ぼそうと思ったの。愚かで醜い、人間を」

 世界は悪意で満ちているわ。
 幻想という名の薄皮を一枚めくれば、そこは現在する地獄。
 犠牲の上に成り立つ快適な暮らし、知的好奇心を埋めるための研究、大義名分を騙った差別と迫害。
 そこにいったい何の幸福があるの? 他者を踏みにじって得た平穏に浸り切って、どうして何も感じずにいられるの?

「ミュール……」
「所詮、人間は人間よ。愚昧で醜悪で、救いようのない存在だわ。……あなたはそれを、否定できる?」
「……確かにさ、お前に酷いことした奴もいっぱいいただろうし……さっきのも、正直俺は許せない。どんなに自分が傷付いてたとしても、辛い思いをしてたとしても、あれは言っちゃいけないことだと思う」
「じゃあ、あなたも認めるのね」
「いや。それでも俺は認めない。だって、俺達は解り合えたじゃないか。だからここにいる。そうだろ?」
「………………」
「初めは俺も、お前のことをただ倒すべき存在としか見てなかった。だけど、旅をして、世界の真実を知っていって、そうじゃないってわかったんだ。俺はミュールのことを知ってる。でも、他の奴らはミュールのことを知らない。たぶん、その違いなんだよ」
「わたしを、知らないから……それだけだって言うの?」
「それだけとは言わない。理解したって相手を認められるとは限らないと思う。ただ、誤解やすれ違いがあったら、上手く行くものも行かないだろ。お互いをよく知れば、ここを直そうとか、もっと良くなっていこうとか、そういう風に考えられるはずだ」

 言葉に嘘がないかと、わたしはライナーの目を睨み射抜こうとする。
 けれど、馬鹿正直に真っ直ぐな、曇りも迷いもない、強い意志を秘めた瞳に自分の姿が映っているのを見て、気付いた。
 ……自分も偽れないような、愚直で能天気な楽観的思考の持ち主が、高度な嘘なんて吐けるはずもないわよね。

「はぁ。あなた、本っ当にどうしようもなくお気楽な頭してるわ」
「お気楽で悪かったな」
「褒めてるつもりはないもの。――そんなお馬鹿さんに、ひとつ質問」
「何だ?」
「どうしてわたしを、庇おうとしたの? あそこにいたのはあなたの同僚でしょ? 元凶であるわたしを抱えて逃げ去ったりなんかしたら、後で色々と困ったことになるんじゃない?」

 エレミアの騎士が倒すべきウイルスを生み出したわたしを庇うなんて、正気の沙汰とは思えない。
 立場も危うくなるだろうし、最悪、ライナーも排斥の対象になるわ。悪魔に与した穢れた騎士、とか何とか言われて。
 だから……わざわざ自分から虎穴に飛び込む必要はないじゃない。不幸になりに来てるようなものよ。

「どうして、って言われてもな……。勝手に身体動いてたし、第一見捨てられるわけないだろ」
「そんなの鬱陶しいだけ。もっとはっきり言ってほしい? 要らないのよ」
「あのな、」
「同情も憐憫も求めてない。いつか裏切られるなら初めから他人なんて必要ない。わたしに構わないで。干渉しないで。どうせ最終的には傷付くんだから、わたしは、ひとりでいいのよ。ひとりぼっちの方が、いいわ」
「……頼む。最後まで言わせてくれ」

 固く、芯の通った声にわたしは口を噤む。

「俺にはミュールの気持ちを、きっと半分もわかってやれない。どんな思いで生まれて、利用されて、人間を憎んで、封じられてひとりぼっちで生きてきたのか、見てきたわけじゃないから、偉そうにとやかく言う権利はないと思う。だけど、少しでも理解して、辛さとか苦しさとか、そういうのを分かち合いたいって気持ちもあるんだ。俺、今みたいなことを言うミュールは、見たくない。……何かさ、放っておけないんだよ。泣いてるような、気がするから」
「はっ、馬鹿じゃない? わたしのどこが泣いてるように見えるのよ」
「そりゃあ涙は流してないけど……でも、俺にはそう感じる。だから、俺はその理由を知りたい。ミュールのことを、もっと深く。もっと強く」

 ――この、男は。
 どうしてこうも、わたしの想像を毎回のように越えてくれるのかしら。

「なら問うわ。あなたには覚悟がある? どれほど醜い現実に直面しても、それを受け入れる覚悟が」
「ああ」
「あなたには信じられる? どんなに酷い過去を知っても、わたしの全てを」
「信じるよ」
「……あなたには、できる? わたしの心の何もかもを変えることが」
「やってみせるさ」

 そこまで言えるのなら――賭けてみようじゃない。
 人間はやっぱり滅ぼすべき存在か否か。信頼に足る存在か、否かを。

「……じゃあ、そろそろ入りましょ。いい加減玄関前で馬鹿みたいに突っ立ってるのも疲れたわ」
「そういや俺達、どれだけここで問答してたんだろう……」
「さあ。シュレリアが戻ってくるほど長い時間じゃなかったみたいね」
「大丈夫かな、みんな」
「とりあえずシュレリアとアヤタネがボコボコにしてたし、色々な意味で心配要らないんじゃない? むしろ大変なのはこれからよ」
「……だよなあ。どうしよう」
「考えるだけ無駄。それよりわたしはお腹が空いたわ。さっさと夕飯作りなさい」
「人遣いが荒いな……。っていうか俺、料理するの久しぶりだぞ?」
「今まで一人暮らししてきてたんでしょ。なら何とかなるんじゃないの」
「ああもう、わかった。大したもんは作れないけど、我慢してくれ」
「贅沢は言わないわ。今日のところはね」

 そう。今日のところは、これで充分。
 あとは、あなた次第。





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