破壊は一瞬。プラズマベルという支柱を失ったホルス右翼が、自重に耐え切れず崩れ落ちていく。
 その規模があまりに大き過ぎて、残された人々は誰もが実感を持てなかった。理解できなかった。
 いったい、そこにどれほどの生物がいたのか。自分達と同じ人間が、いとも容易く犠牲となったのか。

 怒号は崩壊の音に掻き消された。
 悲鳴も崩壊の音に掻き消された。
 全てが、圧倒的な崩落の前には無力だった。
 グラスノインフェリアを経て、ホルスの翼の下、地上に続く大気には死の雲海が広がっている。
 そうでなくとも超高度から落下して助かる人間は存在するはずもない。
 即ち、ホルス右翼に住まっていた人の数が、犠牲者の人数とイコールである。
 それが、たった一人の手によって行われたとは、シュレリアと彼女に関わる僅かな者達以外知り得なかった。

 人はレーヴァテイルを憎み、レーヴァテイルも人を憎んだ。
 互いに歩み寄る道を失い、喰い合うように戦った。銃弾が少女に風穴を開けて殺し、詩魔法による一撃が兵を焼き払った。
 数多の死体を山と積んでもなお、戦争は終わる気配を見せなかった。
 だからこそ、ミュールの起こした大災害は、世界に知らしめたのだ。
 過ぎた力が生み出す悲劇を。傲慢と不理解が招いた、取り返しのつかない罪の在り処を。

 シュレリアとタスティエーラの尽力により、ミュールは人知れず封じられる。
 しかし、失われたものは決して戻らない。戻りはしない。
 いつしか大地に生きる人々が罪を忘れても、エレミアの使徒とテル族は過去の重みを背負い続けた。
 罪を償うためには、必ず誰かが罰を受けねばならない。欠落は、何らかの手段で埋めなければならない。
 こうして、罪の所在は隠された。これまでは。ほんの僅か、前までは。

 ――エレミアの騎士は、ウイルスとそれを作り出す母体、シャドウのことを教わる。
 彼らの使命は過酷故、命を失う場合も珍しくはない。訓練のように相手は容赦しないのだ。
 それを知っているからこそ、彼らは自らの生命を賭して、家族を、プラティナの街を守ろうとする。
 躊躇なく人の命を奪うウイルスに、多くの感情を抱きながら。

 家族を亡くした者がいた。
 行き場のない憎しみを、持て余していた者がいた。

 ……そして、神の悪意が、運命を捻じ曲げる。










 この衝動はきっと、そう、わたしの力が振るわれる先を求めているから、かもしれないわね。










「それで、何をすればいいの?」
「塔内にいるウイルスを倒してく。俺が前衛で盾になるから、ミュールは詩魔法で一気に殲滅してくれ」
「わかったわ。消し飛ばせばいいのね」
「その言い方にちょっと不安を覚えるけど、だいたいそんな感じだ。それじゃ行くぞ」

 巡回は通常、四人一組でするものみたい。
 後衛のレーヴァテイルが二人と、そのパートナー、護り手が同じく二人。
 男が壁になって敵の攻撃を抑えているうちに、後ろから高威力が期待できる詩魔法を一撃、というのがセオリーらしいわ。
 だから、普通前衛の人間は相手を倒せない。後衛の準備が終わるまで耐え切るのが仕事。

 でも、ライナーにそれは当て嵌まらない。
 だって敵と遭遇するや否や、あっという間に飛び出していって蹴散らすんだもの。
 最初は詠唱する暇もなかったわ。数が少なかったのもあるけど、二十秒くらいで終わったんじゃないかしら。

「……わたしの出番はなさそうね」
「いや、いっぱい出てこられると俺一人じゃ対処できないし、回復や補助の魔法は凄く助かるよ」

 よくシュレリアが、ライナーはエレミアの騎士の中では一番強いんですと我が事のように自慢してて、わたしはそれを右から左に聞き流してたんだけど、確かに納得できる。仮にもわたしを倒したんだもの、それくらいの強さはあって当然ね。
 ウイルスに浸食されたガーディアンを一刀両断する姿を見て、わたしも敵陣に詩魔法を放り込んだ。
 白色の爆発が、獣の群れを残さず葬っていく。まあ、あれくらいの詠唱時間で充分でしょ。

「へえ……。ミュールがまともに謳ってるところは初めて見たけど、シュレリア様並みの威力だなあ」
「あんな何もないような場所で転ぶのよりよっぽど戦力にはなるわよ」
「そんなことはないけど、確かにシュレリア様、たまに詩魔法唱え終わった時転んだりするんだよな……」

 実際、スペックはわたしの方が優れてるんだし。本人は認めたくないみたいだけど。

「で、ライナー。この辺は終わりかしら?」
「そうだな、もう出てこないみたいだ。次に行こう」
「……何、まだあるの?」
「グループ毎に巡回先は決まってるんだよ。今回は……だいたいこういうルート」
「ふうん。あなた達、毎日面倒なことをやってるのね」
「それで襲われる人が減れば文句はないさ」

 騎士達に配られるらしい簡易マップを広げ、ライナーは指で通り道を辿る。
 途中導力プラグを通過しながら、ぐるりと周辺を歩き回る形。
 なるほど、他のグループが別の場所を同時に巡回して、人海戦術で隙間を無くすようにしてるわけね。
 特に性質上ウイルスが出現しやすい導力プラグに人数を割き、はぐれ者や抜けていったのをこっちが迎撃する。
 非力な人間にはお似合いの戦い方。効率面で見れば、かなり確実なものだけど……考えたのはシュレリアかしら。

「……まあいいわ。久しぶりに、ちょっと本気を出してあげる」
「頼むから俺を巻き込んだりしないでくれよ」
「それは気分次第ね」
「せめて嘘でもいいから頷いてほしかった……」

 少し、心躍る。
 折角プログラムを組んだウイルスを、自分の手で叩き潰すことに対する不快さは感じない。
 可哀想ではあるけれど、アヤタネほど緻密に創ったわけじゃないから、あの子達は感情を持ち合わせてないもの。
 痛みさえ知らなければ――なけなしの良心の呵責も、抱かないでしょ。

「っと、落ち込んでる余裕はないな。いつの間にか囲まれてるみたいだ」
「十秒保たせなさい。そうしたら、すぐに終わらせてあげるから」
「了解。その間、ミュールは俺がしっかり護る」
「御託はいいわ。さっさと突っ込んで」
「人使いが本当に荒いなお前……。ふっ、せいっ!」

 襲いかかる獣の爪を受け、圧倒的な膂力で斬り返すライナーの姿を一瞥し、わたしは詠唱に入った。
 第二世代、最強と謳われたその実力の片鱗……とくと見てなさい。










「まさか本当に一撃で終わるとは思わなかった……」
「これでわたしの優秀さが少しは理解できたかしら?」
「しっかり俺も吹っ飛ばさなきゃあともうちょっとは……」
「贅沢ね。助けてあげたのに」
「……あのままでもたぶん何とかなったと思うんだけどな」
「何か言った?」

 ぶんぶんと勢い良く否定するライナー。何か腹が立つ。
 おもむろに爪先を踏みつけ、痛がる馬鹿を尻目にわたしは先を行った。
 今は帰路の最中。帰ってこの鬱陶しい衣服を脱ぎたいと思うと、足取りは自然と速まる。

「あ、ちょい待っててくれ。グラスメルク用の買い物があるんだ」
「さっさと済ませなきゃ置いてくわよ」
「わかってる」

 そう言うと、デパートの中に走っていった。
 五分待って戻ってこなかったら置いていく、と決め、立ち止まって辺りを見回す。
 街を歩く人間は、わたしのことなんて見向きもしない。背景の一部であるかのように、通り過ぎる。
 時折妙な視線を感じたけれど、睨み返してやるとすぐに逃げた。男ばかりだったのはどうしてかしら。

「よし、何とか間に合ったぞ」
「二百八十一秒。ギリギリセーフ、ね」

 袋を抱えたライナーと再び歩き出す。
 残りの距離はもうさほどない。若干傾いた陽が、わたしの肌をじりじりと焼く。
 光のない場所に居続けていたわたしには、まだ少し慣れない感覚。
 けれど、何もかもが人工のこの世界に於いて、空から降り注ぐ光は数少ない自然のもの。
 地上に生きる彼らは、それが如何に貴重であるかを、知っているのか。……わたしは知らないんじゃないかと思うわ。
 誰もが与えられたものをただ当たり前のように受け入れて生きている。
 あるいは、自分達が生かされていることすらわからないのかもしれないわね。

「……ミュール、何を見てるんだ?」
「塔よ」
「アルトネリコ、か……。改めて見ると、凄いよなぁ」
「ねえ、こんな風に考えたことはない? ある日、わたしやあなたの立っているこの街が、崩れて落下していくの」
「んー……規模が大き過ぎて、想像できないな、そんなこと」

 プラティナは、塔に絡み巻きつくようにして形を保っている。
 わたしはその姿を、とても不安定に感じるのだけど。
 世界がどれほど危なっかしいバランスの上に存在しているかだなんて、それこそライナーの言う通り想像もできないのかしらね。

「でもさ、ミュール。そういうのって、考えたらキリがないだろ」
「自覚がないのはそれだけで危険じゃない」
「そりゃあそうかもしれないけど、俺は世界が続いていくことを信じてるし、みんな同じなんだと思う」
「盲目的であることとどこが違うの?」
「だって、俺は知ってる。シュレリア様が頑張ってて、世界中の人々も、この世界をより良くしていこうとしてることを」
「………………」
「だから、なんていうか……希望は、あるんだ」

 ――希望、ね。

「……なら、あなたがわたしの希望だったのかしら」
「ん? 何か言ったか?」
「いえ。それより、あとでグラスメルクをするんでしょ? わたしも邪魔していい?」
「まあ、本当に作業を邪魔しなければ」
「酷い言い草ね。いくらわたしでもそこまではしないわよ」
「ある程度は自覚はあるのか……」
「ライナーが自発的に失敗すればそれは邪魔にならないわよね」
「うわ、今すっごい不安になる発言を聞いた気がする」
「さ、そうと決まったら早く行きましょ。シュレリアの反応が楽しみだわ」
「……本音はそっちか」

 もしかしたら。
 能天気なライナーみたいに、世界はもっと単純にできてるのかもしれない。
 だとすれば、こんなくだらない日々にも、くだらないなりの価値があるんでしょ。
 実際、わたしは心のどこかで、今が楽しいと思ってるみたいだから。

 だから……似合わないことも、考えたのよ。
 ずっと続いていくのなら、それはそれで、いいんじゃない、と。





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