レーヴァテイル・コントロール。
 それは、彼女達が人造の存在であることを利用した、神に反逆するかのような所業だった。

 かつての教えにこんなものがある。今は廃れ、誰も覚えていない尊き言葉。
 神は天地を創り、そこに生きとし生けるものを創造した。
 生物を生み出すことは、人の領域ではない、神の御業だ。
 ましてや、己にとって都合の良い存在を創るというのは、奇跡に泥を塗る行為。

 しかしいつしか、神と呼ばれるものの多くは忘れられてしまった。
 彼らは人々の信仰の中でしか生きられない。新たに取って代わったのが、レーヴァテイルだった。
 人でなきもの。超常のもの。塔の庇護なくして生存できなくなった人間は、初め始祖たるオリジンを畏敬した。
 敬うというには程遠い、信仰というにも程遠い、不安の念ではあったが、管理者シュレリアはそれでもいいと思った。

 一度目の災いは、回避できなかったけれど。
 もう過ちを繰り返さぬように、力を正しき方向へ振るうのだと、彼女は人間と約束したのだから。

 だが、人は無力だ。そして、レーヴァテイルは人間が扱えない力を持っていた。
 グラスノインフェリア以降、狭きホルスの翼に押し込められた人類は、過去の遺物に脅かされていた。
 異形の者と呼ばれるその存在、進化生命の研究によって生み出された副産物は、人間にとって脅威でしかなかったのだ。

 力に対抗できるのは力のみ。
 ベータ純血種が次々と創られた。それは即ち、人よりも長い生を、優れた力を持つ彼女達が増えることに他ならない。
 故に、人間がその結論に辿り着くのも、今となれば自明の理だったのだと思う。

 シュレリアは言える。人とレーヴァテイルは、本質的には何も変わらないのだと。
 しかしそんな言葉に、どれだけの人間が頷けるだろうか。納得できるというのか。

 ……最初に裏切ったのは人間の方だった。
 彼らが求めたのは力だ。敵対する者を叩き潰し、逆らわず、従順に扱える力。
 禁断の領域に、人の魔手は及んだ。そうして、幾多の失敗を経て彼女は世に生まれ落ちる。
 後に最強のレーヴァテイルと謳われる、レーヴァテイル・コントロール計画の完成体、ミュール。
 ミュールはシステムとして、使われる道具として、命令の通り、人々に最高の生活環境を提供した。
 彼女の存在は、人間に知れ渡るようになる。意思を持たぬ、感情を知らぬ、人形のようなレーヴァテイル。

 他の奴らもかくあるべきだ、と誰かが言った。
 人にも矜持があった。己を最高の種族だと信じる彼らに、他を見下す思想が広まったのも、当然なのかもしれなかった。

 私達は道具じゃない、と誰かが叫んだ。
 レーヴァテイルにも権利があった。都合良く創られても、少女達には意思があり、何より振るえる力を所持していた。


 ――争いが始まった。ミュールを発端とし、ミュール自身の手で終わる、愚かで醜い争いが。










 人形は喋らない。動かない。考えない。操られるままに誰かの意思の上で生きるのが人形だもの。ただ、人の形をしてるだけよ。










 予想通り、シュレリアのアプローチは普段の生活に毛が生えたようなものだったわ。
 少し豪華な朝食を振る舞って、一緒に巡回へ出て、昼食を摂りに戻って、何か部屋に篭もって夕食の後は普通に別れてお終い。
 わたしは早々に下がったからあまり見てないけど、いつもより心なし密着したりする程度。
 シュレリアとしてはまあ、張り切ったつもりなんでしょうね。色々と甘いあいつらしいわ。

「ふふ、シュレリア、勝負は既に始まってるのよ」

 ……ままごと遊びで済ませる気はない。
 足音を殺しながらライナーの部屋に侵入し、わたしはそろりそろりと掛け布団をめくる。
 薄着で呑気に眠る、馬鹿っぽい顔のライナーは、こっちが近づいても全く起きる気配なし。
 優秀な騎士なんだし、もうちょっと危機管理能力が働いてもいいんじゃないかと思うけど、この場合は好都合ね。
 ベッドに踏み入り、追いやられたとしても落ちることのない壁側まで移動して横になる。
 掛け布団を戻せば添い寝状態の完成。いえ、これは夜這いって言うんだったかしら。

「……ふうん、意外とあったかいのね」

 そっと触れたライナーの背中は、仄かに熱を持っていた。
 指を這わせると、布の滑らかな手触りが伝わってくる。腰まで行けば上の服が途切れ、僅かに露出した肌があった。
 ……こう、ちらっと見せられると触りたくならない?

「……ぷにぷに」

 つついてみた。
 筋肉質な身体付きのライナーだけど、結構腰周りは柔らかいみたい。
 でも、引き締まってないわけじゃなくて、そうね、程良く張りがある、って言えばいいかもしれないわね。
 しばらくその感触を堪能する。小さく呻き声が聞こえた気もするけど、これくらいじゃ起きないでしょ。

「しかし、人間って無駄の多い生き物よね」

 特に、眠らなきゃならないのは不便だと思うわ。それだけで実質活動時間がどれだけ削られることか。
 効率を求めるなら、睡眠時間は必要ないもの。わたしのように、あるいはシュレリアのように。

「でもまあ……案外、そんな無駄も楽しいものだけど」

 例えば食事。
 腹立たしいことにシュレリアの作る料理はおいしくて、ついわたしも手を付けてしまう。
 それにライナーのお世辞にも上品とは言えない食べっぷりが豪快なこともあって、一日一日の食事を期待してる自分がいる。
 生命維持管理をされている身なんだから、栄養摂取も余計な行動の内に入るのに。
 いつの間にかどこかで、そういう風に過ごすのも悪くないと思ってるのよね。

 ――そう、こんなことも、言ってしまえば無駄な時間。

 変わってしまったわたし。
 それを見せつけるようにするのは、何となく、清々しい。
 どうしてかしらね。未だによくわからないんだけど……。

「んー……」
「あら」

 寝返りを打ったライナーが、わたしの腰に手を回してきた。
 改めて凝視すると、実に間抜けな顔。ちょっと笑っちゃいそうになるわ。

「……本当に、変な人間」

 昔なら汚らわしいとしか感じなかっただろう今の状況も。
 悪くないと思えるわたしは極めつけの失敗作だと考えついて、その可笑しさに噴き出しかけた。










「ぷっ、くく、あの時のシュレリアの顔といったら……ぷふっ」
「ちょっとミュール、いくら何でも笑い過ぎだろ」
「だって可笑しいんだもの。ライナーもあんなに取り乱して、実に無様だったわよ」
「朝起きたらいきなりミュールが横で寝てるんだもんなぁ……。驚くに決まってる」

 さすがに何も着てないと色々言われそうだったから、ネグリジェとかそんな名前の、薄っぺらい服を一枚身に着けてわたしは夜這いを掛けた。
 目が覚めるその瞬間までライナーはわたしの侵入にまるで気づかず、しかもわたしを見てからの第一声が「ぎゃーっ!」よ。
 まあ、耳元で「おはよう」なんて囁かなければもっとまともな反応が拝めたかもしれないけど。
 状況が把握しきれず硬直したライナーの胸に指を這わせ、焦らすようにひとつひとつボタンを外していたところでようやくシュレリアが登場。
 予想通り、物凄い動揺してくれたわ。本当、ライナーの寝床にいるわたしを認めた時のシュレリアは、実にいい顔をしてくれた。
 その後も目を光らせてたみたいだけど、今日はわたしの番だもの。シュレリアに束縛する権利はない。
 だからこうして、わたしはライナーと並んでプラティナの大聖堂に向かってるっていうわけ。

「で、今更かもしれないけど……本気なのか?」
「あら、わたしの言葉を疑うつもり?」
「そういうわけじゃないけどさ」

 わたしという最大の脅威が無くなっても、エレミアの騎士は必要とされてるみたいね。
 結構ウイルスはばら撒いたし、そのほとんどが自立型でもうわたしとは関係なく動いてる。
 簡単なプログラムで構成したのが大半だから、指示も聞かないでしょ。駆除する以外の方法はないわ。

「ミュールからすれば、何か、色々やりづらいんじゃないかと思って」
「作成したウイルスに特別感慨もないし、協力してほしいって言うのなら多少は手伝ってあげるわよ。気が向いた時だけだけど」
「じゃあ今日は手伝ってもいい気分なんだ」
「あなたと一緒にいたい気分なのよ」

 そう切り返すと、途端しどろもどろになって舌が回らなくなるライナー。
 全く、この程度の冗談にも上手く答えられないようじゃ駄目ね。わたしは楽しいからいいけど。

「ほら、さっさと行くわよ。わたしは別にシュレリアを待たせても全然構わないんだけど」
「あ、いや、それはまずい。急ごう」

 何だかんだと言い訳をつけて、シュレリアは先に行った。
 相変わらず管理者らしく無駄に頑張ってるみたいだし、今回のわたしはイレギュラーだから兼ね合いとかもあるんでしょうけど、人事ながら大変ね。
 しかもちゃんと勝負の方にもこだわって、わたしとライナーを二人にしてくれてるし。本当、馬鹿正直ね、あいつも。

「ところで、ライナー」
「何だ?」
「服、脱いでもいいかしら。窮屈で仕方ないわ」
「絶対駄目」
「どうして? 隠す方が疾しいことがあるみたいで変じゃない」
「再三言ってるけど、裸で街中歩いてたらすぐ捕まるからな……」
「面倒な世界になったわね」
「昔からそこは変わらないと思うぞ……」

 実際、特に襟や袖、腰回りとかがきつくて嫌になる。
 だいたい下着なんて何のために存在するのよ。百歩譲って衣服は良くても、既に隠してる場所をさらに覆ってどうするの。
 ああもう、息が詰まる……。早く脱げるようにならないかしら。
 そう思ってもライナーは先を行くばかりで、外出三十分もしないうちに帰りたくなってきたわたしは自分の服の端をつまむ。
 シュレリアとお揃い(ってところですごい癪なんだけど)のワンピース。ただ、色は違うわ。
 あいつはいつも白を着てて、わたしはそんなの絶対着たくなかったから、新しく黒のを買ってくることで妥協した。
 服は着ないと外出禁止って言うし、心の底から嫌だったけど、これも勝負のためよ。多少の我慢は必要だもの。

 プラティナの中心に聳え立つ大聖堂。そこに躊躇なく踏み入ったライナーは、真っ直ぐ一点を目指す。
 付いていく途中、ところどころで騎士とそのパートナーらしき人間、レーヴァテイルを見かけた。
 誰もがわたしを一瞥し、おそらくは知らない顔だと首を傾げる。無関心に近いけれど、わたしとしてはその方が望ましい。
 やがて、一番拓けた場所に出た。仰々しい造りの空間にいるのは二人の人物。甲冑装備のシュレリアと、現プラティナ総帥、レアード・バルセルト。
 話を聞いて初めて知ったけど、あの厳つい親父がライナーの父親なのよね。厳格を絵に描いたような人間から、どうしてこんな馬鹿が生まれたのかは謎だわ。

「シュレリア様」
「ライナー、ご苦労様。そしてミュール、よく来ましたね」
「わたしはあんまり来たくなかったけど。で、何をすればいいのかしら?」
「……個人的には却下したい案ですが、あなたはライナー以外と一緒には行かせられません。二人一組で導力プラグ周辺のウイルスを駆除してください」
「倒すのはウイルスだけでいいの?」
「人に危害を加えるものは全て、です。それが騎士達の役目ですから」
「ふうん。ま、今日のところは従ってあげるわ」
「その前に、ひとついいだろうか」

 わたしが形ばかりの納得を示したところで、低く重い声が横から入ってきた。
 確認するまでもなく、そんな声を出せるのはレアードしかいない。

「何?」
「ミュール君……でいいかな。これは頼み事なのだが、君の正体が露見しないよう気をつけてほしい」
「わたしもあなたより遙かに長く生きてるんだけど。シュレリアが様付けでわたしはそうじゃないっていうのは腹が立つわ。わたしにも様を付けなさい」
「なんて子供っぽい理由ですか……。別に貴方はレアードの上司ではないでしょう。敬称で呼ぶ必要はありません」
「優れた相手に敬意を払うのは当然じゃないかしら」
「誰のことですか、誰の」
「それがわからないならあなたもだいぶボケたんじゃない? 長いひきこもり生活で思考能力が低下してるわよ」
「ちょっと、二人ともこんなところで争わない!」

 ライナーの仲裁に、不満ながらもシュレリアが先に折れる。
 ここで我を通しても無駄な労力が掛かるだけなのはわかっているから、わたしも矛を収めた。

「親父、話の続きを頼む」
「あ、ああ……。とにかく、ミュール……様の素性が広まると、市民のみならず騎士達の混乱にも繋がってしまう。特A級情報ウイルス体、シャドウの正体があなたであることは最大の機密なのだ」
「だから、人前では身の上話をするな、ってことね」
「プラティナの最高責任者として、私には平穏を保つ義務がある。どうか、心がけてはいただけないだろうか」
「別に、従わないとは言ってないわよ。今日は気分がいいから、受け入れてあげるわ。ウイルスの殲滅も任せなさい」
「そこはかとなく不安な気がするのは俺だけかな……」
「まあ、よほどのことでないと噂は広まらんだろうし、あまり心配はしていないのだがな」
「私は皆さんに指示を出してきますので、ライナー、頼みましたよ」
「はい」
「頼まれたわ」
「あなたには言ってません」

 また君と言いかけたレアードを一睨みし、訂正させてからわたしは頷いてやった。
 いちいち突っかかってくるシュレリアは鬱陶しいけど、ここからはライナーと二人きりの状況が作れるわ。
 アプローチをするには他にないチャンス。それに、わたしの力を見せつけるのもいいかもしれない。
 シュレリアより優れてるってこと、ライナーにはその身でわからせるべきね。

「……じゃあ、行くか」
「ええ。とっとと終わらせて、窮屈な服を脱ぐために帰るわよ」
「俺は家でもそのままでいてほしいんだけどな……」

 そんなライナーの呟きは当然無視して。
 戦いの場に、わたし達は赴いた。





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