金属質の冷たい部屋に、薄暗い青の光が灯る。
 それが照らし出すのは巨大な硝子の筒に入った人の姿。
 満たされた液体の中で目を閉じ、動き出す様子のない一糸纏わぬその人物を、白衣の人影達が取り囲んでいた。

 どこか、歪んで澱んだ期待を瞳に秘めて。
 彼らは実験と研究の成果たる、幼げな容貌の少女を見る。

 目覚めの時は来た。
 排気音と共に水が抜かれ、硝子の筒は次第に下へと沈んでいく。
 そして少女は筒だった場所の底に足を付き、そのまま膝を折ることなく立ち尽くした。
 一切の感情がない、およそ人とは相容れない人形めいた表情。
 その様子に、研究者は揃って満足する。代表らしき一人が前に出て、瞬きすらしない少女へ告げる。

「お前は、今までの失敗作とは違う。旧式のレーヴァテイルに取って代わる、新たな存在の尖兵だ――ミュール」

 それはまだ、意思や感情というものがなかった頃の記憶。
 けれど誰も知らなかった。心を持たずとも、彼女は過去を蓄積する。
 時間の経過と積み重ねた記憶が、結果的に研究者の言葉を裏切ることになるとは、誰も。

 最初から全ては、数多の犠牲の上に成り立っていた。










 ――知らないわよそんなこと。それともあなたも、私なんて生まれてこなければよかった、とでも言うの?










 シュレリアに勝負を吹っ掛けた。
 あの時の顔と言ったら見物だったわ。えらくムキになっちゃって、おかしいったらありゃしない。
 まあ……昔と比べれば、変わったと言えるのかもしれないわね。あんなシュレリアなんて、少なくともわたしは初めて見たもの。
 塔の管理だけが私の使命です、みたいに堅物やってたのに、いつの間にか随分楽しそうにしちゃって。

「ライナー、ねえ」

 あいつの会話には必ずその名前が出てくるわ。
 わたしからすれば、ライナーはちょっと馬鹿で真っ直ぐなだけの人間だけど。
 どうやらシュレリアにとってはそうじゃないみたいで、もう何あれ。わかりやす過ぎて砂糖吐きそう。

 ……別に、わたしはシュレリアやライナーのことなんてどうでもいいのよ。
 でも、少しの間とはいえ一つ屋根の下で暮らして情けない二人を眺めてると、微妙な距離が凄い鬱陶しいっていうか。
 だから、その……ちょっとけしかけてやろうって思ったのよ。悪い?

「全く、いつからわたしもこんな腑抜けたのかしらね」

 そう言って、脳裏に能天気な馬鹿の笑顔を思い浮かべる。
 世界を救った英雄、だなんて持て囃されてるくせに、少しもそんな風には見えない人間。
 呪いの澱からわたしの手を取り救い上げた、不思議な人間。

「あいつを賭けて競う、か。……まるで童話の姫の心を射止めようとする二人の王子みたいじゃない」

 こないだ適当に漁った本に、そんな話があったわ。
 二人の男が一人の女のために争う、ただそれだけの物語。
 この場合、私達が王子ならライナーはお姫様の役どころね。そう考えるとかなり可笑しいけど。
 当てはめてみると意外に嵌ってたものだから、わたしはつい噴き出した。

 ま、勝負というからには手加減するつもりは微塵もないし。
 シュレリアをこれ以上ないくらい叩きのめして悔しそうな顔をさせるのもいいかもしれないわね。
 客観的に見て体型はさほど違わないんだし、とすればアプローチの差で決まるわけだから。
 ライナーが勘違いするくらい思いっきり誘惑していけば、どう転んでも楽しいことにはなるでしょ。

 さて、そうと決まれば下準備からが既に戦い。
 用意された七日間は、敵であるシュレリアにも等しく考える時間を与える。
 よって、計画は周到かつ磐石でなければならないわ。シュレリアの行動も予測した上で立てていかないと。

「くく、面白くなってきたじゃないの」

 最高のレーヴァテイルとして作られたわたしがこんなことをしているのは、ある意味とても滑稽で。
 ざまあみろ、と心中で口汚く呟いたのは、嘲笑かそれとも自嘲か、自分でもいまいち判別がつかなかった。










 先攻はシュレリア。後攻がわたし。
 互いに一日ずつの期間を割り当てられ、交互にライナーと接触、アプローチをする。
 担当日でない側は必要最低限の関わりに留め、なるべく相手の邪魔をしないように心掛ける。
 なお、アプローチの仕方は自由。ライナーに過剰な迷惑が掛かりさえしなければ、如何なる手段を用いてもいい。

 風呂の中でシュレリアと協議した結果、そういうルールになった。
 ちなみに相手の行動を見るのは構わないし、それを後日の参考にするのも作戦のひとつ。
 要はライナーの気持ちをどれだけ自分に向けるかで、わたしはやるからには全力で行くつもりだった。
 だって、ねえ。シュレリアに負けるのは嫌だもの。ライナーはシュレリアに傾いてるみたいだけど、戦いならわたしにも勝機はあるわ。わたしがあの間抜けな管理者に劣ってるだなんて到底思えない。
 それはレーヴァテイルとしての性能だけじゃなく、未だによく理解できないけど、自身の魅力でも。

「……しっかし、こんな身体のどこがいいのかしら」

 書物を読むことで集めた情報は、わたしに肉体的な男女の差異を教えてくれたわ。
 本能と呼ばれる衝動。異性に対し感じる、性の意識と欲求。
 子供を産む、という行為の意味も書物は語った。けれど、その価値がわたしにはどうしても理解できない。

 わたしは、クローンよ。オリジン、つまりシュレリアの遺伝子から生成された第二世代、ベータ純血種。
 記憶にある限り、誰かの胎内にはいなかった。わたしが覚えているのは、冷たい研究室の光景だけ。
 培養槽がわたしにとっての子宮で、あの腐った研究者どもが立場で言えば親だった。
 ……ああ、思い出すだけで気分が悪くなるわね。全く、これが感傷って奴かしら。

 薄い、膨らみがあるのかどうかも微妙な胸に触れてみる。
 柔らかいとは思うけど、特別何がどうってわけでもない。こんなものに欲情するっていう男の心境がさっぱりわからない。
 まあ、シュレリアはそうは思ってないみたいだけど。そこまで見られて恥ずかしいもの?

「……ん、でも、それがわたしのアドバンテージになるわ」

 恥ずかしく感じるならば、つまりそういったのはシュレリアが選べない方法だってこと。
 後攻である以上、わたしはシュレリアより強引かつ印象強いアプローチをするのが望ましい。
 となると、ライナーが本気で嫌がらない程度の接触を主体にしていけば完璧ね。
 真綿で首を絞めるように、じわじわ理性を削り取っていく。ふふ、ライナーとシュレリアの慌てふためく顔が浮かぶわ。

 ――わたしはその時、おそらくは初めて、純粋に楽しいという感情を抱いていた。
 嗜虐的なものではない、ただ、楽しむことを目的とした自分の行動は、不合理で、無駄が多くて。
 それでも、ああだこうだと考えながら計画を練るのは、本当に、面白かったのよ。



 そして決戦の日。
 わたしとシュレリアの戦いは、ライナーの与り知らぬ水面下で始まった。





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