その後のことを、少しだけ話しましょうか。

 結果的に、リゾナンシアによる“残響”の中和は上手くいったわ。あれから人間に対する過剰な不信感、不安感は見られなくなったし、大規模な暴動も起きることはなかった。ほとんどの人々は何も知ることなく、平穏な日常が戻ってきた、ってところかしらね。
 あとは新しく作った仮想世界でシュレリアも巻き込んで遊んだり、別の出来合いの仮想世界を使って、女だけの温泉めぐりをやったり。そこでも色々あったけど、詳しく語る必要はないでしょ。

 世界は今も、ゆっくりと変わっていってるわ。

 ネモのエル・エレミア教会では、ほとんど内部分裂してた上層部がようやくまとまって一段落。とはいえ最後の最後まで揉めてて、見かねたシュレリアの横槍で一応結束しただけっていうんだから、情けない話よね。
 ファルス司祭の情報操作と扇動で一度ガタガタになった組織構成は、若い人間達が中心になって組み直されてる。
 ラードルフは各部署との折衝役が主で、暇を見ては街中に足を運んでるみたい。民衆至上主義って言えばいいのかしら。相変わらず精力的だって話よ。
 聖女候補なんて呼んでたレーヴァテイルの選別基準にも手が入って、僅かながら締め付けが緩くなったとか。
 天覇の方でも、雇用形態に大きな動きがあった。延命剤が本格的に市場展開されたこともだけど、それに合わせてレーヴァテイルへの“格付け”を事実上廃止したのよね。給料に関しても、だいたい延命剤を購入してそこそこの生活ができる程度、という感じ。事務職に就く子も増えてきて、今は人間とレーヴァテイルの住み分けに砕身してるらしいわ。
 他の大々的な変化と言えば、プラティナとネモ、ほたる横丁を繋ぐ航路が開通されたこと。前から計画は進んでたんだけど、ようやく設備が整ったってのがシュレリアの弁。毎日レアードと忙しそうにしてるのに、やたらいい笑顔でちょこちょこ報告してくるのを見ると、何だかからかう気にもならないものね。
 イム・フェーナからは、ちょっとずつテル族が表に出てくるようになった。人間嫌いな性質はさほど変わりないものの、たまにこっちのお土産を買いに来てたりする。特徴的な衣装をしてるせいで実は結構注目されてることに、当人達はあまり気付いてない節があるんだけど……その辺はわざわざ指摘する必要もないでしょ。
 もうひとつ、まだ一般に情報公開されてないものの、わたしにとってはとびっきりのニュースがあった。
 クルシェ達天覇の技術開発班が、グラスメルクの技術に頼らない超長距離用飛空挺の製造に成功したわ。塔の導力供給範囲をレーダーに出力する装置も付けて、二度の飛行実験を経た、現状ではワンオフの試作機。
 用途を考えればそんなに大量生産するものでもないけれど、取引通り、その試作機――『グングニルREL2.0_P.T.』はわたし達が使わせてもらうことになってる。
 亜耶乃社長から連絡を受けた時は向こうまで文字通り飛んでいった。運転手役のライナーがマニュアル片手に操作方法を教わる傍ら、わたしはどこから聞きつけてきたのか、さらっと顔を出して、一枚噛ませなさいと開口一番言い放ったスピカの相手をすることになったのよね。
 大した交流もないのにどうして連れてかなきゃならないの、と返したら、何故かプラティナまで付いてきて滞在し始めるし。

『交流がないんだったら、これから作ればいいじゃない。見てなさい、しっかりあなたと仲良くなって、是非付いてきてくださいって泣きつくくらいになってみせるわ』

 お互い泣きつくことはなかったけど、結局こっちが押し負けた。
 全く、いくらある程度気心が知れたとはいえ、あの腹黒女にちょっとでも隙を見せたのは迂闊だったわ……。いずれ向こうの弱味を握ってやるつもりでいるけど、なかなか狡猾で尻尾を掴めない。ま、だからこそわたしとも平然と付き合えるんでしょうけどね。

 それ以外に特筆するようなことはなし。
 ライナーとシュレリア、アヤタネの四人で、さほど波風のない、穏やかな日々を送ってきた。軽くシュレリアに教わって料理を覚えたとか、巡回に顔出す時ちょこちょこ声を掛けられるようになったとか、微妙にシュレリアと二人で話す機会が増えたとか、そのくらい。
 安穏とした時間は、わたしにとってずっと得難いものだった。波乱の過去ばかりではあったけど、こういうのも悪くない。ようやく、そう、ようやくそんな風に思えた。

 そして、わたしがクレセントクロニクルから解放されて丁度一年後。
 プラティナのギャザーに運び込んだグングニルの前に、少なくない人数が集まっていた。
 商魂逞しいスピカが飛空挺に貨物を積み入れ終えるまでの間、集まってきた顔見知りに別れを告げる。
 これが今生の、ってわけじゃないんだけど、未知の場所だし、ちゃんと帰ってこられるかもわからない。中には感極まって泣いた子もいて、慌てて慰めようとするライナーの横で、わたしは苦笑するしかなかった。

「本音を言えば、寂しくもありますが……それ以上に、あなたが向こうで何かとんでもないことをやらかさないか心配です」
「信用ないわね。精々不法侵入と経歴詐称くらいよ」
「そういうことをあっけらかんと言わないでください。せめてアヤタネが付いていければ私の心労も軽くなるんですけど」
「さすがに僕も向こうじゃ動けるかどうかわかりませんから。最悪実体化すらできませんし」
「……ということで、ライナー、頼みましたよ。しっかり見張ってください」
「あー、はい、暴走しない程度には」

 最後までひとこと多い馬鹿の脛に蹴りを入れ、搬入が済んだらしいスピカに視線をやる。

「……何、その腹の立つ表情は」
「あら、これでも邪魔しちゃ悪いと思って気遣ったのよ。私はそこまで無粋じゃないもの」
「余計過ぎるお節介だわ」
「空気を読んだ、って言ってほしいわね」
「うるさい。さっさと乗って」
「はいはい」

 にやにや笑いを崩さないスピカを座席に押し込んだ。
 そうしてわたしも縁に手を掛け、そこで振り向く。
 シュレリア。アヤタネ。レアード……は政務でいないけど、騎士にレーヴァテイルの子達。
 全員をぐるりと見回し、わたしはすっと息を吸った。
 ――これから、少しばかり長い旅に出る。
 憧れの地、メタ・ファルス。ずっと夢に見ていた場所ではあるけれど、でも、わたしの帰るところはひとつ。
 だから、

「いってくるわ」
「いってらっしゃい、ミュール」

 湿っぽい話はこれでおしまい。
 名残惜しげに上がってきたライナーの手を引き、二人でハッチを閉めた。

「じゃ、出発しましょ」
「了解。安全運転を心掛けますよ、っと」

 希望なんてものは、この世界のどこにでもあるわ。
 わたし達が謳い続けてさえいれば、やがて辿り着くもの。
 現にわたしは、見つけた。
 今もこうしてそばにいる。

「ライナー」
「ん?」
「戻ってきたら、式でも挙げましょうか」
「ぶふぅっ! ちょ、み、みゅ、ミュール!?」
「あーもう、熱い熱い。いちゃつくのは程々にね」
「いやスピカ頼むから茶化さないでくれ!」
「で、返事は?」
「……と、とりあえず出発!」

 あからさまに逃げられたけど、まあ、時間はいっぱいあるもの。
 答えを聞くまで、のんびり追いつめればいいわよね。
 そう思って、わたしは静かに目を閉じた。


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