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COSMOSPHERE
MULE
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 学園の図書室に足を運んだのは、頼奈にとって入学以来初めてのことだった。
 蔵書量は決して悪くない。勉強するにしろ、あるいは何かしらの資料を探すにしろ、この街では他に望むべくもない環境。

「いらっしゃい。何か探し物ですか?」
「あ、はい。えっと……」

 何となく気後れめいたものを感じつつも入室した瞬間、出入口に程近いカウンターの方から声が掛かってきた。
 返却物の整理をしていたのか、丁寧に重ねられた本を持ち上げようとしていた人影が頼奈のことを見る。
 白とも銀ともつかない、腰まで掛かる長髪の女の子だった。胸元の赤いリボンが一つ下の学年であることを示している。
 彼女は本のタワーから手を離し、

「タイトルがわからないなら、ジャンルだけでも教えてもらえれば大丈夫ですよ。ここの蔵書はコンピュータで管理してるので、すぐにでも検索できますし」
「じゃあ……桜樹の丘と、あそこの桜についての資料になりそうなのを」
「わかりました。ただ、私が知ってる限りでも、結構な量がありますよ?」
「……できれば難しくなさそうなやつで」
「ふふ、厳しい注文ですね」

 淡く微笑んでデスクに座り、キーボードを叩き始めた。
 どこか耳に心地良いタイピングの音がしばらく響き、それが止まってから数秒後、おもむろに彼女が席を立つ。
 室内に整然と並ぶ棚の一角に近付くと、迷いのない動きで何冊かを抜き取ってきた。
 とさ、とさ、と頼奈の前にまとめて置かれる。
 ざっと背表紙を確認してみたが、どうやら街の歴史について書いてあるものを中心に集めてくれたらしい。

「これとこれは簡単に略歴とかが載ってる程度です。こっちはちょっと分厚いですけど、昔の写真とかもあってわかりやすいですよ。この大判のは若干読みにくいですが、内容は一番詳しいです」
「よく中身まで知ってますね……」
「前に全部目を通しましたから。あ、申し訳ないですけど、これだけは貸し出し禁止なのでここで読んでいってくださいね」
「いや、さすがに借りられたとしてもそんな重そうなの持って帰りたくないですって」

 冗談めかして本の小山を受け取り、利用者用のテーブルに付く。
 図書委員の彼女以外に生徒はいない。教室の喧騒に慣れている頼奈からしてみれば、どうにも慣れない静けさだった。

(……とりあえず、楽そうなのから行くか)

 まずは一冊。比較的薄い物から読み進めていく。目次から略歴が掲載されている箇所を探し、そこだけに検討を付けて、忘れそうな表記は軽くメモ。頼奈は、何もかも覚えていられるほど自分に記憶力があるとは思っていない。長丁場になるのは覚悟の上だ。
 言われた通り、略歴の方はあまり詳しく書かれていなかった。全体的な内容も街の紹介に近く、桜樹についてはかなり古くから存在する、というような記述しか見受けられない。
 二冊目。もう少し言及されているものの、やはり桜樹の情報は満足に得られない。三冊目、四冊目も期待外れだったが、残る本命二冊にはかなり仔細なことが書かれていた。
 頼奈が知りたかったのは主に三つ。具体的にいったいいつからあの樹は街の中心に根付いているのか、何故花が咲かないのか、そして過去に咲いたことがあるのか。
 図書室に置かれている中でも最も古いだろう資料にも、桜樹の生まれに関しては不明とあった。ただ、この街が街ですらなかった頃には御神木として祀られていたらしい。まともな資料が残されていないほど昔、真偽はともかく、本当の意味で『神の宿る木』と呼ばれていた。信仰の対象だった桜樹は、けれどある時期を境に、人々に恐れられるようになったという。今でこそ街のシンボル、観光の名所としてしか扱われていないあの丘と桜樹だが、どうやら何がしかの曰くを持っているのは間違いなさそうだった。
 誰も覚えていない、古びた言い伝え。
 もしかしたら美羽は、その辺りのことを代々伝え聞いているのかもしれない。

ええ。遠い昔、最後にこの樹が咲かせたのは――

 ……気になる。
 初めて会った瞬間、彼女の浮かべていた表情が、ずっと頭から離れないのだ。
 あんな美羽の一面を知っているのは、自分以外にはいないだろう。
 自惚れだと思う。自分勝手だとも思う。
 それでも、見極めたい。ただの好奇心からではなく、こちらから手を差し伸べられるようになるために。
 最後に開いた重い冊子を閉じる。ばたん、と鈍い音が響いて、逸れていた視線が再び向けられたのを感じる。

「すみません。本を戻したいんですけど……」
「ならカウンターに置いてもらえれば大丈夫ですよ。あとは私がやっておきますから」
「さすがにそれは申し訳ないですって」
「入ってた場所、わかります?」
「…………あー」
「私のことは気にしないでください。これもお仕事ですし、その、先輩が来てくれて嬉しかったので」
「え? 俺が?」
「図書室って全然来客ないんですよ? だから、いつでも大歓迎です」
「……それじゃ、お願いします。今度また顔出しますね」
「はい。私、放課後はここにいますから。先輩のこと、お待ちしてます」

 ストレートな言葉にくすぐったさを感じ、去り際、照れ隠しに小さく頭を下げた。
 扉が閉まる。図書室を後にしてから、そういえば随分時間が経ってるな、と気付いた。できればすぐにでも美羽ともう一度話したかったが、放課後になってから一時間以上は調べ物をしていた。部活にも所属せず、普段は誰より早く教室から姿を消す彼女のことだ、今日もとっくに帰宅してしまっているのだろう。
 仕方ない、明日改めて声を掛けてみよう――と手提げ鞄を背負った頼奈は、ふと足を止めた。
 さほど遠くない場所から、複数の女生徒の話し声が聞こえる。
 会話の中身までは掴めないが、少なくとも和気藹々といった雰囲気ではない。

「様子……見に行くかな」

 嫌な予感がする。それが気のせいであることを願いながら行った先、図書室と同じ階の女子トイレ前に、クラスメイトと思しき女生徒数名が立っていた。足音に反応して一斉に振り向き、揃って頼奈を睨んでくる。暗く湿った視線が怖い。
 無意識のうちに一歩引いたところで、彼女達は無言で去った。一人残され、しばし途方に暮れる。
 ……まさか。
 躊躇い、周囲に人がいないのを確認して、女子トイレの扉に手を掛けた。軽く押せば開く。灰色のタイルが広がる空間の奥に、俯く人影を見つける。
 ずぶ濡れで床に座り込んでいたのは、美羽だった。
 前髪から水を滴らせ、頭を上げた彼女の顔は、ぞっとするほど青白かった。

「……塔ヶ崎さん」
「何?」
「これって……いや、その、大丈夫……じゃない、よな」
「別に。平気よ」

 そんなわけがない。
 冬場ではないものの、制服のままびしょ濡れでいれば、確実に体調を崩してしまう。
 なのに、今も寒いはずなのに、どうして平然とした顔でいようとするのか。

「頼む、ちょっとだけ待ってて」

 体育の授業はなかったので、お互いに体操服を持ってきていない。
 故に、代わりの着替えを用意するには、一度学校から出る必要がある。
 美羽がここから動かないことを信じ、全速力で頼奈は自宅に戻った。居間で鞄を乱雑に放り投げ、真っ先に箪笥を開ける。案の定丁度良いのが見当たらず、散々迷った挙句普段着のTシャツとロングパンツを選び、バスタオルも合わせて適当な紙袋に突っ込んだ。リターン。徒歩なら十五分は要する道を、六分弱で走破する。
 女子トイレの中に、まだ美羽はいた。
 そのまま紙袋を渡そうとして、止まる。

「……ここに置いとく。俺は外に出てるから」

 返事は聞かなかった。以前に、彼女は何も言わないだろう。好意も、善意も、きっと受け取らない。
 もう帰ってしまおうかとも思ったが、人並みの良心がそれを許さなかった。関わったのならちゃんと最後まで付き合おう、と心に決め、着替えが終わるまでしばらく周辺をぶらつく。
 五往復目に差し掛かったところで、どこか控えめに扉が開いた。
 膨らんだ紙袋を片手に持った美羽が出てきて視線をめぐらせ、頼奈の姿を認めてすたすたと近付いてくる。

「…………え、えっと」
「あなた、服の趣味悪いのね」
「第一声がそれかよ!」
「感謝の言葉を期待してるようなら今すぐ帰りなさい。借りたものは今度返すから」
「んなつもりはないって。余計なお節介なのはわかってるけど、だからって、放ってはおけないだろ」
「……そう。勝手にすれば」

 予想通り発言は苛烈だったが、最初に交わした会話を考えれば随分対応が良くなったとも言える。まだ僅かに湿った髪を翻らせ、美羽は一人先に歩いていった。少し遅れて頼奈も追う。
 放課後の中途半端な時間だというのもあり、下駄箱から正門まで他の生徒に会うことはなかった。あからさまに浮いた服装の、しかも薄着の美羽を見咎められると後々面倒だ。極力彼女の方には視線を向けず(よく見ると微妙に下着が透けていた)、覚えている限りで一番人通りの少ないルートに誘導する。
 今の恰好が危ういと自覚しているのか、意外なほどに大人しく付いてきてくれていた。家まで送ることはできなくても、せめて商店街の辺りまでは……と考えながら、桜樹の丘に続く坂、その横の道に入ろうとして、

「こっちでいいわ」

 返す間もなく上っていってしまう。
 慌てて方向転換したせいで、頼奈は一度転びかけた。

「あのなあ……。丘は結構人目に付くと思うぞ?」
「元々人なんてほとんど来ないんだから大丈夫よ。よっぽどの物好きならともかく」
「……物好きで悪かったな。でも、ここを通った方が商店街は近いんだよ」
「そうね」
「………………」

 一拍。

「生意気」
「え?」
「礼儀知らずで生意気で、気持ち悪い――だそうよ」

 誰のことを指しているかはすぐにわかった。
 こうなった原因。美羽を見つける前に何があったのか、想像に難くない。
 あまりにも陰湿なやり方に、知らず拳を握っていた。
 爪が皮膚に刺さって、痛む。

「酷い話ね。わたしは何もしていないのに、気に入らないから、なんて理由で排斥しようとする。今頃はいい気味だとでも思ってるんじゃないかしら。ずっと、わたしに無視されたのを許せなかったみたいだったし」
「それだけで……あんなことを?」
「あっちにとっては、それほどのこと……らしいわよ? いつもそう。つまらない、くだらないきっかけで短絡的な行動に走る。理解しようともせず、自分達の都合であっさり掌を返す。人間は、どうしようもなく醜いわ」

 吐き捨てるように。
 彼女は呟いた。

「……違うだろ。確かに、今日のあいつらはそうかもしれないけどさ。だから他のみんなも同じ、ってわけじゃないと思う。考えて、悩んで、何とかして相手を理解しようとする人だっている。認めて、納得して、その上でわかろうとする人だって、いるはずだ」
「あなたは自分がそうだって言うの?」
「まさか。そこまで自惚れちゃいないよ。でも、誰もが……その、塔ヶ崎さんが言うように醜くはないだろ」
「はっ」
「鼻で笑われた……」
「理想論だわ。子供みたいな、理想論」

 たっ、と西の下り坂へ足を踏み出して、頼奈に反論をさせないまま美羽は駆けていった。
 遠ざかる背中を釈然としない気持ちで見送り、溜め息を吐く。
 珍しく饒舌だった。内容がこれで他愛のない世間話とかだったなら、こんな嫌な気分を噛み締めることにはならなかったろうに。

「……きついよなあ」

 美羽は、孤高だ。決して他人に心を晒さない。
 信じていない。
 辛うじて接点のある頼奈さえも、おそらく彼女にとっては拒絶の対象なのだろう。
 けれど。
 まるっきり、繋がっていないわけでもない。
 なら、できることはきっとある。

 どうしてここまで美羽に入れ込んでいるのか、その時の頼奈にはわからなかった。
 本当に自覚するのは、もう少し先。
 彼女の真実に、直面してからになる。










「いよいよクライマックスが見えてきた、って感じだな」
「起承転結で言えば、承が終わったところね」
「じゃあだいたい半分か。……ところで、何か上の方、亀裂みたいなのが走ってるんだけど」
「気のせいよ」
「いや、あんなはっきり見えるのに」
「気のせいよ」
「……わかった。とりあえずそういうことにしとく」
「懸命ね。……まあ、たぶん次辺りまでは耐えられるから」
「その明らかに不穏な発言も聞き流した方がいいんだろうな……」

 ミュールのコスモスフィアがどこかおかしいっていうのは、最初の時点でわかってるし。
 よっぽどとんでもない何かが起きない限りは驚かない自信がある。

「いざって時は頼んだ」
「ええ。死なない程度にはどうにかしてあげるわ」

 さすがに四回目ともなると、パラダイムシフトもあっさりしたもの。
 ちょっと外に出かけるような気軽さでミュールが先に行き、俺もさっさか出る。
 慣れてきたからか、前回より目覚めるのもこころなし早かった。





Ma num ra chs pic wasara mea,
en fwal syec mea.
Was yea ra chs mea yor
en fwal en chs hymme.



ミュールのコスモスフィアLevel4を完了しました。
コスチューム:オボンヌといっしょを入手しました。



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