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COSMOSPHERE
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 原瀬頼奈は、学園の帰路を気ままに歩いていた。
 厳しい親元を離れ、資金援助は全面的に受けているものの、衣食住に置いて誰の手も借りない一人暮らしを敢行している彼にとって、食材の不足は冗談抜きで死に直結する。如何に安く買い溜めるか、基本物臭な頼奈は週に一度そのことで頭を悩ませる。
 幸いと言うべきか、今日は夕方に近くの店舗でタイムセールが行われるらしい。ポストに放り込まれていたチラシを朝に見てから、帰りはどこか適当なところで時間を潰そう、と考えていたのだった。
 お目当ての店は、街の東側に建つ学園の反対側、西の商店街の近くに居を構えている。直線距離なら徒歩で三十分も掛からない。そして、道中には暇を潰すのにお誂え向きな場所もある。
 なので、焦らずゆっくりと歩きながら、頼奈は街の中心を目指していた。

 ……そこは、桜樹の丘、と呼ばれている。
 自然公園のような、木々に囲まれた小高い丘の頂に悠然と立つ大樹。根元で見上げても全長を把握できないほどのその巨木がいつから存在しているのか、おそらく街に住む人間のほとんどは知らないだろう。頼奈も桜樹に関する知識は持ち合わせていない。ただ、自分が生まれた時から変わらずにある、ということだけは覚えている。
 なだらかな傾斜を一歩一歩踏みしめるように登ると、頂上に達したところで視界が拓けた。町の西側を見渡せる高みに足を掛け、しばしその光景に目を奪われ――不意に、頼奈は人影を見た気がした。
 太い幹の裏に隠れて、ただ立ち尽くす、幽鬼めいた小さな姿。
 長い濡れ羽色の黒髪を持つ、憂いの表情を浮かべた、少女。

「……あれ?」

 が、瞬きする間に消えてしまい、駆け寄って探してみても、人影の主は二度と現れることがなかった。
 錯覚か、と思う。おぼろげな、幽霊めいた掴み難い輪郭だった。何か薄ら寒いものを感じ、早々に突っ切ることにする。雄大な景色を眺めていられないのは些か勿体無くもあったが、万が一本当に幽鬼の類が出てきたらどうしようもない。
 丘を下る直前、最後にもう一度だけ振り向いた。微かに吹いた風が、額に滲んだ汗を冷やした。










汝等は覚えているか。遙か昔に刻まれた、拭い落とせぬ罪の所業を――










 翌日、運悪く目覚ましがセットした時間に鳴らず、誰が起こしてくれるわけでもない状況で三十分も余計に寝こけていた頼奈はかなり焦った。買い置きの食パンを生のままかじり、牛乳で無理矢理流し込み、ついでに眠気を吹き飛ばすために青いラベルの栄養ドリンクも一気飲み、洗顔と歯磨きと酷い寝癖の直しを合わせて五分で済ませ、もたつく手で制服を着る。
 ボタンを一段掛け間違えて自らの慌てっぷりを情けなく感じつつ、手提げ鞄を肩にひょいと乗せるように持ち、洗濯物やらで荒れ果てた家を飛び出した。

「行ってきますっ!」

 厳格な父の教えは、例え言葉を返す相手がいなくとも身に染み付いている。
 全速力とは言わないまでも、かなりの駆け足で平坦な道を走り抜けていく。出立時に時計の針が示していたのは、予鈴の僅か十分前。頼奈宅から学園までは徒歩で十五分ほど、今のペースでも間に合うかどうかは微妙なところだ。
 緩い坂を越え、右へ。桜樹の丘を背にし、遠目にもわかる門を視界に捉える。生活指導の教師が睨みを利かせる中、ちらほらと散逸する他の生徒に混じって、どうにか頼奈は予鈴までに通学路を踏破した。
 ノンストップで走り続けた反動か、肺の辺りが痛む。それに耐え、靴を履き替えて教室へと向かう。
 開いた引き戸の奥に踏み入ると、既に大多数のクラスメイトが登校していた。親しいグループに分かれ、思い思いに騒いでいる。いくつかの視線が自身に集まったのを知り、いつも通り挨拶をして席に座った。

「頼奈、おはよー。随分ギリギリだけど寝坊でもしたの?」
「織香か……おはよう。あといきなりストレートに訊くのは勘弁してくれ」
「あ、やっぱりなんだ。これで何回目だっけ」
「人を遅刻常習犯みたいに……。今回は目覚ましが鳴ってくれなかったんだよ」
「ふうん、じゃあそういうことにしておくね」

 机が隣なこともあって、何かと話すようになった織香の実に正当な評価を聞き、嘆息。
 それなりに気は合うのだが、時折言葉を選ばないというか、さらっときつい台詞を口にするのが玉に瑕だ。
 反論しようかと返す一手を考え始め、しかしそこで間延びした予鈴がスピーカーから響く。
 同時、教卓側の引き戸をがらりと開けて担任が現れた。
 大人というには些か小さな背のその教師は、感情の読み取れない瞳で教室にいる生徒達を一瞥する。
 そして、先ほど自分が入ってきた入口に向け、入りなさい、と告げた。

「……!」

 頼奈がそこで声を張り上げずに済んだのは、あまりの驚きに絶句したからだ。
 わざわざ年度の終わり近くに、家庭の事情やらで転校してきた女生徒。紺色で統一された、足首のやや上までを覆う長いスカートと、下とは逆に臍が出るほど丈の短い制服……前時代的な言い方をするならスケ番と呼ばれる外見の彼女は、気の所為でなければ、あれが錯覚でなかったのだとしたら――昨日桜樹の丘で見た、あの少女だった。

「自己紹介をして」

 簡潔な担任の要望に従い、黒板に名前が書かれていく。
 塔ヶ崎、美羽。どう読めばいいのか頼奈は一瞬悩み、しかし彼女の続く言葉ですぐに疑問は氷解した。

「とうがさき、みう。よろしく」

 おそらく、教室にいる誰もが、それは形式的な挨拶でしかないと感じただろう。
 纏う雰囲気が、表情が、全てが他人と慣れ合う気はない、と語っているようですらあった。
 彼女のために用意されたらしい、窓際の一番後ろに腰を下ろし、後はただそこにいるだけの置き物となった無愛想な転校生に、頼奈も含めたクラスの人間達は早くも声を掛けるタイミングを失う。
 中には勇猛果敢に(空気が読めない、とも言うかもしれない)席を囲った女生徒もいたが、会話の糸口をまるで見つけられず、半分は意気消沈、もう半分は憤慨して自席に戻っていった。
 美羽が孤立するまで、さしたる時間も必要なかった。



 昨日のことがあり、どうにも無関心でいられずにいた頼奈はちょこちょこと美羽の様子を窺いながら授業を受け続けた。
 そうしていると、いくつかわかることがある。まず、とにかく彼女は寡黙だ。ノートもろくに取らず、教師の講義を素知らぬ顔で聞き流して、つまらなさそうに窓の外を眺めている。途中でふと思い出したかのように黒板を見やるものの、またすぐ頬杖をついて外に目を向ける姿は、どう考えても真面目な態度ではない。
 かといって勉学に精通していないかというと、これがそうでもなかったりする。転校生だからと必ず一度どの教師も美羽に問題を解かせたが、眉一つ動かさず正答を書き、教室の人間を感心、あるいは茫然とさせた。

「……塔ヶ崎さんって、すごいね」
「ああ」
「頼奈じゃ逆立ちしてもあんな風になれないでしょ」
「余計な御世話だよ……」

 昼休み、購買のパンを買ってきたところで織香にそう言われ、負け惜しみと取られても仕方ない返事をする。
 ちなみに頼奈の席は窓際の後ろから二番目。つまり、美羽の一つ前である。結構遠慮なく振り向いていたにもかかわらず、徹底的に彼女は無関心を貫いていた。ここまでだといっそ清々しいほどで、普通の人間なら干渉しようという気力も湧いてこないだろう。頼奈とて、常ならば関わることもないと思う。

 では何故、こんなにも気になるのか。

 その問いに対する答えを、今の頼奈は持ち合わせていなかった。
 ただ、瞳に焼き付いて離れない――悲しそうな、あの顔。
 初めて会ったのに、どうしても、忘れられない。

(ま、あれこれ悩んでもしょうがないか)

 深く考えても望む答えが出てきたりはしない。そも、頼奈に頭脳労働は不向きだ。
 弁当の類は持ってなかったはずなのに、昼になってから忽然と姿を消した美羽の行き先は不明だが、午後の授業が始まる頃には帰ってくるだろう。勝負は放課後、頼奈はそう結論付けた。

「しっかし、いつも思うけど、購買のハムカツパンってソース掛け過ぎだよなあ」
「大人しく弁当持ってくればいいのに」
「そんな早く起きられないって」
「……頼奈ってところどころずぼらだよね」
「俺の夢は毎日寝て暮らす生活だから」
「駄目人間」
「ほっとけ」

 打てば響く二人のやりとりを、他のクラスメイトは夫婦漫才と評する。
 そういうことに免疫のない頼奈は慌てて否定するのだが、織香はというと真顔で「まっさかー、有り得ないよー」と断言するので、周りも実際どうなのかまでは判断できずにいるのだった。



 予想通り、昼休み終了を告げる予鈴が鳴った直後に美羽は戻ってきた。
 以降の展開は午前の焼き直しめいていて、授業そのものにはまるで関心のない彼女の態度はある意味清々しくもある。
 職員室内で話が回っていたのか、残りの時間を担当した二人の教師も、お世辞にも扱いやすいとは言えない転校生にわざわざ問題を解かせることはしなかった。大人として、文字通り先生としてのささやかなプライドが絡んでいたのかもしれない。
 ともかく結果的に滞りなく時は進み、本日何度目かわからない機械的な鐘の音を合図に、頼奈はペンを筆記用具入れに放り込んだ。心地良い解放感に数秒身を任せ、ちらりと美羽の様子を見やる。と、彼女は流れるような動作で机の横に掛かった鞄を掴み、即座に立ち上がってすたすたと歩き始めた。誰よりも早く、教室を出るために。
 ホームルームはもうない。戸惑ったのは一瞬、頼奈もその背を追いかける。後ろで織香が何か言った気がしたが、上手く聞き取れなかった。まだ他のクラスは授業が終わっていないのか、廊下に人影は見当たらず、階段に差し掛かったところで彼女の正面に回り込む。四段の上下差を間に挟み、冷ややかな、けれども微かに怪訝さの窺える視線が向けられる。
 無関心、というのは少し違う。嫌悪、でもない。
 頼奈はその瞳に、何か、複雑な色を見て取った。ひとことでは表し切れない、何かを。

「……何か用?」
「いや、その……昨日の夕方頃さ、桜樹の丘……って知ってるかな。あのやたら大きな桜が生えてるところ」
「知ってるわ」
「そこに、いなかった? 幹に手を付いて、商店街の方を見下ろして、」
「人違いでしょ」

 こちらの問いを遮る断言。あまりに迷いない言葉に、思わず、え、という間抜けな声が漏れる。

「でも俺、昨日確かに」
「幻でも見たんじゃない? わかったらさっさとどいて。邪魔よ」
「………………」

 絶句する頼奈の横をするりと美羽は抜けていく。
 階段の下に姿を消す直前、ふと振り返り、

「もうわたしに話しかけないで」

 そう言い残して去っていった。
 他者を寄せ付けない、慣れ合う気もない、孤高であることを望む振る舞い。
 それは、人並みに友も家族もいる頼奈には、決して選べない――選ぼうとも考えられない生き方だ。

「ちょっと頼奈、いきなり教室飛び出してどうしたの?」
「……ああ、塔ヶ崎さんと少し話がしたくてさ」
「勉強でも教わりたいとか?」
「違うっての」

 遅れて追いかけてきた織香の小言を受け流しつつ、頼奈は溜め息を吐く。
 否定され、拒絶され、それでも、桜樹の丘で見たあの人影は美羽だという、妙な確信だけは、消え去らなかった。










「……って、パラダイムシフト起きてるし!」

 気付けば最西端のストーンヘンジに光の柱が立っていた。
 釈然としない気持ちを抱きながら、とりあえず俺はそっちへ行ってみる。

「あらライナー、お疲れ様」
「お疲れ様……じゃなくて! ミュール、これどう考えても仮想世界だろ!」
「まあそうね」
「有りなのか!? オリカもミシャもコスモスフィアの中はこんなんじゃなかったぞ!?」
「どうせ説明してもわからないだろうから面倒臭い話は省くわ。そういうものだって思っときなさい」
「いや、いくら何でも……」
「じゃあ先に行ってるわね」

 抗議を見事に無視して、ミュールは眩しい光の奥に入っていった。
 あいつ……絶対後で説明してもらうからな。





Ma num ra chs pic wasara mea,
en fwal syec mea.
Was yea ra chs mea yor
en fwal en chs hymme.



ミュールのコスモスフィアLevel1を完了しました。



習得詩魔法:りぽで(分類・青魔法|効果・味方全体に小回復と状態異常治癒|ざばーっと直接栄養ドリンクをぶっかける)





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