結局有耶無耶になったというか、まりりんがルールを覚えるのを諦めて無差別バトルロワイヤルを始めて巻き込まれたというか。 まぁ、とにかく良い目に遭わなかったのは確かである。 どうにか事態を収拾し、やってきたのは宴会の席。といっても別に飲んで騒ぐわけではなく、ただの夕食目的だ。 「先生先生」 「どうしたヒカル」 「なんだか……すごいですよね?」 ヒカルが瞳を輝かせながら見渡す先、テーブルの上にはあからさまに豪華な食材がずらり。 山の幸、海の幸を共に余すところなく使い、刺身、煮物、焼き物に鍋と品揃えにも死角はない。 そう、それはまさに絢爛と表現して差し支えない光景だ。 高級旅館の名は伊達ではなく、これなら確かに、誉が選んだ理由もよくわかる。 「………………ごくり」 (ナギ、誉、シスター以外の)誰かが微かに喉を鳴らした。 漂ういい匂いが空っぽの胃を刺激し、食欲を促す。 揺らめく湯気。芸術的な彩り。目の前の品々が光り輝く錯覚すら感じる。 しかもそれら全てが、箸を伸ばせば届く位置にあるのだ。 今この瞬間、俺達は桃源郷の只中にいる。そう思ってもおかしくない、素晴らしい食事風景だった。 ……ああ、俺国語教師やっててよかったよ。 「こ、こういうのは、初めて見ました……」 目を白黒させて驚くシスター。 その様子が可愛らしく、俺は少しだけ微笑ましい気持ちになる。 横でまりりんがお預け状態なのも見えたので、嫌な具合に中和されたが。 「それではー」 音頭を取るのは俺の係だ。 皆が飲み物を注がれたグラスを手に取り、構える。 あとは適当にひとことふたこと喋って、かんぱーい、と言えばそれが食事開始の合図となる。 しかし、 「あ、お兄ちゃん、ちょっと待って」 「ん?」 制止を呼びかける言葉があった。 声の主、誉は自席から立ち上がり、すたすたと何故か部屋を出ていってしまった。 首を傾げながらも待つこと一分半。 「お待たせー」 戻ってきた誉は――― お盆に乗せて、得体の知れない何かを運んできた。 そしてそれを俺の前に置き、 「はい、これ、お兄ちゃんの分」 「…………………………え?」 時が止まった。 既視感。脳裏に、ある思い出が蘇る。 体育祭の時。誉の作ってきた弁当は、致命的な部分を間違えた内容だった。 料理の経験が足りないのなら、まだ治し様もあるだろう。 だが、だが……誉の味覚はたぶん、おそらく、常人とは一線を画している。 それは、例えどんなに経験を積もうとも、矯正できるものではない。 俺の頬を、隠しきれない冷や汗が伝った。 どうする、どうする…………っ? 「……お兄ちゃん? もしかして…………嫌いだった?」 「そ、そんなわけないだろう」 ――― ああ、言ってしまった。 すぐに後悔の念が湧き上がってくるがもう遅い。 誉の表情がみるみるうちに輝いていくのを見て、俺は絶対に後戻りできない道に立ったことを悟った。 「…………先生」 「大丈夫、大丈夫だ」 小声で心配してくれるヒカルに、精一杯の虚勢を張る。 そう、俺は大丈夫だ。前も何とか乗り越えた。前の自分にできたことが、今の自分にできないはずはない。 「それでは…………かんぱーい!」 『かんぱーい!』 掲げたグラスがぶつかり、鈴のような音が響く。 それが合図。皆がゆったりと美味しそうな食材の山に箸を付け始めたのを尻目に、俺は孤独な戦いを始めた。 ……うぅ、運命とはかくも熾烈なものなのか。 「ご、ごちそうさまでした……」 気合と根性と思い込みでどうにか誉の手料理を食べ切り、周りを見ると既に全員食後のデザートに入っていた。 ちなみに俺のデザートは、杏仁豆腐チリソース入りだ。甘いんだか辛いんだかよくわからない。 うぷ、と喉から込み上げてくるヤバい感覚を必死で抑え一人格闘していると、 「…………これ」 ナギがそっと、自分のデザートを差し出した。 少し手が付けてあるが、まだ十分に残っている。 「ナギ…………いいのか?」 「うん」 頷かれ、しかし俺は迷った。 善意は有り難いが、情けなくないのかと。 ……確かに情けなかった。が、 「……有り難く食べさせていただきます」 ちっぽけなプライドもまともな食べ物への渇望には勝てなかった。 冷たく口の中で溶けるラズベリーアイスの心地良い甘みを感じながら、思う。 ――― 今度、ヒカルに誉のコーチを命じよう。でないといつか倒れる。俺が。 ちなみに、それがナギとの間接キスであるというのに気づいたのは、だいぶ後のことだった。 「ねーねーひさちー、枕投げしよう枕投げ!」 「あー、いや、そのな、俺パス」 「えー! 何でー!?」 「どうも調子悪くてな。ごめん、まりりん」 部屋に戻る廊下の途中、まだまだ元気有り余る(というかどこにそんなエネルギーがあるのか)まりりんの誘いを断り、俺は部屋に戻った。 調子が悪いのは本当だ。さっきから、胃が重くて仕方ない。 ……無論、理由は言うまでもなく。守秘義務があるので具体的な部分は伏せておくが。 「はぁ…………」 わざわざ正座をする気にもなれず、畳にごろりと寝転がる。 天井に視線が映り、年季の入った木の茶色が目に入った。 食べてすぐ寝ると牛になるというが、食事内容がアレだったのできっと平気だろう。 ――― 長い一日だった。 スキーに雪合戦、何やら騒がしかった温泉に卓球、そして夕食。 濃縮された時間は、決して気楽なものではなかったが、楽しくもあった。 みんなにとってはどうなのか。 俺にはわからない。でも、ひとつ確かなことがあるとするなら、ヒカル、ナギ、誉、まりりん、シスター、それぞれの笑顔を見られた。 ならきっと、こうしてここに来て、よかったと思ってくれたはず。 そんなことを考えて、俺はようやく安心した。 教師として。あるいは、男として。成すべきことはできたんだろう、と。 よいしょ、と立ち上がり、俺は障子を開けて小さなベランダとの境に腰を下ろした。 外には深い紺の空と、そこに浮かぶ淡い三日月があって、冬の寒さが浴衣一枚の身体を冷やしていく。 隣で鈍く篭る音が聞こえる。 どすん、ばすん、と連続して響き、同時に壁が微かに揺れ始めた。 枕投げが始まったのだと気づく。シスター辺りが顔面に直撃をもらって目を回してないかと心配になってきた時、 「――― キミ」 「ぅわぁっ!?」 不意に斜めから声が掛かり、見るとそこには……今日二度目の、死神がいた。 デス先生は木枠に座って、肩にぴよを乗せ、小さな身体で俺を見下ろす姿勢を取っている。 その圧倒的な存在感はいつも通りだが、どことなく、今は優しい雰囲気も感じた。 「あ、あの…………」 「何だい?」 「どうしてここに?」 「……キミに、話があってね」 疑問が頭を過ぎる。 デス先生が、俺に、話がある? …………ひょっとして、何かまずいことしましたか? 本日何度目かわからない冷や汗を流しつつ、次の言葉を内心がたがた震えながら待っていると、 「―――――― これからも、あの子達のこと、お願いするよ」 「へ?」 薄く、本当に薄く、よく目を凝らさなければわからないくらいの、そんな笑みだった。 そのひとことを最後に、デス先生の姿はすぅっと闇に溶けてしまう。 問いを向ける暇すら与えられず、ただただ取り残された俺は、 「………………ま、いっか」 例えデス先生の意図が何であろうとも。 俺は、今まで通りやっていけばいいだけだ。 「――― ずっと、そのつもりですよ」 答えは、誰に聞かれることもなく消えていく。 見上げた月は、白く、そして静かに映えていた。 Back. / Next. |