十月も終わりが近い。二学期の中間試験も無事に過ぎ、文化祭がすぐ後に控えていた。 学校内は全体的に慌しくなってきている。それはわたしのクラスも、そしてわたしも同じだ。 当然ながら生徒会は行事を中心になって引っ張る立場にある。 手伝いのわたしが抜けるわけにもいかず、抜けるつもりもないので毎日が大変。 文化祭有志の発足もしてはいるものの、厳しいことに変わりはなかった。 日程の設定、物資流通の把握、予算問題に苦情処理。自クラスにも顔を出しつつの作業。 東奔西走な毎日で、けれどとても充実した時間だった。 いつもと少し違うことがある。 仕事の違いでつかさくんと一緒に帰る日が減ったのだ。 クラスの作業は比較的早く終わるのに対し、生徒会での仕事は下手すると夜遅くまで。 五分や十分ならともかく、二時間も三時間も待ってもらうのは無理だろう。 頼めばあるいは残ってくれるかもしれない。でも、そこまでしようとは考えなかった。 それに、今は。今だけはそっちの方が都合が良かった。 心は決まったけど、だからといってすぐ行動に移すのはできそうになくて。 準備期間が欲しかった。気持ちの整理をつけるための時間が。 そのためになるべく彼と一緒にいるのは避けたかった。不自然に思われない状況なのが有り難かった。 ……ひとつひとつ、不安定で曖昧な想いを鮮明にしていく。 二人の思い出を、日常を、これまでは得られなかったものを。 わたしはずっと未来まで手にしていたいと、そう思う。強く願う。 だから、自分にできる精一杯のことをするのだ。 努力は惜しまない。辛くても苦しくても、駄目かもしれないとわかっていても、気持ちを伝えることに躊躇いはない。 ―――― もう、自分に嘘はつけない。 わたしはつかさくんの隣にいたいから。 隣で、笑っていたいから。 「はい、お疲れー。上がっていいよー」 「うん、ありがとう。……でも、いいの?」 「いやいや、ここまで手伝ってくれただけでも十分だし」 文化祭当日。 二時半になって、わたしは解放された。 できればそこまでにしてほしい、と前からお願いしていたけれど、もともとあまり働かせるつもりはなかったらしく。 何だか呆気ないくらいすんなりとお勤めが終わって、逆に拍子抜けするほどだった。 生徒会の人間である証の腕章を外し渡してもう一度お辞儀をしてから駆け出す。 わたしのクラスの出し物は、いわゆる縁日の出店を集めたものだ。 射的の銃などは実際に出店を持つ人とコネクションがある子が頼み込んで借りてきた。 他にも三角くじや景品の数々を安く仕入れられる問屋を教えてもらったりと、かなりの助言があったとか。 そんな他力本願がだいぶ含まれた出し物だけど、結果としてはそれなりな盛況。 教室に着いた時も、行列こそできないものの程良く途切れずに客が入ってきてた。 ひとつのクラスに生徒はおよそ四十人。そのうち部活やサークルに入ってるのは大半だ。 特に文化系はだいたいが展示や出店をしているので、そっちだけで手一杯な人も少なくない。 何の巡り合わせか、わたしのクラスは殊更文化系の部や同好会に所属する生徒が多かった。 それはつまり、自由な時間が皆それぞれ違うということ。 委員長はシフトの取り決めに相当悩んだそうで、全員から空き時間を聞き出し上手い具合に調整。 一日中束縛される人を除き、開場九時半から閉場五時まで二時間半ずつのシフトを作った。 他に予定がないなら五時間分働く。部活に足を取られない、つかさくんもその中の一人だった。 一応わたしは生徒会の仕事と同時に看板を持って呼び込みをしていた。 だから二時半以降のシフトには入っていない。交換条件、というやつである。 全てはつかさくんと同じ時間に動けるようになるため。これまでの手回しが当日になって実ったのだ。 「つかさくん」 示し合わせた教室前には彼の姿。 雑踏に紛れているけれど、わたしが見つけられないはずもない。 ぼんやりと立つ長身へ声を掛けると、彼は顔を上げて軽く笑った。 「お、稚紗。お疲れ様」 「そっちこそ、お疲れ様」 「んじゃ行くか。……どうする?」 「つかさくん、お昼は食べた?」 「いや。弁当も持ってきてない」 「ならちょっと回ろっか」 文化祭もある意味では祭りのひとつ。 売れやすいという理由もあってか、簡単な食事を作るクラスは必ず存在する。 喫茶店を初めに、うどんや焼きそば、お好み焼きにおにぎりと、正しく祭りの様相で。 「どうしてお祭りで食べるもんっておいしいんだろうな」 「うーん……雰囲気、とか?」 「あー、そうかも。意味もなく走り回りたくなるような感じのアレだ」 一年から三年までの教室を適当に見ていけばお腹を膨らませるのは容易い。 食事を済ませた後は知り合いのところに顔を出しつつ、会話と共に歩く。 楽しい時間は過ぎるのも早い。 行く場所がなくなったのは四時少し前だった。 「まだ終わるまで時間あるけど……どっかでぼーっとするか?」 「ううん。…………あのね、ちょっと、わたしと一緒に来てくれるかな」 「どこに? ていうか、なんで?」 「着いてから教えるね」 言ってからわたしは、彼の手を取って足を進める。 疑問に感じながらもしっかり付いてきてくれてることに安心した。 廊下を抜けて階段。一階まで降りて校庭へ。なるべく人目につかないよう慎重に通り過ぎる。 外にはほとんど人がいない。暇を持て余した学生が散開して遊んでいるだけ。 校舎の外壁をなぞる形で歩き、そのまま裏側へと回るコースを取る。 途中に生えているイチョウの木は見事に色付き、掃除してもひっきりなしに落ちる葉と銀杏が地面を埋め尽くしていた。 どうにか実を踏まずにそこを越え、わたし達は校庭の隅、校舎裏の静かな場所に辿り着いた。 「……ここか? 別に何もないけど」 「何もないから来たの」 手を離し、彼が疑問を言い切る前に、正対。 じっと目を見て、唇を噛み締めて、心を落ち着けて。 「……今日はね。大事な話があって、ここに来たの」 「人前じゃ言えないようなことか?」 「…………うん。つかさくんにしか、言えないこと。つかさくんに、言いたいこと」 今にも破裂しそうなほど激しく暴れる心臓をどうにか宥めようと、深呼吸を一度。 少しだけ鼓動が緩くなってから、わたしは言葉を続ける。 「あの、わ、わたし…………」 ……一番大事なひとことが、言えない。 頬が凄く熱くて、どうしようもなく震える手は制服の裾を掴んでて。 俯いてしまう。待ってはくれない時間の非情さに、瞳が潤んで泣きそうになる。 「……何だよ、稚紗。言いたいことって」 「…………えっと、あの、その……っ」 「らしくないなぁ。いつもはもっとはっきり言うだろうに」 ―――― こんなにも、気持ちを伝えるのが難しいなんて思いもしなかった。 ―――― こんなにも、本当のことを知られるのが怖いなんて想像してなかった。 見上げられない。恥ずかしさと苦しさの混じった感情が渦巻いてる。 つかさくんは、今どんな顔をしているだろう。呆れられてるのかもしれない。 ふと、甘い囁きが聞こえた。このまま黙っていれば、そして最後に何でもない、と言ってしまえば、全てはなかったことになるって。 わざわざなけなしの勇気を振り絞ってまで告白する必要はないんだ、って。 それは魅力的な提案だった。 自分が我慢すればいい。それだけでいい。 簡単で、安易で、この場所では苦しまずに済む方法。 ……でも、ここで。ここで逃げちゃいけない。 逃げたらもう二度とタイミングを掴めなくなる。流れて、流されて、終わってしまう。 ―――― 言わなきゃ、だめ。 例え先に待つ結果が惨憺たるものだとしても。 踏み出さなくちゃ、始まらない。 「わたしと……」 意を決し、わたしは再び顔を上げる。 真っ直ぐにつかさくんの目を見て、向き合って、この想いを伝えるために。 そして、 「わたしと付き合ってくださいっ!」 声は叫びに近かった。 目を閉じて、精一杯喉から引っ張り出した言葉。 ゆっくりと瞼を上げ、開いた景色の真ん中に立つ彼は、一瞬苦笑して。 「……ああ、いいよ」 それは間違いなく、わたしが待ち望んだ答えだった。 back|next |