時々、どうしてわたしに頼むんだろう、って思うことがある。
もっと力持ちな人も、もっと足の早い人も、もっと頭のいい人もいっぱいいるのに。
友達に言わせれば「稚紗ならまず断らないからでしょ」。確かにそうなんだけど。

……要するに、手伝う、という行為が好きなのだ。
誰かの役に立つこと。誰かの力になること。誰かのために動くこと。
例えそれが貴重な時間を無駄に使っているように見えるのだとしても。
わたしは喜んで自分の暇を差し出す。今までもそうで、これからもそう。

こんな自分の性格は、いわゆるお人好しなんだろう。
そういえば他のクラスに、素敵な女の子がいる、って話を聞いたことがある。
雛野さんと言ったか、成績優秀容姿端麗、人の嫌がることを進んでこなす理想的な人間だと。
けれどわたしはそこまで凄くない。勉強は人並みにしかできないし運動は音痴一歩手前と言っても差し支えない。
容姿に至っては十人中九人が小学生と間違える小ささ。当然ながら……その、平たいし。
ちなみに残りの一人は中学生と間違える。どちらにしろ高校生にはどこをどうしたって見えないわけで。

自分の情けなさや役立たなさを、けれど一番理解してるのは自分自身だ。
その上で、わたしにだってできることを精一杯やり通したいと思う。
失敗はするけど、たくさんするけど、それでも。

でも……やっぱり、これはわたし向きの仕事じゃないのは間違いない。

「うぅ、重いー。んしょ、んしょ」

依頼者は担任の先生。内容は物資運搬。
ホームルーム後に頼まれたのはわたし一人で、別に断る理由もないから快く引き受けた。
ただ、ひとつ大きな問題があった。それは荷物の多さで、馬鹿みたいに分厚い書類の束を「任せた」と言われた時は 一瞬どうしようかと本気で悩んだ。だってこれじゃ足下が全く見えない。
かといって一緒に運んでくれそうなくらい懇意にしてるクラスメイトはもう教室に残ってなかった。

「こ、転ばないように……」

万が一にでも足を滑らせれば悲惨な事態になるのが目に浮かぶ。
急がず焦らずゆっくりと、慎重に書類を抱えながら階段を昇る。正直このまま降りるのは怖いので目的地が上の階で助かった。
腕全体で固定しながら一段一段確実に。右端に寄って人にぶつからないように。
社会科準備室。どうにかノックしてドアを開け、机に向かう先生の一人に声を掛ける。

「おお、わざわざすまん。重かったろう」
「あ、いえ、大丈夫です。それでは失礼します」

中間試験も近い。それに関係した物ならあまり見るのはよくないだろう。
教室に戻り荷物を取ってから職員室へ。頼んだ当人に渡したことを知らせに行く。

「そうか、いや、助かったよ。手が離せなくてな」

担任の先生も社会科担当。普段なら社会科準備室にいるけれど、今日は職員室でやるべきことがあったらしい。
急ぎの用で動けず、しかしなるべく早く渡しておきたかったのでちょうどフリーそうだったわたしに頼んだ、とのこと。
適度に感謝の言葉を受け取り退出。そしていつも通り、目指す場所は校庭。










……のはずだったのに。
何故だかわたしはあれから一時間半も経過した後、校庭へ続く廊下を歩いている。
理由は偶然(なんだけどちょっと故意じゃないかと疑いたくなるようなタイミングだった)鉢合わせした生徒会の子の一人。
どうも思わぬところで問題が起き、急遽人手が欲しくなったそうで。
軽く頭まで下げられて拒絶できるはずもなく、流されてそのままずるずると。
結局労働要員としてわたわた動き回り、どうにか開放された頃にはもう五時過ぎ。

「………………」

校庭は正門の反対側にあり、校舎を挟んで位置している。
六クラス中前半三組が校庭側で、その他は一階から廊下、職員室、図書室、視聴覚室と面した形。
わたしが今通っている場所からは部活風景がよく窺える。
それなりに広い校庭だけど正門を出てすぐにもうひとつグラウンドがあったりするのは、部活動に困らないようにとのこと。
実は体育館もふたつあって、学校の事情を知らないわたしでも「お金掛かってるなぁ」なんて下世話なことを考えてしまう。

遠く、すぱぁん、とラケットが球を捉える音が聞こえる。
窓越しに響く掛け声。コート内を忙しなく動く姿。
スポーツに傾倒する生徒達を眺めていると、青春ってこういうのを言うのかも、そう思ったりもする。
走ることはせず、校庭の様子を視界に入れながら進んでいると、部員が散り始めた。
練習試合をするらしい。マネージャーの女生徒や下級生が下がり、僅かな人数が残ってネットを挟み近づき礼。

その中には……つかさくんもいた。少し離れててよくわからない。
わたしは足を速めて、彼の立つコートへと向かった。

「……ふぅ」

後ろの方、邪魔にならない程度に離れた場所まで来た。
そこで立ち止まり、練習とはいえ手加減のない打ち合いを見つめる。
つかさくんの相手は同じ二年生の男子だ。確か部内では五指に入る実力者。

けれど、一応ながら部長候補。相手が五指なら彼は三指。
県大会でもそれなりな成績を残したつかさくんには及ばない。

トップスピンで飛んできた球。割とラインギリギリのコースなのに、先読みしてたのかあっという間に追いつく。
振り切られるラケット。インパクトの瞬間、短く息を吐く彼の様子が正面から見えないにも関わらず鮮明に脳裏に浮かぶ。
二割増しの速度、しかも綺麗に立ち位置とは反対側を狙ったリターン。
向こうは何とか手を伸ばすものの、苦し紛れのスイングで、ジャストミートには程遠かった。
ボールはフレームに当たり、かなりの勢いで上空へ。そして、

「ひゃっ!」

三階、図書室の窓付近にぶつかるのと同時、微かに聞こえた女の子の声。
換気でもしていたのか、ちょうど顔を外に出した時に球が目の前を通ったらしい。

「すみませーん、大丈夫でしたー!?」

ミスをした男子が上に心配の言葉を投げかける。
返事の代わりに、軽く上体を乗り出した彼女は小さくお辞儀をひとつ。
その様子だと怪我とかはしなかったみたいだ。何となくわたしもほっと一息。
ふとつかさくんの方に視線を移すと、当然といえば当然か、彼も図書室の窓から顔を出す少女を見ていた。


―――― そこで、わたしは気づいてしまったのだ。


窓際の彼女が、他の誰でもない、つかさくんに向けて微笑んでいるのに。
どことなく弱々しくも優しげな眼鏡の奥の瞳が、真っ直ぐ彼だけを見つめていることに。
その微笑みには、まだ経験のないわたしにでもわかる、恋をした幸せが含まれているということに。

合わさった視線はほんの一瞬。
窓は閉まり、彼女の姿も室内へと消え、また全てが動き出す。
けれどわたしは……しばし、呼吸さえも忘れてしまってた。

帰り道、隣に彼はいなかった。
ちょっと気分が悪いから先に帰るね、と伝えて。


今日だけは……一緒に、帰りたくなかった。



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