夏の陽射しは立秋を過ぎても控えるつもりなんて微塵もないらしい。
けれど都会の暑さに比べれば全然可愛いものだと聞いたことがあるので、私達は恵まれているんだろうか、と青海は思う。

つつ、と頬を汗の珠が伝う。
手の甲で拭っても拭っても流れてくる。ハンドタオルの一枚でも持ち歩くべきかもしれない。
空を見上げれば申し訳程度の雲と、抜けるような、という表現がぴったりな青色。
眩しさで目を細めれば、蝉の大合唱が余計激しく耳に入る。

「あついー……。でももう少し……」

ズレた帽子を整えながら歩く。
日射病にならないようにと思って持ってきたが、どうやら間違った判断ではなかったようだ。

左手には鞄。結構重い。
何だかふらふらする。その都度背を伸ばし、姿勢を正しては帽子をいじる。

「……あった」

青海の目の前には、随分と大きな二階建ての建物。
入口の横に打ち出した字で『霧ノ埼図書館』と書いてある。
腕時計を見やると、約束した時間の二分前だった。かなりギリギリだ。

「それでは、いざ桃源郷へっ」

中に入ればそこはクーラーの領域内。
外と比べて圧倒的に涼しい空気が肌を撫でる。

「あー、涼しいー……あっとそうだ、蓮華くんは……見つけた」

少し奥の机。
蓮華はその場所で、一足先にノートを広げていた。










図書館というのは、ただ本を貸し借りするだけの場所ではない。
蔵書量はそのまま知識の保有量とイコールだ。
一般人には決して集め切れない量の資料がそこにはある。
中には絶版したもの、非売品も存在しており、そういった本は持ち出し禁止な場合も少なくなかったりする。
だからこそ、図書館には資料を求める人達のための席が設けられているのだ。
情報には困らず、さらに静かで過ごしやすいとくれば使わない者はそうはいないだろう。
学生から老人まで、幅広い年齢層が図書館を利用する。
その中に、青海と蓮華も含まれていた。

「はい。これでよかった?」
「うん。ありがとう、はやかわさん」
「どういたしまして。それじゃ、始めますか」

今日ここに来た訳は他でもない、いわゆる夏休みの課題のため。
二人ともそれなりに真面目な生徒なので、ちょこちょこ進めてはいたが、一気にやってしまおうと相談した結果である。
互いの自宅という選択肢も一応あったのだが、集中して勉強するのに図書館以上の環境はなかった。

「えっと……うーん、ここは……難しいなぁ。蓮華くん、ヘルプー」
「まず、そこにこれをだいにゅうして……うん、そう」
「ふむふむ。……よし、解けたっ。後の問題はだいたい同じパターンだから……」
「……はやかわさん。ここのやくしかた、わかる?」
「どれどれ? あ、そこはね……」

わからないところは相手に聞く。
しかし、完全に解いてもらうのではなく、導き方を教えてもらうだけ。
最後は自分の力で。そうしなければ意味がないことを二人は知っていた。

「よし、数学終わりっ」
「えいご、おわった」
「あとそっちは?」
「こぶん、かんぶん、それとどくしょかんそうぶん。……はやかわさんは?」
「読書感想文は私も。他は、物理と世界史。世界史はすぐ片づくよ」

青海の得意教科は主に文系だ。現代文、古典、英語、そして社会系統。
対して蓮華は完全に理系。数学、物理、生物。地学は選択していないが一応できるらしい。
ちなみに読書感想文は現文からの課題で、特に本の指定はない。
図書館に来た理由は、そこにもあった。

順調に二人は課題を消化していく。
一人なら進みも遅かっただろうが、補い合えば速度は上がる。
普段解けない問題が解けていく感覚は心地良いものだ。
今確かに、勉強が楽しいと青海も蓮華も感じていた。

「……よーし、だいぶ片づいたね」
「うん」
「じゃあそろそろ本を探そっか」

荷物をあらかた仕舞い、立ち上がる。
残りはもう僅か。二、三日もあれば終わる量だった。

「思うんだけど、ここ、異様に蔵書量が多いよね」
「ほんだなばっかり」
「噂じゃ国会図書館並みだとか」
「……こっかいとしょかん?」
「日本で一番大きな図書館、かな? 書籍だけで八百万冊とかあるんだって」
「……でも、ここ、そんなにあるようにはみえない」
「二階にもあるのかも。……まぁ、あくまで噂だしね」

この図書館、一般に公開されているのは一階部分だけで、二階がどうなっているのかはわからない。
事務関連の部屋と館長室があるらしいが、それ以外に何があるのかは職員しか知らないことだろう。
しかし、一階にある物だけでも十分過ぎるほどの量がある。
もし全てを読もうとするならば、いったいどれくらいの時間が掛かるんだろうか、と何となく青海は思った。

二人の視線は文庫の並ぶ棚を過ぎる。
時たま手に取っては戻し、取っては戻しを繰り返す。
良さそうなのが見つからないまま、今度は児童書の棚の前へと。

「…………あ」

そこで青海は何かを目にした。
引き抜いたのは一冊の絵本。それを軽く開き、

「懐かしいなぁ、これ。小さい頃よく読んだ」

愛おしそうに呟く。
何故なら今、青海の家にその本はないから。

「いつの間にかなくなっちゃってたんだよね。見つからないー、ってわんわん泣いた覚えがあるんだ」
「……かなしかったの?」
「あの時は。今は悲しくないけれど……寂しい、かな」
「さみしい」
「大切な……お父さんとの、思い出があったから」

ずっと残るものなんてほとんどなくて。
なくなってしまうものの方が多くて。
―――― でもそれは、きっと仕方のないことで。

「…………はやかわさん」
「大丈夫。だからそんな顔しないで」

帰る時間になっても、読書感想文用の本は決まらず。
青海は代わりに、その絵本を借りた。


……大丈夫。思い出はなくなったりなんか、しないから。



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