「うふふ、青海ー」
「どうしたのそんなにやけた顔して」
「はい」
「………………何これ?」
「見ればわかるでしょ」
「わかるけど……」

手渡されたのは映画のチケットだった。それも二枚。二人分。
けれどこの辺に映画館はない。見に行くならば映風市まで赴くことが必要だ。
さらに言うと、その映画はもう終わりが近かった。

「ごめんね。最近仕事がちょっと忙しくて、私は行けないのよ」
「……だから?」

青海は次に続くだろう言葉を予想できていながらも、聞かずにはいられなかった。

「蓮華くんを誘って一緒に行ってきなさいな」
「やっぱり…………」

どうも深紗子は勘違いをしているらしく、やたらとこう、二人をくっつけようとしてくる。
勿論一緒に出かけるのは嬉しいのだが、何だか急かされているようで青海は少しむすっとした。

「あのねお母さん、」
「まさか行かないなんて言うつもりはないわよね?」
「だから、」
「ないわよね?」
「……行くけど。ちょっとは娘の話を聞こうとは思わない?」
「だって青海、あなたあまり『こういうこと』には慣れてないでしょう?」
「慣れてるわけないって」
「もっと積極的にやりなさい。蓮華くんはきっと押しに弱いタイプよ」
「…………はぁ」

助言なのかそれともただ楽しんでいるだけなのか、にっこりしながら話す母を前に溜め息ひとつ。
どうしたものか、と苦笑する。
行くとしたらすぐだろう。声を掛ければ、間違いなく彼は断らない。

……明日、大丈夫かな。

後で電話をしてみよう、と思う。
結局、青海も楽しみにしているのは確かだった。だから、

「…………ごめんね、青海」

その背に向けられた、小さな、本当に小さな深紗子の呟きは、彼女には届かなかった。










待ち合わせた駅前に着くと、既に蓮華がいた。
合流し、二人電車で映風駅へ。
軽い人波に流されながらも改札を抜け、しばらく歩く。

「えっと……こっちだっけ」
「たしか」
「あの辺かなぁ」
「たぶん」
「……蓮華くん、道わかる?」
「はっきりとはわからない」
「あはは、そうだよね。私も」
「………………」
「………………へいき?」
「辿り着けるかなぁ……」

そんなこともあって、どうにか映画館を見つけたのは三時五分前。
次の放映は三時十分だという。少し待つと、客がまばらに外へ出てきた。
さすがに上映開始から二ヶ月ほど経っているからか、人気はないらしい。

チケットを二枚渡し中に入る。
実はちょっとだけ蓮華が止められやしないだろうかと心配になったのだが、そんなことはなくて安心した。

……いや、だって高校生には見えないし。

飲み物を買い、席を取る。
ほとんど空いているので選び放題だった。
最前列より僅かに後ろの場所に腰を据える。前過ぎると見にくいし、眩しいから。
青海のような視力の低い人間にとって、それは割と気にしなくてはならないことだ。
ちなみに彼女は眼鏡を使わず、コンタクトレンズをいつも付けている。
案外他人には知られていないので、特別誰かに言ったりはしないのだが。

「…………おおきい」
「何が?」
「スクリーン」
「……もしかして蓮華くん、映画館初めて?」

訊くと、彼は恥ずかしそうに頷いた。
テレビで映画自体は見たこともあるらしいが、こうやって上映しているものを目の当たりにする経験はなかったらしい。
きょろきょろと周りを見回し、不思議そうな表情を浮かべていた。
初めての物達に目移りしていた彼を座らせ、一分ほど待つと明かりが消える。
そして、眩しく光を映すスクリーン。

上映の開始だった。










「それで―――― どうだった?」
「……よかった。はやかわさんは?」
「えっと、まぁ、悪くなかった。うん、悪くなかった」

映画館から徒歩で三分ほどの距離にある喫茶店。
見た目の綺麗さと客の少なさで選んだけれど、案外飲み物も美味しかった。
頼んだストレートティーを口に含みながら青海は一人うんうんと頷く。

「ストーリーはありきたりって言えばありきたりだけど、その分、伝えたいことはよく伝わってきたかな」

端的にその映画のテーマを表現するならば『家族の絆』だったのだろう。
主人公である少年は、両親の顔を知らずに生きてきた。
捨てられ、孤児として育ってきたからだ。
成長していく中で彼は自分の出生を知ることになり、そして、本当の両親を探し始める。
養父母は優しくしてくれたけれど、知らなくてもいいことなのかもしれないけれど、それでも彼は求めた。
会ってどうするのか、何を言うために探すのか、考えずに。
捜索の末、遂に父親の居場所を見つける。
彼はそこに向かい、同時に母の死を知った。
遺影の面影は、確かに自分に似ていて。ようやくここまで来たのに二度と会えなくて。
彼の父親は目を逸らし、ただ謝った。すまない、すまない、と。
……ならどうして捨てたのか。……仕方なかったんだ、と返ってくる答え。
拳を握る。強く握る。その右手で少年は思いっきり父を殴った。

『ふざけんなよ! こっちがどんな思いをしてたかもわからねえくせに!』
『………………』
『それでも、それでも、アンタは俺の父親なんだよ! それくらい……わかれよっ!』

例え捨てられ顔すら合わせることがなくとも。
ボロボロになるまで傷つけられたって。
家族であるという、その事実に変わりはない。

「…………そうだね。家族って、素敵なものなんだよね」
「……うん」

二人俯く。
青海の言葉は、お互いにとってある意味特別な重さを持つものだった。


別に……離れたくて離れているわけじゃないのに。



backnext