待つ時間というのは、とても不安なものだ。
それが長ければ長いほど、心に積もっていく。

だから、二秒も経たずにドアが開くと、こんなにも安心するのは自分だけだろうか。
そう蓮華は思う。
ノブを握って立つ彼女は、いつも通りの彼の顔を見て、どうぞ、と声を掛けた。

「おじゃま、します」

軽くお辞儀。同時に彼女の手が離れて玄関が閉まる。
先を行くその背を追えば、辿り着くのは居間だ。
もう慣れ過ぎて間取りが頭の中に入っているのだけれど、こうして後ろを付いていくのが彼は好きだった。


早川家。
ここに蓮華が来た回数は、既に八十を越している。










昨日の夜のこと。
蓮華のところに宅配便が届いた。
やたらと重い段ボール箱のガムテープを剥がすと、中には色とりどりの野菜が。
にんじん、キャベツ、大根、きゅうり、ねぎ、トマト、ほうれん草その他諸々。
毎年この時期になると送られてくるそれらは彼の親戚が作ったものだ。
旬がどうとか細かいことは蓮華にはわからないが、有り難いな、と思う。

いつもは一人でゆっくり食べ切るのだけれど、今回は例年より心なしか多かった。
なのでお裾分けというものをしようと考え、その相手として真っ先に浮かんできたのが早川家だった。

今日の訪問理由はそういうわけで。
現在、蓮華の手には新鮮野菜の数々が入ったビニール袋。
テーブルの上に置かれた袋は、中身の重さでぐしゃっと広がっていた。

「うわぁ……これ全部? いいの?」
「うん。まだいっぱいあるから」
「ならいいんだけど……」

ひとつひとつを冷蔵庫に仕舞う。
量が結構あるので入り切るか怪しいところだったがどうにか詰め込んだ。

「はい麦茶。先日のお返し」
「ありがとう」
「どういたしましてー」

二人分のコップには氷が二、三個。
入れたばかりなのでまだそんなに冷たくないけれど、十分気持ちいい感覚。
半分ほど飲んでコップを置くと、からん、と軽く氷が音を立てた。

「蓮華くん。親戚の人って、どんな人なの?」
「あんまりあったことないけど……なんか、すごいひと」
「……すごいひと?」
「うん。はたけたくさんもってて、ぜんぶふたりでたがやしてる」
「…………ちなみに、年齢はどのくらい?」
「たしか、ことしでふたりともはちじゅうろくさい」
「……すごいね」
「うん」

あの野菜は大事に食べようと青海は思った。










話し込んでいたら夜になった。
時計の長針が七を指す頃、玄関から明るい声が聞こえてくる。

「ただーいまー」
「おかえりー」
「……おかえりなさい」

足音が居間に近づき、人影が入ってきた。
その人は鞄を適当な場所に置き、んー、と呟いて、

「涼しいー。もう、何でこんなに外は暑いのかしらね」
「そりゃ夏だからでしょ」
「あら、蓮華くん。いらっしゃい」
「え!? 何、私無視された!?」
「……おじゃましてます」
「蓮華くんも普通に答えないの! ……もう、冗談もほどほどにしてよ、お母さん」

早川深紗子。青海の母である彼女は、いつもこの時間に帰ってくる。
そして、彼女の帰宅が夕食を作り始める合図でもある。
だいたい流れで蓮華も手伝うことが多く、三人で食卓を囲む日も珍しくはなかった。

「あら、今日は野菜が多いのね」
「蓮華くんが持ってきてくれたの。親戚の人が送ってきてくれたんだって」
「そう。ありがとう、蓮華くん。じゃあ今日の夕御飯は野菜尽くしね」
「ぼくも、てつだいます」
「無理に手伝わなくてもいいのよ?」

その言葉に、蓮華は首を横に振る。
自分がそうしたいのだと。そうすれば嬉しくなるから、と。

彼の気持ちを無碍にするつもりもなく、深紗子は食器出しをお願いすることにした。
彼女が調理全般をし、青海が味噌汁などの加熱物関係を、そして蓮華が盛り付けなどの外見部分を、といった感じだ。
それは普段通りの三人の姿であり、ほとんど台所に立つ三人が日常化してきた証明でもある。

じっくり一時間ほどを掛け、テーブルには料理の数々が並んだ。
最後に味噌汁と白米を人数分用意し、準備は完了。
思い思いの場所に座る。蓮華と青海が隣り合わせで、その向かいに深紗子一人。
またこれも、半年近い時間の中で作られたそれぞれの配置だった。

「いただきます」

手を合わせ、発した声は同時。
あとはそれぞれ、箸を伸ばしてご飯やおかずを摘んでいく。

食事中、会話をするかしないかは家毎に違うものだが、早川家では割と色々話をする方だ。
内容としてはどうでもいいことや、学校、あるいは仕事場での出来事が大半を占める。
稀に相談の類をする場合もあり、言うまでもなくそれを受けるのは大人の方。
最近は青海より蓮華が質問疑問を向けることが多く、その都度深紗子は丁寧に答えていた。

「…………みさこさん」

初めは『はやかわさんのおかあさん』と呼んでいたのだが、本人たっての希望により名前で呼ぶことにした。
以来、蓮華はずっとそれで通している。
ちなみに、母の名を彼の口から聞く度微妙に不機嫌そうな顔になる青海の様子には誰も気づいていない。青海自身を含めて。

「ん、なに?」
「………………かぞく」
「家族?」

言いかけて、しかし声は続かなかった。
鸚鵡返しに訊ね、深紗子は先を促す。
蓮華はしばらくむぐむぐと一番いい言葉を探し、どうやら考えついたらしく、小さく頷いてから、


「かぞくって、なんだか……あったかい、ですね」
「………………そうね。とても、とってもあったかいものね」


―――― 早川母子は知っている。
彼が今までどんな境遇にいたのかを。
だからこそ、家に招き食事を共にすることにも全く抵抗はなかった。

家族ごっこと揶揄されればそれまでだろう。
けれど、少なくとも青海は思うのだ。
自分にとって母親はどれだけ有り難い存在だったか。
できることなら、そんな気持ちを彼にも知ってほしかった、と。

一人で食べるより、二人で、三人でテーブルを囲む方が楽しいに決まっているのだから。
そして、そうすることで彼の笑顔を見られるのなら、他に望むものなんてない。

この時限りは間違いなく。
三人は、家族でいられるのだ。


嬉しそうな蓮華を眺めながら、青海もうっすらと笑みを浮かべた。



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