考え事をする時、手元の物をくるくると回すのが青海の癖だ。
昨日は鉛筆。今日は箸。
でも回しながらも食べることは忘れない。

はむ、と一口。
母の作る卵焼きは相変わらず甘かった。

「…………むぐ」

場所は一階、校庭に続く道にあるベンチ。
そこに青海は座っている。
自販機で買った烏龍茶を片手に、箸をもう片手に。
膝に弁当箱を乗せて、そこから少しずつつまんでいく。

……どうしたものかなぁ。

自然、箸の回転速度が上がる。
くるくる、くるくる。止まらずに回り、手が滑って一本落ちた。

「あ」

転がっていく片割れ。
すぐに拾い上げ、埃を払い、水で念入りに流し、それからまた食事を再開する。

ちらりと、微妙に離れた位置を見た。
そこに座っているのは、一人の少年。蓮華だ。


始まりは十五分ほど前まで遡る。










「緑里くん、ご飯一緒に食べよう」

昼休みに入った直後、弁当の包みを広げようとした蓮華に青海は声を掛けた。
小さな身体が右斜め後ろに振り返り、青海の姿を捉えて、じっと見つめる。
それから彼は、迷う様子もなくこくんと頷いた。

周りはどこか冷めた目で二人を見ていた。
無駄なことを、と思っているのかもしれないし、物好きだ、と苦笑しているのかもしれない。
あるいはご苦労なことだ、と蔑んでいるのかもしれなかった。
緑里蓮華に関わるというのは一種の禁忌に近く、彼自体が異端そのものだったから。
触らぬ神に祟りなし。得体の知れない存在として、皆は得体の知れないままに放っておくと決めた結果、今がある。

会話ができない。
その一点だけでも、疎まれる理由としては十分だ。

しかし、そんなことで青海は止まらない。
もっと大事な、忘れられないことを知っているから。
だから手を引く。連れ出す。外へ。孤独でない場所へと。

……例えそれが、相手の望まないことなのだとしても。


「……本当、よくわかんない」

例えば授業後。
ノートを見せて、と頼んでみると、彼はその通りにする。
けれど、返す時にありがとう、とお礼を言っても、反応はない。
やっぱり昨日と同じ、僅かに首を傾げるだけ。

その行為がどんな意味を持っているのか、まだ青海には理解できない。
もっと付き合っていけばわかるだろうか、とは思うのだけど。

「…………しょっぱい」

また、一口。
今度の卵焼きは何故か塩味が効いていた。
隣のおかずの味が少し移ってしまったのかもしれない。

むぐむぐと咀嚼しながら蓮華の様子を見る。
彼は行儀良く背筋を伸ばして、淡々と弁当を食べ進めていた。
小さい口だなぁ、なんて今更ながらに何となく考えつつ、回す箸の動きを止めた。

「緑里くん、学校、どう?」
「………………」
「楽しい?」

無言。
聞く姿勢は取ってくれるものの、答えは変わらず返ってこない。
青海もあまり期待はしていないので、さらに続ける。

「三年生も卒業しちゃうんだよね。先輩の人達にはよくお世話になったけど」
「………………」
「そしたら私達もすぐに二年生になっちゃうよ。何だかあっという間だったなぁ」
「………………」
「色々あったよね。体育祭に文化祭。遠足とかも行ったっけ」
「………………」
「クラスのみんなとももうすぐお別れかぁ。また一緒になれればいいけどね」
「………………」

ずっと。
ただのひとこと、欠片の音さえも、返事としてはなかった。
彼は静かに、黙々と弁当を食べ進め、聞こえているはずなのに口を開かない。

……噂を思い出す。
色々なものがあるけれど、喋らないのではなく、喋れないのではないか。
そう決めつけたくなるほど彼は頑なだ。

言葉は届くのに通じない。
疑問はわかるのに理解されない。

そして青海は、訊いてしまった。
おそらく最も問う意味のないことを。

「緑里くん……私といて、楽しくない?」

今度こそ、彼ははっきりと、目の色を変えた。
不思議そうな視線を青海に向ける。わからない、とでもいうかのように。

それは、純粋な疑問だった。
故に青海には答えられなかった。
楽しいか楽しくないか、普通そのふたつしか選択肢は存在しない。
しかし蓮華はみっつめの答えを選んだ。どちらでもないもの。疑問に疑問を返した。

……どうしてそんなことを訊くの?

そう、訴えられたように青海は感じた。
あるいは錯覚だったのかもしれないけれど。

彼が立ち上がる。
弁当の包みを畳み終えて、去っていく。
行き先は教室だろう。他に蓮華がどこかに行ったのを見たことはない。

残された青海。
まだ少し、おかずが余っている。
食べかけの唐揚げ、その最後の一欠けを口に放り込み、深い、深い溜め息をついた。

緑里蓮華。
……彼はいったいどんな人間なんだろうか。
出席番号四十二番。成績優秀、小さな背、細い身体、素行にも問題なし。
ぱっと見どこにも異常なところはないのに、

「なんでだろう……」

理解されない言葉がある。
ただ、その線引きがまだわからない。


わかるためには、もっと、もっと関わることが必要なのは確かだった。



backnext