―――― で、あるからして……」

退屈な校長の話を右から左へと聞き流しながら、私はある決断をした。
心の中でいくつかの言葉を反復し、確かめる。
そうしている間に終業式は滞りなく閉式し、流されるまま教室に戻った。

あとは、だいたい中学校と同じ。
担任教師が適当に色々と言って、プリントを配り、最低限の連絡をして、通信簿を渡す。
もらっても、別に感慨はなかった。おおよそ内容の見当はついていたし、それに成績を気にするような性格はしていない。
そして、号令を最後に、夏休みが始まった。

皆がばらばらに帰っていく中、私はクラスメイトの一人に声を掛ける。
振り向いたのは少女。いっそ清々しいくらいにばっさり切られた髪と、溌剌とした雰囲気。
根岸希有は、私にとって友達と言える間柄の人間だった。

「んー? いこいちゃん、どしたの?」
「えっと……根岸さん、夏休み、三日くらいちょっと付き合ってくれない?」
「え…………? い、いきなりそんなこと言われてもあたしすぐ返事できないよ……?」
「違う違う。そっちの"付き合う"じゃなくて。何ていうか」

かくかくしかじか。
祖母の遺言、という部分は伏せて、旅行の旨だけを話す。
彼女は少しだけ考える仕草をしたが、すぐに返答が来た。

「うん、いいよ。基本的に暇だし」
「ありがとう。じゃあ、いつ行こっか。できれば早めにしたいんだけど」
「うーん……来週でいいんじゃない? 旅館の予約も取ってないんでしょ?」

準備期間のことも考えると、確かにそれくらいは必要かもしれない。
結果、ちょうど一週間後、霧ノ埼駅に集合、ということになった。
またね、と別れの言葉を交わし、駆けていく背中を見送る。
完全に見えなくなってから私はゆっくりと歩き始めた。

帰り道、持っていくべき荷物の中身をあれこれと悩みながら。










そして当日。
快晴というには雲が多く、その分陽射しは和らいでいる。
けれど暑いことに変わりはないので、つばの広い帽子を被り、歩くのに支障がない程度の重さの荷物を片手に歩く。

駅が見えた。
私はしかし焦らず走らずに入り口へ向かう。
視界に映る時計の針は、集合時間である三時の五分前を示している。
ふぅ、と息をひとつ大きく吐き、屋根に覆われた日陰の部分まで辿り着くと、

「やっほー。一週間ぶりー」

彼女が既にいた。

「うん、一週間ぶり。根岸さん、いつ着いたの?」
「十五分前くらいかな?」
「そんな早く来なくてもいいのに……」
「いやー、待ちきれなくってさー。何かわくわくしちゃってて」

霧ノ埼駅は割とローカルなところで、電車もあまり通らない。
多くても三十分に一本。しかもその頻度ですら珍しく、普段は一時間半に一本とかそんなものである。
本当はもう一駅あって、そっちはもっと栄えた側なのだけれど、私達の目的地に通じているのはこちら側だけなので仕方ない。
……それはともかく、一度乗り損ねてしまうと予定が大幅にズレるので時間に余裕を取っておいたのだ。
だから三時ちょうどに来ても全然問題はなかった。早く来ればそれだけ待ち時間は長くなるから。

駅のベンチに座り、まだ姿の見えない電車を待ちながら、私は隣に座る彼女を何とはなしに眺める。
どことなくうきうきした様子で、まだかまだかと遠くを凝視しているその姿。

―――― そんなに楽しみなんだろうか、と思う。

私は旅行というものをしたことがほとんどない。
昔、三歳とか四歳くらいの時、四国辺りに家族で行ったらしいけれど、勿論覚えているはずがなく。
それからは両親共に色々と忙しくなって、祖母の心臓のことも重なり、数日も掛けて外に出ることなんてなくなってしまった。

今回だって。
あの手紙がなければ、何もない平坦な夏休みを過ごしていただろう。それは確か。

でも……きっと、何度も旅行を経験していたとしても。
彼女のようにはなれないと、私は知っていた。

聞かれない程度に小さく溜め息をひとつ。
ちらりと時計を見やる。時刻は三時十二分。もうすぐ電車が来るはず。

「………………来たっ」

敷かれた線路の向こう、揺れる陽炎を越えて真っ直ぐに走ってくる。
徐々に速度を緩やかにし、止まり、そしてドアが開く。

「いこいちゃん、行こっ」
「え、わっ、ちょっと待って、荷物まだ持ってないっ」

立ち上がった彼女に手を引かれ、私は歩き出す。
駅に他の人影はほとんど見当たらず、そしてそれは車内に入っても変わらない。
空席ばかりだったから、座る場所には事欠かなかった。

「がらがらだねー」
「まぁ、これから行くのはそういうとこだし」
「そりゃそっか。仕事とかなら向こうの方に乗るもんね。こっちは映風通らないし」

霧ノ埼に住む人達は、だいたい隣の映風市に職場がある。
その場合、通勤に使うのはもうひとつの駅だ。あっちには一応ラッシュアワーもあったりする。
だからやっぱりこっちの駅は寂れた側で、列車も車両数が物凄く少ない。
時々、私達みたいな人が遠出目的で利用するだけ。正直、よく廃駅にならないな、と思う。

ベルが鳴る。
ドアが閉まる音が聞こえ、ゆっくりと、ゆっくりと、景色が流れ出した。


ここから……小さな、私と彼女の旅が始まる。



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