「嫌う」と「嫌悪する」は違うのだと彼女は思っている。
後者の方がより強く、そして拭い難い感情だ。
給食に入っている人参が嫌、なんてものとは訳が違う。
もっと、もっと激しい、否定の意思であろう、と。

鈴音にとっての風鈴はそれに近かった。
ただ、身を焦がすような気持ちを得るわけではない。
心が軋む、きりきりと締めつけられる音。
できれば耳を塞いで、想いを閉じて、目を背けてしまいたいものだ。

しかし―――― 彼女にそれはできない。
今も、昔も、そしておそらくはこれからも。


大切だからこそ厭うものもあるのだと、高校生になる鈴音は知っていた。










彼女が弁当を忘れることはない。
他の誰でもない、自分が作っているからだ。

「むぐむぐ。……ん、今日も味付けに問題なし。作った時に味見したけど」

隣の人間がまるで喋らず、無言の時間があまり好きではない鈴音は一人で色々と呟きながら食事をする。
ちらり、と横目で見やると涼風も弁当だった。
彩り良く揃えてあり、見た目も悪くはない。ゆっくりと口に運ぶ表情はぼんやりとしているが、きっと不味くはないのだと思った。

……母親が作ってるのかな。

そんな心中の言葉は声に出さない。
別に、詮索をしたいとか、根掘り葉掘り聞き出そうとかは考えないから。
その弁当を誰が作っていようが、少なくとも鈴音にはどうでもいいことだ。ただ、

……おいしそう。普通においしそう。でも「ちょっとちょうだい」なんて言えない。

―――― 物凄く葛藤していた。
二人が初めて屋上で会ってから四日、楽しげな会話のひとつもまともにしたことはない。
友達なんて間柄でもないのに、他人の弁当のおかずを無言で拝借する真似ができるはずもなかった。
かと言って、馴れ馴れしく「それ食べてみたい」みたいな台詞を向けられるほど楽な性格をしてもおらず。
結果、箸を止めて悩み始めた。本人に自覚はないのだけれど。

「沼丘さん、……大丈夫? 頭痛するなら保健室に行った方が……」
「あー違う違う気にしないで。事情があるのよ、事情が」
「何の?」
「………………むぐむぐ。やっぱり教室で食べるより美味しいわ」

無理矢理に誤魔化して話を強引にぶった切る。
頼むのは今度にしてみよう、と思い、

……次の機会に頼む気か私は。

心中で苦笑。
結局、いつも通り弁当は残さず食べ終えた。
箱の蓋を閉じ、横に置いて鈴音は溜め息を軽くひとつ。
ちらりと涼風の方を見る。弁当箱の中身は、まだ半分も減っていなかった。
おかずや白米を掴む箸の動きは滑らかで、迷いがない。
口元は全く汚れておらず、服にこぼれてもいない。それは行儀良く綺麗に食べることができている証拠だ。

涼風は中性的な面立ちで、身体は細く髪も長い。私服なら遠くから見れば女性に間違えてもおかしくないだろう。
これで名前が"すずかぜ"でなく"すずか"だったら本当に女の子みたいだ、と鈴音はどうでもいいことを考えた。

「んーっ…………」

風がひっきりなしに吹いている。
流れの方向は一定ではなく、四方八方から二人の頬を撫で、髪を揺らし、服をはためかせた。
夏の入り口。陽射しも強いが風の涼しさが中和して居心地のいい空間を作ってくれている。
少なくとも教室に篭っているより気持ちいいのは確かだった。

「本当、どうしてこんないい場所を立ち入り禁止にするかなぁ……」
「自殺者が出たなら仕方ないと思うけど。学校側としては醜聞なわけだし、二度と起きてほしくはないだろうから」
「まあね」

昼休みの間だけ……そんな短い関わりの中でわかったことがいくつかある。
まず、涼風は基本的に何も話さない。鈴音が黙っていれば、無言の時間を過ごすだけになってしまう。
ただし、何かを訊けばだいたい答えが返ってきた。
彼からの問いは一度だけ。彼女の名前を訊ねたのは、違うことなき彼の意思だ。そして、

「………………」

食事を終えた涼風の右手には風鈴が握られている。
鳴らないように、吊り下がった糸と鐘を手指で押さえながら。

四度鈴音は顔を合わせているが、その内一度たりとも彼が風鈴を持っていなかったことはない。
きっと何かあるのだろう、と思うがそれを訊ねるつもりもなかった。
大事なものを口にしたくないのは自分も同じ。
だから、厭う確かな気持ちがありながらも、僅かばかりの譲歩をしている。
涼風も鈴音に対し何かがあることには気づいていて、鈴の音を響かせないのは彼なりの譲歩と言って良かった。

「……もうすぐ昼休みが終わるわね」
「よくわかるね。ここからは時計見えないのに」
「勘よ勘」

時計は校舎の三階と四階の間辺りにくっついている。
校門の方からしか見えないので、屋上では時間の感覚がほとんどわからない。
いつも鈴音は弁当を食べ終えたら適当な時に帰り、涼風は鐘が鳴ってから下に降りていた。

「……戻らないの?」
「うん。何となく」
「そう」

理由はない。でも、もうちょっとだけいようと思って。
ぼんやりととりとめのないことを考えていると、

「ん?」

突然くいくいと手招きされる。
訝しげに感じながら彼の方を見れば、何やら呟きつつ空に絵を描くような手つきで指が動き、

ひゅぉ……っ!

―――― それまでばらばらに揺れていた風がひとつの流れを紡ぎ出した。
渦を巻くように、螺旋を作るように、柔らかな初夏の大気は涼風の周辺を囲む。囲んで、そして舞い上がった。

風と共に散らばった彼の髪が、一拍遅れてぱさりと落ちる。
そのどこか非現実的な光景を、鈴音は呆気に取られながら見ていた。

「昔から、僕は風に好かれているらしくて」

それ以上、涼風は何も言わなかった。
もし大事ならどうしてそんなことを教えたのか、そもそも今のは冗談だったのかさえも。


やっぱり―――― 彼は変な奴だと、鈴音は思った。



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