終わってしまえば、とても味気なく呆気ないものだった。 痛いほど静かな空気の中、すすり泣くような嗚咽を聞きながら。 ただ安らかなれと願われる当の本人は、柩に入れられて物言わぬ屍となっている。 死は、あまりにも無慈悲だ。 水絵が別れの言葉を伝える前に、話す機会を失わせた。 「………………お爺、様」 並ぶ多くの親戚に混じり、水絵も涙する。 声は立てない。無言で、雫に揺れる視界の向こう、厳格な表情の祖父の写真をじっと眺めていた。 そうすればほんの少しだけでも、心中で呟いた声が届くのかもしれないと思いながら。 答えは返ってこなくとも、さよなら、と、そう言えるのかもしれないから。 膝に重ねた手の甲に、ぽたりぽたりと涙が落ちる。 冷たくもなく、温かくもなく、それは頬を伝っていって。 悲しいから彼女は泣いた。 だからきっと、その事実が一番の手向けなのかもしれなかった。 葬式が終わって始まった宴会を、死者から見れば滑稽だろうと自嘲しつつ寿司を頬張る。 塩と魚とご飯の味がした。それだけ。 こういう時はおいしいものもおいしいと感じないんだなぁ、なんて、とりとめないことを考える。 親戚達は色々と何かを話しているようだが、水絵には関係のないことだ。 祖父が死んで、もう二度と会えなくなってしまって。 それは酷く悲しいことだけれど、だから彼女の何かが変わるわけではないのだから。 ……そう、思っていた。 遠峰の家は、明治の頃から続いている和菓子屋だった。 時代の波に飲まれることなく、いつまでも自分の形を崩さずに。 ただ、頑なに家の名を、技術を損なわないようにすることに全てを傾けた。 ある種の強迫観念だったのかもしれない。 残さねばならない、と。自分達の築き上げてきたものを、作り上げてきたものを。 だから、時代が変わっても、社会が変わっても。跡継ぎは必ず選出されてきたのだ。 水絵の祖父は急死するまで現役のままで。 そして、祖父に並ぶ腕を持つ者は、当主亡き今、遠峰の家系には一人しかいない。 他の誰でもない、それが水絵の父だった。 ホテルなどで雇われ料理人として自らの腕を磨いていた父は、いつか家に戻るようにと言われていた。 故に……遠峰の家に戻り、父はその名を、家業を継がなければならない。 否定ができない理由も、大義名分も、動機もある。 祖父が残した遺書には、長男である水絵の父に家を継がせる旨が記されていたこと。 名指しされた当の本人も死者の意思を尊重するつもりであること。 この問題は長い間放置できるようなものではないということ。 決断は早く、葬式の当日に決められた。 迷いの一切ない、誰もが初めからわかっていた結果だった。 気づけばあっという間に色々なことが過ぎ去り、家に帰り着いたのは夜も遅くなってから。 もう向こうでのことはほとんど覚えていなくて、ずっとひとつの事柄だけが詩のようにリフレインしていた。 水絵はまだ、子供だ。 一人では生きていくことのできない未熟な立場にいる。 どんなに足掻こうとも、変わらない現実は確かにあるのだ。 「………………嫌……」 呟いた声を聞く者は、当人以外に誰もいなくて。 痛いくらいに静かな部屋を、今すぐ飛び出したくなる。 「………………嫌だ……」 繰り返す。 同じ言葉を繰り返す。 そうすれば何かが変わってくれるのだと、あまりにも拙い希望に頼りながら。 「…………離れたく、ないよ……」 想いが叶って、いったいどれだけ一緒にいられたというのだろう。 一ヶ月すらもない。本当に、本当に僅かな期間。 それだけしか彼と一緒にいられなかったのだ。 ふとしたら消えそうなくらい細い、蝋燭の火のような勇気を振り絞って。 返事はもらえなくてもいいと、でも頷いてくれたなら今までで一番幸せな気持ちになれると。 心の中で渦巻く思いをそのままに、これ以上はない、精一杯の言葉をぶつけた。 せっかく、気持ちが届いたのに。 二人並んで、手を繋いで道を歩いて、そんなささやかな時間が、彼と一緒にいる瞬間が欲しかっただけなのに。 「……離れたく、ないよぅ…………っ!」 涙が溢れる。 葬式の時のものとは違う、もっと理不尽で、苦しくて、行き場のない思いがあった。 全部、何もかも、外にぶちまけてしまいたかった。 流れる涙と一緒に、胸が詰まるような感情を溶かしていってほしかった。 やがて、声すらも途切れて。 泣き疲れて眠くなった水絵は、布団に包まりながら天井を見上げる。 ―――― 引っ越しは三日後の予定だ。 急過ぎる。仕方ないとはいえ、あまりにも残された時間は短い。 その間にいったい何ができるのだろうと、胡乱な頭で考える。 たった三日で。彼に、どう接すればいいのか。 「……八度七分。完全に風邪だな」 朝、凄まじく頭が重くぼんやりすることに気づき、熱を測った水絵は父にそう宣告された。 そうなんだ、と思うのだが、意識が普段の速度に付いてこれない。 ワンテンポ遅れた頷きに、彼女の父は溜め息をひとつ。 「仕方ない。お前の風邪が治ってから引っ越すぞ」 「え…………」 「無理をさせたくはないからな」 気遣いの有り難さに、水絵はただ俯くしかなかった。 しかし、それと同時に微かな安堵を得る。 そう。 学校に行かなくてもいいのだ。 だから八冬と会うこともない。 それを逃げだとわかっていながらも、今は安心できた。 できることなら、別れるなんて結果を考えたくはないのだから。 ただ……辛いけれど、この風邪が長く続いてくれたなら。 そんなことを、水絵は願わずにいられなかった。 back|next |