人のいいところというのは、一日二日の付き合いではまずわからない。
普通欠点ばかりが目について、なかなか長所は見つけ難いものなのだ。

誰かを貶める言葉は本当に容易く出てしまう。
けれど誰かを褒める言葉になると、恥ずかしさとか何だとか、余計な感情などが邪魔をしたりして。
結局、何も伝えられないことが多い。
それはきっと、人間の善意というものが当たり前のようにあるからなのだろう。

だから気づけない。
わかりにくい善意であれば特に。

欅八冬の優しさというのは、要するにそういうものだった。
彼自身があまりにも不器用で、口下手で、他人との付き合いが苦手なためさらにタチが悪い。
いつも、本当にいつも何気なく、そっと差し出される手。
分け隔てないからこそ、その優しさを知る者はいなかった。

……いなかったのだから、きっと彼女が初めてだろう。

ある日、木漏れ日のあたたかさに気づくように、突然。
ふと見えるものが増えるのだ。彼女にとって、それが八冬の優しさだっただけ。

彼の第一印象は、背の高い寡黙な人。
どんな時でもひとことふたこと喋ることすら珍しくて、どこか遠くを見ている。
そんな感じ。存在感は強いのに、全然目立たない。
不思議な、ちょっと変な人だと思っていた。

休日、所用で出かけていた彼女は道端で彼を見つけた。
かがんで何かをしている。その様子を不審に感じ、少し近づいてみると、そこには猫がいた。
猫がいて、彼は餌をやっていた。

あの瞬間を、彼女は忘れていない。
餌を片手に乗せた彼の表情は、優しい、柔らかな笑みに満ちていたのだ。

次の日から彼に対する印象は完全に反転した。
普段の無愛想さは、単純に口下手な性格から来るものだとか。
見た目によらず可愛いものが好きで、猫にはよく餌をやっているんだとか。
実は騙されやすく、他人の嘘をすぐ信じてしまう子供のような人だとか。

怖い、くらいのイメージを抱いていたのに。
全部引っ繰り返ったら、何より愛しくなった。

彼との共通点は限りなく少ない。クラスが同じ、それだけだ。
席も近いわけではないし、委員会が一緒でもない。
だけどそんなことは、そんな距離は全然関係なくて。

少しずつ、想いを積み重ねていった。
春を越え、夏を過ぎ、秋を眺め、冬が来て。
そこまで時が経って、彼女の想いは揺るぎないものとなった。

そして、告白に至る。
彼の返事は二の次だった。だから、まさか肯定だとは思わなかったのだ。


今、彼女―――― 遠峰水絵は、幸福の絶頂にいる。










日曜日、二人はこないだと同じ公園で待ち合わせをしていた。
誘ったのはやはり彼女から。八冬はただ頷いただけだ。
別に、それがある意味ちょうどいい関係だとわかっているので、水絵に文句はない。

目的は単純に散策。適当に歩いて、肩肘を張らずに過ごそう、という思惑から。
無理に喫茶店とか洒落たところを選ぶ必要はない。そもそもそんなの、二人には似合わないだろう。

「あ…………欅くん」

先日の反省を活かして、二十分ほど早く来たのに彼の方がまた先だった。
これじゃあ待ち時間なんて関係ないなぁ、なんて思いながら「待ちました?」と訊く。
相変わらず色の見え難い表情で、静かに八冬は首を縦に振った。
それで納得したのか、手を掴み引いてさあ行こうと水絵は急かす。

微笑を浮かべたその姿が普段の彼女からは考えられないような積極さであることに、八冬は気づいている。
だから少しだけ、引かれた手の感触に意識を向けた。


「はぁ……っ」
「………………寒い?」
「ううん、平気。息、白いなぁ、って」

昼の細道に人はまばらで、まだ端の方に踏み跡のない雪が残っている。
時々歩くルートを変え、彼女の足はまっさらな雪のふわふわした感覚を楽しんだ。
煙る息を見ながら、感じるのはさくっ、さくっ、という踏み音。
どこか心が弾むようなリズム。自然と気持ちが高揚していく。

おどおどとしつつも、彼女は握る手の力を僅かに強める。
ちょっとずつ、ちょっとずつ。この繋がりを確かなものにしようと。
嫌がるかもしれないという恐れはあったが、幸い抵抗の類はなかった。
一応、恥ずかしい。けれどそれよりも、冬の空の下、繋いだ手から伝わるあたたかさの方が嬉しかった。

「……欅くん、散歩なんかでよかったの?」
「…………歩くのは、好きだから」
「そっか。私も」

八冬の言葉は最低限で、会話を続けようと思うと結構な労力が必要になる。
しかしあまり饒舌な彼は全然想像できない。これでいいのだと水絵は心中で頷く。
彼の個性とか、そういうものも含めて好きなのだから。

「ここからどこ行こっか。うーん……」
「……足下、危ない」
「え? ひゃあっ!?」

考え事をしていたため、反応が遅れる。
下は人の行き来により凍った雪の道だ。
滑った、と自らの状況を知った時には、もう視界が空を向きかけていた。
だが、転んだ痛みを覚悟した瞬間、身体の勢いが止まる。

「……大丈夫か?」
「え、あ、う、うん……」

水絵は抱きかかえられていた。
彼女の背中に八冬の両腕が入り、支えている。
そのことに気づいた途端急に恥ずかしくなって、できるだけ冷静に降ろしてくれるよう頼んだ。
静かに姿勢を戻され、足が付いたとわかってから溜め息をつく。
まずごめんなさい、と謝り、それから、

「ありがとう、支えてくれて」

感謝の念を口にする。
珍しく、彼はくすぐったそうな表情をして、小さく「いい」と呟いた。
それが嬉しくてまた、水絵はありがとう、と笑みを見せた。


散歩の最後、帰路の途中に神社へと寄った。
歩きながらの話によれば、八冬は神社や寺みたいなところによく来るらしい。
明日からもっと来るようにしよう。そう決意しつつ、水絵も八冬に続いて鳥居をくぐる。

こころなしか緑が多いことに水絵は気づいた。
空気が澄んでいる。なるほど、彼が好むのもわかるなぁ、と微笑。
境内は人気がなく、代わりに凛とした雰囲気が満ちている。
だけどそれも、賽銭箱まで辿り着いてみると和らいで感じた。

懐から出した五円玉を投げ入れる。ちゃりん、という金属音が響いて、それから箱の隙間に吸い込まれていった。
鈴を軽く鳴らし、拍手を二回。後はお願い事。
数秒を掛けてから顔を上げる。横を見ると彼も既に前を向いていた。

「……帰ろっか」

八冬の無言の肯定と共に二人は歩き出す。
鳥居を越えてから一度だけ振り返り、水絵は心の中で再び、先ほどの願いを繰り返した。


彼にとって、私にとって、今やこれからの時間が幸せでありますように。



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