二月。凍えるような寒さの中。
公園のベンチには薄く雪が積もっていた。
ぱっぱっ、と白を手で払い、一人の男性が座る。まだ少し濡れていて冷たいが気にしなかった。

彼を表現する言葉は割と多くないだろう。
服装も、身だしなみも、特筆すべき点はないからだ。
ただ、そのどれもが自然で、一番似合っているように見えた。
勿論意識的に適当な格好をしているのではなく、結果としてそうであるだけ。
彼らしい、というのが最もしっくり来るような気もする。

ならば特徴は何か、というと、まず目につくのは背の高さ。
ベンチに腰掛けていても、座高からしてその身長を推測できる。
あと、どうも表情が固くきつい、もしくは怖い印象を受けてしまう。
長身なところも相まって、一種近寄り難い雰囲気を持っているかのよう。

欅八冬。それが彼の名前だ。
北国生まれの親は冬に愛着でもあったのか、それとも単に語呂が良かったからか。
未だに由来を知らない名ではあるが、しかし彼は自分の名前を嫌っていない。
どうして八の冬なんだろう、と思うことはしょっちゅうだけれど。

幼い頃から長身で、小学校の時も背並びは後ろから数えて一、二番だった。
バスに乗ると九割方中学生に間違えられ、これじゃ足りないよ、と言われる。
その度に身分証明できる何かを見せたりするのが億劫でバスは敬遠していたものだ。

見た目がそんな感じなので中身も厳しそうに思えるのだが、実際は正反対である。
人を疑うことを知らず、高校生には似合わないほどの純粋さ。
動物が好きだったりして、猫を見かけたら餌をあげようとするのだが逃げられたり。
初見ではまずわからないような、外見とギャップのある性格をしている。

今日もまた、猫を見かけた。
この公園は野良が多く、来客もそれなりなために、猫達は随分と人に慣れている。
懐から煮干しを出し、八冬は猫を自分の元に誘った。

寄ってきて、その猫はじゃれるように彼の足に触れる。
苦笑してから煮干しを差し出すと、嬉しそうな表情で食べ始めた。

そんな様子を見て、八冬は微笑んだ。

まだ降り続けている雪の勢いは変わらず。
折角手で払ったベンチにも、少しずつ積もっていく。
でも彼は諦めずにぱっぱと手を出し、積もっては払い、ずっとそれを続けていた。

時刻は三時五分前。
彼が来てから、もう二十五分にもなる。

「………………ん」

ふと、近づいてくる人影を見つけた。
視線が合うと同時、駆けてくる。しかしどこか心配というか、今にも転びそうな感じで、

「ひゃあっ!?」

転んだ。雪に足を取られて、思いっきり。
どさっと音を響かせながら尻餅をつき、しばらくしてから身体を起こして今度は走らずにやってくる。
高校生くらいの少女だ。
彼女は八冬の前に立ち、はぁ、と大きく息を吐いてからひとこと。

「あの……も、もしかして、待ちました?」
「………………いや」

八冬は小さく首を振る。
その仕草に安心しかけ、だが頭の上に薄く積もった雪に気づいた。
五分や十分では頭に積もりはしない。

待たせたことを知って、少女は暗い気持ちで俯いた。
そんな表情の変化をすぐに感じ、八冬の手が自分の頭に伸びる。
雪を払い、それから無言で少女をベンチに導いた。
大人しく座るのを見てようやく腰を落ち着ける。

「えっと、どのくらい待ちました……か?」
「…………三十分ほど」
「は、早過ぎですよぅ……」
「……待たせたく、なかったから」

一言一句を搾り出すような、たどたどしい口調。
必要最低限のことだけを伝える言葉に、しかし嫌悪の類の色は感じない。

彼は呼ばれた側で、ここに来るようお願いしたのは彼女の方だった。
待ち時間として指定したのは三時。天候の悪さもあり、彼女が五分前に来たのはある意味当然のことだ。
単純に八冬が来たのが早過ぎるだけで、実際彼女が申し訳なく思う必要はない。
しかし、頭上に雪まで積もらせて待っている姿を見せられれば、普通申し訳ないと感じるものだろう。
その程度に八冬には気遣いを巡らせるほどの慣れがなかった。
あるいは、不器用過ぎるだけなのかもしれない。雪さえ降っていなければ気遣いをさせることはなかったのだから。

彼がそういう方面に対して人並み以下なのは、彼女にとって周知の事実であり。
故に、微笑ましいことなのだと思えるのだろう。

そっと彼女は、薄く笑った。
少しだけその様子を見て、また彼の視線は前を向く。
……もしかしたら、どこにも向いてないのかもしれなかった。

しばらく無言の時間が続く。
隣に座る少女は何かを言い出そうとするのだが、何度も口を開きかけては閉じ、もどかしそうに俯いていた。
本当に、本当に小さな声で、えっと、とか、あの、とか、要領を全く得ない台詞が繰り返される。

「あ、あの……欅くんっ」

ようやく一句が告げられた時には、既に時計の針が二十分の経過を示していた。
二人の頭には微かに雪が積もり、ベンチの座っていない部分にも白のヴェールが掛かっている。
僅かばかり逡巡して、しかし諦めることなく彼女は口を開いた。

「わ、わわ、私と……私とっ、つ、付き合ってくださいぃっ!」

最後の方は声が上擦って大変なことになっていたが、それでも何とか言い切った。
言い切ってから、今にも倒れそうなくらい顔を真っ赤にして俯いて。
ふるふると腿に置いた手を震わせながらも、ゆっくりと八冬の方へと向き、無言のまま目線で是非を訊く。

答えを待っていた。

八冬は悩んでいるのかどうかよくわからない表情で彼女に視線を合わせ。
……静かに、小さく頷いた。
それは明確な肯定のサインだ。彼女は、自分の想いが叶ったことを知った。


雪降る曇り空の下で、大きな八冬の手が、頭の上に積もったものをそっと払う。
彼女はただ嬉しそうに、為すがままにされていた。



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