この時期は文化祭の準備で忙しい。 何にするかを決めるのは九月で、試験を十月の半ばに終えた後はどのクラスも慌しくなる。 私のクラスは、ありきたりな喫茶店になった。 文化祭委員の女子が妙に気合が入っていて、衣装にもこだわるつもりでいるとか。 心配なのはそっちもだけど、出し物の方もだ。 衣装に気を向け過ぎて、肝心の料理が駄目だったらあまり冗談にならない。 役に立てればいいとは思う。 でも、私は料理も作れないし、給仕をするにしたって、どこかで転んじゃうかもしれないから。 外装関係の手伝いや、小物の拵えくらいしかできないだろう。 「それじゃホームルーム終わるぞー。みんな、準備頑張れよー」 変に投げやりな感じもする担任の声で今日の授業は全部終了。 部活の方に行く人を除いたクラスメイトが教室に残る。 もうポジションは決められているから、任された仕事をこなすだけ。 男子は力仕事が中心で、入り口の木組みとか、テーブル運びとか、女子の手に余る作業も請け負っている。 逆に女子は、男子が苦手そうな細かい作業が多い。 壁に貼ったり天井から吊り下げたりする装飾品。 それに、メニューなどの字も担当するのは女子の方だ。 一人習字をやっている子がいて、物凄く字が上手いから彼女に文字関係は任されている。 他のクラスより私達のクラスは早いペースで動いているらしく、みんなにも気持ちの余裕があるように感じた。 焦りはミスを生む。そういう意味で捉えれば、私達の出し物はいい出来になるんだろう。 ……勿論、そんなことはなくて。 やる気とか、込める思いとか、いろんなものが絡み合って物事は成立する。 だから、一部の人だけがいくら頑張っても、私が裏で静かに張り切ったとしても、素敵なものになるなんて保障は、どこにもない。 虚しい考えだった。 世界は寂しいんだと、自分で肯定するような考えだった。 首を振る。 もう一度作業の対象と向き合って、意識を集中する。 でも、作るべきはずの小物は、理想の完成品には程遠かった。 時々、あらゆるものが遠く感じる。 それは布団に入ったまま見上げる天井だったり、隣にいる友達だったり、あるいは未来なんて漠然とした何かだったりするけど。 物理的にも精神的にも、私には届かないように思えてしまうのだ。 そういう思いに囚われると、全てがどうしようもなく怖くなる。 何もかも。自分の力が及ばない、心が辿り着けない、って。 とても、とても絶望的な話。 こんなにも私自身の小ささを実感する瞬間はない。 不安をかき消すように、私は何かに懸命になる。 大抵は読書で、ジャンルなんて関係なく、とにかく家にあるのから図書館で借りてくるのまで、たくさん目を通す。 読んで、読んで、読む行為に飽きるまで読んで疲れ果てた時、ようやく"遠さ"が消えている、というのがだいたい。 なら、例えば、読書が手に付かなくなったとしたら。 そんな時、あの恐怖が襲ってきたら。 私はどうしたらいいんだろう。 長らくそんな心配通りのことは訪れなくて。 だけど私は、いつも怯えていた。 世界で一番無力なのは、いつだって自分だった。 誰よりも弱くて、脆くて、どうしようもないのは他ならない私だった。 内気で人見知りで口下手で、トロくて協調性がなくて貧弱で運動音痴で。 視力は左右共に0.2で、眼鏡がないとまともに歩けなくて。 文系だから国語の類は人並み以上に出来るけど、特にずば抜けているわけでもなし。 字を書くのが遅いから板書が追いつかなくて友達にいつも見せてもらってる。 図書委員ではよく運んでいる途中で本を落としてドジだなあって言われる。 他にもたくさん、本当にたくさん、挙げれば限りがない私の欠点。 だから、自分を好きになれなくて。 四六時中、どこにも自分を好きになれる瞬間がなくて。 クラスの中でも、学校の中でも、町の中でも、私は浮いていた。 ふわふわと、ぷかぷかと、浮き輪をつけて呑気に漂っているわけじゃない。 みんなが空に羽ばたいていってるのに、私だけ翼がなくて取り残されているような。 そんな、どこか不確かで曖昧な、理由もよくわからない疎外感。 例えば、比較的真面目な教師に後ろ向きな自分の気持ちを告白したら、こう言うのかもしれない。 「君にも翼はあるよ。ただ、背中にあるから気づかないだけなんだ」とか。 大人だから、強い人だから声に出せることを、あっさり口にしてしまいそう。 綺麗事だなんて言わない。それもきっと本当だ。 ……でも、私には。励まされようが、持ち上げられようが、そんな翼は見えないから。 目指すところもなくて、目指せる力もなくて、最後には何も残らないと泣いてしまう。 だから本当に届かないのかもしれないけど。 私の弱さはそう簡単に変わらない。変えられない。 誰がどんなに励ましてくれても、物語の中のヒーローみたいに、ぱっと変身なんてできないから。 幾度も挫折を経験して、そうしたらその分強くなれる、なんて前向きな気持ちが持てないから。 ……そんな私が。弱い私が。 人を好きになった。一番になりたい、一番でいたいと思うようになった。 まだ声も掛けられないけど、いつか、まずは話ができるように。 それから後は少しずつ、ほんのちょっとずつでいいから、近づいていけるように。 頑張っていければいい。恋のおかげで強くなれたって、言えるようになれればいい。 でも。 私は……それでも、不安を追いやることができていなかった。 back|next |