いつも、一番に考えるもの。
宿題の答えよりも、夕食のメニューよりも先に頭に浮かぶもの。

その姿がずっと離れない。
喜怒哀楽、一挙一動。全てが記憶の中にあって。
狂ったようにランダムリピートし続ける。
とめどなく溢れて、抑え切れない思い。

……初めてだった。
今まで知らなかった感情がここにある。
一度も体験したことのない激情が胸で暴れてる。

思いつく限りありとあらゆる気持ちがぐるぐるとめぐってて。
時折、息苦しくなるくらいに激しい。
日常の最中、ふと涙がこぼれそうになったり、手が震えたり。
自分がよくわからなくて、どうしたらいいのか考えられなくて。

知らぬ間に走り出してから気づいたのだ。
乗ってしまったこの何かに、ブレーキは存在しない。
最後まで走り切れるか、それとも途中で壁に激突して強制的に止まるのかは不確定だけど。
私がハンドルを持っているのなら、結果を出すのも私自身。
……だから、全ては自分に懸かっている。


それが、どんなに酷い終わりであったとしても。
私が、私だけが、選んだことだから。










きっかけが何であったか、始まりがいつであったかはわからない。
何度か「そうかもしれない」と思う瞬間はあるけれど、明確に「ここだ」というのはないのだ。
強いて言えば、全部なんだろう。どれかひとつじゃなくて、いろんな要素が私を導いた。

例えば廊下ですれ違った時。

休み時間、人はたくさんいるのに、彼の足音だけが耳に残る。
はっと振り返ってみても、その背中はもう人波の中に消えた後で。
私は追いかけることもせず、ぽつんと立ち尽くすのだ。

例えば誰かと話している姿を見た時。

相手は男の人だったり女の子だったり教師だったりするけど。
微かに届いてくる声とか、親友らしき人の前での面白いことを聞いたって感じの笑顔とか。
何てことのない日常の一部が私には素敵に感じて、つい羨むような目で眺めてしまう。

例えば校庭で部活動に勤しんでいるのを知った時。

テニス部の彼は、面倒見がいいらしく後輩にこまめなアドバイスをしている。
ラケットの振り方、思い通りに球を返す方法。
苦笑しつつも、見ていられなくなったら絶対に彼は口を挟む。
そんな様子を私は図書室の窓から、いつも見下ろすだけ。

例えば下駄箱で偶然鉢合わせた時。

勿論彼は私のことなんか気にしない。面識もないのだから。
上履きを脱いで、下履きを取り出して、上履きを仕舞い、手に持った靴を履く。
私は不自然じゃない程度にゆっくり手を動かしながら、自然な彼の動作を目に焼きつける。
なかなかない機会、大切にしたいと思うから。

例えば下校する背中を目にした時。

何か寄る所がない限り、私と彼の帰路は途中で違えてしまう。
自動車の通りも少ない十字路が別れ道だ。
私は右、彼は左。そこからは鞄片手に見る景色も同じじゃない。
途中まででも一緒であることは喜ぶべきだけど、でも、もっとその背を追いかけていたいと願う。
20mくらい後ろから、遠くに消えてしまうまでずっと、私は前を歩く彼を見つめ続ける。

そうして一日が終わって。
また明日、彼に会えないだろうか、と祈りながら眠りに就くのだ。

いつも。いつも見ている。
……いや、見ているだけじゃなくて。
自分の存在全てが、彼を追いかけている。

少しでも長く、感じていられるように。
少しでも長く、そばにいられるように。

それは他人に気づかれてはいけない想い。
胸の中だけに留めておくべき、言葉にならない気持ち。
好きだとか何だとか、そういうひとことや陳腐なフレーズでは表せない、狂おしい激情。

ずっと。永遠に。
隣に並んで、手を繋いで、声を交わして、一緒に歩いて、私は少し背伸びをして。
そんな風景を夢見ている。本当になることを願っている。

彼が小さく映るほど遠くから、あるいは数歩進めば触れられるほど近くから。
見つめる度に、胸が高鳴る。どきどきして、身体が熱くなる。

一方通行の視線。
彼はこっちを見ているわけじゃないのに、私は目を逸らしてしまう。
気づかれるのが怖くて、恥ずかしくて、俯いてからまた視線は彼へ。

例えば、昨日のこと。
廊下で話している彼を、教室のドアに隠れてちらりと見ると、覗いた顔は笑っていた。

私はすぐに頭を引っ込めて早足で席に戻る。
顔が赤くなってしまって、クラスメイトにそれを気づかれるのが嫌だったから。
友人は色恋沙汰とかの話が好きだから、もしこの気持ちを見破られたりなんかしたら根掘り葉掘り訊かれるに違いない。
その時は静かに熱が冷めるまで、本を広げて読み耽るふりをして乗り切った。

いつも私はそんなことばかりを繰り返して。
少し近づき、そっと眺めるだけで、それだけで満足する。

同じ学校に通っていることが物凄い奇跡だと思った。
広過ぎるけれど一つ屋根の下で授業を受けていられることが、これ以上ない神様の贈り物だと感じた。

学校に来るのは、前まであまり好きじゃなかった。
流されるままノートを開いて、先生の話を聞いて。
お弁当を一人で食べて、気づいたら終わってしまっているような無為な時間。
どうでもいいと思う時だってあったくらい。虚しさを感じていた。

でも、今は。
朝から楽しみにしている。
ずっとわくわくしている。

今日は会えるだろうか。
風邪で休んでしまったりしていないだろうか。

登校時から私の心はどきどきしてて、彼の姿を見つけても、見つけられなくても、早い鼓動は緩まない。
ずっとこんなで耐えられるのか、いつか倒れてしまわないか、未だに自信が持てないでいる。

私が彼の後ろを歩ける帰り道は週二回しかない。
図書委員の仕事が終わるのは五時。部活動は六時。本来なら顔を合わせることもないけど、 火曜と金曜は少し寄るところがあるので、最終下校時間まで学校にいる。
だから、一週間のうち二日、胸を高鳴らせながら彼を待つのだ。
会えないこともあるけれど、それでもいい。
もともと、会えないことが当たり前なのだから。

何だか、一日が全部、彼のためにあるみたいで。

私はどんどん変わっていってる。
そしてそれが、嫌だとは思わない。


俯いたままでも、本を広げていても、彼のことはいつだって頭から離れなかった。



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