そんなに自分は素晴らしいものじゃない。

褒められる度、喜ばれる度、真朝はそう思う。
「ありがとう」と言われるほど、どこか嫌な気持ちになる。

期待されたり尊敬されたり。
周りは勝手に偶像を作っていく。
フィルタを通してでしか彼女を見る者はいない。親でさえも。
"本当の雛野真朝"を知っているのは、どれくらいいるのだろうか。きっと指で数えられるほど。

例えば、野上日向。ひなたのひと。
彼に誤魔化しや嘘は効かなかった。近くと遠く、ちゃんとどちらも見ていてくれた。
自分を偽らず、裏表なしに接してくれた。

だからまるで鏡のように、彼女の心を映し出す。

本当の気持ちを口にしてしまいたかった。
私は理想的なんかじゃないし、みんなが思うほど素敵な人じゃない、って。
全部、残さず吐いて、楽になりたいと強く願った。

でも、そうしてしまえば今までの自分が壊れてしまいそうで。
築き上げてきたものとか、頑張ってきたこととかが、何もかも崩れてしまいそうで。

錯覚だとわかっているのに、違うとはどうしても言い切れなかった。

他人にとっては"そんなこと"なのかもしれない。
取るに足らない、とてもとてもちっぽけな痛みなのかもしれない、けれど。

「……どうして」

どうして、寂しくないのか。
それはたったひとつ、真朝が日向に向けたい問い。










まぁ、何となくこのタイミングで来るような気はしていて、日向はのっそりと身体を起こした。
陽射しの入る草のベッド。その上に座りながら、歩いてくる真朝を見る。

「こんにちは。横、いいですか?」
「勿論。……って、こないだも同じ台詞だったなぁ」

日向は薄く笑う。しかし彼女の表情は苦笑にしかならなかった。
何か、大切な気持ちを隠しているような。けれど言い出せなくてもどかしいような。
心に詰まった物がある感じ。そんな雰囲気が真朝にはある。

少し間を置いて、それから「どうしたの?」と訊こうとした。
だが彼の言葉より早く、真朝は疑問を口にした。

「……どうして、日向さんは……ひとりでいられるんですか?」

曖昧で、意図が掴み難い問い。
一瞬戸惑い、その言葉の意味を考える。
彼女が求める答えは何なんだろう、と。どこにあるんだろう、と。

すぐに言ってしまうのは簡単だ。茶化すのも楽だ。でもそれでいいものか。

初めて会った時。鳩の餌だったとしても、困っていた自分に差し出してくれたのは間違いない。
相手がどんな人間かもわからないのに、彼女は迷いなく(大袈裟かもしれないけれど)救いの手を伸ばしてくれた。

気紛れで描いていた絵を見せた時の正直な反応も好ましかった。
自分に嘘をついたとしても、他人に嘘をつかない強さが確かにあった。

日向の隣で思わず眠ってしまった時。
微笑ましいほどに幼く純粋な寝顔は、きっとありのままの彼女だったに違いない。

不安なんだと、孤独が怖いんだと、そう口にした時も。
可哀想なくらい悩んで、苦しんで、それでも他人に吐く嘘を持っていなかった。

家族不在の家の中、二人で夕食を作った時。
たった一人静かな部屋で両親の帰りを待つ姿を想像するのは容易くて、悲しい光景が目に浮かんだ。

誰が彼女を、雛野真朝を見ていたのか。
理想的と謳われていた少女が、どれだけ寂しい思いをしてきたかを、いったい何人が知っているだろうか。
無論、自分が真朝のことをわかっている、だなんて自惚れは日向にはない。

だけど。
こうして短いとはいえ関わることができて。
わかった部分だって、少なからずあるはずなのだ。
言わば行き摺りな立場だからこそ、彼女とは違うものを見て、経験してきた上で、言えることがあるはずなのだ。

「……僕ね、いつか結婚したいと思ってるんだよ」
「え?」

その言葉は突然過ぎて、身構えていた真朝の気を抜くにはこれ以上ないものだった。
雰囲気が少し和らぐ。困惑したような表情をした真朝を見て、日向は微笑みながら話を続ける。

「どんな人を好きになるか、どんな人が僕を好きになってくれるか、わからないけど。 一生掛けて一緒にいたいって思える人と巡り会えたらいいなぁ、とか考えてる」
「あ、あの…………」
「だから、今、確かに寂しく感じる時だってあるけど、未来の僕には、 ちゃんと"野上日向"っていう人間を見て、受け入れて、駄目なところは駄目だって言える人がいるように、って、願うんだ」
「私は…………」
「君の気持ちがわかるとは言わないよ。昔や今、僕が感じた気持ちがそれと同じ物だって確信は持てないから」

でも、

「ひとつだけ」
「………………」
「真朝さんにも探してほしい。見つけてほしい。大切なコトや大切なモノを。そしたらきっといつか、君の隣には――――

澄んだ青空の下。
ぬくもりをくれるひなたの中で。

―――― 寂しさをなくしてくれる、そんな人が並んでるはずだから」


ただ、陽射しのようにあたたかな笑顔を、真朝は見た。










いきなり耐え切れなくなって、何も構わず日向は思いっきり笑った。
驚き怪訝な表情になる真朝を横目に、大声で、ひたすら。収まるまで。
涙すら瞳に浮かべて笑い声を止め、ひいひいと枯れた喉の調子を整えてから、ふと漏らす。

「あー……ごめんごめん。我慢できなかったんだ。あははっ、やっぱり可笑しい」
「ど、どうしてそんな思いっきり笑うんですかっ」
「いやいや、真朝さんを笑ってるんじゃないよ。たださ、すっごく似合わないこと言ってるな自分、って思って」

何かを振り返るように目を閉じて。
両手を地につき上体を反らして空を見上げる姿勢になりながら、

「高校生の頃とかは、物凄く悩んだりしてた。それこそ今考えると恥ずかしいくらいに」

思い出を語るその光景は、どこかにいつでも飛んでいきそうな軽さと儚さがあった。
真朝が一度も見たことのない、弱さを露わにした日向の姿だった。

どこかで彼も、強がっている部分があったのではないか。
できれば隠しておきたいような、そんな脆いところが。

……私と、同じように。

その時気づいた。
誰だってそうなんだと。嘘をつかない、誤魔化すことのない、欠片も裏のない人間なんていないんだと。
当たり前過ぎて逆にわからないこと。いつの間にか、忘れていた。

「でもさ、確かに昔の自分は恥ずかしいんだけど、悩んだ結果僕はここにいるわけで。 ホントどうでもいいようなことでちょっと死にたくなったり、泣いちゃったり、 世界で一番自分は辛い思いをしてるんだ、とか錯覚したりして。親に散々迷惑掛けて、挙句に家まで出て。 ……そんな僕がこうして、一丁前に人生なんか語ってる。それって凄いことだと思うんだ」
「後悔……してるんですか?」
「勿論。ああしてればよかった、こうしてればよかった、とは今でも毎日のように考えちゃうよ。でも」
「…………でも?」
「後悔した分だけ、僕は今が幸せになってるんだと思う。昔の自分は馬鹿だったなぁ、って話の種にもできるしね」
「……そう、ですね」

それは諦念でもない。悟りでもない。
本心からの言葉。ここで日向はしっかりと向き合って、真朝に自分の思いを口にした。

だから次は真朝の番だ。
彼に言うべきことがある。

全ての気持ちを込めて。

「ありがとうございます。私の言葉、聞いてくださって」


その時日向が見た真朝の顔は。
これまでのどの笑顔とも違う、柔らかで凛々しく、そして少し幼いものだった。



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