次の日、日向の姿は町のどこにもなかった。
最後に真朝が探したのは、ひなたの集う場所。
そこで気持ちよさそうに寝ていて、おはよう、とか言ってくれることを少し期待していた。

昨日までは、草の緑と光の白以外にも色があったのに。
もうここで笑いかけてくれる人はいない。幸せそうな寝顔を見ることもない。

別れはあまりにも突然で、さよならの言葉すら聞いてはいないのだ。
そう思うとちょっと、いや、かなり寂しくなった。

「……あれは…………」

ふと違和感に気づく。
よく見てみれば、日溜まりの中心に大きな石がある。
近づくと石の下に何かが挟まっているのがわかった。

どかして、手に取ってみる。
それは一枚の紙。小さな小さな、手紙だった。
二つ折りにされたそれを開き、読む。

「…………ふふっ」

笑みが漏れた。
最後まで、彼らしいな、としんみり思う。
思いながら、滲んだ瞳をごしごし拭った。










初め真朝はただの変な人としか見ていなかった。何せ出会いが突拍子ない。
鳩の餌で繋がった二人共に、それ以上の関わりを持つなんて考えは頭の隅にもなかっただろう。
その先の出来事なんて、とても想像できない。未来は本当に予測不可能だ。

「……最初に出会って、倒れてた日向さんに鳩の餌用のパンくずをあげて」

身の上話を聞いたのはそれから。
旅をしている事、日々が楽しくも苦しくもある事。
今になって思い出してみれば、始まりこそ変だけれど後が実に呆気ない。
興味本位で話に耳を傾けて、ついくすくす笑ってしまった。
あの時は本当、不意に可笑しくなったのだ。もう何日も前のことではあるが、どうして可笑しかったのかはまだわからない。
きっと一生掛けてもわからないものなんだと真朝は思う。わからないままでいい、とも。

自分で下手だと言っていた絵。
ひなたぼっこでは幸せそうに寝転んでいた。
難しく考える必要はない、と微笑んだ時の優しい笑顔。
台所で作った二人分の夕食。
家族の団欒とは違った、どこか懐かしい空気。

真朝は日向から、多くのものを得た。
同じところ、違うところ。分かち合える気持ち、隠したい思い。
抱えているのは自分だけじゃないということも。
見失っていたような、忘れてしまっていたようなことも。

「いつか、私が寂しいと感じる時」

この隣に、誰かがいてくれますように、と。
ひなたのぬくもりを感じながら、少女は願う。










別れの言葉を交わすような柄じゃないので、泣いたり泣かれたりする前に去ります。
正直今までで一番名残惜しくも感じるんだけど、まだ旅は続けたいから。
短い付き合いだったね。でも、時間なんて気にならないくらい楽しかった。
色々言われたり打ち明けられたりした時はどうしようと思ったけど、楽しかった。
……そんな大したことはしてないけど、できたら、これから前向きにやってってほしいなぁ。
僕は恥ずかしい思いしてまで話をしたんだから。ほんとだよ?
昔の自分を語るのって、すっごく気恥ずかしい。
なんかさ、やっぱり今思うと、ああしてればって考えちゃうんだよね。
こんな大人になっちゃだめだよ? それに親孝行はした方がいい。そういう意味じゃ僕、反面教師だね。
……でも、真朝さんなら大丈夫だと思う。冗談抜きで。
きっと何とかなるよ。いろんなことが、君の力で動かせるはず。だから、もっと自分に自信を持って、ね。

またいつか会える日があればいいと思う。
もしその時が来たら、幸せそうに笑ってて。そしたら僕は、とても嬉しい。

それじゃ、お互い頑張って生きよう。


野上日向より、雛野真朝さんへ










「お、悩みは解決したみたいだね」
「はい。まぁ、えっと……ありがとうございます」
「あたしゃ何もしてないけどさ」

あはは、と葵は笑う。
その姿は相変わらずで、変わらないこともあるんだな、なんてことを真朝は思った。

結局日向がいなくなっても日々に影響はない。
朝起きる時間も、学校での出来事も、いつも通り。
あの小さな公園だって、彼が来る前から行っていた場所だ。

ただ、倒れている人間に鳩の餌をあげるのも。
自分の知らない世界の話を聞いたりするのも、もう叶わなくなっただけ。

今更ながらそのことに対して寂しさを感じた。
何か妙に滑稽だなぁ、と心の中で苦笑。
そして、随分と自分の気持ちに余裕ができたことに気づく。

きっと。いや、間違いなく、それは日向がいてくれたからだ。
彼の目の前でもしそう言えば「僕は何もしてないって」などと誤魔化すだろうが。

「…………あ」
「ん、真朝さん、どうした?」
「いえ……なんか、ちょっと、可笑しくて」

真朝が思い描いた日向の言葉は、さっき葵が口にしたのと同じものだった。

そんな、どこか馬鹿馬鹿しくもある共通点。
可笑しかった。抑え切れないほどに、可笑しかった。

「よくわからないけど……あたしは安心していいんだろうね」

口を押さえて忍び笑いをする真朝を見て、ほっと息をつくように葵は呟いた。
少し疲れた感じのする表情はしかし嬉しそうでもある。
自分のことでもないのに、そこまで心配してくれる彼女の性格に、真朝は感謝した。

「はい、もう大丈夫です」

この、渦巻く気持ちに胸を張りながら。




















「……どうだった?」
「三ヶ月、って言われました」
「そっかぁ…………嬉しいものだね」
「はいっ」


いつかの人の言葉通り。


「あ、今、動きましたよ」
「本当!? 音、聞いていい?」
「ええ、どうぞ」
「…………うん、動いてるね。元気に動いてる」
「このままずっと元気でいてほしいですね」
「そうだね。無事に生まれて、無事に育ってほしい」


真朝の隣には、彼女が望んだ人がいた。


「男の子かなぁ、それとも女の子かなぁ」
明成あけなりさんはどっちがいいと思ってます?」
「うーん……僕は男の子かな」
「残念。私は女の子がいいです」
「……でも、どっちだとしても、きっと凄く幸せだろうね」
「……そうですね。今だってこんなにも幸せなのに、まだ幸せになれるんですよ、私達」


世界は明るく、そしてあたたかい。
彼と……星宮明成と一緒にいる限り、素敵な日々は続いていくのだと、自信を持って真朝は言えた。


「そういえば……名前、どうしましょうか」
「男の子と女の子じゃ違うからなぁ」
「二人で決めましょう? 私は一人で決めたくないですから」
「よし、じゃあこれから毎日考えよう。僕達の子が、自分の名前を好きになれるように」


そして。


「明成さん、素敵な名前が閃きましたっ」
「ん、なになに?」

思い浮かべるのは懐かしい頃。
一時だけの出会いと、ひなたが好きな青年のこと。





―――― 陽向。いつか大切な誰かを包み込む、優しいひなたになれるように」





そうして真朝は未来を紡ぐ。
子供のための、ひなたのはじまりを。



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