理想的な人。
真朝に対する、クラスメイトの評価をひとことで表すとそうなる。

苦手なものというのが何ひとつなく、勉強に運動、どちらも人並み以上にこなせてしまう。
授業態度も真面目で、真摯な姿勢は教師の受けを良くしている。
どんな相手にも分け隔てなく接し、辛そうなら慰みや励ましの言葉を掛け、嬉しそうなら一緒に喜ぶ。
皆が嫌がるような、例えば雑事の類も自ら進んでやり、欠片の文句もこぼさない。
しかも、自分の才能や能力を鼻にかけることなく、むしろ謙虚ですらあるのだ。

彼女を好ましいと思いはしても、嫌う者は誰一人としていないだろう。
それほどにその在り方は完璧で、一片の隙も見当たらない。

実際男子の大半は彼女に好意を抱いていたし、女子にも妬んだりする人間は皆無だった。
一応真朝は周りの自分に対する評価を知っていたが、別にそれで何かが変わるということもなかった。
別に変える必要もない。私は私であるだけだ、といった難しい考えも持ってはいない。

"そのまま"でいるだけなのに、周りは勝手に彼女を決めつけていく。枠に入れていく。
……それが嫌なのだろうか。鬱陶しいのだろうか。真朝にはわからない。
ただ、曖昧で複雑な、何か息苦しい感覚を最近いつも感じていた。

その度に彼女は気分転換と称して、散歩をしたりする。
ぼんやり外を歩いている時はあまり難しいことも考えないし、家にいるよりは気持ちいい。
切り替えには丁度良いのだ。リセットとは言わないが、嫌なことは少し忘れていられる。
買い物しないのに付近の色々な店を眺めたり。図書館に行って何となく気になる本を借りてみたり。
休みの日は、懐に余裕があれば電車を使って、ちょっと遠くにふらりと出かけてみる。
緑が多いところ。あるいは昔の建造物とか。そういうものに触れて、安心したり影響されて考えを持ったり。
趣味として、彼女の散歩は実に健康的だと言えた。精神的にも。

あくまで、自然体でいるだけ。
けれどどこかに彼女は違和感を覚えていた。


それが何かもわからないのは、真朝が未熟なだけだからだろうか。










そういえば、学校には文芸部とかの本に関係した部活がないな、と思う。
図書館は結構大きいのに、何故かしら部活という輪が存在しない。
彼女自身も頻繁に利用するのだが、他に本を借りたり読んだりしている人も多い。
なのにどうしてそういう人達の輪ができないんだろう、と考えたりする。
でも、別に自分で文芸部とか読書部とかそんな類のを作ろうとも思わないし、案外どうでもいいのかもしれなかった。

誰かと感想を共有したり、共感するような嗜好は彼女にはない。
ひたすら淡々とページをめくっている方が好きで、知識や他人の感覚を吸収するのが楽しかった。
ある意味、学校で授業を受けるよりも、習い事をするよりも、勉強していると感じられるからだろう。
本を読んでいるのは至福の時で、それは彼女にとってピアノを弾いている時と同じくらい幸せな瞬間だった。

だから、部活に入っていないことを勿体無いとは思っていない。
今でもたまにクラスメイトや先輩から勧誘はあるが、全て断っている。
例え明日になって文芸部や読書部ができたとしても彼女は入部しないだろう。

理由は単純。放課後の時間は、とても貴重なものだからだ。
それに、数ある部活に入ってするようなことは、好んで時間を使うほどの内容でもない。


「また明日ねー」
「うん、また明日」

教室に残るクラスメイトの声をバックに、真朝は寄り道なく学校を後にする。
そんな彼女の足を止める人はいない。たまにその顔をちらりと流し見る者もいるが、いつもの光景だ。

教科書の詰まった鞄片手に歩いていると、だんだん肩が痛くなってくる。
これが結構重くて、普段から鍛えていない彼女にはほんの少しばかり厳しいもの。
皆はスポーツができていいね、というがそれはセンスの問題であり彼女自身に体力はあまりない。
必死になるほど辛くもないが、大変なのは事実。本当に時々、誰かに持ってほしいと思う時だってあったりもする。

「…………あ」

ふと気づけば、自宅への道筋から逸れていた。
このまま進むとあの小さな公園に辿り着く。

野上日向と名乗った人のことを頭に浮かべる。
……どこかで彼女は彼に会いたいと思っていたのかもしれない。
あそこにまたいるという保障はどこにもないのに、こうして足が向かっているのだから。


ちょっとだけ重い荷物を抱えたまま、変わらない速度で歩いていく。










いればいいと思っていたが、確証は持っていなかった。
誰もいなかったらいつも通りぼーっとするつもりでいたし、そう、いなくても別に何も変わらないだろう。

「……うーん」

だが、日向はそこにいた。
閑散とした公園の真ん中を陣取り、どこから調達してきたのかスケッチブックを膝に乗せペンを片手に。
何となく近寄り難い雰囲気を醸し出しながら、さらさらと鉛筆を滑らせていく。
しばらく集中していたかと思うとぱっと顔を上げ、眼前の景色をじっと見つめてまた目を伏せる。その繰り返しだ。

先日空腹で倒れていた姿とは似ても似つかない。
あくまで真面目に、真剣に取り組んでいる。

距離があってはっきり何を描いているのかはわからないが、美術の勉強とかをしてたのかもしれない、と真朝は思った。
それほどに自然で似合った様子だったし、手の動きも流れるようだ。
旅の動機は特にないと言っていたが、実は各地の風景を紙に留めるためのものだったりするのだろうか。

やがて描き終わったのかそれとも中断したのか、日向はスケッチブックを畳み伸びをひとつ。
木組みの椅子で背中を逸らして背後に行った逆さの視線が真朝を見つけた。

「来てたんなら声掛けてくれればよかったのに」
「……いえ、何か集中してたみたいだったから」

エビ反りのままにっこり笑う。

「あ、もう鳩の餌はいりませんか?」
「いらないいらない。大丈夫、食材は確保できたから」

そう言う彼は健康体そのもので、とても三日の間水のみで生きていた人間には見えない。
昨日今日の少ない時間でどんな当てがあったのか、真朝にはまるで想像がつかなかった。
まぁ、それを追求するのなら、簡素な椅子やスケッチブック、鉛筆などの出所も謎である。

「よいしょっと」

跳ね上がるように姿勢を戻し、椅子ごと彼女の方へ向く。
何となくそれが合図みたく思えて、真朝は彼の隣まで行き並んだ。

会話もなくしばらくぼーっとする。
春の陽射しは優しく、緩い風も相まってとても心地良い。

……さっき、何を描いていたんだろう。
ちらちら前を見ていたから風景画だと思うんだけど、と適当に推測してみる。

「ん、気になるんなら見る?」
「え? あっ…………はい」

真朝の視線に気づいたのか、畳んだスケッチブックを開いて手渡す日向。
少し恥ずかしさを感じながら、素直に受け取り先ほどの絵を見た。

「………………」

おそらく、たぶん、もしかしたら風景画。でもどうだろう。

「もういいの?」
「はい。正直私にはわかりません」

それ以外何も言わずに返し、苦笑いをひとつ。
他のコメントは思いつかなかった。
落書きにしか見えなかった、と本当のことを言ったら傷つくだろうから。

「下手くそでしょ」
「ノーコメントでお願いします」
「遠慮しなくてもいいのに。誰が見てもわかんないはずだから」
「……何を描いてたんですか?」
「ひーみつー。面白味の欠片もないし」

また笑顔。
よく、そして綺麗に笑う人だな、と真朝は思った。
自然で嫌味とかがない。楽しそうで、嬉しそう。

どこか奔放なその姿は、彼女にとってとても羨ましく映った。

「雛野さんは学校帰りだね? そろそろ五時だし、家に帰った方がいいんじゃないかな」
「あ、そうですね。ではご好意に甘えて、帰らせていただきます」
「ちょっと待ってっ。昨日言い忘れていたことが」
「なんですか?」
「僕を呼ぶ時は日向でいいよ、と」
「………………」

突然口元を押さえて横を向いた彼女に日向はどう反応していいのかどうか迷った。
結局収まるまで声も掛けずに見守るしかなく、ほんの数秒でそれは止まった。

いったい何だったんだい、と訊いてみると、

「いえ、真面目な顔でそんなことを言われると、どうにも可笑しくて」
「酷いなぁ。僕にとっては大事なことなんだよ」
「馬鹿にしてるわけではないんですけど。……ああ、じゃあ私からもひとつ」

彼の隣にいるとどうしてこんなに可笑しいことばかりなんだろう。
真朝はそう密かに思いつつ、お返しとはいえ本心から言った。

「私のことも、雛野さん、じゃなくて真朝って呼んでください」
「…………そう来るか。参りました。さすがに呼び捨ては恥ずかしいから無理だけど、いいよね?」
「はい」


くすぐったいような、妙な気持ちを感じたまま、真朝は改めて帰路に着いた。
まだ少し、会話をした時の可笑しさを心に残しながら。



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