そこは小さな小さな公園で、大した遊具もなく子供が集まらない閑散とした場所だった。
人が二人ほど座ればいっぱいなベンチがひとつ。錆びたブランコと鉄棒。それだけしかない。

面した道は細く、車の通りは皆無に等しい。
辺りには電線が張り巡らされ、鳩の群れが常駐している。
そんな公園に来るのは、朝掃除に来る老人と、静かな場所を好む人くらいだ。


雛野真朝は静かな場所を好んでいた。
学校の騒々しくも楽しげな空気だって嫌いじゃないが、どちらかと言えば静かな方がいいと思っている。
かといって、部屋に篭っていては暗鬱としてしまう。陽射しも満足に浴びられない。
だから、ときどき外に出て―――― 家の中より綺麗な空気を味わうのだ。

日曜。宿題も終えて暇になった彼女は、暇潰しも兼ねて軽い散歩をすることにした。
最初からあの公園に寄るつもりだったので、鳩の餌用に作った細切れのパンを持って。

ちょっと息抜きをしてすぐ帰るつもりだった。
ブランコを漕いで、鳩に餌をあげて。それで時間を潰せればよかった。
なのに、



「…………た、食べるもの持ってない?」



なんで行き倒れっぽい人に出会ってしまったんだろう、と彼女は思う。










結論だけを先に言うと、真朝はとりあえず鳩の餌用に持ってきたパンくずを渡した。
行き倒れ(ベンチの手前で力尽きたかのように倒れていたので彼女の目にはそう見えた)は即座に受け取り、 袋を引っ繰り返して欠片のひとつも残さず口に含み、それから喉に詰まらせて死にかけたりもしたがそれはともかく。
落ち着いて話せる状況になってから、ようやく彼女は疑問を向けることができた。

「あの…………えっと……どうして倒れてたんですか?」
「ん? ああ、いやぁ……今ちょうど一文なしでね。三日、何も食べてなかったんだ。水は飲んでたけど」

この人はどんな生活をしているのか。
そんな素朴な問いを口にはせず、代わりに大丈夫ですか、と尋ねた。

もう平気だよ、ありがとう。
返ってきた答えは真摯な感謝の意を含んでいて、少し彼女は気恥ずかしくなった。
冗談や曖昧な気持ちでない、本当の「ありがとう」を聞いたのは久しぶりだったから。

何となく、興味を抱いた。
ただそれだけの理由で、彼女はしばらく彼から話を聞くことにした。
日頃彼女の周りにはこういうタイプの人間はいなかったし、それに、どこかひっかかるものがあったからかもしれない。


「僕はね、旅をしているんだ。ふと思い立って家を出てね。自分でも親不孝者だとは思うけどさ」


特に強い動機も、大事な理由も、そしてきっかけもなく、そう、何となくで旅をする気になったという。
各地を彷徨い、時に名も知らぬ誰かの親切を受け、時に浮浪人だと罵られ。
辛かったり、苦しかったり。
楽しかったり、嬉しかったり。
いろいろなものを得ながら、こうして彼は生きている、と。

「ほら、君みたいに、空腹で困っている時食べるものを差し出してくれる人もいるから僕はやってけるんだ」
「あれ……鳩の餌のつもりで持ってきたんですが」
「………………まぁ、実際助かったわけだし」

目を逸らしながら彼は言う。
それがどうにも可笑しくて、くすくすと控えめな笑みを真朝は漏らした。

「あ、笑うことはないだろう」
「いえ……なんだか、よくわからないんですけど、可笑しくて」

そのうち彼にもうつった・・・・ようで、二人揃ってくすくす笑い。
静かな公園の中、忍ぶような声が二人分、長い時間響き渡った。


……出会いというものは、どうしてこんなにも呆気ないものだったりするんだろう。










「本当にありがとう。おかげでしばらくやっていけそうだよ」
「鳩の餌で喜んでいただけたのなら言うことはありません」

冗談めかした言葉。
それが彼にはいたく気に入ったらしく、嬉しそうに頬を緩めた。

いつの間にか陽は落ち始めていて、空は夕焼けの姿を見せている。
寂れた公園の中も赤く染まっていく。控えめに生えた草木も、使われない遊具も、二人の座るベンチも、全て。

「……もう、夜か」

彼女の横で、小さな呟きが聞こえた。
何故かそれはどことなく惜しむような、そして寂しそうな響きだった。

「私、遅くならないうちに帰りますね」
「ああ、うん。気をつけてね。誰かに襲われることがないように」
「はい。心遣い、感謝します」

お辞儀をして、彼女は歩いていく。

「…………あ、ちょっと待って」
「なんですか?」
「いや、言い忘れてたよ。僕の名前は、野上日向という」
「………………雛野真朝です、野上さん」

それでは、ともう一度頭を下げ、今度こそ彼女は去っていった。
遠くなっていく背中をしばらく見送ってから、ぼんやりと彼は思う。


次に会ったら、呼ぶ時は日向でいいよ、と言っておこう。










おそらく、彼と会って話を聞いて、そうして抱いた気持ちは憧れだった。
それは未知へのものなのか。彼女にはよくわからない。

だからといって自分が旅をしたいとは思わないし、できるとも思えない。
これは、ただの憧れ。届かないものを羨ましがるもの。

考えて彼女は悲しくなった。
どうしてこんな後ろ向きな気持ちなんだろうと。
最近……今を、たぶん人生そのものを、退屈に感じることが多い。
何をやっても虚しいような。残ることがないような気がして。
そんなことない、と自分に言い聞かせても、不安は剥がれなくて。

掴みどころのない気持ち。
どう扱えばいいのか、持て余している。

それとも、

「私、寂しいだけなのかもね」

……本当にそうなら、どうしたらいいんだろう。


布団にくるまり暗い部屋の中、ずっとずっと悩んでも出ない答えを。
眠ってしまうまで、ひたすら彼女は探し続けていた。



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