一年前、十月末日。
市立霧ノ埼高等学校に、ひとつの事件が起きた。
それによって二日間校舎は閉鎖され、臨時休校となったのだ。

だから、忌引をする必要はなかった。
葬式が行われたのは、翌日だったから。

警察がどう動いたとか何を知ったとか、そんなこと私にはわからない。
気づいたのは全てが過ぎた後。事実だけを突きつけられて、あの頃の自分はただ呆然とした。
否定して、逃避して、それでも結果は唯一だ。結局どんなに嫌であっても認めるしか道はなかった。


彼は、他でもない自らの意思で、命を絶った。


……屋上へ続く扉には鍵が掛かっていなかったらしい。
宿直や警備の人が面倒で閉めなかったのか、閉める必要がないと判断したのか。
既に夏の暑さはどこかに消えて木枯らしの吹き始める頃だったから、わざわざ屋上に来る物好きがそういないのは確か。
天文部も存在しないのに、学校の屋上を使う理由はほとんどの生徒が持ってなかった。
昼寝をするには寒く、星を見るには遠い。授業をサボタージュするならもっといい場所はあるし、行事に使われるわけでもない。
特に秋を迎えてからは、来訪者は皆無だったはずだ。

そして事実上、彼が最後に屋上に立ち寄った者となる。
以降扉は常時閉ざされ、この一年、一度たりとも開けられていない。
そもそも誰も立ち寄らないのだから、私も含めて、確かめた人がいるかどうかは不明だが。

警備員は一人。センサーの類もなし。『そういうこと』に対する警戒度は紙のような薄さだった。
田舎だからこその緩さもあったかもしれない。
柵は胸の高さまで。身長を越える網も返しもなく、やろうと思えば簡単に跨げる。
彼にとってもそれは例外ではなかっただろう。容易く縁に立てたに違いない。

私は幾度も想像した。
散歩に行く、と家を出て、慣れない通学路を歩き、学校に忍び込んで。
一段一段、上へと登っていく。二階、三階、四階を止まらず過ぎ、屋上へ続く重い扉を開いて。
夜の冷たい風に晒されながら、柵を乗り越え校庭を見下ろし、そして――――

―――― 彼が何を見たのか。何を思っていたのか。どんなに考えてもそこまでは想像も及ばなかった。

事件は単なる『一生徒の飛び降り自殺』として片づけられる。
ただ、他の生徒からすれば、一生徒、という言い方に些かの疑問を抱くのだろう。

……何故なら。
入学しておきながら、彼は最初の式以来、一日たりとも登校していないのだから。
同じ小、中学校に通っていた人はその大まかな理由を知っているはずだが、仔細なところまで理解しているのはおそらく私だけ。


輝流ひかりは、人生の大半を病院で過ごしていた。










授業と授業の合間や昼休み、放課後の空いた時間を使って、私は話を聞く機会を作った。
私に噂の内容を教えた友人達を基点に、少しずつ範囲を広げて。
女子の情報網というのは全く馬鹿にならないもので、人選が良かったのか、面識のない一年生にまで手を伸ばせた。

人伝ではあるけど、正確さを第一に。
学校中に散っている話を集め、繋ぎ合わせ、整理していく。
期末試験も終え、とりあえずは至急の問題もない。
受験を間近に控えていると言われれば頷くしかないけれど、それは息抜きということで勘弁してほしい。

他の誰でもない私が『そういうこと』に興味を示しているのに、初め友人達は怪訝な顔をした。
今まで取り付く島もなかったのだから無理もない。なんで調べてるの、と訊かれ、実際返答に迷った。
その時は「ちょっと思うところがあって」と返したのだけど。
嘘はついてない。それが何であるかを口にしていないだけで。
きっと、話してもわかってはもらえないだろうし。

「…………えっと」

数日を掛け、だいぶ情報は集まってきた。
忘れないように頭の中で区分けしながら思考する。

わかったことはいくつか。
まず、警備員や教師を除いた目撃者は三人。
置きっぱなしにしてしまったノートを取りに行った生徒。
文化祭関連の仕事で遅くまで許可を貰い残っていた生徒。
そして最初の一人目と同じく忘れ物を取りに行った生徒。

この三人に共通するのは、いずれも最上級生、つまり三年生であることだ。
状況も全て、彼らが自分の教室に入った時。

時刻はまばらで、順番に十一時頃、九時頃、深夜一時半頃と一見整合性はない。
三人目の生徒は女子なので、男女の違いも関係ないようだ。

教師、警備員にも見たのが幾人かいるらしい。
宿直や見回りの人間は毎日変わるわけではないので、必ず現れるなら何度も会う人だっているだろう。
しかし、彼らは揃って一度限りしか見ていない、とのこと。

性別年齢は問わず、場所は二階の教室に限定。
三人の生徒達は全員クラスが違うので『二階の教室』であればどこでもいいのかもしれない。
二階にある準備室や教科別の部屋には出てきていないという話もそれを裏付ける。

……調べれば調べるほど、絵空事と思っていた噂は真実味を帯びてきた。
通常根拠のない話はところどころが曖昧なもの。でも、これに関しては具体的な部分が多過ぎる。


はっきりと近づいていく感覚を得て、私は、何か―――― そう、何か、違和感を覚えた。
ただ、それが何であるかまでには、至らなかったのだけれど。



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