学校というと、怪談を連想する人間は少なくない。
それは霧ノ埼のような田舎とも言える場所でも例外ではなく、七不思議なんてベタなものもあるらしい。

弾き手不在で鳴り出すピアノ。
目の動く肖像画。
歩き回る人体標本や銅像。
屋上へ続く階段が一段増える現象。
自分以外の何かが映る鏡。

当然私はそんな怪奇現象の類を見たことはないけれど、与太話だけでも信じる者は必ずいるわけで。
ただでさえいい意味でも悪い意味でも色々な人間が集まる閉鎖社会、オカルトも特に女子には結構受けが良かった。

もともと霧ノ埼には昔の風習や伝説、言い伝えが割と残っていて、祖母なんかは今でもそういう話を聞かせてくれる。
そのせいか時々ふっと妙な噂が立ったりするのだ。真実味があるかどうかはともかく。
クラスメイトが楽しそうに語っているのを耳にしてうんざりした覚えがある。私には無縁な輪だな、と思いながら。

興味はない。
そして以前に、興味を持てるほどの余裕もなくて。
だから初め、私はそれを気にも留めずにいた。

……一ヶ月ほど前のことだ。
学校内にあるひとつの噂が流れ始めた。
よくある幽霊目撃談の一種で、聞いた話を詳しく言うと、こうなる。

発端は夜、三年生のとある生徒が忘れ物を取りに学校へ行った。
宿直の警備員から許可を得、教室に入ると、そこには小さな人影が正しく幽霊じみた佇まいで立っていて。
思わず声を掛けるとそれは振り向き、何かを呟いて、跡形もなく消えたそうだ。
勿論人間にできる芸当ではない。その生徒は当初の目的も忘れて飛び出し、家で一晩中震えていたとのこと。
人影は少女だったらしいとか、死体が学校の下に埋められているから成仏できずに彷徨っているとか、 あるいは悪戯の類なんて現実的なところまで、皆好き勝手な尾ひれを付けたからか実に嘘臭い。

しかし、普通の話と違うのは、目撃者を名乗るのが一人ではないことだろう。
故に狂言だと決めつけるのも難しく、謎が謎を呼ぶ、といった感じだ。

ちなみに、こういった話は男子の耳にあまり入らない。
クラスでもその噂を知っている男子生徒は十人もいないはずだ。
なら何故怪談好きでもない私が知っているのかというと、困ったことに友達の幾人かが噂好きだったからである。
二度三度ならず五度も十度も聞かされれば覚えてしまうもの。
いつの間にか、少なくともクラスの男子よりは情報を知っている身になっていた。

「…………はぁ」

人の噂も七十五日。
大切なことだって時間と共に忘れていく。どうでもいいことなら尚更だ。

―――― でも、『あのこと』は忘れたくない。一生、死ぬまで、永遠に。

もう一年とちょっとが経つ。
きっとみんな覚えてはいないだろう。そもそも接点が皆無だったのだから。
この学校にいる私以外の人達にとっては、それこそどうでもいいことであったろうから。

「……ひかり、くん」

誰もいない教室の中で一人呟く。
時刻は四時も半ばで、十一月の終わり、夏なら明るい青色であるはずの空は既に夕方と夜の狭間。
窓を開けていないのに、空気はどことなく肌寒かった。


去年の十月。
私は、一人の知人を失った。
その事実が未だに心を縛りつけている。

死者と語らうことはできない。
死者と共に歩むこともできない。
許されているのは、想うことだけ。
それがどれだけ残酷であるかを、実際に体験した私は誰よりもよく知っている。
二度と会えない、なんて皆当たり前だと思っているけど、その本当の意味を理解している人はどれだけいるものか。

葬式から数日の間は何をするのも嫌だった。
食事さえも喉を通すのが苦しくて、ほとんど水だけで過ごした。
一週間経って日常生活を取り戻した。
でも他人とまともに話をする気にはなれなかった。
一ヶ月すれば表面上は悲しさを出さずにいられるところまで来た。
反面、胸中では煮え湯のような気持ちがいつまでも廻っていた。
三ヶ月ほどで少し落ち着きはした。
他の全てを一時でも忘れるため、勉強に没頭した。
半年も掛けて全ては思い出に変わった。
今度はそれを繋ぎ止めるのに必死だった。
そして一年、ようやく吹っ切れたと信じていたのに。

輝流ひかり。小学校からの付き合いを幼い頃から、と言っていいのなら、私、依月憐と彼は幼馴染だった。
健全と表現するにはある意味程遠い交わりだったけれど、男女の壁を越えて親しかったのだ。

いつかは終わってしまう・・・・・・・・・・・、そんな硝子より不安定な日々でなければ。
私達は傷つかず、苦しまずに済んだのだろうか。

「幽霊、か……」

『夜の教室に佇む幽霊』。七不思議の八番目、なんて冗談めかして語られているその噂に、私はひとつの答えを求め始めていた。
死者を扱う話だからかもしれない。彼との接点はそこにしかない。
あるいは感傷なのかもしれなかった。それすらも、わからないけど。

「……ひかりくん」

今になって、今更になって、私は彼に会いたかった。
会って、話をしたかった。聞きたいことも言いたいこともあるから。

―――― だから、これは未練なのだろう。
本当に幽霊がいるのだとしても、いないのだとしても、この気持ちに踏ん切りがつけられれば、と。


十二月を間近にして。私は噂の真実を求めるために、動き出した。



next