とりあえず、家にいても埒が明かないので外に出てみた。
しかし行く当てもなく、散歩気分で海風にでも晒されていれば名案が浮かぶかもしれない、という動機。
のはずだった。はずだったのだが、

「……何故俺達はここに来ているんだ」

そう呟く往人含む四名の先には、古びた建物。
廃駅だ。本来の役割を果たさなくなってから久しく、人気がまるでない。
壁のところどころには劣化の証であるひびが走っていて、思いっきり蹴りでも入れれば壊れてしまいそうである。
辺りに民家のひとつも存在しないこの場所は、堤防や学校、商店街と比べれば遙かに静かで。
だから、置かれたベンチに座る少女の姿が余計に目立っていた。
波のない水面に雫を垂らしたかのような。真っ白な紙にぽつんと黒を穿ったかのような。
目を伏せ、風のそよぎを聞きながら俯き佇む彼女は、来客に気づき、

「…………国崎さんと、神尾さん、ですか」
「よう美凪。何日ぶりだ?」
「こんにちは遠野さん」
「およそ一週間ぶりです国崎さん。こんにちは、神尾さん。……して、隣のお二人はどちら様?」

急に話を振られて反応に困るあゆと祐一。
当然これが初エンカウントであり、自己紹介が必要なわけで、でも今そんなことしてる場合だったっけ、と思考がごっちゃ。
結局復活が早かったのは祐一で、簡潔に名前と往人、観鈴との関係を伝えた。
返ってきた言葉でわかったことはふたつ。
彼女が遠野美凪、という人であることと、観鈴とは同級生であり、また往人とは別のところで知り合った、ということだ。
霧島診療所の佳乃といい、この野郎随分だな、と祐一は思うが、そんな考えをあゆが知ったらそれはもうにこやかに 「祐一くんも人のこと言えないでしょ」とばっさり斬り捨てるだろう。名雪に舞、佐祐理に香里(と秋子)。むしろこっちの方が数は多い。

「………………」
「ん? 遠野さん、何か?」
「……これを。月宮さんにも、どうぞ」
「え? …………ええ?」

おもむろに渡された封筒。無遠慮かと思いつつも取り出した中身は、

「………………お米券?」
「お近づきの印です。おめでとうございます、ぱちぱちぱち……」
「なあ往人」
「何だ祐一」
「お前の知り合いは……その、特徴的な人ばっかりだな」
「否定はせん。俺の勘によればお前も人のことは言えないと思うが」
「ノーコメントで」
「う、うぐ? 二人ともどうしてボクを見るの?」

特徴的な人物の筆頭であるあゆをしばらく眺めてから、祐一はさてどうしたものかと振り返る。
神奈備命に、観鈴の『幸せな記憶』と届けるための手段。
それは言い換えれば、観鈴が神奈備命のところまで辿り着くための手段だ。

……何か、ないのだろうか。
空の少女と、その孤独な世界と繋がっている何かが。

「…………なぁ、遠野さん」
「はい、何でしょう」

藁を掴むような気持ちだった。
おそらく得られるものはない、とわかっていながら、訊ねる。

「この辺で、えっと、変なこと訊くけど……不思議な力を持つものとか、羽根とか、そういうのってない?」
「不思議な力……ですか。ありますよ」
「何だとっ!?」

過剰に反応したのは祐一でなく往人。
美凪は何となく、大事なことなのだろうと察する。
彼らにとって、自分の答えはとても重要なものになるのだと。
だから深く詮索すまいと心に決めて、解を教えた。

「この町の神社の御神体は、一枚の羽根だと聞きます。詳しくは知りませんが、いくつもの奇跡を起こした、と」
「神社って……あそこか」
「はい。祭りはもう終わりましたし……神主の方もあまり見ない場所ですが」
「…………往人。もしかしたら」
「ああ。可能性はあると思う」
「美凪、さんきゅな。本当に助かった」
「……いえ。皆さん、とても大事なものを探してるようだったので……力になれたなら幸いです」
「行くぞ観鈴。今度この借りは返す!」
「ほらあゆ急げ! ありがとうございました遠野さん!」

走り去っていく男二人と、引っ張られて躓きかける残り二人の姿が消えるまで見送って、美凪は空を見上げた。
思い出すのは、もうこの場所に来ないみちるのこと。それは悲しいことだったけれど、

―――― 私は、ここにいるんですね。

きっと、それが答えだ。
願わくば彼らにも、自分のような答えが見つけられますように。

「みちる……元気で、やっていますか」










「ちょっと、ゆ、祐一くん! ボク一人で走れるから!」
「でも手離したら転ぶんじゃね?」
「うぐぅ、平気だよ!」
「じゃあ離すぞほれ」
「わっ、わ、わたたたたっ」
「おー……よくバランス取ったな」
「いきなり過ぎるよ!」
「だって離せって言ったし」
「言ったけど……じゃなくて! ボク全然話見えてないんだけど!」
「説明しろと?」
「そう!」
「うーん……面倒臭いなぁ」
「ゆ・う・い・ち・く・ん!?」

前を行く観鈴も同じようなことを往人に訊ねていて、どうやらしっかり理解しているのは自分達二人だけらしい、と祐一は納得する。
走りながらで息も切れるし正直しんどいが、ここで説明の手間を惜しむと後で何を言われることやら。

「仕方ない、あゆのために噛み砕いて説明してやろう」
「何か凄い偉そうだけどもういいや……」
「続けるぞ? いいか、神社の御神体は一枚の羽根だという。で、お前が夢で会ったのはどんな人だった?」
「えっと、寂しそうで、苦しそうで、ずっと泣いてて……」
「そうだろうがそうじゃない。外見だよ外見。背中に、何かなかったか?」
「…………あ、翼! もしかして、」
「正解だ。往人の話によると、翼人の羽根は記憶の容れ物らしいな。そして、羽根である以上それは身体の一部だ。つまり」
「もしその羽根が本物なら、あの人と繋がってる……!」

一縷の希望。おそらく、この町にある彼女との接点は、そこにしかない。
問題は山積みだ。しかし今は全て無視する。たったひとつ、大切なのは、

―――― やるか、やらないか。

時計は手元にない。九時は回っているだろうと思うが、細かくはわからない。
一分一秒が惜しい状況。走る足は、止められない。

祐一は振り向く。自分の背後を追うあゆの息が、少し乱れてきている。
ある程度のリハビリを終え、退院したのは四月だ。それからゆっくりと体力をつけ、日常生活に馴染んできた。
今では体育の授業に休み休みながらも出られるほどだが、常人よりも運動能力は格段に低いだろう。
全力疾走でないのに、既にあゆは疲れを見せ始めていた。

商店街を抜け、橋を渡り、山上の神社へと続く階段に差し掛かる。
長い。先が見えない。でも、行くしかない。

「あゆ、大丈夫か!?」
「う、うん、平気だから!」

そう言って駆け上がるあゆの足は、目に見えてわかるくらいに動きが鈍くなっていた。
さっきよりもこまめに祐一は注意を払う。……まだ、往人達には距離を離されていない。
前の二人も振り返り、一瞬心配そうな表情をするが、祐一の視線に気づき速度を緩めなかった。
半ばに差し掛かった頃、予想通りというべきか、あゆがバランスを崩す。前のめりに姿勢が揺らぎ、

「…………!」

咄嗟に掴んだ手を引き、足を止め、支えた。
華奢な身体がぽふっと胸に当たる。

「だから言っただろ」
「うぐぅ……」
「足、捻らなかったか」
「ううん、……あ、ちょ、ちょっと」
「ばーか」
「………………」
「ほれ。乗れ」

軽い捻挫をしたあゆは、もう先ほどの速さで走れないと踏む。
そう思い、祐一はしゃがんで背を向けた。他でもないあゆのために。

戸惑いつつも、迷いながらも、選択肢はもうそれだけだ。
ごめん、と謝り、しかし嬉しさを隠せず、あゆはそっと背中に体重を預ける。首に手を回す。
……こんな風におぶわれるのは、何年ぶりだろうか。懐かしさと、込み上げる仄かな幸せが心を満たす。
もう一度、ごめん、と呟いて、後は全てを祐一に委ねた。

「よし、行くぞ! しっかり掴まってろよ!」
「うんっ!」










「も、もう限界……。しばらく休むから後頼んだ……」

そりゃ小柄とはいえ一人背負って階段上ればバテるだろうよ、と往人は嘆息する。
だが、根性は評価するしむしろよく頑張ったと思う。同じ状況に立ったら自分もそうするのは間違いないわけで。

神社は閑古鳥の鳴き声が聞こえそうなほどに人気がなかった。
あるのは社だけで、住居は建っていない。そして神主の姿もなく、現状この場所は無人のようだった。
つまり、今がチャンス。この時を逃せばあらゆる意味で次はない。
先行して正面、社殿に続く扉へと近づく。当然というか、鍵が掛けられていた。
雨風に晒され錆を纏った、スタンダードなタイプの南京錠。サイズは大きめで、ちょっとやそっとでは外れなさそうだ。
色々と触ったり弄ったりしてみるが、やはり簡単に取れるはずもなく。

「…………よし」

正攻法を諦めた往人は、錠前に向けて手をかざす。
昔訳あって解体したことがあるので、南京錠の構造はわかっている。
人形と同じだ。見えない糸を伸ばし、絡め、それを通して力を送るイメージ。
慣れない物を相手にすると、精神力は普段より削られる。しかし、躊躇は不要。さらに意識を集中して、

……かちゃり。

「開いた」
「わ、往人さん凄い。こんなこともできるんだ」
「そりゃ見せたことなかったしな」
「……でも、泥棒さんみたい」
「………………」
「………………」
「…………その手があったか」
「ないよ」

冷静なあゆのツッコミを無視し、用を足さなくなった南京錠を取り外す。
手を掛ければ扉が開き、社殿の全容が露になる。殺風景なこじんまりとした室内、その一番奥に奉られているのは、

「羽根……だな」

復活した祐一の言葉に三人も頷く。
それは、月のように白く輝く一枚の羽根だった。
ぼんやりとした光を宿し、大気の流れに飛ばされることなく、ただ無造作に置かれている。

観鈴が恐る恐る羽根に触れた。
途端、燐光はさらに強さを増す。彼女を待っていた、と言わんばかりに。

「どうやら本物みたいだが……で、往人、どうするんだ?」
「この羽根を伝って、観鈴を向こう側に送り込む」

法術を扱える往人ならば可能だ。
原理は転生とほぼ同じ。彼女の『想い』を糧に変換し、意識体にする。
人形や鍵などの物体操作は副次的なものに過ぎない。法術とは元々そのための力。

「待って! ボクも行くよ!」
「月宮、ひとつ訊いていいか」
「往人さんっ!?」
「止めるな観鈴。月宮」
「…………何?」
「観鈴と俺には明確な理由がある。贖罪、宿命……だが、お前には何があるんだ? 俺達に匹敵する、何が」
「ボクは……ボクにも、あるよ。理由」
「……それは何だ?」
「夢の中で、観鈴さんと一緒に言ったんだ。救ける、って。それに、」

それに――――

「苦しんでる人に手を差し伸べるのに、理由なんているの?」
「…………まぁ、いらないか」
「うん、いらないね。往人さんの負けー」
「勝ち負けじゃないんだが……わかった。月宮、お前も送ろう」
「ありがとう、国崎さん」

礼を告げられた往人は、照れ臭そうに頬を指で掻く。
そして、二人を羽根の前に立たせ、横から手をかざし、力を込める。
時間、場所、世界さえも越えて魂の力―― 想いを運ぶ術。
法術の本質は、閉ざされた空の彼方にいる神奈に、幸せな記憶を送り届けるための、心の力だ。

「あゆ! 観鈴さん!」

少女達の姿が、薄れ、大気に溶けるように消える。

「心配すんな祐一。大丈夫だ」
「超傍目には納得できない根拠から来る自信だな」
「俺は観鈴を信じてるからな」
「なら俺もあゆを信じてる」
「だったら平気だろ」
「そうだな。……俺、よく考えたら出番無しで骨折り損のくたびれ儲けじゃねえかと思うんだけど」
「気のせいだ」
「それこそ根拠ねえー……」

しかしまぁ、待つしかあるまい。
後で見せ場あるかもしれないし、と結局何も心配していない祐一だった。





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