目覚めてまずあゆがしたのは、寝惚けてるのか起きてるのかわからないが抱きついてくる祐一に肘を入れることだった。
脇腹に渾身の一撃。ふっ、と吐き出された息が漏れる音を聞き、腰に回った腕の力が緩む。
そこでがら空きになった胸に容赦なく二打目。これも肘。

「あ、あゆ、寝起き早々これはないんじゃないか……」
「ごめん今構ってられないから後で!」
「しかも放置かよ……」

あゆマジ容赦ない。
横暴な彼女の仕打ち(主観)にしくしく泣き始める祐一を軽やかに無視し、布団を飛び出して走る。
途中「あらあら、全力疾走は危ないですよあゆちゃん」と居間の秋子に窘められ、走りは早歩きにシフトした。
階段は一段飛ばし。少々はしたないが気にしない。何しろ急いでいるのだ。
目指す二階の部屋、観鈴の自室。往人がいる可能性も考えたが、何となくいないと思った。
だって、もしあの夢が本当なら――――

「あゆさん!」
「観鈴さん!」

たぶん観鈴も、自分と同じ気持ちだろうから。
二人とも起きたばかりで、髪の毛は跳ねてるし、パジャマも動いたからよれよれで、正直女性としてあまり出歩きたくない格好だ。
けれど、話したいことがある。確かめなくちゃならないことがある。

「夢、見た!?」
「うん、見た! 観鈴さんも!?」
「わたしとあゆさん、同じところにいたよね!?」
「あの寂しい場所で、翼の生えた女の子に会って!」

嘘じゃない。記憶に間違いがないのなら、全ては嘘じゃない。
なら、その中で放った言葉も、願いも、誓いも、本当のものだ。

あゆは答えた。観鈴も、答えた。
空の少女の叫びに対して、ただひとことを。

「……ボク達、あの人に言ったよね」
「うん。救けるって。絶対に、救けるって」
「でも……どうしたら、それができるの?」

手を差し伸べるためには、こちらから差し出した手が届く場所まで行かなければならない。
でも、彼女がいるのはどこなのか。夢に見たあの場所に辿り着くには、いったい何をすればいいのか。
それがあゆにはわからない。外から来たあゆは、何も知らない。

繋がりが強いはずの観鈴にも、提示された疑問に答える術はなかった。
本来、神奈備命は既に開放されているはずなのだ。では何故未だ囚われたままなのか。
何かが足りない。そこまで気づくことができても、原因の特定までは出来ない。

二人の少女では、力不足なのは明白だった。

「……きっとあるよ。方法が、あるはず」
「わたし、往人さんを呼んでくる。もしかしたら、わたしじゃ思いつかないことを言ってくれるかもしれない」
「ボクも祐一くんに声を掛けるよ。四人で考えよう? それなら、あるいは」
―――― 届くかもしれない」

向かい合い、頷く。
そして、互いの想い人を引き入れるために、動き出した。










「んで、集められたわけだが」
「俺達は何をすればいいんだ観鈴」
「えっと……かくかくしかじかで」
「なるほどそういうことか。……あれって普通に考えたら絶対通じてないよなぐぁっ!」
「同感だ。たった八文字でどんなことが説明できるんだろうなぶへっ!」

茶化す二名に天誅。具体的には観鈴の延髄切りとあゆの膝蹴り。
数秒間悶絶する男どもを見下す瞳は、ただ冷めていた。お前ら真面目にやれよと。

「とりあえず、その話を鵜呑みにするとしてだ」
「……祐一さんは、信じてくれるの?」
「だってあゆが信じてるし。俺も"そういうの"にはちょいと耐性あるんでね」
「うん。祐一くん基本的に馬鹿だけど、そこは大丈夫だから」
「馬鹿とは何だ馬鹿とは」
「いひゃいいひゃいほおひっはらにゃいへ!」
「……ぷ」
「こいつら見てると真面目に考えるの馬鹿らしくなってくるよな」
「往人さんは普段から真面目に考えてないと思う」
「言うようになったな観鈴」
「いひゃいよふひぃふぉふぁん」

仕返しとばかりに相方の両頬を限界まで引き伸ばしてから、改めて話をする姿勢に。

「要するに、二人は夢に出てきた女の子を助けたいと」
「うん」
「でも、助けるって言っても、何から助けるんだ? それがわからんと話にならないが」
「それについては心当たりがある」

そう発言した往人は、表情には出さず心中で苦笑する。
昨日、祐一から当人の過去を聞いた時、何も語らないとつっぱねた自分に、彼は「構わない」と答えた。
言うべき時に教えてくれるだろ、と。今がその時で、祐一の台詞が的中したことに、微妙に悔しい気持ちを感じる。
だが、悔しくとも自分は話す。それが観鈴のためだから。そして、ここに至るまでに変えてしまったものに対する償いだから。

往人は全てを語った。
過去、観鈴の身に圧し掛かっていた呪いと、千年も続いた使命、法術の理念、孤独の空に閉じ込められた少女のことを。
そして―――― 本来、そうなるはずだった未来と、転生を繰り返した果てに選び取った現在との差異を。

「観鈴は……本当は、全ての夢を見終え、記憶を継承した時点で、死ぬはずだった。だが、俺はそこから観鈴が至った夢の世界に辿り着き連れ出し、 その時の記憶を持ったまま異なる世界の自分へと転生、また観鈴も記憶……つまり翼人の羽根を魂に宿したまま転生した」

人の身、人の魂では、翼人の器には到底及ばない。
翼人が人間として転生しても、膨大な記憶を受け継ぐことはできず、やがて器に亀裂が入り、壊れてしまう。
だから一度目の往人は、歴代の法術士達がそうしたように、自らの魂を人形に込め、その力を以って観鈴の魂の器を拡大した。
そうすることで、受け皿としての準備は整う。途方もない彼らの願いと共に、翼人に並ぶ大きさの器を確保できるようになる。

しかし、そこに往人はいない。
観鈴も『幸せな記憶』を届けるまでが限界で、命の炎が尽きる。

だからこその、再度の転生。
翼人の証、記憶の保存領域たる翼を持っているならば、悲しみの過去にも押し潰されない。
最後の夢を見、全ての記憶を継承しても尚、押し潰されないだけの器を獲得していた観鈴は、死ぬことなくあの日に至った。

「おそらく、だが……そこに、未だ神奈が空の檻を抜けられない原因があるんだと思う」
「どういうこった? 記憶の継承が終わってるんなら、その神奈って女の子の転生も完了してるんだろ?」
「いや、まだ完全には終わってない。観鈴が生きていることによって、行われなかったことがひとつある」
「…………それは、何?」
「……わかった。往人さん、わかったよ」
「観鈴……」

それを口にすべきか迷っていた往人に、観鈴は微笑みを向ける。
今から自分が何を言うのか、しっかりと理解していながら。

「わたしが、ここにいるから―――― 幸せな記憶を、まだ届けられてないんだね」

神奈備命を開放するために必要な条件はふたつ。
生まれ変わりである観鈴が翼人の記憶を全て受け入れることと、
加えて往人=柳也と過ごした『幸せな記憶』を彼女に伝えること。
前者は既に済ませた。しかし、後者はまだ。観鈴はここにいて、往人もここにいる。つまり、

「そらがいない……」
「そら、って?」
「カラスだ。最初の転生時、俺は一羽のカラスとして観鈴のそばにいた。そのそらが、記憶の届け手だった」
「……ん? なあ往人、お前観鈴さんが……その、今生きてるけど亡くなった時一緒に転生したんじゃないのか?」
「いや。俺はそらの中で眠っててな、神奈のところに流れ着いてた観鈴を連れ戻す際、一連の状況を知ったんだ」
「え? そらは往人さんで、往人さんはここにいて、あれ? うぐぅ、よくわかんないよ……」
「深く考えたら負けだ。正直俺もよくはわかってない」
「おい」
「大事なのは結果だろう。こうして俺も観鈴もここにいる。そして、神奈はまだ辛い思いをしている」
「……うん。わたしは、どうにかしたいと思ってる」
「ボクもだよ。ボクにできることなら、全力でしたい」
「なら俺もだな」
「勿論、俺もだ。我が儘を押し通した責任もあるしな」

誰からともなく、手を差し出す。
差し出した手に別の手が重なり、最終的に四人分の手が縦に連なる。
それは誓い。力を合わせるという、想いの繋がり。

「よし、やるぞ!」
「おー!」
「…………で、どうするの?」
「どうするんだ往人」
「……さっぱりわからん」
「この役立たず」
「何をっ!? 祐一、じゃあ貴様には名案が浮かぶとでも言うのか!?」
「いや、だって俺全然事情とか飲み込めてないし」
「………………」
「………………」
「うがー!」

取っ組み合いを始めた二人を適当に端まで寄せてから、あゆと観鈴は考えた。
方法を。この状況を打開する、救いを求める少女に辿り着く方法を。

「…………あ」
「あゆさん、どうしたの?」
「……ボクと祐一くん、今日のお昼に帰ることになってるんだ」


現在八時。刻限まで、およそ五時間。





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