「なあ往人」 「何だ祐一」 「観鈴さんって、今二十歳前だよな」 「そうだな。こないだ高校卒業したばかりだし」 「……訊くが。お前はいったいいくつだ」 「言っていいのか?」 「……ああ。教えてくれ」 「………………」 「なにぃっ!? ということは、つまり、二人はそこまで歳が離れてるのか!」 「まぁ、そういうことになるな」 「このロリコン!」 「何故嬉しそうな顔で言う。……だが観鈴はあれだ、脱ぐと凄いぞ」 「……凄いのか」 「凄いな。具体的には……いや、止めておこう」 「生殺し!?」 「正直あいつは滅茶苦茶勘がいい。後でバラしたことを知られたらただじゃすまん」 「なるほど。そういやあゆもだいぶ予知入ってるからな……」 「ロリコンと言えばお前の方がそうだろう」 「んなことないぞ? 俺とあゆは同い歳だし」 「しかし、あまり大きな声では言わないが……どう考えても幼児体系にしか見えん」 「確かにあいつは背も肉も胸もないな。色々事情もあるんだが」 「観鈴は背も肉も胸もあるからな……」 「うわ惚気か」 「悪いか」 「いや、悪くない。代わりに俺も惚気るぞ。あゆは幼児体型だが、何つーか、健気でなぁ」 「ほう」 「何にでも一生懸命というか、ほら、そんな姿を見てるとこう、来るものがあるというか」 「…………ふむ、そうだな」 「そりゃあつい張り切っちまうのが漢ってもんだろう」 「それについては力強く同意しよう」 堤防に着きさらに腰を据えてからしばらくの間、二人はこんな感じの駄目会話を交わし続けていた。 幸い昨日と同じく人通りは少なかったが、もし聞かれていればどこかで観鈴の耳に届くこととなるだろう。 最近仕置きにも慣れてきた観鈴に、既にしっかりと尻に敷かれている往人である。 ただ虐げられるだけの者も、時の流れと共に成長していく。それはあゆにも言えるのだが。 昼の、身体の芯で燃える薪から熱が溢れるような暑さ。 ほとんど真上より降り注ぐ太陽光が剥き出しの肌を容赦なく灼き、湿気を多量に含んだ大気は吐く息にすら熱を与えている。 それでも海風は涼しく、一時の安らぎと鼻につく潮の香りを運んでくる。 蝉の大合唱。波の音色。道のところどころで昇る陽炎。 それは、祐一とあゆが暮らす場所には、二人の故郷にはないものだ。 祐一は何気なく空を見上げ、次に鬱陶しそうな顔で汗を拭う往人を見た。 ここにしかないものがあり、ここにはないものがある。 ここに住む二人が知っていること。ここに住んでいない二人が知っていること。 必ず、そういう何かはあるのだ。自分がかつて、あの雪降る街で、痛みの記憶を乗り越えたように。 ……初めて観鈴を目にした時、思った。 ああ、この人は強い、と。それは腕力や知力、権力や財力などではない。 心の強さ。気が遠くなるような、途方もない何かを体験し越えた果てに手に入れられる、尊き魂の強さ。 だから祐一はその姿にあゆを重ね、結果として似た者同士の二人は出会いと同時に友誼を交わした。 そして、往人にも。 基本的に馬鹿で覇気がなくて動かなくて口と目つきの悪いサドっ気たっぷりの男だが。 法術という由来もわからない力を抜きにしても、やはり観鈴と同じ強さを持っているように見えた。 根拠はない。しかし、自信はある。 二人はきっと、泣きたくなるほど辛い、逃げたくなるほど苦しい、立ち止まってしまうほどどうしようもない何かを経験したのだ。 過去の自分やあゆが感じ、得た気持ち。それを、この男や彼女も知っているのだろう。 近しいからこそ通じる想い。何となく祐一は、往人と観鈴にそういうものを見出していた。 ―――― ああ、だから。 友として関わった以上、知り合った以上、見逃すわけにはいかない。 思い出すのは、朝のあゆの言葉。茶化してしまったが、祐一も実際はかなり真剣に受け止めていた。 『……あのね、何か、ボクはここに来なくちゃいけなかったんだ、って、そんな気がするんだ』 祐一はあゆを信じている。 それは決して絶対的な信頼ではない。が、自己犠牲の過ぎる彼女が嘘を絡めず紡いだ思いに、きっと間違いはないのだから。 信じている。その言葉を信じている。その意思を、信じてやる。 ここには祐一の与り知らぬ『何か』があって、誰かが昔の自分みたいに傷ついていて。 往人と観鈴は『何か』のことを解っていて、苦しむ誰かを解き放ちたいと願っていて。 なら、簡単だ。答えはひとつ。悩む必要なんてこれっぽっちもない。 できることがあるのなら、できる限りをするまで。 けれど、そのためには―――― 「なあ往人」 「何だ祐一」 「……今の流れテンプレになってるな」 「お前真面目な顔でそんな台詞吐くと色々ぶち壊しだと思うぞ」 「ああっ、つい血が騒いで!」 「立派な芸人だな。そこは尊敬しよう。真似するつもりは毛頭ないが」 「芸人なのはお前もだろうが。大道芸人」 「…………おお、そうだったな」 「鈍い。……って違う違う、芸人の話は置いといて」 「置いとくだけなのか」 「続けられそうなネタはキープしておくのが身上なんだ。……で、だな」 「今度こそシリアスに行くのか?」 「茶化すなもうしばらくボケん。往人、ちょっと恥ずかしいんだが、ここで昔話をするぞ」 「……ん。聞いてやろう」 「偉そうな態度はスルーして……昔、一人の馬鹿な男の子がいてな」 「ああ」 「そいつは街中で、見知らぬ女の子に出会うんだ。またその女の子が泣いてばかりで、 あんまり泣きっぱなしなもんだから、男の子はそいつに餌付けした」 「身も蓋もない言い方だな」 「客観的に見た事実だ。少ない小遣いでたい焼きを買い与えて、一緒に食べた。 それからめそめそ泣いてた事情を聞き出したんだが、その辺細かい部分は省く」 「そういう流され方すると微妙に気になるんだが」 「とにかく、以来女の子とよく会って遊ぶようになってな。商店街、公園、そして、お気に入りの場所。 あの頃は冬でさ、そこかしこに雪が積もってた。長靴でそれを踏みしめて、子供らしく二人で走り回ってた」 既に『馬鹿な男の子』が誰か気づいた往人は、しかし何も言わなかった。 劇中の女の子の正体にも見当はついたが、今は野暮な詮索をするべき場面ではない。 大人しく聞き手に回る。祐一の話は淡々と続き、二人のお気に入りの場所、大木のことへと移った。 「女の子は樹に登って高みから街を見下ろすのが好きだった。あの日も、あいつは高い枝の上にいたんだ。 そして―――― 七年もの間、男の子は女の子のことを忘れたまま過ごしてた。大きな、本当に大きな喪失感を受け入れられなくて」 「…………落ちた、のか?」 「ご名答。赤く染まる雪、握った華奢な手はどんどん冷たくなっていって……プレゼントの、赤いカチューシャを渡そうと思ってた。 でもそれは叶わずに、俺達は別離を経験した。長い長い、別れだったよ。……今更だが、男の子が俺で女の子はあゆだ」 「んなこと言われなくともわかる」 「そっか。じゃあその七年後、何があったかも面倒だから省こう」 「お前、そっからが一番大事じゃないのか」 「仕方ないな、そんなに聞きたいなら話してやる」 「いや別にそこまでは」 「うわ反応薄いなー……。まあいいや、かいつまんで言うと、あゆは七年間、昏睡状態だった」 「………………」 「色々あって、目覚めて、俺達は本当の意味で再会を果たして。結果、ここにいる。―――― 大変だったけど、ここまで来れた」 「………………」 「あるだろ? 往人と観鈴さんの間にも、そういうの。詳しくは訊かねえけどさ」 「……話さんぞ?」 「構わない。言うべき時に教えてくれるだろ。でも、ひとつだけ」 ふらふらと動いていた祐一の視線が、往人を正面に捉えた。 ……その目が。あまりにも真っ直ぐで、強くて、往人は小さく息を飲む。 「俺はあゆを信じてる。だから、あゆが観鈴さんや往人に関する何かを求めた時は、俺も全力でやるからな。覚えといてくれ」 「―――― ああ、覚えておこう。そんな時が来たら、年上らしく頭下げて頼み込んでやる」 「……言ったな?」 「……言ったぞ」 それから二人は、一歩間違えば通報されそうなくらいの大声で、馬鹿笑いをした。 ついでに何となく殴り合った。体格差で往人の優勢だったが祐一も負けず、最終的にはドロー。 当然ながら喧嘩に意味はなく、ただ、お互いこれ以上ないほどにすっきりして、ぐったりと眩しい青空を眺めて。 「青いなぁ……」 「……ああ」 「綺麗だなぁ……」 「……ああ」 「明日、いい気持ちで帰れるといいな……」 「…………ああ」 日没前に帰宅した二人の頬を見た、夕食調理中の秋子はひとこと。 「あらあら。……じゃれ合いもほどほどにしてくださいね?」 じゃれ合いの一言で済ませますか、と呆然とする二名の前に、今度は妙にしっかり手を繋いで降りてきた女性陣を見つけ。 祐一と往人は見事に揃って、 「何があった」 と訊ねる。 答えは内緒。むしろ、そう訊きたいのはこちらの方だと睨まれる、立場の弱い男性陣だった。男なんてそんなものだ。 back|next |