朝食を済ませて早々、祐一は暑さで全く覇気のない往人に頼んでみた。

「……呼び方は国崎、でいいのか?」
「構わん。俺もお前を相沢と呼ぼう」
「よし、じゃあ国崎。早速だが芸を見せてくれないか」
「断る」

瞬殺。というかまともに話を聞いてない。
よく考えてみればこれが自己紹介以来の初会話なのだが、以前に往人が会話をするような姿勢を取っていなかった。
何しろやる気がないのである。扇風機の風を占領しながらトドの如くごろごろごろごろ。
誰がどう見ても駄目人間の鑑だった。しかも今働いてないし。家事もしないし。

「もう、往人さん、いじわるはだめ」
「……観鈴。俺はいじわるなどしてないぞ。人形も休日だから休みたいんだ」
「え、そうなの? ごめんね祐一さん、お人形さんオフの日なんだって」
「なああゆ、観鈴さんはお前以上に手に負えない存在だと思うんだがどうだろう」
「ボクに訊かれても困るよ……」

二人の嘆息の原因である超天然夏娘は、騙されていることに気づきもせず首を傾げる。
と、突然往人は寝転がったまま右手を動かした。糸を引くように。自分のところへ誘うように。
その行動理念がさっぱりわからないあゆと祐一が推移を見守っていると、往人の手指が示す先、互いの背後から、

「おおうっ!?」
「うぐっ!?」

とことこ、のっぺらぼうで裸のシンプルな人形が歩いてきたのだった。
滑らかに動く手足に繋がれた糸や棒は存在しない。手品やトリックとしての仕掛けは、ない。
座る三名と横になった一名の間に辿り着き、あゆ、祐一の前でぺこりと一礼。
それから何故か正座する観鈴の腿に布でできた手を掛け、登山よろしく登り始めた。

「ひゃ、ゆ、往人さ、く、くすぐったいっ」

腿から腰へ。腰から背中へ。背中から首へ。首から頭へ。
器用に両手両足だけで踏破した人形は、危なげなく頂上でびしっとポーズを決め、ジャンプ。

「あれはっ、幻の五回転捻り!」

とりあえず適当に叫んでみた祐一をスルーして、着地した人形は唐突に倒れる。
それは往人の手が力を抜いたのと同時。正しく糸の切れたという表現が一番近いだろう。
後に残るのは沈黙。気まずいとも取れる空気を作り出した張本人は、満足したかとばかりに寝直した。

「す………………」
「酢?」

あゆのベタ過ぎるボケはなかったことに。

「すげええええええええええええええええええええええっ!!」

感動のあまり声を張り上げる祐一。ワンステップで往人の正面まで移動、がしりと肩を掴む。
不機嫌な往人の目は正直最高にガラが悪いのだが、今の祐一にはそんな睨みが効くはずもなかった。

「国崎さんよ! お前実はとんでもない偉人じゃないのか!? 何あれ!? 俺見たことねえ!」
「……当たり前だ。法術と言ってな、そんじょそこらの一般人が持ってる力じゃない」
「できるのは人形動かすだけか?」
「いや、昔はそれくらいしか無理だったが、今なら……そうだな、かなり消耗するが、死ぬ気でやれば」
「まさか…………
「…………そのまさかだ
「浪漫、だな」
「ああ。漢の浪漫だ」
「………………」
「………………」

一瞬の間。そして、

「「盟友(とも)よっ!」」

如何なる意思の遣り取りがあったのか、両者の手は固く結ばれ、破顔一笑。
しかし笑うといってもどこか禍々しい笑みである。あるいは、何か大事な物を力一杯投げ捨てたような。
正直あゆ的には、史上最悪のコンビ誕生の瞬間だった。

「……ボク、一番出会っちゃいけない二人を引き合わせたかもしれない」
「往人さんと祐一さん、仲良し。……いいなぁ。あゆさん、わたし達も握手する?」
「え? あ、うん、いいけど」
「じゃあ、はい」

月宮あゆ、特性『流される性格』。
物事はあれよあれよという間に進んでいくものである。

「俺のことは祐一と呼んでくれ」
「往人でいい。お前とは長く語り合えそうだしな」

その横で無意味に男二人も距離を縮めていた。










昼、ただ茹でただけのはずなのに妙においしい素麺を食べて、祐一は往人と一緒に出かけていった。
置いてけぼりの女二人は、仕方ないか、仕方ないね、と頷き合う。
というより、奴らのことを今はあまり考えたくなかった。ついでに関わりたくなかった。

「あゆさんはこれからどうするの?」
「うーん……海は昨日行ったし、町も一通り回ったしね。何も考えてないや」
「それじゃあ、わたしの部屋に来ない、かな? おはなししたいなって、そう思ってたの」
「観鈴さんの部屋は二階?」
「にはは。往人さんの隣室」

昔はもっと人間味の欠けた場所(車庫)で寝ていた往人だったが、役立たずの居候から家賃を払う居候に昇格したので部屋が割り当てられた。 いや、割り当てられたといっても片づけ終わるまでは物置でしかなかったのだが。
そこが観鈴の部屋の隣に位置しており、実はちょっと大きな音だと壁越しに筒抜けである。
互いに声が聞こえることを利用して何が行われているかは秘密。

「……失礼します」
「ようこそいらっしゃい」

飾り気がまるでないドアの先に広がるのは、典型的とは言えずとも女の子らしい物の溢れた風景だ。
机の上に置かれた可愛らしい文房具の数々と、ベッド周りを中心に並べられたぬいぐるみ達。
デフォルメされて少し解り難いが、その特徴的な姿は、

「恐竜?」
「うん。恐竜、好きなの」
「抱いてみていい?」

肯定の返事を受けてからあゆはひとつを取る。
手触りは柔らかく、ふわふわとして抱き心地良い。
思えばあゆの部屋にこういったものは少なく、特別興味もなかったが今度買ってこようかと検討するくらいには素敵だった。
ブロントサウルスとかそんな感じの首が長い種類だろう、胴体を持つと首から上がぶんぶん揺れる。
ひとしきり弄り倒して元あったところに戻した。それから改めて室内を見回す。
言葉にするのは難しい。が、何となく、観鈴らしい雰囲気の満ちた部屋だと思う。

「観鈴さん、いつもは何してるの?」
「えっと、トランプとか、勉強とか。あとは往人さんやお母さんとおはなししたり、かな」
「トランプって……一人で?」
「一人の時もあるし、二人や三人の時も。往人さん、むすっとした顔で付き合ってくれるの。お母さんも忙しくない時は一緒に」
「そっか。……いい家族、だね」
「にはは、わたしの自慢。あゆさんは?」
「ボク?」
「素敵な家族?」
―――― うん。ボクにとって、最高の家族だよ」

あゆには家族がいなかった。
再び祐一に出会い、秋子と、名雪と知り合うまでの長い間、愛されずに過ごしてきた。

観鈴には家族が欠けていた。
本当の母でなくても、愛はあったのに。本当でないからこそ、距離を縮めるまでに時間が掛かった。

だから今は幸せで。
幸せになれた分、幸せを求めた頃の痛みを覚えていて。
痛みを覚えているが故、できるなら他人のそれを和らげて、手を差し出したいと願うから。

「…………夢を、見るんだ」
「夢?」
「寂しい世界に一人きりの女の子が、悲しそうな顔でボクに何かを言うの」
「………………」
「その言葉だけが思い出せなくて、でも、たすけなくちゃ、って」
「……彼女の背中に、羽根はあった?」

答えは首肯。
それを得た観鈴の表情は、ゆっくり、笑顔へと変わる。

「わたしも、夢を見たの。ずっと辛い思いをし続けた、もう一人のわたしが泣いていて」
「…………うん」
「震える声で、掠れた声で、たすけて、って。わたしを呼んでた」
「…………観鈴さん」
「あゆさん。わたし達に、できることがあるんだよね。きっと」
「ボクもそう思う。だからボクはここにいるんだって」
「……ふふ」
「あははっ」

二人、同じ気持ちなら。
大丈夫、手は届くはず。

祐一と往人が帰ってくるまで、残りの時間は雑談に興じた。
玄関から聞こえる足音を聞いて降りてきた女性陣の繋がれた手を見て、何故か痣だらけの鈍い男二名は首を傾げることになる。
何があった、というユニゾンでの問いに、仲良しな彼女達は「内緒」のひとことと共に、向かい合って笑った。





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