名字を聞いた時、そうじゃないかとは思っていたのだが。
神尾観鈴と名乗った少女は、宿泊先である神尾家の一人娘だった。
聞けば向こうも同じくらいの歳の子が来ることは知っていたらしい。

女三人寄れば姦しい、という。
しかし先送りとなった案内に耳を傾けながら、祐一は二人でも十分だと思った。

あゆが問い、観鈴が答える。
観鈴が問い、あゆが答える。
今まで出会うことのなかった分、互いの知らないところを知って溝を埋めるように。
傍目から見た二人は、ほんの十数分前に顔を合わせたばかりとは思えない友人同士の姿で。
よくそんな会話が続くよなぁ、と呆れつつ感心しつつ、安心もしていた。

七年のブランクは、とても大きい。
目覚めたあゆは当初歩くこともまともに出来ず、一人で立てるようになるまで一週間を要した。
食事もしばらくは喉をほとんど通らなかったし、ましてや学校に通うまでには多くの苦難を乗り越える必要があった。

無為に経過した年月はそのまま他人との触れ合いにも影響する。
あゆにはほとんど友達がいない。水瀬家の面々を除けば、祐一絡みの数人程度だ。
だからこそこうして気を許せる、話せる相手は貴重で、有り難い。
自分の役割とは違うのだ。必要とされている自負はあっても、それは友としてではないのだから。

観鈴にあゆが出会えた、それだけでここを訪れてよかったと思う。
……といった感じで数歩先を行くあゆを見つめる祐一の目は、どちらかというと親が子を見つめる時のものだった。
その視線に気づいたあゆとしては、実に複雑な気分なのだが。親子はないだろう親子は。

夜は少し攻めで行こうと密かな決意をし、続く観鈴の案内にまた意識を向けた。










海から診療所、川を越えて神社、復路で武田商店の軽い説明を受け、神尾の家に着く頃には陽が暮れ始めていた。
観鈴を先頭に玄関から帰る。ただいまの声に応じるおかえりなさいのひとこと。

台所では秋子さんが包丁片手に食材を調理中。
家主(扱いでいいだろう)の晴子さんはどこかに出ているようで、そういえば車庫にバイクがなかった。
仕事の類だろうか、とあゆは推測する。買い出しや別の用事である可能性も否定できないが。

早速観鈴と秋子の自己紹介が始まり、あゆと祐一は一声掛けて部屋に戻る。
腰を下ろすと足裏の痛みを感じ、随分歩いたんだと今更知った。

「…………なぁ」
「何?」
「そういや、居候って人に会ってないよな」
「うん。観鈴さんと一緒だ、って聞いてたけど……」

どんな人物なのか、そもそも性別すらもわからないので勝手な想像の元に議論をスタートする二人。
結果ポジション的に姉か妹かの二択(前者があゆ、後者は祐一)で争いが始まった頃、玄関の方から戸の動く音が響いてきた。
そして一時止まり、次第に近づいてくる足音。

あゆ達の部屋の、襖一枚隔てた向こうは居間の隣に位置している。
そこには扇風機が設置してあり、どうやらその前を陣取ったらしい。

恐る恐る、あゆは襖を開けて外の様子を窺った。
予想通りの場所に座るのは、広い背中。灰色に近い髪は寝癖かどうか判別つけ難い立ち方で、背は丸く伸びていない。
服の色は黒。夏にそのセレクションは自殺行為だと思うのだが当人にはどうでもいいことなのだろう。
胡坐を組む足も長く、長身だろうと見当はつく。回転するプロペラに向かって「あー」と声を出しているところに、 あゆはどことなく祐一に似てるかもしれない、と妙な危機感を抱いた。
ちなみに、あゆの上に頭を重ねて祐一も一緒に覗いていた。

「……男だな」
「男の人だね」
「妹っぽくないな」
「お姉さんっぽくもないね」

当然である。

「どうすっか? 自己紹介しとくか?」
「そうした方がいいかな」
「まぁ、あと二日近く付き合うことになるだろうし」

じゃあ、と襖を完全に開けようとした時、男のところに観鈴が近づいてきた。物凄く遠回りに。
目を閉じているのか、全く気づかない男の背後まで辿り着いた彼女は腕を広げて、

「ゆーきとさんっ」

抱きついた。
覗き見中の二名、「おおっ!」と小声で驚く。
背中の方から抱きつかれた男は、おそらく胸の辺りにあるだろう観鈴の手を取って、

「おらあっ!」
「ひゃっ!」

直立→足掛け→背負い投げ。所要時間は二秒半。見事に扇風機に被害を出さず、投げ飛ばす。
出来損ないの受身で背中をしこたま打った観鈴は、ちょっと涙目で、

「往人さん、酷い……」
「突然抱きつくな。心臓に悪い。あと今日の俺は少し機嫌が悪いんだ」

あんまりな外道っぷりに襖越しの二人は絶句。
そして思わず寄り掛かり過ぎ、あゆと祐一の体重に耐え切れなかった襖はばたんと倒れた。
今度は覗かれていた二人が絶句。計四人の間に流れる気まずい空気。

「あ、あはははは……」

とりあえずあゆは笑って誤魔化すのだが、ちっとも雰囲気は戻らないのだった。










「「ごめんなさい」」
「ううん、いいよ。まだ往人さんのこと紹介してなかったし……」

覗きに関してはどう考えても悪いので、素直に謝る。
それから観鈴によって、晴子さんが言うところの『居候』を紹介される。

国崎往人、年齢不詳。そこで既にどうしたものかという感じなのだが訊くに訊けずあゆは口ごもった。
旅の大道芸人で、その割に異様なほど生活能力がなくどうやって生きてきたのか謎。
今は神尾家に根を張り、一応芸を披露して稼ぐ……つもりらしいが、全くそちら方面での人気はないとのこと。
さっき観鈴に案内された、診療所で働きながら雀の涙レベルの給料を家賃として渡している。
この説明で色々と不安にならない方がおかしいのだが、次の言葉を聞いて納得する。

「あの、往人さんはわたしにとって……こ、恋人?」
「何で疑問なんだ」
「自信ないのかお前は。それとも違う関係だとでも言うのか?」
「え、えっと……が、がお……痛っ」
「……な、仲良しなんだね観鈴さん」

あゆは物凄い慎重に言葉を選んだ。ついでに同情した。
台詞的にも、滲み出る雰囲気も、横にいる馬鹿彼氏に怖いくらい似ているので。
友情とはまた別の部分で通じるものを感じつつ、何だかんだで否定しなかった往人に仄かな好感も抱く。
それは直感でしかない。が、きっとこの人は口下手でぶっきらぼうだけど優しいんだな、と思った。
補足までに言うと、上の台詞は順番に、観鈴、祐一、往人、観鈴、あゆである。

あゆと祐一の自己紹介も終え(男二人は何やら目で語っていたが気にしない)、 一段落ついたところでタイミングを合わせたように、秋子の夕食の完成を告げる声が響く。
さらに出来上がりまで待っていたんじゃないかというほどこれまた見事なタイミングで晴子が帰宅。
夕餉の席は、結局来訪者を含めた六人で囲むこととなった。

神尾家の食卓にかつてここまでの人数がいた日はない。
だから今までのどんな時より賑やかで、料理もびっくりするくらいおいしくて、観鈴は嬉しかった。

……友達を作るのは、とても簡単。
けれど、そう言えるようになるまでに掛かった時間は、あまりにも長く。
長かった分だけ、観鈴が得られる幸せは、大きいのだった。


そうして一日目の夜は更けていく。
ちなみに、あゆ達の部屋で深夜、軋む音と共に襖が揺れていたのだが、それを咎める者は誰もいなかった。

「トイレトイレ…………わ」

気づいた子はいたけれど。





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