「おうっ!?」

バランスを崩した姿勢のまま不恰好に尻餅をつく俺。
一瞬状況を理解できず、脳内で先ほどまでの出来事を整理する。
満月の夜、ハッチャンの召喚魔法で千年前に飛び、結果……結果? あれ?

「お兄ちゃんが最後だねー」
「なあ、レア。俺達、確か泉にいたよな」
「うん」
「だったら普通同じポイントに飛ばされるはずだよな」
「私はわからないけど……そうなの?」
「そうですね。千年前もあの場所が同じ景色だったら、ですけど」

セレが言うなら疑いようがない。
千年という時は長い。泉なら枯れることも、新しく作られることもある。
むしろ、そこまでの年月を経ても変わらない方が異常だろう。
……しかし。しかしだ。

「でもな……ここ、どう見ても」
「洞窟だよね」
「洞窟ですね」
「洞窟にしか」

目の前にあるのは、錯覚でなければ間違いなく洞窟の入り口だった。
何故だ。何故なんだ。
当然、泉のあったところとは似ても似つかない。というか有り得ない。これがあそこになるのは有り得ない。

「座標がズレちゃったみたいですねー」
「あのポンコツめ……」
「あ、あの、クロイスさん……? 背中に炎が……」
「気にするなフィアナ。ちょっと帰ったら焚き火をしたくなっただけだ」

無事戻ったらハッチャンは火刑に処す。
胸の奥でそう誓い、背負った心の炎をとりあえず消して、提案する。

「まぁ、まずはワン公を探さないとな。さしあたっては洞窟の中を調べてみようと思うんだがどうだ?」

千年前。魔族が闊歩していたと語られる時代。
ここは俺達の常識が通用しない世界だ。本物と出会う可能性も、決して低くはないはず。
だからこそ大人数で来なかった。守るべき人が多いほど、守ることそのものは難しさを増す。
ワン公が聖竜だとしても、まだ魔族が駆逐されていないのなら、危険が少しでも考えられるなら注意すべきである。
とはいえ動かなければ探し物は見つからない。なら最初は近場がいいだろう。
それに、囲まれればまずいが相手が単体なら俺でも何とかなる。安全性を考慮して、この選択がベストだと感じた。
……勿論そのことは口にしない。無意味にみんなを不安がらせる必要もないし。

すんなりと全員から賛成の返事を得て、洞窟探検を開始した。
結局フィアナの力に頼ることになり、現在俺達の周りは明るく照らされている。
道具も使わずに光を出し、先を照らす。便利な扱いで申し訳ないが、正直助かった。

運良く厄介なものにも遭わず、有り難いことに分かれ道のひとつもなく、奥へと進む。
それにつれて、何か、地の底から響く唸り声のような音が聞こえてきた。
フィアナの精神状態に影響されるのか、宙に浮く光の球もゆらゆらと不安定に揺れる。
というか。三人ともさり気なく俺の服の裾を掴んでいるのはどういうことだろうか。
何となく訊けずに、おそらくは一番奥の空間に出た。視界が途端に広がり、天井の高さもさっきまでの道程の五倍近くはある。
おお、と無意識に呟き、見上げていた目線を下ろした俺は、見た。

「ぬおっ! でかっ!」

そこに、軽く人間三人分以上のサイズはあるだろう、白竜が横たわって眠っていた。
叫んだ俺は慌てて口を塞ぐ。起こしたら危ない。こんなんの期限を損ねでもしたらまず太刀打ちできない。
じり、と下がり、気づいた。振り返った背後にいるのは二人だけ。セレとフィアナ(一応パンニャも。影薄いなお前)。
………………レアは?

「お、おい、レア!」

いつの間にか俺の横を抜けていたレアは、まるで呼ばれているかのように、ゆっくりと、就寝中の白竜に近づく。
そして穏やかに閉じられた瞼を、凛々しい頬を優しく撫で、表情を綻ばせた。

「……お兄ちゃん。この子、わんちゃんだよ」
「なにぃっ!?」
「言われてみれば、面影ありますね。白いですし」
「はい……雰囲気が、似ています」
「俺以外全員同意か」
「クロちゃんは多数決の暴力に弱いですねー」
「言うなセレ」

レアの存在を察したのか、白竜――いや、ワン公はのっそり首を起き上がらせる。
絡み合う視線。見つめ合うレアとワン公。硬直する俺。

「わんちゃん…………」
「ぎゃ……あぎゃーっ!」
「わんちゃーんっ!」
「……なぁ、俺達、もしかしなくても蚊帳の外か?」
「感動の再会、ですねー」
「わぁ…………」
「俺にどうしろと……つか、随分でかくなってるな。ハッチャン、座標だけじゃなくて時間も間違えやがった」

幾分渋くなった声を響かせ、再会を喜ぶワン公。
これが千年後は聖竜として伝説となるまで名を馳せるとは全くこれっぽっちも思えない。
……まぁ、俺にとってはどんなになっても犬だしな。犬。

「あぎゃあ!」
「のわぁっ! 火を噴くな! 髪が、前髪が!」
「あはは、クロちゃんちりちりになってますよ」
「ぷふっ」
「二人とも笑うなー!」
「あの、クロイスさん、きっと照れてるんだと思いますよ」
「フィアナ、それはフォローかどうかもわからんぞ……」










洞窟をワン公と一緒に出た俺達は、木々を抜けて空の見える場所まで行く。
竜の背にはレア。前は抱いていた立場だったのに、今はすっかり大きさも逆転して乗せてもらっている。
乗せている側のワン公はというと、顔色からしてご機嫌そうだった。

「わんちゃん、いい?」
「あぎゃ」

広いところまで来たのは、ワン公が空を飛ぶためだ。
レアたっての希望により軽くその辺を一周してくる、らしい。いや、俺ワン公の言葉わからんし。

それだけでもレアの身長ほどある翼が羽ばたき、次第に巨体が浮かび上がる。
力強い、風切りの音。白い身体は遠く雲に溶けて舞う。
はしゃぐ少女の声を聞きながら、青い空を自在に翔けるその姿を、戻ってくるまで、ずっと眺め続けていた。

「……嬉しそうですね、クロちゃん」
「そうか?」
「ええ。とっても」
「気のせいだろ」

セレの指摘に、俺はそっぽを向いて答える。
なるべく自然体を装ったつもりなのだが、くすりと笑われて、やっぱり勝てねえなぁ、と思った。

「…………あれ?」
「どうしたフィアナ」
「パンニャが……」
「そういやいないな。あいつどこへ……」

はっ、と気づき見上げる。
ここからでも小さくはあるが目視できるレアは、錯覚でなければ、片手で何かを抱くような格好をしている。
何か。考えたくはないが、いつからあの白黒は同乗していたのだろうか。

「…………羨ましい」

フィアナの呟きは、とりあえず聞かなかったことにした。










無事振り落とされることもなく着陸したレアの手元にはやはりというかパンニャが。
とてとてとフィアナの方へ駆け寄る謎生物をさり気なく蹴飛ばし、ワン公の背から飛び降りたレアに声を掛ける。

「大丈夫か?」
「うん、平気だよ。でも……」
「何かあったのか?」
「ううん。そうじゃないの。そうじゃないんだけど」

その時、複数の羽音を耳にした。
音源の方角に視線をやった俺は絶句する。

―――― 竜がいた。一体ではない。ワン公以外の竜。
色はまちまちで、灰色、朱色、薄い藍色、あるいは瑠璃色。しかし共通して、ワン公に似た姿をしていた。
遥か未来に於いて、正体も生態もわからず、隠者のように一つ所に隠れ住み、超越した力を持ちながらも大陸から消え去った種族。
畏怖すべき、もしくは神聖視すべき伝説となった存在を、こうしてワン公以外にも目にすることになるとは。

知性を宿した瞳の全ては、俺達の側にいるワン公へと向けられ。
一度そちらを見やり、そして懇願するような色でレアを見つめる白竜の横顔に、ようやくレアが言ったことの意味を知った。

「……そうか。仲間と、一緒になれたのか」

なら、こうして送り還したのは、間違ってなかったんだろう。

「…………わんちゃん」

それが自分の名前だとばかりに、ワン公は振り向く。
ゆっくり近寄ったレアの手が、尾から腹へ、腹から首へ、首から顎へ、最後に頭へ動き、撫でる。
目を細め、為すがままにされるワン公。静かに、別れを惜しむかのように。

「よかったね。これでもう、寂しくないよね」
「……ぎゃ。あぎゃぎゃ」
「うん。大丈夫。わんちゃんの言葉、ちゃんと届くから。だから」
「あぎゃ」
「え? これ、くれるの?」

唐突に翼から一枚羽根を千切り、くわえたそれをレアに渡す。

「あぎゃ!」
「……うん。うん。大事にするよ」

受け取ったレアは、泣きそうな顔で、微笑んでいた。
だから―――― それを見たワン公も、きっと笑っていたんだと、俺は信じようと思う。

飛び去っていくいくつもの巨体。
その姿を見送るレアの表情は、どこか誇らしげなものだった。










「魔法石ってこれでいいの?」
「量も十分ですよね、フィアちゃん?」
「はい。……では、行きます」

フィアナの力の触媒となる魔法石。前回、ワン公を送り届けた時は一人分の魔力で済んだだろうが、今回は四人分だ。
単純に必要とされる力も四倍になるかどうかはわからないが、一発で成功する可能性が低い以上、予備の魔法石も多い方がいい。
全員持てるだけ(気合でパンニャも)持ち、万全を期した態勢。

四人で密着し、中心にいるフィアナが詠唱を始める。
続く言葉の流れと共に光が周囲に満ち溢れ、その密度を加速度的に濃くしていく。

「……すまんな、フィアナ。負担掛けて」
「いえ、いいんですよ。一度じゃ帰れないと思いますけど……」
「いいさ。休み休み行こう。ちゃんと戻れると信じて」

風景が色を無くす。白く塗り潰される。
身体を支える重さも全てが消え、かくして俺達は千年前の世界から飛び立った。










そして。

「や、やっと戻ってこれたね……」
「疲れましたぁ……」
「私は楽しめましたけど」
「セレ、それは絶対お前だけだ……」
「も、もあもあ〜」
「わわわ、ぱ、パンニャ!?」

十四回の失敗を経て、どうにか帰れたのはあれからおよそ五日後のことだった。
勿論その間、一応休暇を取ってはいたもののあっさりオーバーし、無断欠勤のツケが溜まりに溜まっていたようで。
さらに五日間もの行方知れず、家にも城にも酒場にも、どこにもいない俺を散々探し回った(事後許諾の)留守番組三人に半日説教を受け。
結果として俺が得たのは、短い休みとそれ以上の代価、あとはレアの思い出と笑顔だった。
まぁ……それで十分、むしろ余りあるくらいだろう。

帰還後一度訪れたレアの家、彼女の机の引き出しには、ひっそりと羽根が仕舞われている。
俺達以外の誰が見てもわからないだろう、聖竜様の翼の一部。『ありがとう』と拙い筆跡で書かれた紙と一緒に。


「なぁ、旦那。ワイの下に敷かれたのは何です?」
「そりゃあ、見ればわかるだろ。薪だ」
「ほな、今旦那が手に持っとるものは?」
「火をおこす道具だが」
「……それじゃあ、どないしてワイは縛りつけられとりますん?」
「当然、逃げないためだ」
「ちょっ、ちょっと待ってえな、思い直して、な? ワイが何の悪いことしました?」
「強いて言うなら……存在することそれ自体?」
「んな殺生な、ああその手を近づけんでストップ焼死は嫌や堪忍やさかい待って待ってぎゃあああああああああああああああああ!!」
「あれ、お兄ちゃん何してるの?」
「久しぶりにワイルドな食事をしようと思ってな。その辺から調達してきたんだが、食うか?」
「うん! ……なんか断末魔の叫び声みたいなのが聞こえてくるけど」
「気のせいだ」

結局、ハッチャンは燃やしても死ななかった。
……焚き火の役にも立たん奴だ。



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