7.日曜日の、プリズナーニェ。

 日曜日。
 朝から、理樹たちの部屋に訪問者。
「わっ、お、おはよう佳奈多さんっ」
「おはよう。はぁ、なに? その『わっ』てのは」
 佳奈多は盛大にため息をついた。
 でもその表情は、どこか楽しげでもあった。
「ご、ごめん」
「いいわよ、言われ慣れてるから」
 佳奈多は制服のスカートのポケットをごそごそと漁る。
 ぴこっと鳴ったキーホルダーの鍵を、理樹に渡す。
「鍵?」
「ええ、鍵。まだクドリャフカの調子が悪いから、看てあげてくれるかしら」
「うん、それはいいけど……、今日も制服なの?」
「ええ、これからまた会議よ」
 アクセントは、『また』にあった。
「風紀委員の?」
「ええ。……はぁ、だからお願い」
 と、今度は勘弁してくれといったため息をつくのだった。
 最近、ため息の数が本当に増えてしまったと、自分でも思っている。
「昨日のようにおかゆを頼んであるから。……じゃあね」
 そう言って佳奈多は踵を返し、颯爽と歩き始めた。
「うん、ありがとう」
 その背にお礼を言うと、軽く手を振って答えてくれた。
 理樹は、部屋に振り向く。
 見直さなくても、誰もいないことは分かっていた。
 真人は、謙吾と珍しく町へ買い物に出かけている。
 筋トレグッズを見に行ったらしいが、果たしてどんな物を購入してくることやら。
 小毬と鈴は、どういういきさつかは知らないがボランティアで近くの老人福祉施設に出掛けるという話だった。因みに、その施設には小毬の祖父がいるらしい。
 美魚と来ヶ谷のコンビは、葉留佳を引きつれてこれまた街へと買い物に出かけたという。
 その際、何か不穏なキーワード、BLという二文字の言葉を残していた事は、記憶から抹消しておきたい。
 恭介は、昨夜から深夜バスでお出かけだ。
 今回は、どこか遠い地方まで職を探しに言ったらしい。
 突然出かけるものだから、殆ど会話も出来ずじまいで、それだけしか聞くことが出来なかった。
 携帯で連絡をとってもいいのだが、でもそこまでするような用事も無い。
 ふと、笹瀬川佐々美のことを思い出す。
 でも、彼女への連絡方法を理樹は知らない。
 たとえ誘っても、一緒には来ないような気がする。
 あるいは、もうすでにお見舞いには行ったかもしれないと、そう考えておくことにした。
 結果、クドのお見舞いに行けるのは見事に理樹だけだった。

 女子寮前の絶対防衛ラインにさしかかると、長身の女生徒が話しかけてきた。
 昨日もいた女生徒、デッキブラシの西だった。
「直枝君おはよー。今日もクドちゃんの見舞いかな?
「うん、そんなところ」
 きょろきょろと見渡す。
 いつもなら、もう一人ペアがいるはずなのだが。
 そんな考えを察したか、西は理樹に話しかける。
「夏美ちゃんは今日はお買い物なの。あ、通ってもいいよ。なにせ直枝君だしね」
 と、女生徒はうんうんっと頷く。
「それじゃーね〜!」
 と言って、女生徒は理樹の背中をバシッと叩いて押し出した。
 つんのめりそうになってしまった。
 見かけによらず、力は強いらしい。
 追い立てられるようにして、女子寮の入り口をくぐった。
 と言うか、なぜ僕はいいのかと、一度聞いてみたいと思うのだった。
 階段を上り、二階の角部屋へ。
 二木と能美の名前を確認し、ノックする。
 しばらくして、部屋のなかで物音。
「ちょっとお待ちくださいーっ」
 クドの声が聞こえた。
 そしてガチャッと扉が開かれる。
 真っ白なマントを羽織った、小柄な女の子。
 その下は、薄いピンク色のパジャマ。
 亜麻色の髪がふわり、と揺れた。
「って、リキなのですーっ!?」
 ずばんっ!
 と、いきなり大声を上げ、勢いよく扉を閉められてしまった。
「く、クド?」
 しばらく部屋の中でどすんばたんと物音がし、再び扉が開かれた。
「あ、あの、はろー、です、リキ」
 顔を少し赤らめたクドが、そう挨拶をしてきた。
「うん、おはようクド。調子はどう?」
「あ、はい。もうだいぶ良くなりました」
 クドの格好は、薄いピンク色のアオザイにドロワーズ、その上にマントを羽織っていた……、二枚。
 とりあえず、枚数の増えたマントとか、いきなり扉を閉められたこととか、その辺りのツッコミはしないことにする。
「今日もおかゆを作ってもらったんだけど、食べる?」
「あ、はい」
 そう返事して、微笑む。
「上がってくださいですっ」

 ベッドの布団は綺麗に畳まれていた。
 クドは、熱々のおかゆにスプーンを刺し、掬う。
 一口食べて、美味しい、と微笑んだ。
 その笑顔が、理樹にはとても嬉しかった。
「リキも食べますか?」
 そう言って、掬ったそれを差し出してくる。
 朝食は食べたばかりで、別に空いてはいない。
「ううん、いいよ」
「そうですか?」
 ひょいぱく。
「ん〜、おいひいですっ!」
 ぎゅっと目を瞑り、本当に嬉しそうにそう言った。
「……そう言えば、今日はリキだけですか?」
「うん、皆いろいろと用事があるみたいで」
「そうですかー。さっきはささへがあはんがお見舞いに来てくれました」
「笹瀬川さん?」
「はいっ」
 ひょいぱく、もぐもぐ……。
 思ったとおりだった。
 鈴に似ているのであれば、人の目を、特に知り合いには逢わないようにして目的を遂行する。
 何にせよ、あの笹瀬川佐々美が思ったとおりにお見舞いに来てくれていたことを、嬉しく思うのだった。
 それからクドがおかゆを食べながら、それを理樹が見ながら。
 二人は他愛のないおしゃべりをした。
「わ、わふーっ!?」
 と、クドは突然声を上げた。
「ど、どうしたの!?」
「いま、若い男女二人が密室に二人っきりという事にいまさらながら気がついてしまいました!?」
 そして顔を真っ赤にしながら、クドはなおも続ける。
「お、襲われちゃいますか!? 良いではないか良いではないかですか!?」
 昨日と全く同じセリフを言い出すクドに、リキは思わず笑ってしまった。
「ぶっ、あははははっ、そ、それ昨日も聞いたよっ!」
「もしかして笑われちゃってます!?」
 と、そんな調子だった。
 おかゆを食べ終わったところで、理樹は退散することにした。
「リキ、一時間後、食堂で待ってて貰えますか?」
「うん? 別にいいけど、どうかしたの?」
「はい、おかゆを作ってくれた給仕の方にお礼を言いたいのです」
「あ、成る程ね」
「では、しーゆーれいたーなのですっ」
 そう言ってクドはリキを送り出し、取り急ぎ制服を準備するのだった。
 さすがに明るいときに部屋着でうろつくのは恥ずかしかったから。
 ―――恥ずかしいと言えば、さっき思いっ切りパジャマ姿見られてしまいました!?
 それに思考が行き着き、また大慌てのクドだった。

「お待たせしました!」
 クドは、いつもの格好だった。
 帽子とマントと、制服姿。
「制服なんだ」
「はい、私のお気に入りですっ」
 握り拳を二つ、胸元に掲げて嬉しそうに答えた。
 マントがふわり、と揺れ、ついでに亜麻色の髪も揺れた。
 しばらく時間を空けたのは、シャワーでも浴びる為だったのだろうか。
 洗いたての、石鹸の臭いが理樹の鼻腔をくすぐる。
「そ、そうなんだ」
 内心の動揺を表に出さないようにして、そう答えた。
 もう朝食の時間はとっくに過ぎているので、ここには数人の生徒がいるだけだった。
 彼らは遅く起きてきたのだろうか、今頃になって朝食を食べている。
 給仕の人は、カウンターの向こうで昼食の準備に取りかかっている真っ最中だった。
 と言っても、日曜日のメニューはほとんど限定されているから、用意される品種もかなり少ない。全寮制のこの学校は、土日は半分以上の生徒が実家に帰るため、朝と昼は食べる人は少ないのである。
 その準備が一段落付いたのだろうか。
 息を吐きながら、軽く伸びをした。
「おばさん!」
「うん? あらいらっしゃい。風邪の方はもういいのかしら?」
「はいっ、おかげさまで元気になりました。おかゆ、美味しかったです。ありがとうございますです!」
 と、元気よくそう言った。
「どういたしまして。彼氏君の看病のお蔭かな?」
「か、かかかか彼氏だなんてそんなっ!」
 とひときわ大きな声を出して。
 そんな声に、まばらな生徒たちの注目を浴びているが、本人は気がついていない。
「そ、それはえっと、そんなことはあったりなかったり、あったりしたらうれしくはおもうのですが……」
 と、真っ赤な顔をして小さく呟くのだった。
 理樹も、少し顔を赤らめている。
「友達です」
「わふっ……」
 理樹の言葉に、クドは小さく悲鳴めいた声を上げた。
「……クド?」
「い、いえ、何でもありません」
 少し沈んだ声だった。
 そのまま表情を沈ませ、また顔色が変わる。
 何か複雑な表情を見せたが、最後にはいつもの笑顔に戻る。
 やっぱり、クドは笑顔が一番よく似合う。
 柄にもなく、そんなことを思ってしまった。
「リキ、丁度いいです。散歩しませんか?」
「散歩?」
「はいなのですっ!」
 そしてクドは、リキの腕を強引に引っ張って、校内を散歩することにしたのだった。

「ストレルカ! 行きますです!」
 オンッ!
 クドは構え、それを一気に投げ放った。
 力のないクドとは思えない、鋭く飛んでいくフリスビー。
 低く飛ぶそれを、ストレルカは追い、ジャンプした。
 がしっ!
 綺麗なフォームで着地し、フリスビーを咥えて戻ってくる。
「次はリキなのですっ!」
「え?」
 ぶんっ!
 言うやいなや、ストレルカは器用に首を振ってそれを投げ放っていた。
「って、捕る方!?」
 言いながらも、それを懸命に追う理樹だった。
 飛びつきながら、思う。
 何処かで、こんなことをしたような、不思議な錯覚。
 デジャヴ、なんだろうか。
 フリスビーは僅かに逸れ、理樹の指をかすめて地面に落ちた。
「あちゃー、駄目だったよ」
 拾い、戻ってきてフリスビーをクドに渡した。
 オンッ!
「リキが取るまでダメだそうです」
「えぇー?」
 クドがストレルカにそれを渡すと、またいきなり投げた。
「だから早いって!」
 理樹は、またも全力疾走をする羽目となった。
 低い弾道を通り、フリスビーが奔る。
 飛びつき、地面に転がりながらも今度はしっかりと取ることが出来た。
「わふーっ!」
 クドがバンザイして喜んでいた。
「リキー、そこから投げるのですっ!!」
 と言って、クドが手を振った。
「病み上がりなのに……、また熱が出たって知らないよー?」
「大丈夫なのですっ!」
 どこからそんな自信が来るのか解らないが、元気一杯に答えていた。
「行くよ?」
 理樹は言いながら、フリスビーを投げ放つ。
 たっとクドが走った。
 理樹の投げたフリスビーは、少し高すぎだった。
 マントを翻し、帽子を落としながら、一気にジャンプ。
 ぱしっ!
 見事にフリスビーを受け止めてみせ、あちこち裾をめくらせながら着地した。
 理樹は、ちょこっと白いのが見えたのは気のせいにしておくことにした。
「ストレルカー、行きますよー!」
 ……。
「ストレルカ?」
 オンッ!
「わ、わふー、いいのですか?」
 オンッ!
「……解りました! リキ、行くのです!」
「え?」
「よいしょっ!」
 掛け声と共に、フリスビーが理樹にむけて投げ放たれた。
「ぼ、僕っ!?」
「はいなのです!」
 理樹はそれを追う。
 取れそうで取れないぎりぎりの高さと位置だったので、またもや飛びつく羽目に。
 バシッと受けとり、地面に何とか脚で着地した。
「クド、今のはないよ」
「あはははははっ」
 無邪気に笑うクドに、ちょこっとだけイタズラ心が芽生えてしまう。
 同じように、ぎりぎりのところになげ返した。
「わ、わふーっ!!」
 クドは、それに飛びつき、しかし一歩及ばなかった。
 フリスビーが地面に落ち、そこへ駆け寄って拾った。
「り、リキー、今のは取れませんっ!」
「あはははっ」
 そして笑い返してやった。
「むぅっ!」
 クドは、眉間にしわを寄せてフリスビーを投げ放つ。
 今度は理樹めがけて。
 投げ放つというよりは、投げつけてきたというのが正解か。
「わっ?」
 それを胸で受け止め、弾んだそれを落とさないようにしっかりと抱き込む。
「く、クド、今のはないよっ!」
「あははははは、油断大敵なのですーっ!」
 と言って、また 無邪気に笑っていた。
 そんな感じで、二人は中庭でフリスビーを投げ合った。

 理樹は、芝生の上に体を横たえ、その脇にちょこんっとクドが座っていた。
「……最初、散歩って、言ってなかったっけ?」
「日本男児が細かいことを気にしてはダメなのですっ」
 と、元気な笑顔で答えられてしまった。
「風邪、もうすっかりいいみたいだね」
「はい、リキの……、皆さんのおかげですっ」
 寝そべったリキの頬を、晩秋の風が吹き抜けていく。
 ほてった頬には、とても気持ちがよかった。
 その中に、甘い薫りが混ざっていた。
 風上にはクド。
 亜麻色の髪が、風になびく。
 そして香りが、また理樹に届けられた。
 深い色合いの瞳が、じっと理樹を見つめていた。
 クラクラっとする。
 でも、そのクラクラは楽しいような、嬉しいような、そして少し恥ずかしいような、そんなものが複雑に絡み合っているような感じだった。
「リキ、昨日の話です」
「うん、あの時は本当にびっくりしたよ」
「あはは、めったに風邪なんか引かないのですけどね」
 と言って苦笑し、またすぐにいつもの笑みに戻る。
「私が最初にリキを見たときの言葉、……覚えていますか?」
「昨日の最初……と言うことは、僕たちがクドの部屋に行ったときだよね?」
「はい」
 と、クドは真剣な表情となった。
 何か大切なことを言うのだろうと理樹は感じ、クドの前に座り直した。
「……ごめん、全然覚えていないよ。と言うより、聞こえなかったって言う方が正解かな」
「そうなんですか? そうですよねー、えへへ……」
 と言って、クドは微笑んだ。
「じゃあ、もう一度言います」
 そして先ほども見せた、複雑な表情。
 何かに気づき、不安げな表情となり、そして何かを考え、そしてうんうんと頷き、何かを決意する。
 ころころとその表情が変化して、見ていて飽きない。
 それはなぜなんだろう。
 すっと、クドが顔を上げた。
「その……。えっと……、病気の時、隣に……えっと、す……」
 そのまま、顔を赤らめて押し黙ってしまった。
「クド、やっぱりまだ熱があるの?」
「いいえっ! 違います。……その」
 クドは、一度深呼吸をした。
 そして意を決し、理樹の目をしっかりと見据えた。
 何かの迫力を感じて、理樹はその目から視線を離せないでいた。
「病気の時、隣に好きな人が居るのはとっても心強いのですっ!!」
 と、クドはぎゅっと目を閉じ、一気に捲し立てた。
 そしてそのまま固まってしまった。
 え? と理樹は思い、そのまま思考を止めてしまった。
 そして、次に感じたのは、頬に感じる熱いなにか。
 軽く触れただけのものだったが、それがクドの唇だと解った瞬間に、衝撃的な何かを感じた。
「え……、ええっ!?」
 クドは真っ赤な顔をして、でも理樹をしっかりと見上げていた。
「こ、これは私からのぶらっくほわいとなのですっ! 受け止めてくれるととても嬉しいのですっ!」
「……えっと、……その、……え?」
 理樹は、触れられた頬に手を添える。
 そこに感じた、確かなぬくもり。
 今度は、理樹が舞い上がる番だった。
 頬のぬくもりで気がついたことがある。
 考えてみれば、あの時クドが居ないというだけで取り乱したのも、勉強会を始めるときの班分けで、見つめられたときクドを指名したのも。
 いや、たぶん、それ以前から。
 理樹は、能美クドリャフカという女の子のことが、好きだったのかもしれない。
 クドが勇気を出して気持ちを伝えたのだ。
 なら、自分もその勇気に答えてあげよう。
 今気がついたばっかりでも、この気持ちに嘘偽りは無い。
 理樹はそう決心し、クドを正面から見つめる。
「ぼ、僕も……、うん、僕もクドのことが多分、……好き、なんだと思う」
「……」
 クドは無言で、きょとんとしていた。
「わ、わふー……」
 そして一気に脱力したのか、芝生の上に倒れそうになった。
「クドっ!?」
「だ、だいじょうぶれす、……ちょっと力が抜けてしまいました、あはは」
 と、本当に嬉しそうに微笑んだのだった。
 ―――そう、この笑顔が好きな理由は、クドのことが好きだったからだ。


 それから二人は、最初に宣言したとおりに、学校内を散歩することにした。
 誰もいない学校をこうやって歩くのはとても新鮮で、そして隣を歩く存在がとても大切なものだということが解って、それが嬉しくもあり、ちょっぴり恥ずかしくもあった。
「二人とも、こんなところでどうしたの?」
 一階の廊下、後ろから声がかけられた。
「え?」
「わふっ!?」
 誰も居ないはずの学校で、しかも背後からだったので二人とも思いっきり驚いた。
 振り返った先には、良く知る人物が歩いてきていた。
「あ、佳奈多さんなのですぅ」
 と、肩をなで下ろすクド。
「あー佳奈多さんなのですー、じゃないわよ。……全く病み上がりなのに何をしてるのよ」
 と、大げさに溜め息を付いた。
「佳奈多さん、鍵」
「あとで受けとるわ」
 理樹がポケットに手を突っ込んだところで、佳奈多がストップをかけた。
「でも、困るでしょ?」
「あ・と・で・受・け・と・る・わ」
 と、何故か凄い形相で睨まれてしまった。
「佳奈多さん、どうしましたか?」
「ううん、なんでもないわよ」
「そうですか? ……あ、風紀のお仕事お疲れさまです」
「ええ、本当に疲れたわ。……まだ続くんだけどね」
 とわざとらしく被りをつけて答え、そして理樹を見据えた。
「え?」
 ジーっと睨まれる。
「な、なに?」
「……なんでもないわ。で、最初の質問に戻すけど、二人してこんなところで何をやってるの?」
「散歩ですっ」
「嘘おっしゃい、さっきはフリスビー投げ合ってたでしょ」
「みっ、見られてました!?」
「ええ、会議の合間の小休憩にね。思いっ切り大声を上げてるから嫌でも気づくわ。因みに、芝生は昼食の時以外は立ち入らない様にって、前にも教えたと思うのだけど? 二人とも」
 と言って、またため息。
「ご、ごめんなさいです」
「ま、現行犯でもないし。そもそも今日は日曜日だからこれ以上は言わないけど」
 今度は少しだけ声に真剣味が混ざる。
「それよりもクドリャフカ、ロシア語の修学度はどの程度?」
「日常会話ぐらいなら何とかなります。たまに間違えてますけど……、さすがに専門用語になると解らないですねー」
 佳奈多は、しばらく考えてから答えた。
「それで十分よ」
 と言って頷いた。
「ここであったのも何かの縁ね。二人には先に話しておくわ。……直枝理樹、能美クドリャフカ」
 彼女がフルネームで呼ぶときは、ほぼ必ず真剣な話を持ち出すときだ。
 二人とももうそれを知っているので、真剣に聞く態勢となる。
「あなた達に重要な仕事をお願いするの。いい? ……棗恭介さん的に言えば、ミッションを与えるって所ね」
 と言って、佳奈多は腕を組んだ。
「え、仕事って?」
「ロシア語に関係があるのですか?」
 話の流れからすれば、そう想像するに難くない。
「ええ。テヴアのお偉いさんが、なぜかこの学校を訪問するということになってるの。具体的な日取りももう決まってる。次の水曜日よ。先方の方はすでにこちらに向かってフライト中よ」
「い、いきなり言われても自信がないですっ」
「クドリャフカ、さっきの自分を思い出しなさい」
 と、佳奈多はクドの両肩にバシッと手を置く。
「わふ?」
「それに、外国の人らしさをアピールできるかもしれない、またとないチャンスなのよ?」
 と、佳奈多はそうクドの心を刺激する言葉を投げかけた。
 予想通り、その言葉にピクリと反応した。
 クドは、外国人らしい容姿であるのにもかかわらず中身が純和風なそのギャップに悩んでいる。それは理樹も佳奈多も、そしてバスターズの全員が知っていた。
 本人の意思とは無関係に、学校中で面白ハーフとして知れ渡っている。
 勿論それは可愛いという、いい意味での評判なのだが、クド自身は外見通りの外国人らしさでいたいと、そう願っていた。
「……が、頑張ってみるのですっ」
「ええ、その意気よ。直枝君、あなたもよろしくね」
「う、うん。でも正直僕なんかでいいのかなと思うんだけど」
「クドリャフカを一番支えてあげられるのは、あなたなのよ。……その、さっきこの子のブラックホワイトを受けたんでしょ?」
「わふっ!?」
 クド、いきなり真っ赤なゆでだこになる。
「ブラック……ホワイト? って、なに?」
 理樹は、ぴんと来ていなかった。
「日本語に訳して」
「う、うん。黒と、白でしょ?」
「音読み」
「こく、はく、……って、告白っ!?」
 顔が熱くなるのを感じる。
 すでにクドは俯いて耳まで真っ赤にしていた。
「場所と時間をわきまえなさい。あれだけ大きな声を出していたら、一階の廊下だと丸聞こえだったんだから」
 と言って、佳奈多は苦笑した。
「それに、立場上不純異性交遊は許せないから、そのおつもりで」
 と、びしっという。
「そう言うのは、隠れてやりなさい、って風紀委員長が言うのもどうかと思うけどね」
 と、あきれた口調で目を瞑った。
「わっ、わふー……」
「……ところで、二人とも昼御飯はまだよね?」
「え、うん」
「なら行きましょう」
 そう言って、颯爽と歩き出した。
 二人も、その後を追った。


8.異邦人と、クドリャフカ。

 食堂。
 日曜日であることと、時間が少し遅いこともあって、がらがらだった。
 少ないメニューから適当に選んで、食券を購入する。
 考えてみれば、この三人で食事を摂るというのは初めてのことではないのだろうかと、理樹は思い当たる。
「またクドリャフカったら……」
「え、何を買ったの?」
「うどんそばですっ!」
 と、嬉々として答えられてしまった。
 佳奈多は、備え付けのテレビの電源を入れる。
 チャンネルを順に回し、昼のニュースにあわせた。
「国外情勢の話があればいいのだけど」
 衛星放送の、ニュース専門チャンネル。
 国内のいろいろなニュースを延々と話していた。
「今年の冬は寒くなりそうだって」
「わふーっ、寒いのは苦手です」
「…………」
 食事を食べながら、テレビを見る。
「始まったわよ」
 ニュース番組は、海外の話になった。
「……先日テヴア共和国航空宇宙局、TASAの解体を正式に表明したテヴア政府は、このほど経済的な支援を求めるべく、各国へ大使を派遣いたしました。今回来訪するテヴア共和国大使は、明日日本に到着し、総理官邸に宿泊する予定です。なお……」
 ニュースキャスターの画面から、VTRの画面へ。
 そこはだだっ広い空港で、巨大な飛行機が離陸する場面が映し出されていた。
 その間も、キャスターの話は続く。
 テヴアのこれまでのことを、説明していた。
 そこは聞くまでもなく、良く知っていることだった。
 字幕には『離陸するテヴア政府要人を乗せた機体』となっていたが、その下には読めない文字が左から流れていた。
「字幕の下、読める?」
「はい、えっとですね……」
 VTRは、何度か繰り返されていた。
 読めない字幕はクドに任せることにした。
 飛行機の方に、少しだけ興味がわいた。
 ずんぐりむっくりな胴体の上部に翼が付き、翼にエンジンが片方に三つもぶら下がっている。
 こんな馬鹿でかい機体、見たこともなかった。
 純白なボディーに、やはり読めない文字で何かが書かれていた。
『Гиганта гроб』
 読むことも出来なければ、意味なんて分かる筈もない。
 何度か繰り返されるそのVTRを睨み、クドは口を開いた。
「この機体はTASAが解体された際に、テヴア政府に譲渡されたものだと書かれていました。この飛行機の名前はギガンタ・グローブです。宇宙産業に使う部品とかそう言ったものを空輸するために、TASAがこれだけの大きなものを用意したそうです。元々はソビエト時代のブラン……、いわゆるスペースシャトルを空輸するための専用機だったのですけどね。TASAがウクライナから購入したとき、名前を変えたそうです」
「へー……、というかこれ、大きすぎじゃない?」
「あはは、そうですね。あまり小さな空港には下りられないのが難点です」
 言いながら、テレビに視線を戻す。
 日本に来る大使が誰なのかと言う発表は全くなかった。
 そして、その機体に付けられた言葉の意味を、クドは話さなかったことに、二人は気がつかなかった。

 食事後。
 ついに、理樹たち以外誰もいなくなった食堂。
 佳奈多は立ち上がる。
「これからの会議で、正式に決定するから。やめるなら今よ」
「いいえ、やります。だー・すだう゛ぉーりすとう゛ぃえむっ!」
「そう、……直枝君は?」
「僕もやるよ。クド一人きりにさせたくないし」
「何より、他の男子生徒には近づけさせたくない、って?」
 と、佳奈多はイタズラっぽく喋った。
「か、佳奈多さんっ」
「わふっ」
「冗談よ。……じゃ、決議してくるから」
 そう言って、踵を返した。
 長い髪が揺れ、大きな髪飾りが揺れる。
 その後ろ姿が食堂から出ていった。
 これで、だだっ広い食堂は、理樹とクドの二人っきりとなってしまった。
 カウンターにいるはずの給仕の人も今は居ない。
 テレビは、相変わらずニュース番組を報道している。
 理樹は、携帯を取りだした。
「リキ、誰に電話するですか?」
「うん、恭介に。その……クドと付き合い始め」
「わふーっ! そ、それはだめなのですーっ!!」
 と言いながら、クドが飛びかかってきた。
 携帯を取り上げようと手を伸ばす。
 それを躱そうと、理樹が抵抗した。
「ど、どうして?」
「そ、それはさすがに恥ずかしいのですっ!!」
 ばばっ。
 と、更に手を伸ばしてきた。
 理樹は席から逃げるようにして立ち上がり、クドがそれを追う。
「わっ!?」
 クドは、マントをテーブルの角にひっかけた。
 つんのめり、逃げかけていた理樹の袖を掴んだ。
 どがしゃんっ!
「うわっ!」
「わふぅっ!?」
 そしてそのまま二人してもつれ合うように、その場に転倒してしまった。
 周りにテーブルや椅子があったが、どうやらどこにもぶつからずに済んだようだ。
 ただ、理樹は咄嗟にクドをかばったために、背中から倒れ込んでしまった。
 そのお陰で、クドには何のダメージも与えずに済んだ。
 でもその結果、理樹を下敷きに、クドがマウントポジションだった。
「……痛てて……」
「あ……えと……その……。ご、ごめんなさいなのですっ!」
 そのまま、ぺこりっと謝った。
「うわっ!」
 理樹の眼前に、必至な表情のクドの顔が迫り、離れた。
「あ……、えっと……」
 そしてそのまま、二人して押し黙ってしまう。
 二人、何となく気まずくなる。
 報道番組の無機質な声だけが、この場を支配していた。
「クド、その、……退いてくれるかな?」
「あ、ごめんなさいなのですー……」
 とは言ったが、退いてくれない。
 クドは、理樹の肩に両手をおく。
 クドの目つきが少し変わった。
 とても真剣で、何かを決意したような、そんな目。
 先ほども、こんな目をしながら、ブラックホワイトを敢行した。
「あの、……キスしてもいいですか?」
「……ぇえ?」
 クドの大胆発言に、理樹は驚きの声を上げてしまう。
「その、……しちゃいます」
 肩に置かれた両手に体重が乗り、深く青い目が迫り、吐息が感じられた。
 甘い香り。
 それは、クドの亜麻色の髪の、シャンプーの香りだった。
 そして、唇同士が触れ合う感触。
 触れ合ったのは、ほんの一瞬だった。
 それでも、五感が刺激されてクラクラする。
 二人にとって、このクラクラは、とても心地よいものだった。
 唇が離れたときに、なんとなく寂しさを感じてしまう。
「…………」
「………………」
 二人して、また押し黙ってしまう。
 クドは、積極的に行動したはいいが、その後は照れくさくなってしまった様だ。
「あ、あはは……。ど、退きますね」
「う、うん」
 クドは床の上にちょこんと座り、理樹は体を起こしてそのまま座った。
 と、遠くから聞こえてくる足音。
「だ、誰か来るよ!?」
「わ、わふっ!?」
 二人は咄嗟に立ち上がり、ぎくしゃくと椅子に座り直す。
 食堂に入ってきたのは、数人の生徒たち。
 理樹たちに気がつくと、すぐ近くまで歩いてきた。
「二人とも、昼御飯か?」
 恭介たちだった。
「きょ、恭介、就職活動は?」
 何でもないようにしようとすればするほど、どこかぎこちなくなってしまう。
 思わず声が裏がえってしまった理樹だったが、恭介はそれにツッコミを入れる気分ではなかった。
「……理樹、人というものは常に明日を目指さなくてはならないものなんだ。明日がなければ、俺達は生きてはいけない」
 と、券売機にお金を入れながら、いきなり哲学的なことを言い始める。
 それはつまり。
「要するに、今回もダメだったんだね」
 理樹のその一言に、恭介は固まってしまった。
 ちょっときついツッコミだった。
「……くっ」
 そして小さく呻き、券売機にバンッと手を置いて、ぶつぶつと何かを呟きながら項垂れた。
「一つの失敗はな、次の成功の糧となるものなんだ。今回がダメでも、次こ」
 ぴっ。
 その時、親指が券売機のボタンに触れてしまった。
「そは……あ?」
 じじじっ……ぴーぴーぴー、かちゃんかちゃんかちゃん。
 恭介は、印字されたそれを手にした。
「しまったぁーーっ、こ、これは、……うどんそばじゃないかぁーーーーっ!!」
「ふっ、まあ仕方なかろう。見ずにボタンを押した恭介が悪いんだからな」
「ついに、未知の味への挑戦だぜ」
 謙吾と真人が、駄目出しをして面白がっている。
「美味しいですよ? うどんそば」
 クドはそう呟くのだった。

 恭介は、注文の品をちゃんと食べている。
「味はいいんだ、味はな。でもな、この食感が俺にはあわない」
「そうですか? うどんとそばを両方いっぺんに楽しめる、画期的な料理だと思いますけど?」
「僕も最初は抵抗あったけどね。食べ始めるとこれが結構面白いんだよ」
「……そうなのか? でも俺にはさっぱり解らん」
 恭介は、二人の言葉をきっぱりと否定した。
 なんだかんだ言ってそれを食べ終わり、回収棚に乗せて戻ってきた。
「恭介、あのね、僕た」
「っ、わあぁーーーーーっ、わぁあーーーーっ」
 理樹が口を開いた瞬間、クドが叫んだ。
「……」
「どうしたクー公?」
「なんだ、能美?」
「い、いえ、な、なんでもないのですよっ、あはっ、あははははっ」
 クドは、思いっ切り乾いた笑い声で返答した。
 理樹は、きっとあっちのことを話すのではないかと、そう勘違いをしていると考えた。
「テヴアの大使の人が、何故かこの学校を訪れるって事になったらしくて、僕とクドがその人の案内をすることになったんだ」
「何ぃっ!」
「何だとっ!」
「と言うか、どうしてそんな話になったのか聞かせてくれ」
「うん、実は……」
 そこで、先ほどの佳奈多とのやり取りを皆に教えた。
「……ふむ。これは一つ、協力しようじゃないか」
 と、恭介は不敵に微笑む。
「とりあえず目標は水曜日だな」
「うん」


 月曜日。
 そのニュースは朝のホームルームで発表された。
 一時間目が始まるまでの僅かな時間に、バスターズのメンバーが理樹の机に集合。
 因みに、葉留佳は遅刻上等でここにいる。
 それが、やっぱり三枝くをりちー。
「やー、はるちんびっくりですよ」
「うん、僕も最初は驚いたけどね」
「あたしもめちゃくちゃ驚きだ、いや、ここはあえてこう言おう。……くちゃくちゃ驚きだ!」
 新たなる表現だった。
「それ、流行るといいね」
「うん」
 ちりんっと頷く。
「でも、能美さんの英語の成績は、先生方も良く知っていると思います」
 それは、あまり聞きたくない言葉だった。
 理樹たちも、ホームルームでの先生の顔を、しっかりと見ていた。
 能美クドリャフカとその名を口にしたとき、露骨に顔を顰めていたからだ。
「大丈夫です!」
 と、元気一杯、クドは拳を振り上げた。
「皆さんと一緒に勉強していますからねっ」
 今度は、胸元で両手をあわせる。
「うん。恭介の発案が、たまたま役に立ったよね」
「たまたまとは、傷付く言い方だぜ」
 声の上がった方向、恭介がロープにぶら下がっていた。
 ガラスの一枚が、未だにベニヤ板だというのが痛々しい。
 業者には頼んであるらしいが、二日や三日ではすぐに用意できないのが、片田舎の悲しい所だった、とそんなことは兎も角。
「いや、恭介のやることは殆どが下らないことだからな」
 と、謙吾が応戦。
「く、下らないだと?」
「ああ、下らない。だが、とても楽しい」
 と、今度は謙吾が不敵に笑った。
「ありがとよ。……っと、もうすぐ授業が始まるな。次の休み時間に、また会おう」
 そう言って、恭介はするするっとロープを登っていった。
「はい、しーゆーれいたーなのですっ」
 恭介の姿が見えなくなったところで、教師が入っていた。
 そして、一週間最初の授業が始まるのだった。


「……また来やがったぜ?」
 その姿を一目見るや、真人はそう呟いた。
「何か不服でも?」
「いや、不服って訳じゃねえが」
「何?」
 長い髪を右手でかき上げ、腕を組む深紅の腕章少女。
「最近良くオレ達の所に現れるよなって事だよ」
「まあね、あなた達がまた変なことをしでかさないように、監視してるのよ」
「こいつ、言い切りやがった」
「ふっ」
 鈴の声に、佳奈多は不敵に鼻で笑う。
 ちょくちょく顔を出しているお蔭で、メンバーのそれぞれの性格がよく分かってきた。
 それは収穫だった。
「予定通りなら、今日の朝に東京国際空港に到着よ。本番は明後日だけど、準備はいいかしら?」
「はい、問題ないです」
「うん、僕も」
 二人は問題なし、と佳奈多は太鼓判を押す。
 元々、心配もしていなかったが。
 それよりも、このバスターズにはもっと深刻な問題を抱えている。
 まずは絶対問題外の二人に一言。
「……あなた達は制服ね」
「なんだとっ!?」
「く……」
 喧嘩でも売っているのかという形相の真人と、死刑宣告を受けたような顔をする謙吾。
「お前らそんなに制服嫌かっ!」
 と、鈴が叫ぶ。
「ああ、嫌だ」
「こいつ、言い切りやがった!」
 と、鈴は謙吾のセリフに驚く。
 問題外はこれでいいとして、こちらも指摘しておいた方がいいだろう。
 一応セーターは学校指定のものだし、この時期来ている生徒も結構多い。
 問題なのは、それを先方様がどう受け止めるかであるからだ。
「あと、神北さんは……、まあ季節柄セーターでもいいけれど、一応上着を持ってきて置いた方がいいわ」
「うん、そうするねー、かなちゃん」
「っ……!」
 佳奈多の顔が引きつる。
「どうしたのかな、かなちゃん?」
「お、……お願いだからそう呼ばないでくれる?」
「えぇ? かなちゃんは、かなちゃんだよ? 一緒にお勉強したから、お友達」
「……」
 妙に、そのセリフがくすぐったかった。
 内心の動揺は表に出さないようにして、当たり障りのないようにそれを断ることにした。
「せめて佳奈多の三文字で読んでくれるかしら?」
「佳奈多ちゃん?」
「くっ……」
 眉間がぴくぴくっとした。
 決して怒りが来ているのではなく、くすぐったいのを必死に我慢しているからだ。
「ふむ」
 と、来ヶ谷は不敵に微笑んだ。
「な、何ですか?」
「いや、なに。少々初々しいと思ったものでな」
「ぅっ」
 小さく呻く佳奈多。
 このメンバー相手だと、脱線したら最後、果てしなく脇道にそれていく。
 風紀委員長ですらこの通り、形なしだった。
 でも、真面目な話だから強引にでも元に戻す。
「ごほんっ! ……とにかく水曜日は制服を着用すること。おそらく、授業も見学していくかもしれないわ。気を引き締めて事に当たりなさい」
「お、やってるな」
 からからっと、ベニヤ板が、いや窓が開かれた。
「それと棗恭介さん、そのロープは当日片付けてもらえますか?」
「……なんだと? このスーパーエクステンションムーブメントロープをか?」
「そ、そんな名前付けてたんだ?」
「いや、今思いついただけだ」
「こいつ、言い切りやがった!!」
 と、鈴は恭介のセリフに驚いた。
「鈴の今のマイブームは『言い切りやがった』、かな?」
「うん、そうだ」
 この際鈴のことはあまり気にしないことにした。
「それが日本の文化だと思われたくありませんので」
「Oh、忍者でーすっ、いっつぐれーと! とか言われそうですよね」
「この時代に忍者なんて存在しないから」
 クドの言葉に、理樹が思わずツッコミを入れる。
「じゃあお庭番ですっ」
「一緒だから」
 またもツッコミ。
「スパイダーマンっ!」
「あんた、いいかげんにせー」
 ばしっ。
 理樹は、クドの頭に軽くチョップ。
「わふっ。……と、お後がよろしいようでー」
 と、クドは何処かの漫才の締めの言葉を繰り出してくる。
 わざとボケていたようだった。
「はぁーあ」
 と、佳奈多は盛大にため息をついた。
 どうしてこの連中はこうも脱線したがるのか、とツッコミを入れたくなる。
 それを我慢し、言葉を並べる。
「まったく。夫婦漫才してるぐらいなら水曜日にでも備えてマナーの練習でもしたらどうなの?」
 そう言い放ち、佳奈多は鼻で笑う。
「わふっ、め、夫婦っ」
 クドは、その言葉に反応した顔を赤らめていく。
「なんだ、お前ら夫婦漫才なのか?」
 と、鈴が二人に聞いてくる。
「いや、違うし……」
「ち、違いますよ、はは……」
「それから、くれぐれも水曜日は派手なことは自粛してください」
「わかった」
 と、恭介は神妙に頷く。
 見上げた先、未だにぶら下がったままの恭介と、未だに入れ代えられていないベニヤ板に、佳奈多は脱力してしまった。
「葉留佳も、分かった?」
 佳奈多は、葉留佳にも釘を刺しておく。
「はいヨ」
「校庭十周」
 佳奈多は、葉留佳のその即答に対し、即答で答えてあげた。
「なんだってぇーっ! 聞き分けのいい返事をしたのにー!?」
「絶対何かやってみせようって企んでる返事だったわよ、今の」
「やはは、バレてしまっちゃーしょうがない。……ふっふっふ。まあ今回はみんなの顔を立てて大人しくしますヨ」
「ええ、絶対防衛ラインの東さんと西さんのお二人にも今回は協力していただけますので」
「って、全然信用なしぃーーーっ!?」
「はるか、うっさい!」
 鈴が怒鳴った。
「わぁーっ! 鈴ちゃんに怒られたぁーっ!」
「だからうっさい!」
 佳奈多は、そんな騒ぎを他所に、腕時計を見る。
「次の授業までもうないわね。じゃまた放課後にでも」
 踵を返し、教室の扉に手をかけ、扉を開いた。
 そして教室から颯爽と出て扉を閉め、……再び開かれた。
 づかづかづかっ!
 ……戻ってきた。
「あなたも戻るのよ!」
「あいたたたたたっ!!」
 佳奈多は、葉留佳の耳をつまんで引っ張り、歩き始めた。
「ちょっとお姉ちゃん痛いっ痛いってばぁーっ!! 耳、ちぎれるぅぅぅうううっ!」
「はいはい千切れるわけないでしょ。風紀としては授業をサボりそうなものをみすみす見逃すことは出来ませんからね。……三枝葉留佳、あなたを教室まで連行します! 遅刻したら校舎裏のゴミ拾いを追加よ!」
「こら放せーっ、二木佳奈多ぁーっ!!」
 廊下に出ると、二人とも呼称が変化していた。
 なんだかんだで、二人とも仲がいい。
 そして授業の開始のチャイムが鳴った。

 昼食。
 皆して、テーブルマナーの練習会となった。
「……わふー……」
「……すげえぜ」
「西園は凄いな」
「い、いえ、それほどでもありません」
 皆にほめられ、美魚は頬を染める。
 昼御飯は、あえて箸先が汚れやすい物を選んだ。
 勿論、テーブルマナーを学ぶため。
 美魚は、うどんそばを、箸を全く汚さずに食べてしまった。
「ほわぁー……、美魚ちゃん凄いよね」
 小毬も素直に感動。
「うむ」
 来ヶ谷も頷いていた。
「で、では私も食べてみます」
 クドはそう気合いを入れて箸を動かし始めた。
 さすがに美魚には劣るが、それでも十分綺麗な姿勢で、綺麗に食べることが出来た。
「……鈴は、って、何その持ち方!?」
「ん? これじゃダメなのか?」
 何故か指がクロスしている。
 と言うよりも、そんな器用な持ち方は、ある意味賞賛ものだった。
 マナーとしてはダメダメだが。
 謙吾が正しい持ち方を鈴に教える。
「……こうか? ……む、難しいな」
 言いながらも、ご飯を何とか口に運ぶ。
「まあ、最初はどうしても慣れないがな、繰り返していくうちに覚えるものだ」
「うん、そうだな」
「威張って言うことか?」
 真人は小声で呟く。
 ぷすっ。
「つぁっ!?」
「因みに、刺すのもマナー違反だ。食べ物だろうが、……人だろうがな」
 謙吾は、目前で繰り広げられた惨劇から目をそらし、手遅れとなってしまった禁止事項を教えていた。
「痛ってぇえええええええっ!!!!」
 真人は目を押さえて床を転がっていた。
「因みに峰打ちだ」
「刺すのに峰打ちも何もないが……」
 来ヶ谷も、頬に一筋の汗。
 そんな感じで、皆でテーブルマナーを勉強しはじめる。
 そんな中、来ヶ谷は一瞬怪訝な表情を見せた。
 それに気がついたのは、恭介だけだった。
 彼女にだけ聞こえる声で、どうしたのかと尋ねてみる。
「……思い過ごしかもしれないのだが、以前にもこの様な風景を見ていたような気がしたものでな」
「俺もだ。何とも不思議な気分だぜ」
 そんな二人の事を他所に、他のメンバー(主に鈴と真人)がヒートアップしていく。
「謙吾! 言うのが遅えんだよ! 鈴! 普通なら解るだろ!」
「いや、真人なら刺してもいいと思った」
「何だとおっ!!」
「だから二人とも、ここでは喧嘩はダメだよ!」
「ダメなのですっ!」
 そんな騒動は、昼食の時間が終わるまで続いたのだった。


 丁度その頃、東京国際空港。
 朝から航空ファンたちが送迎デッキに立ち並び、世界最大級の貨物機の到来を待ちわびていた。
『クリヤー・トゥ・ラン・ギガンタ・グローブ』
 その誰かの無線機が、そう声を上げる。
「来たぞっ」
 そう言って、仲間たちに伝える。
 普通の機体であれば、まだ肉眼で確認できるような距離ではない。
 しかし、そのずんぐりむっくりとした独特なフォルムと、世界でも唯一の六発ジェットエンジンのシルエットが目指す空にあり、彼らを否が応にも興奮させる。
 東側諸国の、独特の甲高いジェットエンジン音と、そして聞き慣れぬ六発のハウリング音。
 その馬鹿でかい機体は、ゆっくりと滑走路に進入してくる。
 胴体に貼り付るような低い高さの主脚と、申し訳程度に付いているような小さな前輪。
 不整地空港でも強引に着陸させられるように作られた軍用機の名残を持っているシルエット。
 アントノフ社製An−225。
 元々はTASAに所属していたが、現在はテヴア共和国所属。
 命名は、TASA時代にされた。その名を、ギガンタ・グローブ。
 滑走路脇、到着予定のエプロンでも忙しくなる。
 要人を乗せるためのリムジン、護衛のための警察、税関関係者、そしてマスコミたちが、あわただしく集合する。
 そして日本政府の関係者も、その赤い絨毯の前で待ち構える。
 着陸を終えた機体はゆっくりとタキシングし、皆の前にその壮観な姿を見せつける。
 所定の位置にゆっくりと停まり、エンジンが順番に停止されていく。
 タラップがつながれ、機体の重く分厚い扉がゆっくりと開かれた。
 まずは彼らを護衛するSPたち。
 そして、彼の国の大使が、タラップの一番上に並んだ。
 小柄な体つき、風に流れるさらりとした黒髪は、一見して日本人とも思われた。
 でも、肌の白さや顔つきは、確かに少し違っていた。
「やっと日本到着ね」
「ああ」
 女性は、隣に立つ男、彼女の旦那様を見上げる。
 頭二つぐらいも離れているだろうか。
 そしてゆっくりとタラップを下り、政府関係者の歓迎の握手を交わす。
 無数に光るフラッシュをまぶしそうにしながら、彼らは挨拶した。


 夕刻。
 理樹とクドは相変わらず恭介の監修のもと、お偉い様を迎えるための練習をしていた。
「だいぶ様になってきたな。これなら問題はなさそうか」
 恭介は、独り言のように感想を述べる。
「そうね」
 その独り言に短く返答する佳奈多。
「っと、いつのまに? まるで気配を感じなかったぞ」
「まあ、風紀委員に隠密は必須スキルですから。……ほかの人達は草野球かしら?」
「ああ。……どうだ、君も」
「遠慮するわ」
 と、恭介のセリフを遮って断りを入れる。
「……まだ何も言ってないのだが」
「一緒に野球でもしようとでも言いたげでしたから、先手を打っただけです」
 腕を組み、不敵の笑み。
「ふっ……、こりゃ一本取られたな」
 と言って恭介も不敵に笑う。
 廊下の先、理樹とクドは、真人と謙吾を要人に見立てて道案内の練習を続けていた。
「ただ問題なのは、相手がどんな人か解らないことだけど……、まあ、あの子なら大丈夫ね」
 佳奈多の目は、優しい色に変わった。
「ただいまですっ。あ、佳奈多さん、ハローです。いつのまにいらしたのですか?」
 クドが最初に戻ってきた。
 続いて、理樹たちも歩いてくる。
「たまたま通りかかった所よ。頑張っているようね」
「はいっ!」
 と、佳奈多の表情が少しゆがむ。
 それは、何か悪だくみしている時の葉留佳にそっくりだった。
「それは直枝君と一緒だから?」
「わふーっ!? ななななななにを仰いますかっ!?」
「……冗談よ」
 と、佳奈多は柔らかく微笑んだ。
「さて、私は会議にでも行きますか」
 すぐにやれやれ、といった表情になってしまった。
「今日も会議なの?」
「そうよ。またあの陰険な生徒会長の顔を拝まなくてはならないわ」
 ため息交じりに、そう答える。
 それで理樹は、思ったことを口にしてしまった。
「それを聞くと、生徒会長ってものすっごく陰険な印象がわくよね」
「直枝理樹君、……つまり、陰険である私が言えば、と言うことかしら?」
 腕を組んで、すこし苛立ったような口調でそう静かに言い放つ。
 さすがは風紀委員、謙吾や真人とは次元の違う迫力を感じた。
 この迫力の前では、上級生であろうが、たまに先生であろうが逆らえない。
 これは、彼女の天性の物なのかもしれない。
「い、いや、そう言うつもりじゃ……」
 怖じ気づく理樹。
 謙吾と真人も、やはり一歩引く。
 クドだけは、きょとんっとしていたが。
 なおも佳奈多は続けた。
「……不純異性交遊で風紀を乱した二人にはゴミ拾い一週間でも命じようかしら?」
 と、どこかイタズラっぽい響きのある声。
「か、佳奈多さん!?」
「わふーっ! 職権乱用なのですーっ!!」
「……なんだ? 不純異性交遊って」
 恭介は、そこに食らいついてきた。
「わああああーっ、な、なんでもありませんですーーーっ!!」
 クドが力いっぱいごまかそうとした。
「はぁ、はぁ、はぁ〜……」
 クドが呼吸を整えている。
「付き合ってるからね、この二人」
 そのタイミングを見計らって、佳奈多は恭介にそう暴露してしまった。
「……なんだと!?」
 先に反応したのは真人だった。
「……ふっ」
 謙吾は、何処か納得しているような表情だった。
「そうか、それはよかったじゃないか」
 恭介も、とても嬉しそうにそう返事をした。
 二人とも、真っ赤になって俯いてしまう。
「……オレは……オレは……っ、一体どうしたらいいんだぁーーっ!?」
 真人が叫んだ。
「ええっ!?」
「なんだと!?」
「……っ!?」
 その場の全員が一斉に驚きの声を上げた。
 まさか真人が?
 と、彼とクドを交互に見る恭介たち。
 クドは困り果てて、おろおろとしていた。
「お前まさか……!?」
 考えられなくもない。
 どういうわけか、筋肉関係で微妙にこの二人は息が合っていたから。
 真人が多少なりとも、彼女に対して恋心を抱いていたとしても、別におかしい話ではない、と皆が考える。
 でもさすがに、今はもう。
「もし二人がくっついてみろ、オレは一体どうすればいいんだ。もう……理樹と一緒に居られなくなるじゃないか!? クー公に部屋を明け渡さなくちゃからないのか!?」
「って、そっちかよ!!」
 恭介は、思わずそう強烈に突っ込んでしまった。
「そうなるとよ、一体誰にこの筋肉を相談すればいいんだ! 誰に宿題を見せてもらえればいいんだ! ……一人の部屋で……オレはっ! ……オレは、……くそっ、寂しいぜっ」
 と言いながら、真人は涙目で項垂れた。
「いや真人、別に部屋を出たりしなくてもいいし、今まで通りに真人とはルームメイトだし」
 でも宿題は自分でやってよね、とかそもそも筋肉の相談って何? とは言えなかった。
 あまりにも真人の背中が寂しそうだったから。
「……理樹、それは本当か?」
「うん、僕たち友達だよね? ほら、筋肉筋肉っ!」
「……理樹、お前って奴は……!」
 真人は腕で涙を拭き、立ち上がった。
 そして、
「そらっ、筋肉筋肉っ!!」
「筋肉筋肉っ!!」
「……わふー、血沸き肉躍る騒ぎに発展してしまいました!?」
 そのノリを、佳奈多は付いていけないとばかりにもろ手を挙げ、ため息をついた。
「はぁっ……。もう、そこの三人! 廊下ではさわがない!」
 そして風紀委員としての雷を落とすのであった。


「わ、わふーっ、リキー、私たちなんでこんなことしてるんですか?」
「……真人のせいだよね?」
 理樹は、トングをかちかちと鳴らしながら腰を伸ばす。
「ああ、真人のせいだ。なんで俺らにもとばっちりが来るんだ」
 恭介も、憮然とした表情をしたまま、空き缶を拾い上げる。
「まあ、それを止めなかった俺と恭介にも責はある、と言うことだろうな」
 と、謙吾は涼しい表情で分析する。
 校舎裏、五人は一生懸命ゴミを拾っていた。
「やはは。お姉ちゃんに逆らうと、こうなるのデスよ」
「って言うか、三枝までいるしよ」
「いやー、授業に遅刻してしまいましてね。この通りゴミ拾いをしておりますヨ」
 かちかちっ。
 トングを鳴らしながら、再び地面に視線を巡らせる。
「でもよ、あんまりゴミ落ちていないよな」
 真人は、透明のゴミ袋の中身を指差しながら言った。
「そりゃーもちろんですよ。私が毎日ゴミ拾いしているからデスヨ」
「つまり、毎日ゴミ拾いの罰則、と」
 真人の一言。
「要するに、毎日風紀委員の世話になっている、と言うわけか」
 続いて謙吾の一言。
「毎日じゃないよー。ときどき一週間まとめて貰っちゃうときがあるから、やはは……」
 かしゃ。
 葉留佳は丸められた紙ゴミを拾い上げ、ゴミ袋に入れる。
「少しは自重しろ」
 恭介の一言に、でも葉留佳は首を振る。
「嫌ですよー」
 と、反省の色全くなしの返答。
「……嫌ですよ」
 と、もう一度繰り返したその声は、どこか寂しげだった。
 それ以上は何も言わなかった。
 葉留佳は、姉といがみ合っていたときは本当に彼女のことが嫌い、大嫌いだった。
 でも、それは大好きだという気持ちの裏返しだったことに気づいたのだ。
 大嫌いだと、憎いと思っていた彼女を、できるだけ困らせてやろうとしていた。
 でも、いまは違う。
 大好きだと信じている今は、イタズラ好きの妹が、真面目な姉にちょっかいを出しているだけ、そんなものだった。
 学校の中、とりわけ他人の目があるときは仲の悪い問題児と風紀委員を『演じ』なくてはならない。
 でも、それでも面白いから。
 それは一種の警泥遊びに近いか。
 葉留佳は、心の中でそう考えていたのだった。
「ふむ?」
 葉留佳は、茂みの中から紙くずを拾い上げた。
 くしゃくしゃに丸められているが、鉛筆の線がその中に見て取れた。
「何かな?」
「なんだ、徳川埋蔵金でも見つけたか?」
「違いますよヨー、謙吾君」
 それを広げる。
「!?」
 そして、顔が一気に熱くなるのを感じた。
 その紙には、一種の漫画か描かれていた。
 しかし、その内容は……!
「どうした?」
 真人がそれをのぞき見しようとする。
「み、見ちゃダメっ!!」
 それを一気にくしゃくしゃっと丸め、さらにビリビリに破ってビニール袋の中に捨てた。
「お、おう?」
 真人も、その迫力に微妙に押されてしまった。
 切羽詰まると、あの恐ろしい風紀委員長の顔にそっくりになる、とそう思ってしまった。
「なにか書いてありましたか?」
「な、なんでもないよクド公っ! さ、さてゴミ拾いを続けるのですヨ? あは、あははははははっ?」
 と、葉留佳は何とかごまかそうとしたのだった。
 その欠片の一部には、こんな文字が無駄に達筆に書かれていた。
『直枝×』
 なお、破れた先は読むことは敵わないが、葉留佳の反応と残された文面とでどんな漫画が誰によって描かれていたのかは、想像に難くないことか。
 その内容については、葉留佳の口からは、一切語られることは無かった。


 掃除が終わり、風紀委員にその報告をする。
「解りました。今後とも風紀を乱さないようによろしくお願いします」
 上から物を見るような言いぐさに、クド以外の皆は微妙に腹を立てるが、ここは我慢。
 佳奈多に全く同じ言葉で言われたときは腹が立たないのは、不思議だったが。
 気を取り直し、皆はグランドへ。
 先に練習をしていた四人と木陰でデーターブックを広げる美魚と合流し、練習を始めたのだった。
 その美魚が理樹と目が合った瞬間、微妙な反応をしたのは、一体なぜなのだろうか。


 夜は、やっぱり勉強会。
「先日出来なかった分、取り戻しましょう! えい、えい、おーなのです!」
 何故か、クドが皆の前で仕切っていた。
 班分けは以前の通りで、場所も以前の通りだった。
 四人して、狭いちゃぶ台を囲む。
「佳奈多君は、今日はこちらなのか?」
 今日は、佳奈多が理樹の班に来ていた。
「ええ、物理で解らないところがありましたからね。教えてくれると助かります」
「ああ、それは一向に構わない」
「ありがとう、お願いしますわ」
 ぶっきらぼうに言い放つが、それが佳奈多の照れ隠しであることは来ヶ谷も知っていた。
「うむ。では聞くがいい」
 来ヶ谷は、目を閉じて腕を組む。
「……ええ、一九六ページの問三」
「なんだ、君たちの教室ではもうそこまで進んでいるのか?」
「いいえ、予習よ」
「ふむ……、そうか。ではお答えしよう」
 来ヶ谷は、目を瞑ったまま的確に回答を述べる。
「……本当に全教科の教科書のすべてが記憶の中なのね?」
「うむ」
 来ヶ谷は深く頷く。
 自慢をしているわけでもなければ、傲慢になっているわけでもない。
 ごく自然体に。
 だから、嫌みなど一つもなかった。
 そして、来ヶ谷の説明は的確かつ解りやすい。
「ありがとう」
「なに」
 来ヶ谷と佳奈多がそうやって勉強をしているところで、もう二人も互いに教え合っていた。
 ほとんど寄り添うぐらいの距離で、理樹がクドに英語を教えている。
「うん、そう。だからここの訳はこうなんだよ。じゃ全部訳してみて?」
「はい、分かりましたっ!」
 右手を元気よく振り上げ、和訳に挑む。
「えっと、えっと……」
 かりかり。
「できましたっ!!」
 嬉々として、クドはノートを理樹に見せる。
「ふむ」
 それを皆で一斉に覗き込んだ。
「……ほう、まあ若干微妙なところはあるが」
「あってるよね、大体」
「ええ」
「わ、わふーっ!!」
 ばさぁっ!
 そしてマントを翻しながら、嬉しそうにバンザイするのだった。
 そして、また二人寄り添うぐらいの距離で英語の勉強を続ける。
 それを遠巻きに見る来ヶ谷。
「……ふむ、成る程な」
 と、彼女一人、何かを悟る。
「ええ、来ヶ谷さんの考えているとおりよ」
 微笑んで、来ヶ谷が何か思いついたことを、肯定するのだった。


 勉強会を終え、食堂で夕食。
 やはり時間が少し遅いので、がらがらだった。
「進み具合はどうだ?」
 この場は謙吾が仕切っていた。
「あれ、恭介は?」
「また泊まりで就職活動に行った。水曜日の夕方に戻ってくる予定になっている。急だったからな、俺にしか言えなかったと言っていた。昨日帰ってきたばかりだというのにな。……まあこのミッションのお蔭で恭介も本腰を入れているようだ」
「そうなんだ。……うん、僕たちは順調だよ。恭介はどこに行ったのかな」
「いや、詳しくは聞いていないが、北海道の何処からしい。……で、真人は?」
「……ああ。もう……オレは……オレは! こ、このままでは天才になってしまうぜ……」
 と、苦しげにそう答えた。
「いや、天才になることは悪いことではないだろ? どうしてそこで悩む?」
「いきなりそこまでにはなりません」
 美魚の一言。
「ぐはぁっ!!」
「やー、美魚ちん相変わらずきついですヨ」
「ですが、現実はしっかりと見極めてもらわないと困ります」
「ぐおおおおおおおっ!!」
「はるちゃんも、美魚ちゃんもだめだよー、そんなこと言っちゃ」
「……小毬っ、おまえは優しいな!」
「えへへー」
 真人は小毬の言葉で立ち直った。
「で、赤点は回避できそうか?」
「おうっ! バッチリだぜ!」
「いや、赤点回避でバッチリもなにもないと思うが……」
「うん、僕もそう思う」
「いや、それだけでもオレにとっては凄いことだぜ?」
 真人はにかっと笑う。
 似合わない、などとは口が裂けても言えなかった。
「……じゃ、私はこれから夜の見回りだから。あなた達も門限までには戻る様にね」
 すっと佳奈多が立ち上がる。
「はい、お仕事頑張ってくださいね」
「ええ」
 最後に、また葉留佳が冗談のつもりで買っていたドロドロのジュースの紙パックを自ら手にとり、押しつぶしながら喉に注ぐ。
「うわぁ……」
 思わず、理樹は声に出してしまった。
 どくどくっと飲み込み、紙パックを完全につぶしてゴミ箱に放り投げた。
 がつんっとゴミ箱の縁に当たり、上に跳ねて中へ見事にシュート。
 軽く片手を上げ、佳奈多はそのまま出入り口をくぐっていった。
 去り際は、とても鮮やかだった。
「……お姉ちゃん、本当に飲んじゃったですヨ」
「しかし、……あの自販機、本当にラインナップが謎だな」
「そうですよねー」
 謙吾の呟きに、クドが答える。
 一瞬、葉留佳が嫌な含み笑いを漏らしたのは、多分気のせいだと、謙吾は見ないふりをした。
 そして皆で雑談し、門限も近づいてきたところで、皆は解散することにした。
「さて、それでは解散とするか」
 皆一斉に返事を返し、席を立ち上がった。
 理樹とクドは、一番後ろを歩く。
 そして女子寮と男子寮との分かれ道。
「リキー、リキー」
 小声で、クドが呼び止めた。
「なに?」
「えっと、か、屈んでくれますか?」
「うん」
「……えいっ!」
 ちゅっ。
 理樹の頬に、クドの唇が触れる。
「おやすみなさいのキスです。リキ、スパーコーイナイ・ノーチー、おやすみなさいなのですー」
「う、うん、おやすみ」
 パタパタとマントをなびかせ、先に行った女子たちに向かって走り出す。
 ときどき振り返っては、はにかんだ笑顔を理樹に向けていたのだった。
 なんだか、皆に隠れてイケナイ事をしているようで(実際にイケナイ事なのだが)、とてもドキドキしたのだった。


 そして二日後、水曜日。
「いよいよだね」
「はい、……緊張します」
 今日は、いよいよテヴアの大使たちがこの学校に来る日だった。
 案内を任された理樹とクドの他、沢山の生徒たちが歓迎のために校門付近に集まっていた。
 丁度昼休みであるということと、クド自身この学校では有名人であるということもあり、この騒ぎとなっていた。
 木枯らしだろうか、冷たく強い北風が吹き抜ける。
「わふっ」
 ふるふるっと顔を振るクド。
 それにあわせて、三枚重ねのマントが揺れた。
 十二月に差しかかろうというこの時期は、いよいよ冬の到来だった。
「日本の冬は寒いのですーっ」
「まあ、ね」
 理樹も、ただ立っているだけでは結構寒い。
 後ろに立つ、彼らとは何の関わりのない生徒たちは、いろんな話をしている。
 今日来る大使がどんな人なのだろうかとか、それを迎えるこの二人は誰なのかとか。
「知らないの? ほら、あの有名なリトルバスターズの直枝君と能美さんじゃない」
 話題は、クドのことになった。
「えっと、あの面白転校生?」
「ええ。あの子英語全然ダメなんでしょ?」
「でもそれがね、どうしてか選ばれたのよ」
 別の生徒が話に入ってくる。
「でもそれってさ、あの二木の差し金らしいぜ?」
「二木? あの風紀の?」
「ああ、二木と能美って寮で同じ部屋だろ? 俺も噂でしか聞いてないけどさ、あいつあんなんだしさ、生徒会長もほら、あれだろ? それで生徒会長の弱みを握っ……」
 殺気めいた視線に、三年男子はそれ以上言葉を続けられなくなる。
「不穏な噂を広めるのはあなたかしら? 私の悪口だけなら兎も角、生徒会長を悪く言うのは見過ごせないわね」
 佳奈多の強い声が、その男に浴びせられた。
「く……」
 それでその場は静かになる。
「……クド、しっかり」
「は、はい」
 クドは、その三年達の言葉を背中で聞いていて、少しだけ沈んでしまったのだ。
 そしてまたざわざわとなる。
 もうクドの悪い話は無くなっていた。

 皆が見守る中、一台の真っ白なリムジンが校門前に到着した。
 運転手が降りてきて、扉を開ける。
 その人は、ゆっくりと車から降りた。
 強い風が吹き抜ける。
 真っ黒な髪が陽光に照らされ、美しい光沢を放ちながら風に揺れる。
 サイズの大きめのマントも風に揺れ、華奢な体が風に持っていかれそうになり、彼女はよたよたっと身をよじっていた。
「……あ!」
 風が吹き抜けたあと、彼女は髪をささっと手で整え、顔をこちらに向けた。
 その女性の顔つきは、クドに非常に良く似ていた。
 黒髪に似合わない青い目がくるりと回り、クドを見つけるなり走ってきた!
「オーチェニ・プリヤートナ、クーニャ!」
 がばっ!
「わふーっ!?」
 いきなりクドに抱きつき、その両頬に軽くキス。
 いかにも外国の挨拶だった。
「ま、マーマ!? あ、えっと、かく・う゛ぃ・ぱじう゛ぁーぃえちぇ?」
「ダー、カニェーシナ・ハラショー、スパスィーバ!」
 そう答え、クドの両手を取ってぶんぶんっと上下に振った。
 女性は先生の方に向き直る。
「プラスチーチェ・パジャールスタ・ザ・アパズダーニィエ、ウチーチェルィ。…………イェポンスカヤ・ダローガ、……ブィーリ・オーチニ・ウパコーヴァナ」
 言いながら、女性は諸手を挙げる。
「う、うぅ?」
 何を言っているのかさっぱり解らないと言う英語教師が狼狽えていた。
 英語が苦手なクドの代役として用意していた英語教師だが、これでは意味がなかった。
 彼女の話す言葉は、英語ではないのだから。
「クーニャ、ペレヴァジーチェ・パジャールスタ。ニクトー・ニェ・パニマーイェチェ・ルースカヤ・イェズィーク」
「はいっ!」
 クドは、嬉々として答えた。
「遅れてごめんなさい、先生方、日本の道は非常に混んでいます、です! ……まーま、ぷりつたーふぃちぇすぃ・ぱじゃーるぃすた、かーく・ばーす・ざぶーと?」
「ダー、ハラショ」
 女性は、先生に向き直る。
「ミニャー・ザヴート、チェルヌシカ=イワノヴナ=ストルガツカヤ」
 といいながら、腰を曲げての日本式挨拶。
「チェルヌシカ=イワノヴナ=ストルガツカヤです。チェルヌシカと呼んでくださいー」
 後ろの生徒たちが、にわかに騒ぎ始めた。
「あの子、一体なんなの? 英語まるでだめじゃなかったの?」
「今の英語じゃなかったぜ? 一体何語なんだ!?」
「確かあの人たちってテヴアの人って話だけど、……って言うか、テヴアってどこ?」
「知らねえよ」
 先ほどまでクドのことを面白がっていた連中は、彼らが理解することすら出来ない言語を流暢に交わす二人を見て、動揺していた。
「能美さん、まずは校長室に案内してくれるかしら?」
「はい、解りました。リキ、行くのです。……いたーく・だばいちぇ・ぱぃぢょーむ・すなーみ!」
「ダー・スダヴォーリストヴィエム」
 返事を聞いて、クドが校舎に振り向き、理樹も同じく校舎を向いた。
「うわ……」
 理樹は、振り返った先のこの状況に思わず声を上げてしまう。
 沢山の見物客が押し寄せていて、とても前に歩ける状態でもなかった。
 でも、彼らが振り向いた瞬間に、それが割れていく。
 それはまるで、映画の十戒の超ハイライトのような光景だった。
 そして、校舎までの道が完成した。
「おお〜っ……、これはっ、海が割れるのよ〜、道が出来るのよ〜?」
 と、突然背後からの歌声。
 ぎょっとして二人とも振り向いてしまう。
「わっ、わふーっ、ま、まにあっくに珍島(チンド)物語なのです!? 天道よしみさんなのですーっ!」
 振り返った先には、先ほどの女性。
 クドそっくり?
 日本語の歌、と言うかなぜに演歌で天道よしみ!?
 ついでに小柄で黒髪?
 理樹は、このツッコミどころの多すぎるこの女性に、どこから突っ込んでいいのか悩む。
 と言うよりも、あり得る答えが一つ思い当たってしまったので、聞いてみることにした。
「ひょっとして、間違っていたら申し訳ないですけど、……クドのお母さん……ですか?」
「ぴんぽーん、大正解っ」
 と、返ってくる流暢な日本語。
「はい、私の自慢のお母さんですっ!」
 思わず、絶句する理樹なのであった。

 その後、理樹と母親はお互い、改めて自己紹介をしてから校舎内に入った。
 廊下をゆっくりと歩く三人。
「へー、これがクーニャの通う学校なのね。ねえ、寒くないの?」
「あはは、少し寒いです。でも、まだまだ寒くなるそうです。ペテルブールクに比べれば天地の差の差ですけどね」
 サンクト・ペテルブルグの事のようだが、微妙にアクセントが違っていて、『ル』の発音が、巻き舌のような発音だった。
 クド達の言葉では、こちらが正しい発音なのだろうと理樹はそう思う。
「いやあれはさすがに異常。極寒の大地でしょ」
「私の友達は……えっとゴッサムって言っていました?」
 と、クドは理樹にそう尋ねてくる。
「何それ、おかしいっ」
「極寒と書いて、ごく、さむ、でゴッサムです?」
 と、二人は楽しそうに言葉を交わす。
 勿論日本語で。
 母親にも日本国籍があり、こちらの名前は『能美=チェルヌシカ』と名乗る。
 彼女の黒髪から、そう言う名前が付けられた。
 モスクワの東南東に同名の町があるらしいが、これとの因果関係は全く不明だ。
 さらりとその黒髪が流れる。
 その横で、くるくるっとクドの巻き毛が揺れる。
 母親の方が僅かに背が高いが、どちらにせよ小柄で華奢な体。
 クドが髪を黒く染めてストレートパーマを当てると、丁度こうなるのだろうか。
 でも、決定的に違うのは声の質だった。
 クドの声は、どちらかと言えば丸くて可愛い声。
 母親は、少しハスキーな声だった。
 綺麗で透明感があって、でも凛とした……、一言で言えば美しい声だろうか。
 立場上演説が多かったために、喉が鍛えられているという事なのだろう。
 理樹の前で、二人は楽しげに話していた。日本語とロシア語を織り交ぜて。
「クスターチ、クーニャ。……ヴィー、リュービィチェ・リキ?」
「なっなななななっ、何をいきなり聞くのですかぁー!?」
「どうしたのクド、……僕の名前が出た気がしたんだけど」
「ななな、何でもありませんです、はいっ!」
 クドは、顔を真っ赤にして大慌てだった。
 母親は、にまーっと笑う。
 クドの態度を見れば、一目瞭然だったようだ。
「で、クーニャ。……ヴィー、ジェラーリ……プリズナーニェ?」
 と、彼女の耳元でそう聞く。
 聞こえていようがいまいが、理樹には意味の分かる言葉ではない。
「わ……、わふー……」
 クドは、耳まで真っ赤にして俯いてしまった。
「だ……、だー・す」
「……へー、やるじゃないの。で、結果は……って聞くまでもないかな」
 といいながら、母親は理樹を見上げた。
「えっと、何ですか?」
「いいえ、な・い・しょ。母と娘の会話っ」
 母親は、ニコニコ顔だった。
「ザミェチャーチェリナ、ハラショー!」
「わ、わふー……」
 ロシア語で話されると、話題に上っていても全く意味が分からない。
 後で、クドに聞いてみようと、理樹はそう考えるのだった。

 やがて一行は校長室に到着する。
 母親は扉をノックし、一人部屋へと入っていく。
「失礼しますわ」
 そう言いながら、母は後ろ手に扉を閉める。
「ふぅーっ」
 にこにこ。
 一息つく理樹に対し、クドはとても笑顔だった。
「びっくりです。お母さんが来てくれるなんてっ。とっても嬉しいのですっ!」
 ぎゅっと目を瞑り、右手を振り上げた。
 嬉しいときの、クドの癖。
 この後は当然のごとく、
「わふーっ!」
 といういつもの口癖。
 三枚重ねで重くなったマントを物ともせず、クドは嬉しさを全身で表現していた。
 理樹は、周りをちらりと見渡してみる。
 相変わらずギャラリーは大勢で、かなりの数の生徒が理樹たちの後をぞろぞろと付いて来ていたのだ。
 当然バスターズの面々もいる。
 その中から、一人の女生徒が歩み寄ってきて、クドが声をかける。
「あ、佳奈多さん佳奈多さん! とっても嬉しいのです! 私、案内のお仕事受けて、とっても嬉しいのです!! ……ひょっとして、誰が来るのか知ってましたか?」
「いいえ、そこまではね。でもロシア語が必要だとは最初から解ってたわ。だからあなたたちを推したのよ」
 佳奈多の笑顔は、とっても不敵なもの。
 いつもの、風紀委員としての笑顔だった。
「わふーっ!!」
 気がつけば、その笑顔はとても優しいものに変化していた。
 その僅かな変化は、最近親しくしているバスターズのメンバーぐらいしか解らないだろう。
「ちょっと打ち合わせをするから、直枝君を借りるわね」
「あ、はい」
 佳奈多は理樹を呼んで、メモ帳を取りだす。
「このあとの五時間目、あなた達の教室で授業参観、その後担任教師との三者面談、その後は総理官邸に取り急ぎ戻るスケジュールよ」
「……って、まんま進路相談とか」
「かもね。……そう言えば直枝くん、あなたはクドリャフカが一体何を目指していたか、知ってるかしら?」
 前に聞いたことがある、気がした。
「確か、宇宙飛行士、とか言ってたかな」
「ええ、そう。だから数学と物理に関しては大学の範囲をも網羅しているの。……でも英語は散々だけどね」
 と、佳奈多は微笑む。
「まあ、でもそれでもだいぶ良くなって来ているよ」
「ええ、それは分かってるわ。だってルームメイトですもの。部屋でも一生懸命だものね。それに……ん、まあ、この話はまた後日にでも。そろそろクドリャフカの元に戻りなさい。もうすぐ挨拶も終わる頃よ」
「うん、そうする。ありがとう佳奈多さん」
「ええ、どういたしまして」
 理樹は、クドのもとに走って戻ってきた。
 話の内容は、クドを交えてでも良かったものだった気がする。
 でも、言いかけてやめたところは、クドを抜きにして理樹に聞きたかったことなのかもしれない。
 そんなことを考えながら、理樹はクドと二人で母親を待った。
 その後、母と合流して歩いていく理樹たちをその場で見送る佳奈多。
 留めた言葉。
 ―――クドリャフカがこんなにも一生懸命なのは、直枝君、あなたがいるからよ。宇宙飛行士の夢を諦めた今でも、あなたがいるから一生懸命になれるのよ、この果報者。
 面と言ってしまえば、なんだかこちらまで恥ずかしくなりそうだった。


 五時間目の授業。
 後ろに立つ、母親とSP。
 この日のこの時間は、数学だった。
 今の数学経論は、二学期から赴任してきたばかりの人だった。
 これまでは塾講師をしていたらしい。
 以前勤めていた数学経論は、理樹たちが一年生の頃、とある女生徒たちと結託して、一人の女生徒に対して嫌がらせなどを行っていたという。
 その当時は単なる噂話として扱われている程度のものでしかなかったが、この前の夏休み中のある日、それが本当の話であることが判明し、さらにこれまでの他の生徒に対する横柄な態度や素行なども問題視され、その数学経論はこの学校から追放されることとなった。その後任が、今の先生である。
 この後その女生徒たちにも厳罰が下った。
 その一人は今でも理樹たちのクラスメートで一緒に勉強をしているが、主犯格の二人の姿は、もともとクラスも違うこともあるのだが、最近は殆ど見かけなくなってしまった。
 来ヶ谷は、この教師に代わってからは数学の授業にきちんと出ていた。
 その事から、嫌がらせを受けていたのは来ヶ谷であろうと、皆は容易に想像できた。
 以前の先生のような威張りくさったような態度は全くないどころかノリがよく、説明もとても丁寧。
 だから、すぐに人気の先生となった。
 授業中は特に何もなく、静かに過ぎていく。
 たまにニヒルに生徒を指名し、黒板で問いを解かせたりする。
 特に数学を不得意とする生徒にその指名が来るのだ。
「なにぃ、あたしか!?」
「そう、君だ!」
 ビシっと指名し、黒板の前に呼び寄せる。
 解らないときは、親切丁寧に説明し、それを克服させた。
 かつかつと、悩みながらも黒板にチョークを走らせる。
 最後のフィニッシュとばかりにピリオドを打ったと同時に、髪飾りの鈴が揺れる。
「ほら、正解だ」
「……おお、すごいなあたしは」
「やれば出来るじゃないか」
 ちりんっと音を立てて頷く。
 先生も嬉しそうに言うので、数学が不得意と言ってた鈴も一緒になって微笑んでいた。
 そして授業が終了。
 日直の号令で、教室はにわかに騒がしくなった。
 今の授業で質問がある(主に女子)生徒たちは先生を囲み、クドの母親に興味がある(主に男子)生徒は、親子を囲む。
「大人気だな」
 と、恭介が教室に、廊下から入ってきた、珍しく。
 そう言えばと窓を見上げる。
 いつのまにか窓は修理されていたし、ロープも片付けられている。
 ……きっとロープはこのあとすぐ、いつものように四階から垂れてくるのだろうと、理樹はそう考えてしまう。
「就活から今戻ってきたんだ」
「ああ」
 恭介は回りを見渡す。
 クドと母親がクラスメートに囲まれていた。
「……能美にお土産があったんだが、これでは渡せないな」
 と呟いて、鞄をぽんぽんっと叩く。
「しかし……」
 と言いながら、恭介はバスターズのメンバーに視線を巡らす。
 その中でも、異様な物を見つけ、思わず凝視してしまった。
「…………」
 謙吾は、眉間にしわを寄せ、口元をゆがませていた。
 そして、恭介と目があってしまったことで、それらは一層強く歪む。
 そして、真人もまた制服だった。
 一瞬誰だったのか解らなかったのは、本人のために黙っておいてあげる。
 以外にナイーブで、泣かれると後が面倒だ。
「こわっ、こいつらこわっ! 目茶苦茶こわっ!!」
 鈴の感想。
「制服姿の宮沢さん、とても新鮮です」
 美魚の感想。
「いや、あえてここはこう言おう。……くちゃくちゃこわっ!!」
「鈴、意外に冷静だね」
「ああ、とりあえずはな」
 バスターズの面々は、理樹の席に集まってくる。
「やはーっ!」
 そして葉留佳も登場。
「お、さっきは数学だったのですネ。いやー姉御、あいつがいなくなって清々ですネ」
「うむ。態度だけでかくて無能なティーチャーはいらない。今の教師は、割と好みだな」
「おお? 姉御の口からラブなセリフがぁーっ!」
「ふっ、先生として適切な奴だと賞賛しただけなんだがな」
 と、こちらもニヒルに言い返す。
「ま、解ってますけどね」
 質問攻めにされる数学教師は、取り囲む生徒たちに順番に答えてあげていた。
 この先生が次の授業までに間に合うのだろうかという心配を誰もしないところが、このクラスのクオリティーだった。

 この曜日の六時間目は担任の授業で、そのままホームルームというのが、二学期のスケジュールだった。
 しかし、担任はクドの母親と来賓室で話をすることとなった。
 そして授業後、クドを交えての三者面談となる。
 そのため、自習の課題としてプリントが配られた。
 それに答えを埋めれば、それで終了。
 課題を終了させたら、とっとと帰るか外に出て身体でも動かせ、とのことだった。
 ホームルームも無くなったので、実質これで一日は終了だった。
 教室で騒がしくして隣のクラスに迷惑をかけるよりは遥かにましなプランだった。
 その一番騒がしくするのがリトルバスターズの面々であることは先刻承知の、苦肉の策とも言えなくもない。
 ただ、クドはこのあと三者面談もあるし、理樹も案内の仕事が残っている。
 二人だけは、自由とはいかなかった。
  因みに監督として、この時間授業のない古文の先生が立っていた。
 代わりに古文を始めるぞという彼の熱意は軽く全生徒の拒否を食らい(驚いたことに国語好きの美魚も反対した)、教壇の前でただ立つという悲しい結末となったのは、授業開始早々のことだった。
 プリントを埋める最中、理樹の携帯が振るえる。
 メールの着信だった。
 開き、内容を見てみる。
『差出人:来ヶ谷 唯湖
 題名 :無題
 本文 :    人
        (   )
      (       )←例のアレ』
「…………」
 思いっきり、意味不明のメールだった。
 思ったことをそのまま書いて送り返す。
 すぐに返事が返ってきた。
『差出人:来ヶ谷 唯湖
 題名 :無題
 本文 :下らないメールをよこさないで勉強に集中しろ』
「…………」
 その下らないメールを最初に送ったのは来ヶ谷さんだろうと、理樹は心の中でツッコミを入れた。
 入れたと同時に、携帯が振るえた。
『差出人:来ヶ谷 唯湖
 題名 :無題
 本文 :何だと貴様。……ふっふっふっ、この私に刃向かうとは愚かな。断罪してやろう。』
「うわぁっ」
 というメールが送られて来た。
 心を読んだのか、と一瞬そう思ってしまう。
 ……などと下らないことをしていないで、プリントに集中しよう、と理樹は考えた。
 古文の教師の様子を見ようとして、黒板の方を見る。
「……?」
 と、最前列のクドが机の中で携帯を触った。
 ストレートタイプの携帯は、メール着信を知らせるランプが点灯していた。
 でも、そのまま放置してシャーペンをガリガリと奔らせていた。
 因みに、このプリントは記述式。
 きっと嬉々として問題に答えていて、メールどころじゃないのだろう。
 ぺらっと、プリントを裏返して、まだまだ書き込む。
「きしーむ、たいやーにぃー〜あとふりーかえりゃーぁ〜♪」
 鼻歌交じりだった。
 しかもそのメロディーは、ド演歌だった。
「……くっ……」
 来ヶ谷が小さく呻いた、気がした。
 そして、とても素早い指捌きで次なるターゲットを求めた。
 隣でモーターの唸る音。
 真人の携帯だった。
「ん? 来ヶ谷からか?」
 そう言いながら、携帯のメールを確認した。
「……うぉおおおおおっ!! 何っぢゃこりゃぁあああっ!!」
 と、いきなり立ち上がって叫んだ。
「ま、真人!?」
「井ノ原ー、叫ぶときは……、筋トレの時だけだぜー?」
 と、ニヒルに言い放つ古文の先生。
 どっと教室がわいた。
 この古文の先生もノリがいい。
 ノリのいい先生だらけだからこそ、リトルバスターズの行動は黙認なのだろうか。
「ほら、井ノ原落ち着いたんなら席に着けー」
「お、おう……」
 がたがた。
「くっそう来ヶ谷め。なんつーメールを送りやがる」
 小声で悪態をついた。
「真人、どうしたの?」
「どうしたもこうしたもあるかっ」
 言って、真人は携帯を投げてよこした。
 それを見ようとしたとき。
「うおおおおおおおっ!!」
 と、今度は謙吾が叫ぶ。
 思わず二人とも謙吾に釘付けだ。
「なんだなんだ、今日は筋肉祭りか〜?」
 またも、どっと教室がわく。
「いや……その……。も、申し訳ございません」
 生徒らしからぬご丁寧な謝罪を述べ、席に座る。
 理樹は、謙吾から携帯に視線を戻した。
『差出人:来ヶ谷 唯湖
 題名 :無題
 本文 :理樹君のパンツ』
 とあって、その下に紅白の縞模様の画像が表示されていた。
 しかも、微妙にシワが入っていて妙にリアルだった。
「ぶっ!? な……なんだよこれっ……!」
 思わず小声で文句を垂れてしまった。
 すると、遠くでまた悲鳴。
「ほぉわあああああああっ!?」
 声のした方に向くと、小毬が立ち上がったまま固まっていて、美魚が顔を赤くして震えていた。
「一体何がこの教室で起こっているのだっ!?」
 と、先生も叫ぶ。
 絶対に隣のクラスの迷惑になっていると、理樹はそう思う。
 理樹は、取り急ぎメールを打った。
 来ヶ谷の携帯に着信。
 彼女はそれを開く。
『差出人:直枝 理樹
 題名 :ちょっと
 本文 :なんて物を配信してるんだー!! そんな物吐いてないよ!!』
 返信。
『差出人:来ヶ谷 唯湖
 題名 :因みに、吐くではなく「穿く」だからな
 本文 :なに、ほんの冗談だ。』
 来ヶ谷は、自分の席で紅白模様の、ノートの切れ端をひらひらとさせていた。
 真相はそれだった。
「な、なにぃぃぃぃ! 理樹はこんなものをはいているのか!?」
 ぢりんっ!!
 言いながら、鈴が理樹を、あり得ない生き物を見る目で睨んでいた。
 理樹は思わず手を振って違うことをアピールする。
『差出人:直枝 理樹
 題名 :ちょっと!
 本文 :みんなに送るつもりじゃないよね!?』
 すぐに返答。
『差出人:来ヶ谷 唯湖
 題名 :ふっ。
 本文 :大丈夫だもう送る必要はない。すでに同報メールでバスターズの全員+佳奈多君にも送っておいたよ。』
 がーんっという擬音が、理樹の頭の中に響いて、そのまま机に突っ伏してしまった。
 偽物だが、これは非常に精神的にダメージを食らう。
 と言うか、これは虐めじゃないのか、とそう思う理樹だった。
 その前に、佳奈多さんって!? なぜアドレスを知っているんですか!! と本気で尋ねたいところだ。
「わ、わふーーーーっ!? な、何っぢゃこりゃー、なのですーーーっ!!??」」
 と、携帯の画面を凝視したクドの、ひときわ大きな叫び声が、教室に木霊した。
「き、君たち本当にそれ以上はっ!」
 古文の先生は、さすがに真剣な表情だった。
「はっはっはっ」
 一人、声を出して来ヶ谷は笑っていた。


 と言うことで、プリントを終わらせるまでもなくバスターズの面々はグラウンドへ、……追い出された。
「はいなのです!」
 ひゅっとクドがフリスビーを投げる。
 軽く回転しながら、それは鈴の胸元へ。
 ぱち、ちりんっ。
「理樹!」
 鋭く回転しながら、滑るように中を滑空し、理樹の胸元へ。
 パシッと受け止め、理樹はすぐに真人めがけて投げ放った。
 授業の残りは、十分程度だったので、とりあえずフリスビーをキャッチボール風に投げ合うことにした。
 部室の鍵は、恭介が預かっていたため、道具が取りに行けなかったというのが事の真相だが。そしてなぜかクドがフリスビーを持ち歩いていたので、それを拝借したのだ。
「真人!」
「おうっ!!」
 ぱすっ!
 それを受けとめる。
「ほらよっ!!」
「ボールとは違い、これはこれで新鮮だな」
 ややそれて飛んでしまったそれを追う謙吾。
 ばちーんっ!!
「くっ……真人、手加減して投げろ、変な回転が付いているぞ」
 ヒリヒリする手で、そのまま次の人に投げる。
「いや、回転させて飛ばすものなのだが」
 へなへな、ぽて。
 回転させずに投げられたそれは全く飛距離が出ず、来ヶ谷のもとへは届かなかった。
 それを拾い上げ、来ヶ谷は美魚めがけて軽く放る。
 ぱちっ。
「これなら受け止められます。……神北さん」
 来ヶ谷は美魚にも取れるように手加減して投げた。
「美魚ちゃーん、がんばれー」
「ファイトなのですーっ」
 美魚も皆に習い、軽く回転させて投げた。
 フリスビーは、体力がなくても、上手く回転させて投げればそれなりに飛距離が出る。
 普段はマネージャーとしてグラウンドの片隅にいる美魚だが、これには進んで参加していた。
 ふよふよと空を漂うように飛び、それは小毬の手に。
「いっくよーっ、おんどりゃーっ!」
「おんどりゃー……」
 気合いと共に、投げ放たれた。
 因みに、美魚が声まねをしていたりする。
 しかし、力が入りすぎたために変な方向に流れてしまった。
「クドっ!」
 鈴が指名する。
 位置的に、クドが一番近い。
「いきますのですっ!」
 クドはグラウンドを走り、ジャンプした。
 ぱしんっ!
「わふーっ!!」
 嬉しそうに空中で叫び、そのまま着地する。
 これで一巡。
「さて、ここで一つクイズだ。……先ほどの」
「クド、ほら!」
「は、はいなのですっ!」
 理樹が、来ヶ谷のセリフを遮ってクドを促し、それに答えてフリスビーを投げた。
 理由はもちろん、いやな予感がしたからだ。
 皆、先ほどのメールの件に関しては一様に口を閉ざしている。
 おそらく、来ヶ谷はそれを嬉々として、そして淫靡にそれを話すのだろう。
 そんなことはさせたくは無い、させはしない。
 ちりんっ、ばしっ!
「理樹っ」
 それは鈴とて同じだった。
 あまりにも恥ずかしくて、気が気でならない。
 ぱちんっ。
「先ほどの」
「真人!」
「おうっ!」
 そして、再び来ヶ谷のセリフを遮り、理樹はフリスビーを放つ。
 ぱすっ!
「理樹くんの」
「謙吾!」
 それに習ったか、真人も同じように投げ放つ。
 理樹と真人、そして謙吾は先ほどのメールの写真は偽物だと気がついているが、しかしそんな話題をぶり返したくも無かった。
 ばしーん!!
「来……」
 受け止めた謙吾は、投げようとして一瞬躊躇った。
「フフフ」
 来ヶ谷は、不敵の笑みで、指で来い来いっと招いた。
 絶対何か企んでいる表情としか思えないと感じた。
「西園!」
 謙吾は、来ヶ谷を視界から外し、美魚に軽く投げた。
 ひょい。
 軽い回転運動をしながら、フリスビーは美魚の方へと飛んでいく。
 ばし。
 それは、来ヶ谷が受け止めていた。
「……貴様、いや貴様等、わざと無視しただろう」
「いや、手が滑っただけだ」
「ふっ、私の名前を言いかけて西園女史に放ったではないか。……で、君たちは一つ忘れていることがある」
 フリスビーは来ヶ谷の手の中。
 完全に流れは止められてしまった。
「……理樹君のパ」
「うわぁあっ……!!」
「うおおおおおおっ!!!」
「くっ……!」
「わ、わふーーーーっ!!??」
「ほわあああああああああああああああああああっ!?」
「なああああっ!?」
「……ぽ」
 七人七様の反応。
「だ、だだだだめだよゆいちゃん!」
「くっ……だからゆいちゃんと呼ぶのは……」
 来ヶ谷、大ダメージ。
「そもそも僕はそんなデザインのは穿かないよ!」
「そうだぜ! 理樹のタンスの中にはそんな派手なものはない!」
 真人が力説。
「ほわああっ、まっ、まままま真人君、理樹君のタンスを覗いたの!?」
「覗いたのですかっ!?」
「いや、覗くもなにも一緒に洗濯してるしよ」
「直枝×井ノ原……あまり良い絵になりませんね」
「いやいや、洗濯してるの僕だからさ。真人もたまには手伝ってよ。筋トレする分洗濯物が多いんだから」
 と言うか、一部不穏な発言が交じっていた気がするが、今は気にしない方が良い。
 それも含めて、理樹は必死に話題を変えようとしていた。
 筋肉話をひっかければ、真人は必ず食らいついてくる。
「そうは言うけどさ、筋肉様は待ってはくれねェんだ。なんというか、鍛えてくれ、鍛えてくれ、洗濯をせずに鍛えてくれって声が聞こえてくるんだ」
 よし、食らいついてきた、と心の中だけでほくそ笑む理樹。
 顔には出さず、もっと筋肉で引っ張ろう。
「いやいやいや、だからって僕一人に押し付けないでよ。筋肉を鍛えるのならその後でも十分出来るからね」
「それもそうだな! でもよぅ、やっぱり筋トレする時間が惜しいから洗濯を選択というのはなぁ……」
 押し問答となって来た。
 来ヶ谷は、矢継ぎ早に繰り出される二人の会話に、割り込めないでいた。
 と言うか、真人はどうしてか洗濯の話題に戻ってしまう。
 ならば、いっそそこから攻めてみるか。
「だったらいい方法があるよ! 洗濯板でゴシゴシとやるんだ! そうすれば洗濯しながら筋肉も鍛えられるよ!」
「おぉ、それはナイスアイデアだ!」
 真人、賞賛の声を上げた。
「……でもやっぱり洗濯はいやだな。面倒だ。特に干すのがさ」
「結局そこに行き着くわけなんだ真人は。筋トレのためだったら何だってしそうなのに。……もー、真人の分洗わないよ?」
「それだけは勘弁してくれっ!!」
 と、悲痛な声を出す。
「ただでさえ多いんだからね。それぐらい手伝ってもいいと思うけど。……僕の身にもなってよね」
 と、ついつい本音が出てしまう。
「でしたら、リキの分はこれから私が洗いましょうか?」
「へ……?」
「え?」
 その一言で、場が凍ってしまった。
 と言うか、明らかに爆弾発言。
 数秒後。
「あ……、わふーっ、思いっ切り恥ずかしいことを言ってしまったことに今気づきましたーっ!?」
 理樹が苦労して話題を穏便な方向に変えようとしていたのだが、思わぬ方向から、しかも来ヶ谷の偽パンツ話とは比べ物にならないぐらいの破壊力をもった爆弾が投下されてしまった!
「理樹君と、クーちゃんって、いつのまにかそう言う関係、なの?」
「なんだ小毬、お前知らなかったのか?」
 と、真人が肯定してしまう。
「あたしはなんとなく気づいていたぞ」
 鈴は、腕を腰に当て、何故か自慢げに言う。
「直枝さん、詳しい馴れ初めを教えていただけますか?」
「ふむ。その辺りは私も知りたいな」
「理樹くーん、話してくれるかな?」
 と言いながら、来ヶ谷と美魚がじりじりと、小毬も交えて詰め寄ってくる。
「み、皆さんが怖いのです!?」
「……クド逃げよう!」
「わぁーっ!?」
 理樹は、クドの手を引いて走り出した。
 小毬や美魚は兎も角として、来ヶ谷に掴まったら最後だ。
「こいつらは私が食い止める、逃げろ理樹!」
「鈴! ごめん!」
「鈴さんありがとうなのですーっ!」
 鈴が、来ヶ谷の前に立ちふさがった。
「こしゃくな」
 と、そう言いながら来ヶ谷が手刀を構える。
 本気モードだった。
「……来い!」
 鈴も、カンフーもどきの構えを取った。
「フフフ、返討ちだ」
 その間にも、理樹とクドの二人は校舎へと向かって走っていた。
 その瞬間に、来ヶ谷は思考を巡らせる―――逃げ込まれたら最後、まだ授業中の校舎内では騒ぐことは出来ない。出来れば短期決戦にするべきだろう。しかし、目の前の敵は、見かけのカンフーもどきの構えとは裏腹に、格闘のセンスはピカイチだ。ここは一つ、心理戦を試みるほうがいだろう。
「これを見ろ」
 そう言って取りだしたのは、自分の携帯。
 そこには、黒と水色の縞模様。
「君のパンチラだ」
「なにぃぃぃっ!?」
 さっと、自分のスカートを押さえる。
「隙あり!」
 来ヶ谷は、鮮やかに鈴を擦り抜け、グラウンドを疾走する。
「なっ!?」
「フハハハハッハッ!」
 因みに、今の映像は理樹のパンツと偽ってメールした物をネガ反転しただけの物だった。
 いわゆるハッタリに、鈴は見事に引っかかってしまったのだ。
 目指す二人は、校舎に入ろうとするところだった。
 と、そこでチャイム。
 授業終了の物だった。
 これは来ヶ谷にとってはチャンスだ。
 もう校舎内で多少騒いでも、ある程度までなら許容範囲。
 脚に力を込め、一気に二人との距離を縮めるべく、大きく跳躍した。
 ほかの人が見たら、まるで空間を渡ったかのように見えるだろう。
 宿地法、瞬動などといろいろと名前はあるが、そう言った技を彼女は熟達している。
 大きく引き離された鈴は、それでも懸命に追ってくる。
「もう来たよ!」
「リキ、あっちです! 佳奈多さん達ですっ!」
 クドが理樹を引き、廊下を折れる。
 その先、見知った顔が二つと、その他大勢の生徒たち。
「直……!?」
「わっりりり理樹君!?」
 二人は、理樹と顔があった瞬間頬を染めたが、理樹はそれに構っていられる余裕はない。
 六時間目が終わったあとは、クドは来賓室で三者面談の予定。
 ならば、そこまで送り届けてしまおう。
 来賓室に送り届けられれば、クドには手出しは出来なくなる。
 ただし、その後のターゲットは理樹一人に絞られてしまうが。
 そうなれば、何処かに身を隠すかすればいい。
 来ヶ谷を相手に、あまり良い作戦ではないが、当面はそうするしかなかった。
「クドはこっちだよ!」
「はいなのです!」
 半ば放り込むようにして、クドを来賓室へ。
 それと同時に、生徒が立ち並ぶ先の廊下に、来ヶ谷が出現した。
 文字通り、出現である。
「くっ……、来ヶ谷唯湖! 停まりなさい!」
 と、凛とした声が廊下に響いた。
 でもどこか鼻声。
「なんだ貴様、邪魔だてするか」
 来ヶ谷は立ち止まり、声の主を睨む。
「ええ、邪魔するわ」
 赤い腕章の風紀委員長は、それに臆することなく睨み返した。鼻声で。
 ……何か詰め物をしているようだった。
「先ほどのメールは何んなの?」
「そう言えば、君にも送っていたな」
「何なのって聞いてる」
「ああ、理樹君のおパンツだ」
「そう言うことを聞いているんじゃないのよ。一体なんのつもりで送りつけたかって聞いているのよ!!」
 佳奈多は、大きな声で怒鳴った。
 ここが、職員室や来賓室などの並ぶ廊下であるということも気にせずに。
「いや、丁度君のアドレスも登録してあったのでな、物のついでだ」
「ついでに? ついでにあんな如何わしい物を送りつけたって言うの!? あなた一体何を考えているの!!」
 と、佳奈多は職員室から先生たちが出てきたにもかかわらず、怒鳴り続ける。
 と言うか、我を忘れている様子だった。
 理樹も、その後ろで彼女の姿をじっと見ていた。
 来賓室からも、クドと母親が顔を出していた。
「か、佳奈多さんいったいどうしたのですかっ!?」
「いや、例のメールが佳奈多さんにも……」
「で、でもそれぐらいのことでいつも冷静な佳奈多さんがあんなに怒ることはないはずですっ」
「う、うん、僕もそうは思うんだけど」
「あの子も、クーニャのお友達なの?」
「はい、ルームメイトですけど……」
 葉留佳が、列から外れて理樹たちのもとに来た。
「やはー、理樹君。災難だったねー、姉御にひん剥かれたのかナ?」
「いや、あれノートの切れ端だから」
「わふーっ、そうだったのですかっ!? 私はてっきり本物かと思ってましたーっ!」
「やっぱそーだよね。姉御のおちゃめはいつものことなんだけど。……ぶふふっ!」
 と、葉留佳がいきなり吹き出した。
「授業中にメールが来たでしょ?」
「うん。僕たち丁度自習の時間だったからね」
「それでですね、風紀の緊急通信だと思って見てみたらしいんだけど、画像を見て盛大に転んだわけですヨ、机ごと」
「うわぁ、それ、想像できないよ」
「それで床で顔を打って。……ぷぷぷっ!」
 と、吹き出した。
「は、鼻血っ、ぶはははははっ!!」
 こらえきれず、ついに笑い出した葉留佳。
「三枝葉留佳! あなたも手伝いなさいって言ったでしょ!!」
 佳奈多が、こちらに向かって怒鳴った。
 ぽんっと鼻の詰め物が飛ぶ。
 風紀委員長の威厳、台無しだった。
「そ……、それじゃまた後でね、理樹君」
「う、うん」
 葉留佳は、姉のお呼びに答えて風紀委員のただ中へと歩いていった。
「三枝葉留佳! 来ヶ谷唯湖を捕らえたら今日のゴミ拾いは帳消しにしてあげるわ! というか捕まえなさい!!」
「はーい。……ぷぷぷっ」
「……むぅ……」
 来ヶ谷は、だんだんとクールダウンしてきた。
 佳奈多にまでメールを送ってしまったのは、確かに失敗だったか、と考える。
 それとは逆に、赤っ恥にますますヒートアップする佳奈多。
「……仕方ないか」
 ため息を吐いて、構えを解いた。
「いさぎの良い事ねっ!」
 と、佳奈多も不敵の笑みでそれを歓迎した。
「反省室に連行します。来ヶ谷を捕まえて」
「逃げんさ」
 そして、佳奈多を先頭に、来ヶ谷を反省室へと連行を開始した。
「佳奈多さん佳奈多さん」
 先頭を歩く佳奈多を、クドが呼び止めた。
「なに、クドリャフカ?」
 静かに息を整えて返事を返すが、でもやはりどこか刺々しかった。
「あの写真、偽物だそうですよ」
「……はい?」
 佳奈多は、眉間のしわを更に寄せ、いぶかしげに睨む。
「の、ノートの切れ端にペンで縞模様を書いただけなんだよ」
「………………」
 理樹の説明に佳奈多は絶句し、壁に手を突いて脱力してしまったのだった。
 ぞろぞろと引き上げていく風紀委員と、結局授業中に不穏なメールを送ったことで逮捕され連行されていく来ヶ谷を見送る、その他大勢。
 佳奈多一人、放心状態でふらふらっと、その後を追っていった。
 反省室に入っていったあとは、皆それぞれに解散していく。
「なかなか凄い生徒揃いね、クーニャの学校は……」
 結局の所、佳奈多が一番目立つ羽目となってしまったのだった。


 夕暮れ時。
 理樹とクドは、校門にいた。
 先生たちと、バスターズの面々、そして数多の生徒たちも、その後ろに大勢、見送りに来ていた。
 佳奈多は、無言で腕を組んで仁王立ちしていた。
 でもその表情はどこか疲れている様子だった。
 校門の外、そこには白いリムジンが停まっている。
 クドの母親は、穏やかな笑みをそこに浮かべていた。
「今日はありがとうございました。……リキ君だったわね」
「はい」
「私はこれで帰りますので、クーニャのことをよろしくお願いしますね」
「あ、はい」
 何故か、熱い視線で見上げられた。
「うん、うん」
 と、何故か二回も深く頷かれる。
 リムジンのトランクから、折り畳みの椅子が取りだされた。
 その数、三つ。
「はい、座って」
「はい」
「えっと、これは?」
「……ロシアの古い習わしです。親しい人が遠くに出発するときの」
「気持ちを落ち着かせるということです」
 そう言って、母親は理樹たちを座らせる。
 深呼吸し、母親は立ち上がった。
 クドと理樹も、立ち上がる。
 即座に椅子は片付けられた。
「プラッシャーイチ」
「ぷらしゃーいちー、です」
 母親、クドの順に挨拶。
「では、ご機嫌よう、リキ君。……クーニャ」
「はいっ」
 二人抱き合い、背中をポンポンっと軽く叩き合う。
 報道陣の持つカメラがシャッター音を奏でる。
 二人離れ、亜麻色の巻き毛が風に揺蕩い、黒髪が夕日の中なびいた。
 そして母親はリムジンに乗り込み、二人に向かって微笑んだ。
 扉が閉められ、ゆっくりと走り出した。
 白い車も、夕日に染められ、やがて見えなくなった。
「ねえクド、最後の挨拶って……」
「日本語のところで、今生の別れを意味します」
「え?」
「あ、でもロシア的な考えは、逆説なんですよね。そうならないように願をかけて、こう言う挨拶をするのがならしなのですよ」
「……クド、凄く外国らしいよ」
「あ、ありがとうございますっ!」
 クドは破顔させ、とても、とても嬉しそうに微笑んだのだった。



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