3.騒がしい一日、バトルと騒動

 翌朝。
 旧来のリトルバスターズの五人が、朝食のテーブルを囲んでいる。
「おはよう諸君、さて、これからのリトルバスターズなんだが」
 恭介が、仰々しく語り始めた。
 こう言うときの恭介には、どこか犯し難い雰囲気があり、皆、固唾を飲んで見守る。
「日が暮れるまでは野球の練習、その後夕食を挟んで勉強会と洒落込もうと考えているが、皆の意見を聞きたい」
「……恭介、オレはもう勉強はできない。……メンバーが悪すぎる」
「お前が一番悪いな」
 真人の一言に、尽かさず鈴がツッコむ。
「なんだとっ!?」
「まあまあ」
 それを理樹が宥める。
 これはいつもの風景だった。
 そして、いつもなら謙吾が真人を小馬鹿にするはずだった。
「俺も嫌だ! 遊びたい!」
「えぇーー!? 謙吾までも!?」
 そう思っていた理樹は、思わず叫んでしまった。
「……まー、そう言うな」
 恭介は、頬に流れた一筋の汗を拭い、苦笑する。
「お前だって冬休みに補習は嫌だろ?」
「……ああ」
「それは真人だって同じだ。他にも頑張っている奴等がいる。……みんなで補習を免れるために、勉強会を続けようじゃないか!」
「恭介、志低いから。せめて上位入賞とかさ」
「……それは真人だって同じだ。他にも頑張っている奴等がいる。……みんなで上位入賞を目指すために、勉強会を続けようじゃないか!」
「言い直しやがった!」
「こいつ言い直した!?」
 真人と鈴が同時に突っ込む。と言うか、珍しい。
 因みにリトルバスターズの面々は、勉強面でも強者がそろっている。
 文武両道の来ヶ谷は言うまでもなく、英語が大得意な小毬、国語なら美魚だろう。
 この辺りは、目指すまでもなく得意分野で上位入賞者たちだ。
 不得意分野を克服していけば、もっと凄いことになるだろう。
 鈴は、数学以外なら何でもそつなくこなせる。突出して良い成績のものは体育ぐらいだが。
 でも、危なそうなメンバーが……。
 クドは英語が大の苦手なのは周知のことだが、他の教科については未知数だった。
 なにせ、彼女はこの学校に来てから試験を受けたことがない。
 一学期は修学旅行の事故やらで学級閉鎖となり、試験がなかったからだ。
 物理とか数学はそつなくこなしているようだが、どうなのだろう?
 それと、通信制ではどんな風に勉強をしていたのかも気になる。
 葉留佳は……まあ想像できるかもしれない。
 佳奈多曰く、『落第にはならなさそう』だが、つまりギリギリと言ったところなのだろうか。
 とりあえず、重点的にこの二人を考えなくてはならないだろう。
 理樹は、ため息をひとつつく。
 まるで、小さな学校の先生の気分だった。
 同い年を相手に先生もなにもないか、と自分にツッコミを入れてしまうのだった。

 登校の時間となり、皆は学校へと向かう。
 玄関で来ヶ谷と合流し、廊下でクドと合流する。
「グッドモーニングですリキー、皆さんおはようございますなのですー」
「おはようクド」
「おはよークー公っ」
 教室に入り、小毬と美魚が挨拶をしてくる。
「おはよぅー、なのですよー」
「おはようございます」
「おはようございます、小毬さん、西園さん」
「おはよ」
「おはよう」
「おはよう」
「うむ、おはよう」
「……おはよう、小毬ちゃん、西園さん」
 そして順繰りに挨拶を交わした。
 いつもの朝の喧騒、いつものメンツ。
 葉留佳がいないのは、他のクラスだからしょうがない。
「理樹くーんおはよー! みんなもおはよー!」
 しょうがないはずなのに、何故かいる。
 それが三枝くをりちー。
 今日も、にぎやかな一日が始まった。


 昼休み。
「ん?」
 理樹は、廊下で佳奈多と出くわした。
「こんにちは、佳奈多さん」
「ええ、こんにちは。……どうしたの、こんなところで」
 ややぶっきらぼうに挨拶を交わす佳奈多。
 少し表情を固くしているのは、内面の照れを覆い隠しているためだ。
 この人のこの態度は、『地』であることは、バスターズのメンバーはみんな知っている。
 こんなところ、とは、ここはいわゆる学校の『行政区画』。
 各種委員会や職員室、宿直室などがあるだけで、一般の生徒は用がない限りは近づかない領域だった。
 珍しいところに、珍しい人物がいると思った佳奈多は、そう聞いたのだった。
「今からストレルカの様子を見に行くんだけど」
「そう」
 理樹の返答に納得し、一言だけ返事を返す。
 ストレルカとヴェルカは、この宿直室が寝床だった。
 風紀委員二木が、生徒会に働きかけて、ここを使うことを許可されたのだ。
 理由は一つ。
 ストレルカは、夏の終わり頃に、子犬を数匹生んだからだ。
 一体いつのまに子を宿していたのか見当もつかないが、四匹の子宝に恵まれている。
 子供たちは、今一番親が必要な時期。
 雨風凌げるこの部屋は、育児にとても都合がよかった。
 理樹たちは、ときどき子犬を見に行くのが楽しみで、半ば習慣化していた。
 佳奈多は、手にしたポスターを掲示板に貼り付ける作業に戻る。
 理樹は、そのままストレルカのもとへと歩いていこうとした。
「待ちなさい。……これが終わったら一緒に行くわ」
「え? ……うん、じゃあ待ってるよ」
 ぶっきらぼうに命令口調で言うのも、彼女の不器用さから。
 知らない人が聞けば、咎めている様にしか聞こえないだろうが、でも本当に咎めるつもりの口調とは明らかに違う。
 佳奈多は取り急ぎポスターを貼り、向かいの生徒会室の扉を開けた。
 そこに、画びょう入れを投げ込む。
「わっ、佳奈多さん?」
「大丈夫よ」
 何がどう大丈夫なのかよく解らないし、それよりも今の行動が葉留佳にダブって見えた。
 さすが双子な事はある、とそんなことを考えてしまった。
「余計なことを考えていないで。いくわよ」
 と、佳奈多が率先して歩いていく。
 その後を追う理樹だった。
 というか、思考を読まれていたような気がして、内心ハラハラものだった。


 宿直室。
「あら、誰か居るわよ」
「誰かな?」
「まあ、バスターズのメンバーじゃないかしら?」
 と言いながら、佳奈多は宿直室の引き戸に手をかけた。
「お邪魔しますわ」
「わんわんわ……っ!?」
「リキー、ハローですっ! 佳奈多さんもハローですっ!」
 宿直室の畳に座っていた二人が、正反対の反応を示す。
 一人はツインテールを勢いよく振って向こう側をむく。
 もう一人は、人なつっこい視線と声で、そして屈託ない笑顔で二人を迎えた。
「さーちゃん、お客さん? って、ほわぁ、理樹くんと佳奈多さんだよ〜!?」
 奥から湯飲みを持ってきた小毬が、何故か驚いていた。
 因みに、さーちゃんとは先ほどからそっぽを向いている女の子のことだった。
 およそ、この場にいるのが不思議でならない、と言うかどんな繋がりがあるのか全く不明な、笹瀬川佐々美だった。
 因みに、佐々美と鈴とは因縁のライバル同士という言葉がぴったりと来る関係だった。
 夜のミッションでは何故かことごとく遭遇し、その度にバトルとなったり。
 昼の野球の練習中では、たまにバッティング勝負となってみたり。
 でも、鈴と佐々美はいがみ合っているようでも、仲は悪くはない、と理樹は思う。
 夏の前頃、廃品回収として出されていたボロボロのグローブがあった。
 それを来ヶ谷が直し、鈴に手渡したということがある。
 元々しっかりと手入れがされていたものだったらしく、鈴の手にしっかりなじみ、鈴はそれを気に入った。
 実はそのグローブが佐々美の無くしてしまったグローブだったことが判明し、鈴はそれを佐々美に返そうとしたのだが、あなたが持っていた方がいいでしょうと言って、それをそのまま鈴にプレゼントしたというエピソードがあった。
 今でも鈴はそのグローブを大切に使っているし、宿命の対決と言うバッテリー対決では、このグローブを必ず身につけてマウンドに立つのだ。
 二人とも、不器用なだけで、実は凄く仲がいいのかもしれない。
 等と、理樹はそう思っていた。
「さーちゃん、ちゃんと挨拶しなきゃ駄目だよ?」
 と、小毬が佐々美に声をかける。
「……こ、こんぬづわ」
 と、振り向きざまに佐々美が挨拶を……噛んだ。
「ほわぁーーー!?」
「……あ、あの? こんぬづわではなくて、こんにちはですよ?」
 と、クドに駄目出しをされる。
「くっ……」
 佐々美は、真っ赤な顔をして振るえていた。
 もしここに鈴がいたら、絶対突っかかっていくところだろう。
 いなくて良かったと、理樹は本当にそう思った。
 そう思った瞬間だった。
「小毬ちゃん、モンペチ持ってきたぞ。……って、細波(さざなみ)ざざざざんっ!?」
 そう思ったところで、鈴が入ってきた。
 なんてタイミングのいいことだろう。さすがは宿命のライバルか。
「笹・瀬・川・佐・々・美、ですわ!! そんな器用な噛み方、あなた、絶対わざとやってますわね! 丁度いいですわ棗鈴!」
 びしっと、右手人差し指で鈴を指さした。
「今日こそあなたをギャフンと言わせてあげますわ!!」
 と、佐々美が立ち上がる。
「小毬ちゃん、こいつなんで怒ってるんだ?」
「え、えーっとね」
「行きますわよ! 勝負は三球! 先にヒットを打った方が勝ちですわ!」
 と、小毬の声を遮るように、佐々美は声を張り上げた。
「宿命の対決か、……ふっ、望むところだ」
 言いながら、二人はそのままグラウンドへ。
「さーちゃん、鈴ちゃーん!?」
 その後を追う小毬。
 今回の勝負がバトルではなくてバッティングで良かったと、そう思う。
 部屋に残されたのは、あっけに取られるクドと、来たばかりの理樹と佳奈多、ストレルカと子供たちだけだった。
「あ、あのー、一体何だったのでしょう?」
「多分、犬をあやしていたのを見られて恥ずかしかったんじゃないかと」
 冷静に考えれば、それしか思いつかない。
 佐々美さんはあんなに自然な笑顔を作れるんだから、もう少し素直になればいいのに、とおせっかいにもそう思う理樹だった。
「そうなのですか?」
 と、クドは半分納得したようなそうでないような。
「クド、笹瀬川さんとはどうして知り合ったの?」
「ヴェルカが、前にお世話になったのです」
 ヴェルカが、ゴミ袋の中に入って遊んでいたところ(クドの想像)、宿直の人が間違えてゴミ捨て場に持っていってしまったのを、佐々美が救出したという。
「あ、……あの人は……」
 佳奈多は、呆れ顔でため息をついた。
「それから私とはお友達ですっ。ヴェルカ様々ですっ! わふーっ!!」
 と、とても嬉しそうに話す。
 友達が増えて、嬉しいのだろう。
「小毬さんとは、前のクラスからのお友達だったそうです」
「へー、それは以外だな」
「神北さんならあり得る話よね」
 と言いながら、佳奈多はポケットから携帯を取りだす。
「ちょっと失礼」
 ブルブルッと振るえる音がしていた。
 開き、通話ボタンを押して、それを耳に構えた。
「二木よ。……え? ええ、分かったわ、すぐ行く」
 簡単に答え、携帯を閉じた。
「どうしたのですか?」
 クドがそう聞くと、佳奈多は脱力したように大きなため息をついた。
「風紀の仕事よ」
 言いながら、ストレルカを見る。
「出れる?」
 オンッ!
 彼女は一吠えして、立ち上がった。
「二人とも、悪いけど子犬をお願いね」
 そう言って、佳奈多は扉に手をかけた。
 ちらりと振り返った目は、風紀委員長の、獲物を探す猛禽のそれと変わっていた。
「葉留佳、あなたって人は……」
 そう呟いて、佳奈多は扉を閉めていった。
「……佳奈多さんも、大変です」
「う、うん」
 正座するクドの膝の上に、子犬が這い上がっていく。
「わ、わふー」
 くすぐったそうにするクド。
「だ、だめですよ。あははっ」
 というか、本当にくすぐったいみたいだった。
 良く懐かれているな、と思った。
「ほら、クドが困ってるって」
 理樹は、這い上がろうとしていた子犬を抱き上げる。
 本当に小さな子犬。
 つぶらな目が、理樹を見ていた。
 きゃんっ!
 そして、可愛く吠える。
 それをゆっくりと畳の上に下ろすと、またクドの膝の上に這い上がろうとする。
 今度はその子一匹ではなく、四匹みんなだった。
「あはっ、あははっ、リ、リキー、助けてくださいなのですーっ、あはははっ!」
 クドはそのまま子犬の勢いに押し倒されてしまった。
「っ!?」
 理樹は、あわてて視線をそらしてしまった。
 倒れた拍子に、クドのスカートがめくれて……。
 とにかく、クドをなるべく見ないようにしながら子犬たちからすくい上げる。
「わふーっ、みんな元気一杯なのですっ!」
「う、うん」
 理樹は、クドの顔をまともに見られなかった。
「どうしましたか?」
「ううん、な、なんでもないよ?」
 出来るだけ、平静を装って返事する。
「?」
 覗き込んで来るクド。
 その瞬間、純白を思い出して再び視線をそらしてしまった。
「リキー? 本当にどうしましたか?」
「だから、なんでもないよ、本当に」
 理樹は、火照る顔を何とかごまかしていたのだった。


 今は、姉の佳奈多ではなく風紀委員長の二木。
 冷徹な、冷酷な―――
 いろんな枕詞が付くが、それは佳奈多の仕事の真剣さの裏返しだった。
 でも、リトルバスターズの面々の前、とりわけクドの前ではその肩書きも何もなく、自然な自分でいられる。
 でも、今は気持ちを切り替える。
 冷酷な仮面を着けて、一歩踏み出した。
 宿直室を出ると、すぐに二人の風紀委員が合流する。
「状況は?」
「三枝が三階の廊下で問題を発生しました」
「取り押さえに内藤君と檜山君と梶田君の三人が向かっています」
 代わる代わる説明してくる。
「今度は何をしたの?」
「机と椅子を持ち運んでいました。おそらく何かのイタズラに使うのでしょう」
 佳奈多は頷く。
 階段にさしかかると、向こう側の階段にはすでに別の風紀委員が待機していた。
 佳奈多は携帯ではなく、小型の無線機を取りだした。
 いざと言うときは、無線機の方が小回りが利く。
「風紀委員全員に通告、現在の状況を確認する。内藤、檜山、梶田の順に報告を」
『こちら内藤、三枝とは一定の距離を置いて追跡中、机と椅子を持ち運んだまま前進を続けています。まだ他の行動は取っておりません、どうぞ』
『こちら檜山、現在2−E隣の空き教室に待機、三枝はこちらにまっすぐ接近中、どうぞ』
『こちら梶田、一般生徒の退避及び三階封鎖を完了、どうぞ』
「了解」
 階段を登りつつ、情報を整理する。
 そして司令塔として、三枝を封じ込める指示を出さなくてはならない。
「今回は、机と椅子を持ち出しています。何か危険なことでは無いでしょうか」
「解らないわ。私だってあの子……、三枝葉留佳の考えること、全然解らないもの」
 風紀委員のメンバーには、葉留佳が自分の双子の妹であることは伝えていない。
 思わずいつもの調子で『あの子』と行ってしまったのを、フルネームで言い直した。
 しかし、椅子と机を運んでいるというのは、おそらく自称整備委員の仕事でもしているつもりなのだろう。
 そんなことはしなくてもいいのに。
 それは、今は風紀の仕事の一つとなっているのだから。
 佳奈多はそう考える。
「ええ、全くその通りです、いつもいつも突拍子のないことを……っ!」
 そんなことを知ってか知らずか、風紀の仲間はそんなことを言う。
 今回のことが、本当にただ単に壊れた机や椅子を入れ代えるだけのことだったのなら、咎める必要もないし、むしろ歓迎したい。
 しかし、それ以外のことを考えていたら?
 三枝葉留佳は、そのそれ以外のこともあり得るのだから、末恐ろしいのだ。
 はっきりいって、葉留佳の起こす騒動はおちゃめなものばかりだが、しかしだからと言って、風紀を乱す行為に対しては鉄槌を下さなくてはならない。
 そう自分を叱咤しながら、佳奈多は三階の床を踏み締めた。
「三枝葉留佳! 今度は何をするつもり!」
「げっ、おね……っ、二木!」
 葉留佳は、机と椅子を持ち上げたままだった。
 これなら相手の動きは鈍足だ。
 最も、それらを放棄すれば恐ろしくすばしっこいが。
「その机と椅子は何?」
「えーっと、これはあれデスね」
 しどろもどろに説明に入る。
 一目見て、自称整備委員の仕事をしていた事は明白だった。
 骨折り損の草臥れ儲けを、この子は自ら買って出ている。
 何故か。
 よく分からない。
 この子は、いつも突拍子がないのだから。
 でも、この子は絶対話をこじらせる方面の答えを言う―――
「スクールウォーズぼーん!!!」
 佳奈多の思考を妨げる、葉留佳の叫び声!
 そして、同時に机と椅子を投棄して逃亡開始!
 全く期待通りだった。
「三枝葉留佳!」
 佳奈多は叫ぶ。
 見れば、葉留佳はポケットに手を突っ込んでいた。
「みんな下がって!」
 佳奈多が叫ぶのと、葉留佳がポケットの中身をぶちまけたのはほぼ同時。
 ほんの一瞬でも指示が遅ければ、そのビー玉の餌食となって風紀委員が何人も転倒していたことだろう。
「ちっ!」
 葉留佳は舌打ちをしつつ、勢いよく反対側に駆けていく。
 しかし、そちらにも風紀は待機している。
「三枝葉留」
「新聞紙ぶれぇえええど!!」
 言いながら、これまたポケットから何か棒状のものを取りだしていた。
 間に合わない!
 ばすっ!!
「佳ぶっ!?」
 それは階段を登って来ていた風紀の……多分梶田だ、顔面を直撃だった。
 丸めた新聞紙でも、出会い頭でのあれはたまらないだろう。
「ふっ!」
 と不敵に笑い、葉留佳は梶田の脇を擦り抜けて階段へと消えた。
「追うわよ!」
 佳奈多は踵を返し、一気に階段を駆け下りる。
 廊下を走るなとか、そう言ったルールは非常線を張った風紀委員には罷免事項となる。
 これはそのための腕章なのだから。
 最も、普段は模範とならなくては腕章が泣くが。
 階段を一階まで一気に駆け下りると、廊下にはその姿はない。
「……しまった!」
 葉留佳は下に逃げるかと思っていた。
 いや、それは単なる思い込みだ。
 一旦四階に逃れ、遠回りをして逃れる可能性もあった。
『三枝葉留佳、四階で発見、追跡中!』
 思ったとおりだった。
 声の主は、多分梶田。
 新聞紙で倒されたあと、すぐに追ったのだろう。
 しかし、梶田一人では心許ない。
「2−E横の空き教室に追い込む作戦に変更、内藤は西階段二階踊り場で待機、急いで!」
『了解!』
 散り撒かれたビー玉を越えていかなくてはならないが、まあ頑張れ、と心の中で声援を送る。
「あなたは西階段を上って内藤と合流、私たちは東階段よ!」
「了解!」
 佳奈多は、無線機の送信をオンにして叫ぶ。
「檜山は見つからないように上手に隠れてて!」
『了解です!』
 一階で二手に分かれ、二階の階段踊り場まで走る。
 ぐるりと全力疾走でここまで来たので、息が上がる。
「まてーっ!!!」
「待ちませんヨー! ここまでおいでーっ!!」
 という声と同時に、階段をかけ下りてくる足音。
 予想通りだ。
「うわっとっ!?」
 葉留佳が三階の踊り場を周り、二階へと一気に下りようとしたところで、その下で待つ佳奈多と視線が合った。
「やばっ!!」
 取って引き返し、三階を走る。
「三階に追い込めたわ! 包囲網を縮める!」
『了解!』
 無線からの応答は、誰の声か解らないが、それはどうでもいい。
 一気に駆け上り、三階へ。
 廊下の先、葉留佳が疾走する姿であり、その更に先に風紀の腕章をはめる二人の姿。
「檜山、追い込むわ!」
『了解!!』
 葉留佳は、自分で散蒔いたビー玉を、どこから持ち出したのか、ちりとりで一気にすくい取る。
 自分の走るスペースを細長く確保しながら。
 がちがちっと心地のいい音が響き、ビー玉の海を越えると、ちりとりにすくい取った分をまた海の中に投棄した。
 ビー玉同士がぶつかり合い、割れた海はすぐに塞がってしまった。
「ストレルカ!!!」
 葉留佳は、大事にとって置いた隠し玉を使った。
「追い詰めて!」
 オンッ!!
 後ろを涼しい顔で追って来ていたストレルカが、初めて前に出た。
 ビー玉の海を物ともせず、一気に葉留佳との距離を詰める。
「げげっ!!」
 振り返った顔が引きつる。
 そしてすぐ先には距離を詰めてくる風紀委員。
「おのれ、挟み撃ちかー!? はるちん絶体絶命っ!!」
 足を止めて叫んだ直後、葉留佳は教室へと飛び込んだ。
「檜山、追い込みに失敗したわ! 三枝葉留佳は隣よ!」
『了解です! すぐに向かいます!』


「三球勝負よ!」
「……来い!」
 マウンドに立って声を張り上げるのは、佐々美。
 バットを構える鈴。
 ちりんと髪飾りが鳴る。
 それが、戦いの開始の合図。
 佐々美、ボールを構え、アンダーから鋭く投げ放った。
 ばすんっ!!
 心地良いほど良く響く、キャッチャーミートへの絶好球。
「なにぃっ!?」
「ふっ、今までのわたくしではありません事よ?」
 右手を顎の下に持ってきて、そう不敵に微笑む。
 ソフトボール部のホープ、エースにして四番の実力は伊達ではない。
 その鋭い球速と卓越した制球力で、ソフトボール部の勝利を幾度となくもぎ取っているのだ。
 ボールを硬式球に持ち替えても、そのセンスは光る。
 野球を始めてから半年という相手に、引けを取るはずはない。
 キャッチャーからの返球を受け、そしてまた構える。
「うにゃっ!!」
 鈴は、気合いを入れるように一声鳴く。
 アンダーからの浮き上がってくるような球を、狙い澄ましてフルスイング!
 ずばんっ!!
 そしてそれもまた、キャッチャーミートへ。
「おーほっほっほっほっ、次で終わりですことよ?」
 佐々美は上品かつ相手を卑下した笑いを上げた。
 返球を受け、投球モーションへ。
 ちりんっと鈴が鳴る。
 佐々美の腕が振り下ろされ、アンダースローからの強烈な球が来る。
「死ねーーーっ!!」
 かっ!!
 木製のバットが、芯で球を捉えた音。
「なっ!?」
 打球はぐんぐんと伸び、裏山の方へと消えた。
「……じょーがいだな」
 と、静かに言い放った。
「……おのれ棗鈴! ですが、あなたの球を二つ飛ばせば、私の勝ちですことよ?」
 と、それでも無理して強気に笑った。
 打者と投手が入れ替わる。
「さあ、こい!」
 真人が、キャッチャーミットをバシッと叩き、構えた。
 今回、キャッチャーを勤めているのは彼だった。
 たまたまうさぎ跳びで校庭を周回していたところを確保したのだった。
 しかし、この男は暇さえあればトレーニングをしているようなもの。
 こうして無駄にトレーニングをしていたお蔭でキャッチャーが確保できたというものだ。
 小毬では、鈴や佐々美の球は受け止められないから。
「……」
 小毬は、この勝負の間は一言も喋れない。
 二人の雰囲気がとても真剣で、圧倒されていたからだ。
 二人とも頑張れー、と心の中だけでエールを送る。
 鈴は真剣な目でキャッチャーミートを睨む。
 投球モーションに入り、その力のすべてを球に乗せる。
「ふんっ!!」
 ちりんっ!
 髪飾りの鈴が大きくなった。
 ばしーんっ!!
 ひときわ大きく響く、ミットの中に球が叩きつけられた音。
「なっ!?」
「……くっ!?」
 真人は、手に感じた衝撃に顔をゆがませていた。
「い、今のは、一体何ですの!?」
「真・ライジングニャットボールだ」
 鈴はそう告げた。
「理樹、お前すげえぜ、こんな球をずっと受け続けていたのか!?」
 と、真人は小さく呟く。
「俺は、……いま伝説を見た!」
 いつのまにか、恭介も真人の側にいた。
 手にしていたスピードメーターに叩き出された数字を読む。
「一六五km/h……って、何だそりゃ!?」
 その数字に、鈴以外の一同が驚いた。
「あ、あり得ないですわ!?」
「だ、大リーグでも通用するぜ!?」
「あ、ああ」
 恭介は額に浮かんだ汗をぬぐう。
 真人は鈴に返球し、キャッチャーミートをバスっと拳で叩いた。
「よーしこい! どんな球でも受け止めてみせるぜ!」
「ん」
 鈴は短く答える。
 そして投球モーションに入った。
 ちりんっと鈴が大きく鳴った。
「ふっ!!」
「くっ!!」
 同時に、佐々美がスイングを開始。
 ぶぉん!
 ばしーんっ!!
 空振る音と、キャッチャーミートを激しく打ちつける音は同時だった。
「振り遅れ……? こ、このタイミングで!?」
 佐々美は、歯をぎりぎりっと噛みしめる。
 こんな超高速球、誰であろうと、それこそ掛け値なしのプロ野球の選手であろうと難しいだろう。
 ぶっちゃけなくてもあり得ない。
 でも、と思考を巡らせる。
 これほどの集中力は、そうは維持しないだろう。
 最初の対決がそうだった事を思い出す。
 ならば、次はチェンジアップか球速の遅いストレートか。
 佐々美はそれに賭け、バットを構え直した。
 真人からの返球を受け、鈴は投球フォームに入った。
「っ!!」
 佐々美は集中する。
 次の球は、遅い。
 遅いはずだ。
 最初の対決は、それで三球三振になった。
 今は三球勝負だから、これで打てなければ自分の負けとなる。
 そんなことはソフト部のエースで四番である誇りが許せない。
「ふっ!!」
 鈴が短く息を吐き、球を投げた。
「っいける!!」
 予想通りの球速の遅いストレートだった。
 それでも普通の女子が投げる球よりも遥かに速いが、ソフトの試合での相手の速球ほどでもない。
 そして佐々美は、一気にバットをスイングした。
 がっ!!
 しかし、僅かに芯を捕らえ損なった。
 打球は大きく左にそれ、校舎の方へと飛んでいく。
 それでもこれがソフトや野球の試合ならば、超特大のホームランだ。
「……引き分けだな。中々いい勝負だったぞ」
「あなたもね」
 鈴がそう言うと、佐々美もそれに答えた。
 ここで二人が握手でもすれば青春ドラマさながらなのだが、そうしないところがこの二人だった。
 がちゃーん!
 と、遠くで何かが割れる音。
「え?」
「ま、まさかお前の打球、校舎直撃なんてことは……」
「そ、そんな!?」
 佐々美を先頭に、その場の皆がグラウンドの端まで走り、校舎を見上げた。
 三階の教室の窓が、割れてしまっていた。
 遠目で見ても、どのクラスかは分かった。
「……」
「……」
「どーするんだ、ささみ」
 鈴が、静かにツッコミを入れていた。


「はぁっ、はぁっ、ここなら、大丈夫よね?」
 葉留佳が飛び込んだ教室で、息をつく。
 とは言っても、追い込まれていることは確実で、どうやってこの先逃げようかと考える。
「三枝、何を慌てている?」
「私たちの教室で騒がしくしないでもらえませんか?」
 慌てて飛び込んで来た葉留佳は、教室の生徒たちの注目を浴びていた。
 その中、謙吾と美魚がダブルでツッコミを入れてきた。
 因みに、扉を閉めて呼吸を整えているだけで、まだ次の行動には移っていない。
「えぇー!? はるちんまだ何もしてないのに言われたぁー!?」
 と叫んだところで、教室の前後の扉が同時に開かれた。
「げ、風紀委員!」
「追い詰めたわよ。あなた達はそのまま出入り口を封鎖。三枝葉留佳の確保は私が行くわ」
 言って、佳奈多は一歩踏み出した。
「くっ! はるちん大ピンチっ! 助けて美」
「嫌です」
 葉留佳の声を遮って、明確かつ冷たく断った。
「って、言い終わらない内に全否定ぃー!? 謙」
「嫌だ」
 葉留佳の声を遮って、明確かつ冷たくあしらった。
「って、二人とも冷たぁー!? 姉御ーっ!!」
「嫌だ面倒くさい」
 来ヶ谷は、我関せず、といった顔だった。
 他に見知った顔を探すが居ない。
「……もう逃げ道はないわ。素直に反省室にいらっしゃい。ストレルカ、準備はいい?」
 オンッ!
「って、校舎に犬コロを入れてもいいのぉ!?」
「そのための風紀の腕章よ。風紀を乱す者が居たのであれば、それを捕らえるのが私たちの仕事。……どんな手を使ってでもね」
 と、佳奈多の表情が、少しだけこわばる。
 と言うより、それはどこかいたずらっ子のような微笑みだった。
 どうも、この状況を楽しんでいるようにも見えた。
「はるちん、ここで捕まるわけには行かないのよ、ご先祖様に申し訳が立たないのでな、でわ、あでゅーっ!!」
 言って、踵を返し、窓の方へと走った。
「あの窓は!?」
 そこには、垂れ下がる一本のロープがある事を思い出した。
 リトルバスターズがリーダー棗恭介、そのご愛用の移動手段だった。
 四階から垂れ下がり、地上にまで達している。
 いい加減あんな危ない移動方法をやめろと前から言っているのだが、なぜか学校側は容認態勢。
 理不尽なロープがそこにあり、今まさに葉留佳がその窓に手を伸ばしていた。
 あれを使われてグラウンドに逃げられたら、昼休み中に捉えることは不可能になる。
 それだけは絶対に阻止しなくてはならない。
「ストレルカ!」
 佳奈多がストレルカに命令を下した。
 それと同時に、葉留佳へと駆け出す。
 葉留佳が窓の鍵に手を伸ばし、解錠する。
 窓を開けようとして、サッシに手を伸ばして視線を外へ。
「えっ!?」
 そしてその視線の先に何かを見つけた。
 がっしゃーんっ!!
 いきなり窓が粉々に砕け散り、葉留佳が後ろに吹っ飛ばされた。
「ぎゃぅっ!?」
 そのまま葉留佳の身体が床に叩きつけられ、その横で何かが跳ねた。
「なっ!?」
「……えっ?」
 謙吾が目を見張り、美魚が驚く。
 教室の皆が、その音と声に、静まり返って沈黙した。
「三枝葉留佳! 貴様ついに窓ガラスを!」
「違うわ! 外からよ! 破片がこちら側でしょ!」
 一斉に風紀委員と謙吾たちが駆け寄り、葉留佳を囲んだ。
「……うぅ……」
 葉留佳は、意識が朦朧としている様子だった。
 額には傷があり、そこから出血していた。
 外から何かが飛んで来て、窓ガラスを突き破って葉留佳の額に直撃したらしい。
 ぱっと見、ガラス片での怪我は無いようだが。
「おいっ、しっかりしろ!」
 謙吾は、葉留佳の頬をぺしぺしっとはたく。
 しかし、小さく呻くだけで反応が悪い。
「はるっ……、三枝葉留佳!?」
 来ヶ谷も駆け寄り、葉留佳の喉に指をかるく添え、焦点の定まらない目を診る。
「ふむ……大丈夫だ、落ち着くがいい。脳震盪のうしんとうを起こしているだけのようだ」
「そう、良かった」
 佳奈多は肩をなで下ろした。
 そして、手にしていた白球を佳奈多に渡す。
「外からの闖入者ちんにゅうしゃだ。取っておきたまえ」
「え、ええ。……三枝葉留佳を保健室まで運んで」
「こいつをですか?」
「怪我人に悪人も何もないわ。二度は言わないわよ」
「……分かりました」
「いや、君らの無粋な手などよりも、この私が運んでみせよう」
 言って、来ヶ谷は軽々と葉留佳を背負った。
「恩に着らなくてもいい。どうせ葉留佳君の自業自得、なのだからな」
 と言って、来ヶ谷は不敵に微笑んだ。


「ご、ごめんなさい」
「申し訳ございません」
 職員室に出頭していたのは、校舎直撃ホームランを打った佐々美と、その勝負の相手の鈴。
「……と言うか、あんなところから飛ばせるあなた達凄すぎよ……」
 と、教師は苦笑。
「まあ、今回は大目に見るけど、あんまり学校壊しちゃ駄目よ。ただでさえボロいんだから」
 と、教師は笑った。
「それに、そのホームランのお蔭で風紀の仕事が助かったって、二木さん言ってたから」
「は、はぁ……」
「そ、それは喜んでいいのでしょうか……」
 と、二人困惑するばかりだった。


「……って言うのがオチよ。まさかグラウンドからの球が葉留佳に直撃するなんてね。確率的にもあり得ないわ」
 スポーツドリンクを飲み干し、空になったペットボトルをクドに返す。
 あの後、佳奈多はストレルカを率いてこの部屋に戻ってきた。
 開口一番、クドに飲み物を要求し、手持ちのスポーツドリンクを手渡す。
 受けとるやいなや、佳奈多は一気にそれを飲み干し、今あったことを詳細に語って聞かせてくれたのだ。
「お、お疲れさまです」
「で、葉留佳さんは?」
「来ヶ谷さんの言ったとおり、ただの脳震盪よ。保健室に連れていく前に気がついて、おでこに絆創膏を張って反省室送り。今頃みっちり絞られているはずよ」
 と言って、佳奈多は微笑んだ。
「全く、無茶な妹よね」
 と言って、微笑み、腕時計で時間を確認する。
「……もうすぐ昼休みも終わりね。二人ともそろそろ教室に戻りなさい」
「うん、そうするよ」
「そうですね、では、失礼します」
 理樹とクドはそれぞれに挨拶して腰を上げ、宿直室を退出した。
 それを見送る佳奈多。
 談笑しながら歩く二人を、やはり微笑みながら、後ろから眺めていたのだった……。


4.勉強会、二日目

 野球の練習の頃には、葉留佳も全快だった。
 打球が葉留佳に直撃したことが、グラウンドにいた恭介と真人、小毬と鈴には驚きの真実として語られた。
「ま、まさかそんな事態になっていたとは……。これは素直に驚きだぜ」
 と、恭介は苦笑する。
 最近は、彼の想定する以上のことが起こりすぎていた。
 でもそれも大いに楽しめる状況だと、彼はそう思うのだろう。
「さて、今日も日が暮れるまで練習だ。理樹、しまっていくぞと声をかけろ!」
「うん、……しまっていくぞ!」
 ちりんっ。
「おーなのです!」
「おぉーっ!」
「ふっ」
「よしきた!」
「任せろ」
「三枝さんは見学の方がいいですね。一応、けが人ですから」
「まあ、みおちんが言うのなら」
 それぞれの返事が返り、皆めいめい好きなポジションへと散った。
 鈴の投げる球を理樹が打ち、散ったメンバーが捕球する。
 そんな練習は、暗くなってボールが見えなくなるまで続けられた。

 そして五時半。
 食堂では、数人の生徒がジュースを飲んだり、簡単な物を食べたりして談笑していた。
 そんな中、リトルバスターズの面々は食堂の、いつもの席に集合していた。
「さて、班分けなんだが、昨日のままでもいいだろう。また分けるのも面倒だしな」
 と、恭介は宣言した。
「ちょっと待て恭介。……オレは嫌だぜ」
「あたしも馬鹿とはヤだ」
 真人と鈴が同時に抗議する。
「それに、この馬鹿があたしの部屋に来るのは、問題だ」
「ええ、問題よね。男子が女子寮に入るのは」
 佳奈多が二人の援護に回る。
 というか、いつのまにか来ていた。
「馬鹿馬鹿言うんじゃねぇ」
「ま、それもそうだな。そうなると、真人は自分の部屋となるな。そうなると、理樹の部屋で六人は、さすがに狭いな」
「家庭科部室を使えばどうでしょうか?」
 発言したのは、クドだった。
「問題ないわ。門限までに部屋に戻れるようにしてもらえればね」
 と、そう答えが返ってきた。
「わかりました! では早速行くのです!」
 と言って立ち上がるクド。
「待ちたまえ」
 来ヶ谷が止めた。
「今の班分けで問題が発生している。……鈴くんと真人少年は、共に同じ班ではいたくないそうだ。少年、これを解決するがいい」
 そう言って、理樹の肩をポンッと叩いた。
「えー」
 理樹は、困った風な声を上げる。
 来ヶ谷は、恭介と同じく無理難題を仕向けてくる。
 それに困っている理樹を、楽しんで傍観するというのが、彼女の今の趣味の一つだ。
 はた迷惑この上ない。
「じゃあ……」
 理樹は考え抜いたあげく、次の案を啓示した。
 理樹とクドと来ヶ谷、この班に変更はない、というより来ヶ谷がそうさせた。
 真人と葉留佳と美魚。
 謙吾と鈴と小毬。
 結果的に真人と謙吾を入れ代えただけとなった。
 佳奈多は、その内の何処かに入ってもらう。
 彼女は気まぐれでバスターズの勉強会に付き合っているだけなので、別に囚われることはない。
 そして場所は、理樹の班はクドが提案した家庭科部室、真人班は理樹の部屋、謙吾班は謙吾の部屋となった。
 食事は19:30と少し遅めにし、ここで皆と一緒にご飯を食べて解散、とした。


 家庭科部室。
 三人は、部屋の中央にある円形のちゃぶ台に教科書を開いていた。
「く、来ヶ谷さん……?」
「なんだね?」
 珍しく教科書を開いていた来ヶ谷だが、その教科書には一つ違和感があった。
「あのー、上杉謙信は、そんなお髭はありませんでしたよね?」
 クドも、同じページを開いて見比べる。
「ああ、今日の授業がつまらんから落書きをしたまでのことだ」
「……」
 もはや何も言うまい。
「あはは……はは」
 クドは苦笑した。
 上杉謙信を紹介している絵には、髭以外にも眼鏡やらセリフやらがいろいろと書き込まれていた。
 しかも、最初から描かれてたように見えるように、無駄に画力を発揮させて。
 知らない人が見れば、本当にこの髭はあるのだろうと、見間違うこと請け合いだった。
 まるでやっていることが小学生だ、と理樹は微笑ましく思っていたら、
「ということで、返したぞ、少年」
 と言いながら、来ヶ谷はそれを理樹に手渡ししてきたのだ。
「ええ?」
 理樹は、それが誰のものかを確かめるため、裏表紙を見る。
『直枝理樹』
 自分の知っている字体で、自分の名前が確かにそこにあった。
「く、来ヶ谷さん、落書きするならせめて自分の教科書で」
「嫌だ汚れるし消すの面倒だ」
 言い終わる前に、さらりときっぱり利己的な理由を言われてしまった。
「と言うか、僕の持っているこれは誰の?」
『能美クドリャフカ』
「あ、あれ?」
「わ、わふーっ! いつのまにか入れ替わっているのですー!?」
 因みに、クドが持っていたものには、来ヶ谷の名前が書かれていた。
「なに、今日の歴史の前に、ちょっと入れ代えてみただけのことさ」
「いや、僕のだけならともか」
「俺のクドにイタズラをしていいのは俺だけだしばくぞコラ、と言いたげだな?」
「いやいやいや……」
 もはや、何も突っ込まない。
 明らかな誘いに乗らないよう、理樹は気持ちを何とか落ち着かせるのだった。
 教科書を交換しあい、気を取り直して歴史の勉強を始めた。
 クドは、何故か日本の歴史には妙に詳しい。
 それとなく理樹は聞いてみる。
「はい、日本史は大好きです! お爺さまが、大の日本びいきでしたので、その影響でしょうか。……通信教育の教材も、わざわざ日本から取り寄せたものだったのですよ。ビデオを見て習熟度テストをして、単位を取るものでした。……日本史とか物理とか数学とかは、単位を次々と取っていくのがとっても楽しくてしょうがなかったのです。……気がついたら取りすぎてしまっていました」
 と言って、屈託無く笑う。
「それで、どうなったの?」
「はい、取りすぎてしまったために、一学年飛んでしまったみたいです」
「……はい?」
「……なに?」
 理樹と来ヶ谷は、二人同時にクドに詰め寄った。
「もう一度聞いてもいい?」
「さっきはどうしたと言った? 単位を取りすぎて、どうなったのだ?」
 二人の顔が、妙に怖い。
「で、ですから一学年飛んでしまいました……?」
 なぜ疑問系?
 と言うより、ツッコミどころはそこではない。
「飛び級!?」
「……こ、これは……」
 理樹は声に出して驚き、来ヶ谷も普段は見せない狼狽振りだった。
「つまり、クドは年下って事?」
「そうなりますね、あ、理樹が早生まれでしたら、同い年ですよ?」
 つまり、クドは飛び級レベルの天才であるということだった。
 ……英語は散々だけど。


「…………」
「…………」
 二人してにらみ合う。
 ここは、真人(と理樹)の部屋。
 メンバーを入れ代えたのはいいが、しかし相手は葉留佳と美魚。
 美魚は一人で教科書を開き、コツコツとシャープペンシルを走らせていた。
「……なあ三枝」
「なんですかナ、真人君」
 お互い、真っ白なノートを広げて。
「……これは一体、どうすればいいんだ?」
「やはは」
 項垂れる真人に、苦笑する葉留佳。
「今から復習するしかありません」
 きーっと椅子を鳴かせながら、美魚が二人に振り返る。
「メンバーがメンバーですので、私が教えるしかないでしょう。……二人ともどこか解らない事があったら尋ねてください」
「いや、……解らないところが解らねぇ」
「やはは、はるちんも」
「……おまんらゲロ犬、あちし美魚っち」
 キッと二人をにらみ、いつかのギャグを呟く美魚だった。
「……うおおおおっ、いきなりゲロ犬扱いだぁーーーっ!!」
「うわああ、みおちんが怖いぃ!?」
「……冗談です。では教科書の最初から始めてみましょう。……何でしたら一年にまで遡ってみるのもいいかもしれません」
 言いながら、教科書の最初のページを開く。
 美魚にとっては、しごく簡単な数式が並ぶ。
「分かった。最初からだな」
「やはは……」
 二人も数学の教科書を開いた。

「……ですので、解はこうなります」
「へぇー、そうなんだ。みおちんあったまいいー!」
 と、葉留佳の感想。
「こんなことも解らないようでは、最悪二年生をもう一度やり直しですよ?」
 美魚は、ため息を交えながら話す。
「わぁーってるよ、んなことぐらい」
 真人がいいながら、頬杖を突く。
 こんこんっ、と扉がノックされた。
「開いてるよー」
 真人は、ぶっきらぼうに扉の外に声をかけた。
「お邪魔するわ」
 いいながら入ってきたのは、予想通り佳奈多だった。
「おう、いらっしゃい」
「今日は数学ね? ……何、最初から?」
 と、佳奈多は呆れ声だった。
「二人とも、ほとんど何も分かっていないようですので」
「……分かったわ。私が葉留佳を見るから、西園さん、あなたはそっちの大男をお願い」
「って、オレは名前なしかよ! ……ショックだぜ!」
 といいながら項垂れた。
「はぁ……西園さんは、井ノ原君をお願いね」
 ため息をついて、言い直した。
「おうっ! よろしくな、西園!」
 いきなり元気だった。
「……はい」
 それから数分後。
「だからここはこうなってこうでしょ? ……ちがうちがう、こう!」
「うう……」
 佳奈多は相変わらず妹にべったり。
 彼女の、もう一つの顔。
 ―――今まで冷たくしてきてしまった分、しっかりと見てあげたい。さすがに校内ではあまり見せたくない姿だが、理解のある人の前なら自分をさらけ出してもいい。ここ、リトルバスターズの中ならば、いい具合に隠れ蓑となる―――
 佳奈多は、そう考えていた。
 今回の勉強会に自ら進んで参加したのは、そう言う考えからだった。
 一方で、こう考えている。
 別に、葉留佳と自分が双子の姉妹である事実が知れ渡り、風紀委員長としての立場が危うくなろうが、もうどうだって良い。
 これは、二木の家が『良い思い』をするためだけに成り上がっただけのこと。
 今は、二木の家とは縁を切っている。
 まだいろいろと問題はあるが、それも解決の方向に進んでいる。
 妹のためなら、風紀委員長の肩書きなんていらない。
 ただ、葉留佳の暴走を食い止めるには、まだ捨てられないけど。
 この子は、私が見ていないと際限なく暴走するのだから―――
 そんなことを思いつつ、問題を解き終えて破顔する妹の頭をぐしゃぐしゃっと撫でてあげたのだった。


 謙吾の部屋。
「ここはですね、……こうなるんだよ」
「うん、分かった」
 鈴は、小毬に教わりながら、英語の問題を解いている。
 謙吾は、黙々と科目をこなしていた。
「神北、ここはどうなるんだ?」
「えっとですね」
 地理のデータブックを指さしながら、小毬は答える。
「アフガンの紛争のお蔭で、世界的な原油高の流れは…………」
 小毬は、謙吾に説明し出す。
「成る程。……やはり神北の説明の方が分かりやすいな」
「あの先生は、無駄な話が多すぎる。かといって肝心な話は少なすぎる」
 と、鈴が先生について語った。
 小毬は苦笑する。
「駄目だよ鈴ちゃん、そんなことを言っちゃー、先生だって真剣なんだからね」
「うーむ……」
 何故か納得できない鈴だった。
 謙吾には不得意科目は無いし、鈴の数学が苦手というのも、それほど問題にならない程度だった。
 勿論、小毬の国語もまた。
「さーちゃんは何でも出来るんだけどねー」
 と、友達を自慢する。
「さーちゃんって、誰だ?」
「ほら、笹瀬」
「ささみかっ!」
 小毬が途中まで名前を言うと、鈴は気がついたようだった。
 と言うよりも、今日の三球対決で小毬がそう呼んでいたはずだが、覚えていないのだろうか。
 覚えていないのだろう。
「うーみゅ。……ふふぉんい(不本意)ながら、あいつも仲間に入れたらどうだろうか」
「さーちゃん?」
 ちりん。
 と言ったら、謙吾が露骨に顔を顰めさせた。
「……悪いが、それはやめてくれ」
「あー、謙吾にとっては、あいつは災難だからな、やっぱやめよう」
「さーちゃん、災難扱い?」
 小毬は、目を見開いて驚いていたのだった。


 19:30。
 予定を終了させ、一同は食堂へ集合した。
「さて、今日の成果はどうだった?」
 謙吾がまず名乗りを上げた。
「俺の所は順調だったな。何も言うようなことはない」
「そうか。真人は?」
「あ、ああ……、頭が割れそうだぜ」
 と言って、テーブルに突っ伏した。
「やだなあ真人君、こんなところで寝ちゃうと風引きますヨ?」
「いえ、あなたに振り回されてお疲れなのではないかと」
 葉留佳のボケに、美魚がツッコミを入れる。
「今回は大人しくしていましたですヨ?」
 葉留佳は、額の絆創膏を指で撫でながら、そう話す。
「怪我をした時ぐらいは大人しくしなさいって、お姉ちゃんが言うからネ」
 と言って、柔らかく微笑む。
「理樹は?」
「う、うん」
 妙に歯切れの悪い返事だった。
「……何かあったのか?」
「別にあったというわけじゃないんだけど……」
「うむ。正直おねーさんびっくり仰天したよ」
 と、来ヶ谷はもったいぶるように微笑んで答えていた。
「なあ、教えろよ、何があったんだ、ん?」
 恭介は興味津々で理樹を突っつきながら聞いていた。
「う、うん。実はね……」
「クドリャフカ君は一年飛び級をしている」
 一同、しーんっとなってしまった。
「ちょっと待て来ヶ谷。……もう一度言ってみせてくれ」
「うむ。……クドリャフカ君は一年浪人している」
「さっきと言ってることが違うじゃねえか! って、飛び級だとおおおおっ!! くそうっ、じぇらしいいいいいっ!!」
「いやいやいや、真人がジェラシー持つなんて意味解らないから」
「正直、驚きです」
「ふぇえええっ!? クーちゃん、年下なの?」
「なにぃーーっ!! クド公もしかして見かけ通り小学生!?」
「っ!?」
「……(ぱくぱく)」
「……」
 美魚と小毬は正直な反応。
 葉留佳は不謹慎な言葉を盛らし、鈴は体をぴくつかせて驚きを表現。
 恭介は口をパクパクさせ、謙吾は黙して何も語れなかった。
「私は知っていたけどね」
 その事実は、どうやら佳奈多だけが知っていたようだった。
「ダメダメわんこ返上!? きーっ!! そんな、……こうしてやるぅーーっ!!」
「わぁーーーっ、なんでまわされますかぁーっ!?」
 葉留佳はクドを後ろから羽交い締めにし、自分を中心にぐるんぐるんとまわりだした。
 そして五回転半後。
「……うぇ、気持ち悪ぅ!?」
 いつかのホットケーキパーティーの再現よろしく、自滅していたのだった。

 一同はそれで解散となり、めいめい各自の部屋へと戻っていった。
「リキ、今日もありがとうございます」
「うん、クドもお疲れさん」
「はい。では、すぱーこいない・のーちー、おやすみなさいなのですー」
「うん、おやすみ」
 男子寮と女子寮との分かれ道で、二人そうやって挨拶を交わした。
 クドはその場でじっとしていた。
 理樹が振り返ると、手を振って答える。
 それに理樹は手を振りかえしながら、男子寮の入り口をくぐっていったのだった。
 クドは、挙げていた手をゆっくりと下ろす。
 ちょっとだけ火照った頬に、晩秋の風が吹き抜ける。
「わふっ」
 とっても冷たかった。
「クドリャフカー、早く部屋に戻りなさい」
「あ、はい、佳奈多さん」
 呼ばれ、慌てて戻っていくクドだった。



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