いつでも人通り多く活気のあるネモと比べると、カルル村は随分と静かな印象を受けます。
ですが静かなのが悪いわけではなく、むしろ村全体を包む朴訥とした雰囲気に合っているのではないでしょうか。

宿屋『塔の下亭』は、名の通り村の中心に聳え立つ高い塔の下方にある建物です。
塔の形と位置関係を説明するのは難しいのですが、根元に作られたいくつかの土台の上に建てられているのが宿屋。
そこから頂上に続く長い長い螺旋階段の先に、タワーガーディアンと呼ばれる場所があります。
私はあまり登ったことがないですが……ライナーは何故か連れて行きたがらず、その理由は未だ判明していません。
……しかし、あそこは往復するだけで物凄い体力を必要としますね。全く息を切らさないライナーもライナーですが。

オリカさんが居を構えているのは、その『塔の下亭』。
現在はオルゴール屋を経営していて、付近ではそれなりに名の知れた繁盛ぶりだそうです。

「あ、いらっしゃいませー……ってライナー!? それにシュレリア様!?」
「お久しぶりです、オリカさん」
「久しぶり」

相変わらず、オリカさんは元気そうな姿でした。
でも……どうしてライナーの名前が先に出るのでしょう。
あ、いえ、他意はないというのはちゃんとわかってるのですが。

「わー! 二人ともよく来たねー。前に会ったのは……いつだったっけ?」
「およそ六十四日前ですね」
「よく覚えてますねシュレリア様……。まあようこそようこそ、座ってくつろいでください」
「ご好意に預かりますね。そうそう、今日はクレアさんに会ってきたんですよ」
「お姉ちゃんに?」
「はい。それで、頼まれていた物を、と。こちらです」
「わ、ありがとうございます。今すぐじゃないけど、これ必要だったんですよ」
「オリカ、それ、中身は一体何なんだ?」
「スクワートメタル。オルゴールの材料なの。最近忙しくてスクワート村まで取りに行けなくて……」

袋の中に入っていたのは、光に鈍く煌めく深い青色の鉱石。
なるほど、クレアさんに頼んでいたのは材料の補給だったのですね。
『おつかい』の内容を理解すると共に、また新たな疑問が浮かび、私はそれを口にしてみました。

「忙しかった、とは……そんなに大変だったんですか?」
「あー、ううん、忙しいっていうか、注文がいっぱい来て。ひたすら作ってる間に材料なくなっちゃいそうだったんです」
「大繁盛じゃないか」
「うん。それはすっごく嬉しいんだ。みんなが私の曲を聴いて、買ってくれる。それって凄いよね」

そう言うオリカさんの表情は、とても満たされていて。
彼女の日々が如何に素晴らしいものかを、何より雄弁に物語っているようでした。

「そうだ、二人に渡したいものがあるんだけど」

言葉の途中から振り返り、カウンターでしゃがみ込みごそごそと棚を探るオリカさん。
ああ、そ、そんな姿勢で無防備な……はっ!? ライナー、見ちゃ駄目!

「ぎゃっ! いきなり何するんですかシュレリア様、前、前見えません!」
「いいから黙ってそのまま! 絶対目開けちゃ駄目だから!」
「えーっと……ここだったかな? あれ、確かこの辺りに……」

ほとんど叩くくらいの勢いで私はライナーの視界をシャットアウト。
一喝してその口にチャックをさせます。
オリカさんはまだごそごそと。中腰のために、何と言いますか、その……し、下着がちらっと。
これをライナーに見せてしまったら、私は最大級の詩魔法を行使しない自信がありません。
躊躇いなくアルトネリコの火力を全てこの場所に注ぎ込むでしょう。おそらく周囲の建造物が根こそぎ破壊されます。

「あったっ」

何かを発見したオリカさんが立ち上がるのと同時、ライナーの両目を覆っていた手のひらを離しました。
数瞬の間に起こったことを理解できず、怪訝な顔をするライナー。いえ、それでいいのですが。
しかし、自分の無防備さに少しも気づいていないオリカさんもオリカさんですね。
……そういえば、バスタオル一枚で外を歩かされたこともあるとか。
その辺りの話―――― 今度ライナーに詳しく聞かないといけません。詳しく。

「はい、二人にプレゼント」
「え、あ、はい」

反射的に受け取った物は、銀色で冷たく固い手触りをしていました。
一見すると、直方体の箱です。右側には穴に刺さった発条。上蓋を開くと、シリンダーに並んだ突起、それを弾く櫛。
言うまでもなく、それはオルゴール。私は発条を巻き、音色に耳を傾けてみます。

「…………優しい、音」

ひとつひとつが滑らかで、まるで甘い菓子のような雫が連なり、波紋に、そして流れる水となり曲を紡いでいきます。
作り手の気持ちが直に伝わってくる、そんな心地良い音。

「……ありがとうございます。大切にしますね」
「うん。そうしてくれると嬉しいです。ライナー、どうだった?」
「綺麗だ、って思った。あー、俺これくらいしか言葉出てこないけど……」
「それで十分。私、これからも頑張るね」
「応援してますよ。私も、ライナーも」

笑顔を浮かべるオリカさんにそんな言葉を掛けながら、私は遠い過去を思い出していました。
もう、長らく訪れていない場所。……遠い、記憶の中にある小さな部屋のことを。










だんだんと、日を追う毎にその気持ちは強くなっていきました。
夜、オリカさんから渡されたオルゴールを聴くのですが、どうしても目を閉じると別の情景が浮かんできてしまいます。
優しい声。頭を撫でてくれた大きな手のぬくもり。今はもうどこにもいない、大好きだった人の姿。

蓋を閉じ、私は机の引き出しからあるものを取り出します。
それはシンプルなデザインの、ペンダント。ただの飾りではありません。
小さな本体部分には同じく小さな蓋が付いていて、中に収められているのはオルゴールです。
開くことで自動再生する、小型のオルゴールが奏でる曲は、遙か昔、たった一人の人物のために作られたもの。

「…………おとう、さん」

名を呼びました。二度と会えない、人の名を。
血こそ繋がっていませんでしたが、でも、私にとっては本当に、心から父と慕える人間で。

ライナーには、私の過去をほとんど話してません。
ミュールと彼女を取り巻く環境、第二紀に関しては少し語ったのですが。
……それよりもさらに前、私が生まれた頃、第一紀のことは、きっと何も、全く知らないでしょう。

私だけが覚えています。
私だけが、あの時の名残を、あの時との違いを感じられるのです。

「……行きましょう。ライナーを連れて」

いい、機会ですね。
またひとつ、隠し事や過ちをつまびらかにし、私自身を見せるには。

そうと決まれば善は急げ。
次の休み、お出かけの予定を伝えるため、私はライナーの部屋に向かいました。










「シュレリア様、どこに行くつもりなんですか?」
「内緒。到着するまでは言わない」

適当に会話をしながら、私達は塔内を移動していきます。
武装は十分。ちょこちょこと現れる獣やウイルスをライナーの剣と私の詩魔法で退け、休憩を挟み目指すは中枢です。
第三紀に入って、おそらくそこは誰も踏み入れたことのない領域。
警備レベルは最重要区域であるプラズマベルとほぼ同じですが、大丈夫でしょう。

この辺りになると、第一紀では許可なしには入れない場所です。
重要な設備がいくつも並び、触れることすら躊躇われるようなものも数多くある空間。
初めて見る光景ばかりなのか、感嘆と疑問の入り混じった表情をするライナーを従えて、私はある扉の前で足を止めました。

「ここは…………」

ユーテリアと金属で構成された塔内に於いて、目の前のそれはあらゆる意味で浮いています。
古びた、けれど未だ朽ちていない木造の外壁が形作る部屋は、私の記憶より幾分色褪せて見える様相。
それでも、長い時間を経ても部屋自体が保たれていることに、私は安心しました。

少しだけ躊躇い、扉に手を掛けます。
軋む音が響き、徐々に露になる室内の光景。
そして同時に聞こえてくるのは、

「…………オルゴール?」

ライナーの言葉通り、流れる音の連なり、音色の正体は、部屋の最奥に置かれたディスク型のオルゴールです。
周囲を取り囲む無数の歯車とシャフトはひっきりなしに稼動し、円盤を回し続けます。
回るディスクには細かな突起が付けられ、棒状に固定された櫛の歯を弾き、ひとつの曲を奏でていました。

「……これは、原初のオルゴールというもの。塔が出来る前、唄石の存在を発見した当時『音科学の父』と呼ばれた人物が、 娘に誕生日のプレゼントとして製作したオルゴール。ある意味では、このアルトネリコが作られる発端となったものなの」
「また壮大な話ですね……。でも、シュレリア様はどうしてここに来ようと思ったんですか?」
「私は……作られた存在。だから、父も母もいない。でも、私には『おとうさん』と慕う人がいたの」
「おとうさん、ですか」
「レアードとは全然違う性格だけどね。私にシュレリアの名を与え、実の娘のように可愛がってくれた……」

エレノ。音科学の父の子孫にして、アルトネリコ開発者の一人。
当時、管理者になるため行われていた神経節接続は、激しい痛みを伴うものでした。
ですが、一人では辛かったそれも、おとうさんがいると頑張れました。気持ちが楽になれました。

……私は、知っています。
シュレリアという名は、塔のセキュリティーミスで亡くなったおとうさんの本当の子と同じであることを。
そして、私はその亡き娘に瓜二つであったということを。

おとうさんにとって、私は娘の代わりだったのかもしれません。
でも、例えそうだったとしても、惜しげなく与えてくれた愛情は嘘じゃないから。
胸を張って、愛されたと、愛してくれたと言えるのです。
血は繋がってなくとも。私が人とは違う、レーヴァテイルであっても。確かに、エレノは私のおとうさんなのですから。

「ここにはね、おとうさんとの思い出が詰まってるの。一緒の時間を過ごした、かけがえのない場所……」
「……シュレリア様」
「ライナーには言いたかった。知ってほしかった。私の過去を。私の、ことを」

娘を想う父が奏でた音色。
この曲を耳にする度、私はおとうさんのことを脳裏に浮かべるでしょう。
幸せな記憶を。苦しさも、身を締めつける辛さも和らげてくれた、あの優しさを。

「……ライナー」
「何ですか?」
「今日はここに泊まろう?」
「え? いいですけど……狭くありません?」
「……い、一緒にくっついて眠れば」
「………………えーっと」
「お願い。今日は、ライナーのそばにいさせて」
「…………はい。わかりました」
「あ、あと」
「こ……今度は何です?」
「その時は、頭を撫でてくれると嬉しいな」

誰も、誰かの代わりになんてなれません。
だから私は―――― ありのままでいたいと、そう思うのです。


私の髪を梳き、撫でる優しい手は、おとうさんよりも固く、強く、でもやっぱりあたたかいものでした。



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