俺にとって、シュレリア様はどんな人か、と訊かれれば、こう答えます。 強くて、格好良くて、しっかりしてて、尊敬すべき上司だと。 そして同じくらい、か弱くて、我慢ばかりしてて、たくさんのものを背負っている、可愛い女の子だと。 正直、そんなシュレリア様と一緒に暮らすっていうのは、何かと大変なことで。 時々物凄い無防備だし、挙動不審になったりするし、未だにわからない部分の方が多かったりするんですよ。 じゃあ、いったい俺がどういう風にシュレリア様と過ごしているかというと―――― 。 よっぽどのことがない限り、シュレリア様は俺より早く起きます。 そしたら台所からフライパンやらおたまやら鍋やらを適当に選び出して、俺の部屋に。 調理器具を何に使うのか、って疑問はすぐわかります。要するに、がんがん叩いて鳴らすんですよ。 もう、すぐ目覚めますね。あの音を聞きながら二度寝する自信は俺にはありません。 俺をある意味文字通り叩き起こした後は、朝食の準備です。 時間差で来る眠気が俺の瞼を必死に落とそうとするんですが、この時点で完全に覚醒します。 ふんわりと漂ってくるいい匂い。とんとんとん、と包丁が何かを刻む心地良い音色。 前に二週間ほどネモまで行ってきてから、何故かシュレリア様はほとんどできなかった料理を覚えて帰ってきました。 俺が色々と訊いても「教えない」の一点張りで、未だに向こうで何があったのかは知りませんが。 あれから着々とレシピを増やし、今ではすっかり料理上手な女の子になってます。 ちょっと急いで食べて「ライナー、食事の場は行儀良く」と怒られたりして、皿を片してからは日によって予定が違います。 大抵は巡回なんですが、これも毎日というわけではなくて。 空いた日やシュレリア様が休暇を申請した時は、一日中家にいるか外に出かけるかのどちらか。 たまに遠出をすることになると、距離と目的地によってはグングニルを使います。それ以外は徒歩。 今日は昼過ぎまで巡回でした。 勿論私服で行くはずもなく、きちんと装備をしてから出動です。 俺はほとんどシュレリア様付きの騎士扱いで、九割九分二人セット。 親父もその辺はノータッチというか認めているというか諦めているというか、とにかくあまり干渉してきません。 可哀想なものに向けるような視線を感じる時があるんですが、気のせいでしょうか。 普通、エレミアの騎士はレーヴァテイルと合わせて最低四人、場合によってはそれ以上の人数で動きますが、 俺とシュレリア様に関しては、それは当てはまりません。二人で十分なので。 敵が現れたら即排除。シュレリア様の詩声が聞こえるのと同時、俺は剣を片手に敵を足止めするのが役目です。 向こうの攻撃をいなし、可能なら斬り捨て、詠唱が終わったらバックステップ。 シュレリア様の詩魔法は威力が桁違いで、大概敵は一撃です。俺の出番がない時もあります。 使徒の祭壇までのルートを見回り、安全が確認できたら帰還。巡回は終了。 総帥である親父に報告をし、二人で家に戻ります。 その際、シュレリア様の要請でデパートメントまで買い物に行くこともあって、必ず俺は荷物持ち。男の仕事ですし。 昼食の中身は買い物や冷蔵庫内事情で変わりますが、これも家で食べることが大半。 シュレリア様の作るものはどれもおいしくて、あまり近頃は外で食事をしてません。 何というか、俺って実は物凄い果報者じゃないかと思うんだけどどうなんでしょう。 夕方まではお互い自由行動なことが多いです。 俺は家でごろごろしたり、溜まってるものがあれば済ませたり放置したり。 毎日とは言いませんけどシュレリア様と一緒に掃除もしますね。家の中ってすぐ埃とか積もるんですよ。 まぁ、その場じゃ俺ができることはあまりないんですが。 よく「ライナーは重いものをどかす係ね。あ、それに触らないで」みたいな風に言われます。正直ちょっとヘコみます。 シュレリア様はその時間、台所で料理の研究をしたり、部屋で本を読んでたりするかと。 あとは俺の部屋に来て話し込むこともありますが、どっちかというとそれは夜です。 日によっては散歩くらいしますね。家に篭もってるのも不健康ですし。 だいたいはアプサラニカ広場までですけど、ふらっと塔内に入ることも。 エレミアの騎士も隔壁は通れないんですが、シュレリア様は普段開かないゲートも難なく開けるので。 徒歩で滞空岸壁や段々畑まで降りられるのは、世界広しと言えども俺達だけでしょうね。 ……もっとも、あそこは本来飛空挺で行く場所で、塔内を抜けられるとしても歩いて行く人は俺達の他にいないと思いますけど。 陽が沈んでくる頃になると、シュレリア様が夕食の用意を始めます。 俺は寝てるかグラスメルクをしているかで、恥ずかしながら匂いに釣られて一度リビングに顔を出します。 もともと自分で適当に作ったものを店に売ってたんですが、最近はちょこちょこ外注も入るようになりまして。 エレミアの騎士が本業なら、メルクとしての仕事は副業くらいになってるのかもしれません。 実際、場合によってはそっちの方が遙かに……その、お金が手に入るんですよ。品のない話で申し訳ないですけど。 まあそれに、難しいレシピを完成させた時の達成感はひとしおですからね。 調理に関して俺が手伝えることはまずないです。 なので残っていれば仕事を終わらせ、シュレリア様の呼ぶ声で夕食を摂ります。 朝や昼より少しおかずが多いというか、要するに豪華で、自然と箸もよく動きます。 向かい合って食べる料理はおいしいですし、程々な会話も楽しいですね。 シュレリア様が出す話題はほとんどがウイルス関連と明日のご飯のことで、他にはお出かけの予定とか。 すっかりこの生活にも慣れて、ついシュレリア様が上司で塔の管理者だってことも忘れがちです。 いえ、だからってこう、馴れ馴れしく話すのにはまだ抵抗あるんですが。 夕食の片づけを終えたら、シュレリア様にグラスメルクを教えてます。 本当は俺もあんまり教えられるようなものじゃないんですけど、どうもシュレリア様は俺がコーチじゃないと嫌らしくて。 でも、シュレリア様の覚えはかなり早く、だんだん俺が駄目出しされるようになってきて、そろそろ立場が逆転する気も。 夜も更けて、絶対忘れないように、と厳命されている日誌を書いて閉じると、こんこん、と控えめなノックが聞こえてきます。 時間帯はまちまちですが、おおよそ日誌を書き終えた頃で、大丈夫ですよ、と声を掛けるとドアが開きます。 言うまでもなく、訪問者はシュレリア様。パジャマ姿でよく髪を束ねてますね。 ここで本当に色々なことを話します。過去のこと、現在のこと、未来のこと。 まだ、シュレリア様は自分の全てを語ってはくれません。 それはきっと、話したくないからでもあるし、今は話す必要がないと判断してるからでもあるんでしょう。 ―――― いつか、俺が何もかもを聞いて、シュレリア様の荷物を軽くできたらいいと思います。 お互い眠くなったので、今日はお開きにしましょう、とシュレリア様が立ち上がり。 俺の部屋から出ようとした時、それは起こりました。 「ライナー、おやすみ」 「はい、おやすみなさいシュレリア様―――― あ」 「ひゃっ!」 ほら、ドアの下の部分に、僅かな段差があるじゃないですか。段差とも言えないような段差ですけど。 そこに爪先を引っ掛けて、浮いた足が宙を掻いて、俺が手を伸ばす間もなく、痛そうな音が。 実に綺麗に、鮮やかに、顔面から落ちる見本的な転び方でした。 「うぅ……」 「あ、あのー……シュレリア様? 大丈夫ですか?」 「ひはひへふ…………」 鼻を押さえて涙目で訴えるシュレリア様は、不謹慎ながら可愛いんですが、そんなことを言ったら殴られます。 その日は部屋まで付き添いましたが、それで痛みが消えるわけもなく。 翌日の朝、シュレリア様の鼻が赤かったのはなるべく見ないふりをしました。 三、四日に一回は何でもないところで転んだりするので、全く危なっかしいんですよ。 戦闘中も詩魔法の発動時に後ろで足を滑らせてたりして、一度言ったら凄い怒られて以来これも見なかったことにしてますが。 だいたい、俺とシュレリア様の一日はこんなものです。 大変ですけど何だかんだ言ってもやっぱり楽しいし、できればずっとこのままでいたいと、そう思ってます。 「……これで終わり、っと」 「あれ、ライナー、何書いてるの?」 「え? わっ、シュレリア様!?」 「ライナーが文章を書くなんて珍しいね。よければ私に見せてくれる?」 「あ、いえ、そのですね、ちょっとこれは……」 「…………ライナー、見せなさい。上司命令」 「あっ……!」 「………………何これ?」 「えーと、これは、あの、深い深ーい訳がありまして」 「………………」 「お、親父がですね、何かとシュレリア様とはどうしてるかって訊くものだから」 「訊くものだから?」 「俺は渋ったんですけど、どうしてもって聞かなくて、でも言うのは恥ずかしいからって言ったら手紙にでもしたためろと」 「………………ライナー」 「は、はい」 「ちょっとレアードのところに行ってきます。この手紙は預かっておきますね」 その後、たっぷり時間を掛けて帰ってきたシュレリア様は、何故か妙に嬉しそうな顔をしてました。 怖くて何があったか訊ねられません。手紙も戻ってきませんでした。親父も、 「ライナー、父から言えることはひとつだけだ。……頑張れ」 ―――― どう頑張ればいいんだろう。 back|index|next |