生物というのは基本的に経年劣化していくものです。 しかし、それが私には当てはまりません。塔と一体化しているこの身体が衰えると管理に支障が出ますから。 なので当然、視力も人並みにはあります。 ライナー達と比べれば低いでしょうが、それでも日常生活に困らない程度には。 ……というより、ライナーは異常です。騎士として必要なスキルだとしても。あと変なところで目聡い。 それはともかく、そう、視力の話ですが。 ライナーのグラスメルクを横で見物している時のことでした。 「あの……ライナー。ひとつ訊きたいことがあるんだけど」 「どうしました?」 「ライナー、目は悪くないよね?」 「はい」 「じゃあ、どうして眼鏡なんて掛けてるの?」 ピンセットとドライバーを片手ずつに持つライナーは、何故か眼鏡を身に着けていたのです。 これが不思議と似合うもので、勉学がてんで駄目なライナーでも知的に見えます。 あ、その表情はちょっと可愛いかも……じゃなくて。 疑問なのは、視力の悪くないライナーが何故眼鏡を必要としているか、です。 答え次第では少々怒らなければいけません。例えば、だ、誰か知らない女性にプレゼントされたとかで。 ……そんな理由だったら本当に怒ります。ELMAちゃんに噛んでもらいます。 「えっと、ですね。ちょっとこれを見てください」 「随分ちっちゃい部品をいじってるね……」 「裸眼だとあんまりよく見えないんですよ。失敗するとまた新しく作り直さなきゃいけなくなるので」 「だから?」 「細かい作業をする時は、眼鏡を着けてやるんです。最初は慣れなかったですけど」 「そうなの?」 「シュレリア様もちょっと着けてみます? はい、どうぞ」 「う、うん……わっ、なに? 視界が歪んでぼやけて……」 手渡された眼鏡越しの世界は景色全体を薄く引き伸ばしたように霞んでいました。 ずっと掛けていると目が痛くなります。瞳を閉じながら外し、ライナーに返して私は納得しました。 なるほど、そういうことだったんですね。ならよかったです。 私から受け取った眼鏡を掛け直し、ライナーは作業をまた始めました。 指先が慎重に動き、何かを形作っていきます。 「私もここまでできるようになるでしょうか……」 「シュレリア様ならきっとすぐですよ」 律儀に答えてくれるライナー。 そうだといいな、と私は思います。 しかし……その時は、やはり私も眼鏡が必要になるのでしょうか。 「ないよりはあった方が作業が楽になるんですけど。……あ、じゃあこれ終わったら買いに行きません?」 「え?」 「デパートメントになら売ってるはずですし。シュレリア様に合うのを見繕ってきましょう」 そうして、いつの間にか私はライナーと眼鏡を買いに行くことになったのです。 ここに来るのはもう一度や二度ではありませんが、眼鏡を買うなんて目的で訪れたのは当然ながら初めてです。 最近は専ら食材やグラスメルク用の材料を調達するためにしか使っていませんでしたので。 ……ですが、私も随分馴染んでしまったものです。前はこの姿で入るのも恥ずかしかったのに。 「はい、着きましたよ」 「………………」 店舗内の一角に構えるそこには、ガラスケースの中に並ぶ無数の眼鏡。 フレームの色や形、レンズの厚さや大きさのどれもに些細な、もしくは大きな違いがあります。 奥には店員が立っていて、どうやらそちらでオーダーメイドのものを受け付けているようです。 ……何というか、ひとつのものがこうもたくさんあるのを見ると、どう思えばいいかわかりません。 いえ、結果的に私は唖然としていたようなのですが。 「シュレリア様?」 「あ、うん、なに?」 「どうせならオーダーメイドで作っちゃいましょう。フレームの指定もできますし、お金ならちゃんとありますから遠慮なく」 「え……いいの? 私もそれくらい持ってるよ?」 「いいんですって。いつもシュレリア様には助けてもらってますし、そのお礼だと思ってください」 「じゃあ……甘えちゃうね」 「はい、どうぞ」 ライナーにそこまで言われて断るわけにもいかず、それに正直嬉しかったので私は好意を有り難く受け取ることにしました。 カウンターの店員に声を掛け、自分に合う眼鏡を作ってほしい、と頼みます。 仕事だからかあるいは素かはわかりませんが、笑顔で快く「かしこまりました」と頷き、色々とリストを渡してくれました。 それに載っている色や形、大きさを指定し、視力を数値化してレンズの度を定め、用途を考えて合わせ。 注文はこれで終わりましたが、当然すぐにできるわけではないようです。 数日お待ちください、という言葉を最後に聞いて、私達は店を後にしました。 そして数日後。 完成の旨を伝える連絡が入り、私は一人で眼鏡を取りに行きました。 先日訪れた場所まで。さすがにこの距離、迷うはずもありません。 ちなみに料金は先払い。お金の心配をすることもなく、無事現物を受け取ることができました。 今、私の手にはケースに収められた眼鏡があります。 まだ中身を見てはいません。ここで開くのは惜しい気もしますし、ライナーと一緒に見たくて。 家に戻ると「どうでしたか?」とライナーが心配そうに訊いてきました。……そんなに私は危なっかしいのでしょうか。 返事の代わりにケースを掲げ、私はライナーの隣まで移動。 さて、完成品のお披露目です。 そっとストッパーに指を掛けると、ケースは呆気なくぱかりと開きました。 「わぁ…………」 「シュレリア様、とりあえず着けてみてくださいよ」 「う、うん」 摘まんで持ち上げ、蔓の部分を動かして耳に引っ掛けます。 それからレンズの位置を両の瞳、視界に合わせます。あ、少しズレてますね。軽く微調整。 着けたばかりだと目が痛いですが、しばらくぱちぱちと瞬きしていると慣れてきます。 視線を逸らし、縁の辺りを見てみました。レンズの内と外の景色が違っていて、何だか不思議な感じです。 「どう、ライナー?」 「………………」 「…………ライナー? いきなりぼーっとして、どうしたの?」 「え? あ、いえ、その、えーっと、えーっと」 私の顔を見て、突然ライナーが焦り始めました。 何か、変なところがあるのでしょうか。だとしたらはっきり指摘してくれた方が楽です。 しかしそういうことではないらしく、変じゃないです変じゃないです、とライナーは早口で弁解してくれました。 ……では、いったい何だというのでしょう。 「あの、あまりに似合ってて……か、可愛いなぁ、と」 ―――― 思考停止。何も考えられません。 そのくせ自分の頬があっという間に紅潮していくのが手に取るようにわかります。 たっぷり五秒ほど硬直していた私の口から漏れ出た言葉は、 「ラララライナー! あ、あなたは自分が何を言ってるのかわかってるんですか!?」 「ええっ!?」 「だいたいあなたという人はもっと言葉を選ぶべきです、 そもそもこの日常に埋もれて忘れがちかもしれませんが私とあなたはあくまで上司と部下の関係に過ぎず、 だからもっと私を敬って然るべきなはずなのに突然可愛いなどと言われてはどう反応していいのかわからないではないですか それなのにあなたはそんな私の気も知らず無自覚にそういう発言をして!」 「あ、あの……シュレリア様?」 「何ですか!?」 「敬語なのはいいとして、不謹慎なの覚悟で言いますけど、眼鏡着けたままですよ?」 「…………っ! ラ、ライナーの……」 「俺の?」 「ばか―――――――――――― っ!!」 「おぶっ!?」 ぱちーん! ……近いうちに、ライナーには教育しないといけないようです。 このままでは本人も気づかないうちに多くの女性を泣かせるでしょうから。 でも……可愛いと言われて嬉しかったのは事実なので、許します。 あとで、改めて説教することにしますか。 ひとまずのところは、この眼鏡も使いません。 ただ、時々ライナーの前で掛けてもいいかなと、そう思いました。 もしかしたら、また可愛いと言ってくれるかもしれないと期待するのは、決しておかしくないはずです。 back|index|next |