ミシャがプラティナに数日滞在することが決まり、その間は私達の家に泊まるよう勧めました。 彼女もそれを望んでくれていたようで、今は空き部屋のひとつを整理しそこで床に就いてもらっています。 先ほどまでは尋問……あ、いえ、どうしてあんな状況だったのか、という説明を聞いていました。 決して故意ではないとのことでしたが、ミシャの目を見た限り嘘ではないでしょう。 何だかんだで、私の周りには嘘が苦手な人ばかりなのです。 「……でも、肝心なことは話してくれませんでしたね」 ライナーと二人きりで、いったい何を。 そう思うと心が落ち着かなくなって、そんな自分がまた嫌になります。 「本当に、私は……」 不安、なのでしょうか。 独占欲。いつも、いつでもライナーには私のそばにいてほしいという、欲求。 離れていれば寂しくなります。隣にいれば、心安らぎます。 それが『好き』であること。この上ない、至上の幸福。 「……ニーズ」 ふと、随分昔のことを思い出しました。 ニーズ・レギン。追憶の尾翼に作られた空港から飛び去った、かけがえのなかった友にして初恋の相手。 あの頃の私は、恋や愛に関する感情を上手く理解できず、旅立ちの日、何も言えずに彼とは別れてしまいました。 どうして心が苦しかったのか。私と、もう一人の友人だったロヴァルが反対、中止した空港の建設を再開してまで、 互いに助け合ってきた私達を残してまで世界の果てを目指したかった彼を、許せなかったのか。 ……孤独でいい、と思いました。 こんなにも傷つくのなら、孤独でもいいと。 好きになった結果悲しい気持ちになるのなら、人との交わりは最低限でいい、と。 しかし、今なら理解できます。ライナーを好きになった私には。 想いが届かなければ辛いのは当然です。叶わなければ千切れそうなほど、心は痛みます。 私は―――― 幸せなのでしょう。 幸せだからこそ、それを失うことが怖くて仕方ない。 「私は、弱いですね」 オリカさんとミシャが、ライナーのことを好きだったのは知っていました。 特にミシャはまだ幼い頃からずっと想い続けてきた身、どんな気持ちで私に譲ったのかは、あらゆる想像も及ばないでしょう。 もし私がミシャの立場にあったなら、三日三晩枕を涙で濡らし続けるはずです。 ライナーの顔もまともに見れず、再び平常心で接することができるまで、どれだけの時間が掛かるかわかりません。 二人は強くなって、それに対し私は弱いままで。 けれど、弱い自分を許容するのは、受け入れるのは間違っていると、そう思います。 「………………」 無意識に、私の右指が唇に触れ、左からなぞるように撫でていきます。 お風呂から出て間もない、まだ水気を多分に含んだ箇所。 自分で触れても、特別柔らかいとは感じません。ですが、柔らかければいいと考えてしまいます。 朝。夢の中での感触。 それは現実と比べれば霞のような曖昧さです。今となっては、ほとんど記憶にも残っていません。 でも、そのイメージだけが妙に鮮明で、幾度も私は頭の中でぼやけた映像を繰り返し再生し続けました。 「Was yea ra―――― 」 不意に口をついて出る言葉。 ヒュムノス。想音、嬉しい、このままでいたいという気持ち。 「…………詩」 心に、溢れそうなほどの温かな想いがありました。 ライナー。ライナーを好きな私。ライナーを好きでいたいと思う私。ライナーに好きでいてほしいと願う私。 今、ライナーといる日々、ライナーといる世界の全てを愛せる、愛している私。 ―――― 謳いたい、と思いました。 私はレーヴァテイルです。詩を力に、想いを形に変える存在。 ならば私のこの心を、詩にすることで伝えたいと。謳うことで、ライナーに見せたいと。 そのためにどうすればいいのか。 私にとって、詩とはどういうものなのか、謳うとはどう在るべきことなのか。 ……少し、考える必要があるようですね。 「ミシャ、少しいいですか?」 「あ、シュレリア様。ちょっと待ってください」 ドア越しに物を運ぶような音が聞こえ、静かになると向こう側から引かれ開きます。 部屋に椅子はひとつ、机用に置いてあるものしかないため、二人でベッドに腰掛けました。 「それで……どうしたんです? まさか、ライナーが何か、」 「違います。その、今日は、ミシャに聞きたいことがあって」 「聞きたいこと? 私に?」 「はい。……ミシャは、詩姫として各地を回ってきたんですよね」 「そうですけど……」 「……どうして、詩姫になろうと思ったんですか?」 自分でも、唐突な質問だとはわかっています。 しかし、しばらく考える仕草を見せて、ミシャは正直に答えてくれました。 特別不信感も持たず、おそらくは私の抱えているものを見透かした上で。 「そうですね……ほら、私星詠だったじゃないですか。使命としてクロニクルキーを謳い続ける、そんな役割を背負ってました」 「………………」 「ああ、シュレリア様が悪いわけじゃないんですから申し訳なさそうな顔しないでください。 私が言いたいのは、そう、少し前まで、詩っていうのは他人に強制されたものだった、ってことなんです」 「強制された、もの」 「謳わなければならないもの。私の自由を奪うもの。そういう風に思ってたんですよね。事実そうでしたし。 でも、ライナー達と旅をして、ハーモニウスをダウンロードして、クロニクルキーを謳う必要がなくなって。 私、ミュールに向かって謳った時、いいな、って思ったんです。心を込めて謳うことが。自分の気持ちを詩に乗せて伝えることが」 「……自分の気持ちを詩に乗せて、ですか」 「旅が終わって自由になって、そしたら私何がしたいかって考えて、すぐに出てきたのは、謳いたいっていう気持ちでした。 私の詩を聴く人が、楽しんでくれたら。頑張ろう、頑張っていこう、そんな気持ちになってくれたら。それってきっと、凄いことなんです」 「………………」 「それに、何だかんだで私、旅が好きなんですよ。自由に世界を巡る旅が。 その途中、足を止めたところで謳っていければ、素敵なことだと思ったんです」 「貴方は……自分の生きる道を、見つけたんですね」 「はい。充実してます」 いい話が聞けました。 ミシャの言葉を胸に留め、それから私達は他愛のない会話で時間を潰し、夕食の準備のために私は退室。 手伝います、と提案されましたが、今日は大丈夫ですからゆっくり休んでいてください、と返しました。 その気持ちは嬉しいです。 ただ、今はまだ少しだけ一人で考える時間が欲しかった、それだけなのです。 食材を包丁で刻みながら、もうひとつ、行く場所を脳裏に思い浮かべていました。 明日……急ぎで行きましょう。飛空挺を使わずとも、途中までならすぐですから。 予定通り、巡回の仕事をライナー(と一応ミュール)に任せ、所用で一日家を開けることを告げます。 塔内に移動、導力プラグまで徒歩で移動し、私はリンゲージを転送しました。 「……久しぶり、ですね。これを着用するのは」 リンゲージには行動、技術補佐の側面があり、身につけることで処理速度が上昇するのですが、最近は必要な場面もなく。 私自身、着飾るという行為が予想以上に楽しくなってきたので、ごてごてしい甲冑をわざわざ好んで着けなくなったのでした。 しかし今回のような状況では別です。何よりフットワークを要求される状況では。 「Ma num ga flip 0x1011001101 enter altonelico」 フリップフロップ変換。私の身体が分解され、データ化しバイナリ野へと送られます。 そこでの私は仮想の肉体を持つ思考だけの存在。故に、考えるだけで行き先は決定します。 行き先はA4区画、空港都市ネモと塔とを繋ぐ港に最も近い転送可能箇所。 移動する、感覚ではなく認識。動くという概念はバイナリ野に於いて、肉体の現存を意識していない限りありません。 自分がデータとして転送されるのは、例えれば水となり流れ情報溢れる海に出るようなものです。 バイナリ野と現実世界の決定的に違う面。それは、五感が受け取る感覚の強さでしょう。 無に近い、飾らなければあまりにも味気ないバイナリ野から復帰する際、私はいつもそのギャップに戸惑います。 そして同時に、この世界は多くのもので満ちていると思うのです。 「……もう、歩けばすぐですね」 リンゲージを送還。地に足が付く感触を少し確かめて、徒歩で数分。 シルヴァプレートを降りれば港です。持ってきた運賃分のお金を払い、搭乗の後出発。 大した距離もなく、青空航路と比べても所要時間は半分にすら及びません。 「夜までには、帰れるでしょうか」 空の色はまだ明るく、家を出てからさほど経ってもいないはず。 私は急ぎ足で目的地へと向かいます。宵の奏月、クレアさんの下に。 「いらっしゃい……あら、シュレリアさん?」 「はい。クレアさん、こんにちは」 「そうね、今の時間なら『こんにちは』ね。ふふ、それでどうしたのかしら?」 「あの……少し、お時間いいですか?」 「えっと、もうそろそろお昼の混み時だから……ピークが過ぎたら、で構わない?」 「勿論です。手伝いますよ」 「あら、じゃあ有り難く好意を受け取らせてもらうわね」 暗緑色のドレス。これを着るのも久しぶりです。 懐かしさを感じながら肩紐を通し、腰の辺りを軽く締めながら、ここで働いていた頃のことを思い出しました。 たった二週間でしたが、しっかりと記憶に残っています。 接客技術を脳から引き出し、反芻。だいぶ腕が鈍っているとはいえ、まだ、大丈夫です。 うん、と頷き、行動開始。 上達した料理の腕前も、師匠に見せるとしましょう。 「随分腕が上がったわね……」 「そう言ってもらえると、嬉しいです」 途中から半分ほど私が調理を担当した結果、お客さんからはおおよそ高評価を得ることができました。 やはりクレアさんにはまだ勝てないようですが、それでも十分過ぎるでしょう。 積まれた洗い物を洗い所定の場所に戻して、完全に入客が途切れたところで席を設けられます。 「で、わざわざ一人で来たからには、ライナーに聞かせたくないような話なんでしょう?」 「はい。ライナーには秘密にしてほしいことです。その……クレアさん」 「何かしら?」 「答えられない、答えたくないのならいいんですが、クレアさんにとって……詩とは、どんな意味を持っていますか?」 「詩?」 「そうです。その、指針になればと思って……」 一瞬口篭もった私を見て、クレアさんは何かに気づいたような表情をし、 「…………なるほどね。ふふ、わかったわ。私でいいなら答えてあげる」 「ありがとうございます。……もしかして、質問の意図、わかっちゃいましたか?」 「ええ。シュレリアさん、あなたは自分の答えを探しているのね」 言葉代わりに肯定の頷きを返します。 私にとっての詩は、今までレーヴァテイルとしての力、塔を動かす力でしかありませんでした。 ですが、クレアさんと出会い、ミュールと相対し、ミシャの生き方を目の当たりにして、私は思ったのです。 「この気持ちを、詩にできたらいい、と」 「そう。……なら、もう答えは出ていると思うわ」 「………………え?」 「シュレリアさん。私は、どうして謳っているんだと思う?」 逆に問われ、考え、 「……詩を聴いてくれる人の、ため?」 「ええ。私は、自分で紡いだ詩がみんなの力になるといい、って気持ちを込めながら歌ってるわ。 それはレーヴァテイルとしてではなく、私自身、クレア・ブランチとして。実際どうなのか、私にはわからないけどね」 「いえ、クレアさんの詩は……心を揺り動かされる、そんな詩だと思います」 「そう? 嬉しいわ。……でも、結局は全部そうなのよ。詩は言葉、想いなの。自分と、自分以外の誰かのためにあるもの」 ―――― そこまで言えば十分じゃないかしら? と、クレアさんは口にして、私に微笑みかけました。 「……はい。十分過ぎるくらいです。ありがとうございました」 「どういたしまして。いつでもいいから、また来てね」 席を立ち、見送られながら酒場を後にします。 指針は得られました。ここから先は全て、私次第です。 ……できるでしょうか。 不安はあります。が、それ以上に、やってみたい、やりたい、という思いがありました。 「―――― 私の詩を、紡ぎましょう」 back|index|next |